三章 メンブラート伯爵の告白4


◇◇◇


 一方そのころ。フレンはバステライドと面会をