五章 ダイヤモンドの行方と大脱走4

 マーナとマリーはそれまでの和気あいあいとした空気を一変させ、素早く菓子が包まれていた布を寝台の奥へと押し込んだ。

 彼らの父親に見つかると厄介だからだ。菓子一つだって上等なものだと知れたら酒と交換するために階下の住人の元に持っていくからだ。


 マルクらは素早く狭い寝台に入り、そのまま朝を迎えた。

 翌朝マリーが預かった伝言を聞いて、それから倉庫街の子供たちから話を聞いて回った。

 フレンから請け負った仕事のうちの一つを遂行しているのだ。彼の探し人のうちの一人。最近急に羽振りが良くなった人物である。人夫は基本、隠し事が下手だ。

 余計な金を手に入れると行動が派手になるからすぐにわかる。詮索を嫌う場合は簡単だ。酒をおごればいい。やましい金で買った上等な酒のご相伴にあずかれば、その人間も基本口をつぐむ。


 マルクは子供たちにお布施(この場合揚げ菓子やサンドウィッチなどだ)を配り歩き、ハレ湖で働く男たちのうわさ話を集めて回っている。

 大人たちは油断しているが、子供は子供でたくさんの情報を持っているのだ。子供だから大丈夫だから、と彼らは様々なうわさ話を彼らの前でばらまく。

 マルクは現在小間物売りで路地に立ちつつ、フレンからの依頼を遂行し、今度はオルフェリアのお邸脱出も完遂しなければならない。小間物はフレンの邸やファレンスト商会の大人たちが協力的でマルクから買ってくれるので大変助かっている。


 マルクは思う。

 俺ってなんだか超いそがしい仕事人間だな、と。


 ハレ湖の子供たちには引き続き情報収集を依頼し、マルクは仕込みを用意するためとある人の元へと向かった。

 そうして日中一杯いろいろな人のところへ顔を出して話して、お願い事をして、夕方ごろマルクはファレンスト商会に顔を出した。


「やあ、マルク」

「こんばんは」

 今やすっかり社員とも顔見知りである。

「フレン様はちょっと上の階で探し物をしている最中だよ」

「ふうん」


 マルクは邪魔にならないところで待たせてもらうことにした。

 フレンへの報告を夕刻にしているのは、そのほうが夕食にありつけるからだ。彼は気前が良く、アルノーなどに言いつけて、美味しいと評判の食事処のご飯を用意してくれていることが多々ある。もちろん残ったものは妹たちのために持って帰る。

 しばらく待っているとフレンが部屋へとやってきた。


「やあ、マルク。また夕飯をたかりに来たのか」

「ひどいなあ、フレンの旦那。定期報告だよ」

 マルクはフレンの軽口を受け流した。

「その旦那っていうのはやめようか」

「いいじゃん。気前のいい旦那なんだから」

 年寄りだと言われているようで腹が立つんだ、と彼はぶつくさいっていたがマルクは取り合わないことにしている。


「それよりごはん。何か食べさせてよ。今日も一日働いてへとへと」

「わかっているよ。そのうちアルノーが何か持ってくる」

「やっりぃ」

 マルクはぱちんと指を鳴らす。

 やっぱりフレンは気前が良い。

「きみが探偵を紹介してくれたおかげでいろいろとはかどっているよ」

「いやあ、お礼を言われるほどでも」


 マルクはフレンに雇われて以来、彼の希望をいくつかかなえてきた。より地元に密着した情報源が欲しいと言われて、マルクの馴染みの探偵を紹介したし、ファレンスト商会寄りのうわさ話を積極的に新聞社に流したりもした。探偵とは、マルクの副業で知り合って以来縁のある中年男で、ロームでマルクが信頼してやってもいいかな、と思う大人のうちの一人だ。


「それで、ほかに希望は?」

「ハレ湖のほうはどうだい? あとは探し人」

「ううん、そっちはまだ。最近小金を掴んだ、なんて噂聞かないしなあ。それにスミット商会は最近よそから男を集めてきているようで、あんまり様子がつかめないんだ」


 などと話しているとアルノーが盆を持ってやってきた。

 マルクは自分のお腹がぐぅぅぅと鳴るのを自覚する。肉の良い香りがする。これはあれだ。腸詰肉を焼いたもの。


「よそから?」

「そうだよ」

 マルクは肉を頬張りながら相槌を打つ。すっかり腸詰肉のとりこになったマルクを苦笑しつつ、フレンは自身のほうに赤葡萄酒の入った杯を近づける。


「それと、探し人のおっさん」

「……前回は外れだったな」


 ディートマルの捜索である。年寄りのおっさん一人、ちょろいと思っていたのに、これが意外とてこずっている。この間、目撃情報を頼りに隠れ家と思わしき小屋に行ったが、そこにいたのは確かにディートマルと背格好は似た老人だったが、彼は別人だった。

 近隣の男たちに聞き込みをしたら最近住み着いた流れ者ということで、空振りに終わった。

 貿易都市という性質上ロームを含む周辺の町は人の流入が激しい。

マルクと探偵は引き続き地道に聞き込みをしている。ディートマルについては警邏隊も探しているから慎重に行う必要性がある。


「一応、北のレイヒトっていう町でそれらしい老人が最近住み着いたっていう情報が」

「ふうん。じゃあ、そっちは引き続きよろしく頼む。あとは、スミット商会だな。よそから男を雇っているなんて妙じゃないか?」

 フレンは眉根を寄せた。

「どうかな。スミット商会は人使いが荒いくせに金払いがよくなくて人が集まらないからね。まあこれはファレンスト商会にも言えることだけど」

 マルクはひょいと肩をすくめた。


「それについては申し訳なかったね。今まで大叔父殿が予算を握っていたから。これからは人夫の待遇改善を図っていくよ」

「ほんとうだよ。人夫の賃金は安いくせに、寄付金は大奮発なんて、ありえないだろ」

 マルクは憤慨してみせた。

「寄付については私の父の管轄だから」

 フレンはあっさりと内情を暴露する。

 金の出処が違うだけでこうも待遇が違うとは世の中不公平である。


「私もちょくちょくハレ湖の視察をしてみることにするよ。ほら、あと野菜も食べろ」

 フレンはマルクが肉ばかり頬張っていたのをしっかり見ていたらしい。こういう余計なおせっかい焼きなところが旦那と言わせるゆえんである。しかし、オルフェリアもなんだかんだとマルクの世話を焼きたがる。マルクと年のころが近い弟がいるそうで、妹二人がいると知った後はお菓子を多めに部屋に置いておくようになった。

「うるさいよ。肉が俺に食べてって言っているんだ。そうだ。旦那の明後日の予定は?」

 マルクの質問にフレンは答えた。

 

◇◇◇


 その日、ローム市内のメンブラート邸は朝からあわただしかった。急な出来事が次から次へと起こったのだ。

 大きなものから小さなものまでいろいろだ。

 小さなもののうちの一つは、下働きをしているロザーナとシモーネの喧嘩で(ロザーナは常日頃からシモーネのつんと澄ました態度が気に食わなかったのだ)、昨日料理番が野菜売りから買った品物がもれなく傷んでいたなどだ。


 大きな出来事の一つが、バステライドの従僕のうちの一人が掏りを働いと、警邏隊が邸へ押しかけてきたことだった。

 もちろんバステライドは激高した。そんな不届きをする人物を雇っていない、と。しかし件の従僕の上着のポケットから身に覚えのない財布が出てきた。

 従僕はもちろん身に覚えがないと弁明をしたが、相手がロームでそこそこ裕福な紳士で、バステライドは昨日確かに彼とすれ違ったのを覚えている。ホテルにて会食を終え、馬車に乗ろうとしたときである。

 などというやりとりは警邏隊の詰め所で、という押し問答の末、雇い主の責任としてバステライドは急きょ出かけることにした。


 ちなみにロルテームで擦りを働くと、禁固刑になる。しかし、初犯の場合しかも身元引受人が名のある人物だった場合は罰金刑となることが多々ある。やはりどの国も身分に応じて配慮がなされるからだ。

 結局邸の主であるバステライドが駆り出されることになり、となると部下のデイヴィッドは彼に代わってあれこれと用事を言いつけれることになり、現在メンブラート邸は静かなものだった。


 午前中はそんなこんなで嵐のように過ぎ去り、しかしオルフェリアは階上で過ごしていることもあり、そこまで関わることがなかった。

 その後もやれ寄付を募りに来た救貧院の子供たちの対応にデレーヌ夫人が追われたり、今度は物売りが押しかけてきて、しかもそれが物忘れの激しいおじいさんで、邸に残っていた従僕が追い返すのに難儀にしていたり、とにぎやかさてんこ盛りだった。


 さて、オルフェリアはというと。

 ドタバタ騒ぎが起きている邸でそっと機会を伺っていた。


 実は本日起こるであろうドタバタはあらかじめマルクから聞かされていたからだ。というか、仕込みをしたのはすべてマルクと彼の友人知人である。もしくは、金で雇われた人たち。ということで、オルフェリアは部屋の外の様子に耳を凝らし、タイミングを見計らってバステライドの書斎へと忍び込んだ。

 バステライドは娘の性格やら過去のあれやこれを当然のように知っているが、娘であるオルフェリアだって父のことくらい熟知している。姉弟が多いということは、小さいころから密談をする機会も多いというわけで。議題は主に、いたずらに関すること。特にオルフェリアのすぐ上の姉たち、双子姉妹はそこの辺りには事欠かない。


 オルフェリアは書斎に入って、書き物机の左側についている引き出しの上から二番目を開けた。

 ここの奥に大事な書類を隠していることが多い。もしくは金庫。


 オルフェリアはがさごそと内部を漁った。ちなみに漁る前にちゃんと細工がされていないか確認済みだ。マルクからの入れ知恵である。用心深い人間は引き出しの隙間に小麦粉などを仕込んでおくらしい。

 残念ながら外れだったため、オルフェラリアは金庫と相対した。


「お姉様には感謝ね」

 オルフェリアは慎重にダイヤルを回す。

 父お気に入りの暗証番号など、とっくにいたずら好きの双子姉妹リシィルとエシィルに知られているのである。こっそりと教えてくれたのはオルフェリアがまだ十歳くらいのときだった。


『オルフィー知ってる? お父様の金庫の暗証番号。お父様ってば、いっつも同じ番号を使うんだ』

 胸をそらし得意げに披露するリシィルの声がオルフェリアの頭の中にこだました。


 カチッと音がする。

 金庫の扉が開いた。

 オルフェリアはもどかしくも慎重に中身を見分し、ようやく目当てのものを見つけて手に持った。


 これがまだバステライドの手元にあるかは賭けだった。

 しかし、父は悲しむオルフェリアに話していた。『きみの元婚約者からもらったお金でダガスランドの郊外にお屋敷を買おうか』と。


 オルフェリアは金庫の扉を閉めて、ダイヤルを元のように回して戻してから再び自室へと戻った。

 あとはマルクからの連絡を待つだけだ。

 オルフェリアは部屋に戻って室内着を脱いだ。レエスがたっぷりと縫い付けられた訪問用のドレスや夜会用のドレスとは違い、普段着でもある室内着はオルフェリア一人でも脱ぎ着できる。

 オルフェリアは室内着から化粧着に着替える。部屋着のドレスよりもゆったりとしていて着脱が楽だからだ。


 化粧着に着替えて、手持ち無沙汰になったオルフェリアは自室の居間と寝室を行ったり来たりして過ごした。

 意味もなく窓の外を眺める。

 本当にうまくいくのかどうか。とても疑問だ。けれどマルクを信用するしかない。

 オルフェリアはもう日課になった窓からの通り観察をして残りの時間を過ごした。


(きた!)


 窓の外から見えたのは。


 マルクからあらかじめ教えられていた通り、黒い服を着た男性の一団だった。大人とオルフェリアと同じ年頃の少年やもっと小さい子供などもいる。

 オルフェリアは胸を押さえて、窓から離れた。

 心臓がばくばくしてきた。当然のことながら脱走劇なんて生まれて初めてだ。

 けれど、緊張して早くなった呼吸を戻そうとオルフェリアは内心叱咤する。


(ええい。ここまできたんだから、あとは成すがままよ! 落ち着きなさい、わたし)


 そうして。

 本日一番の舞台が幕を開いた。


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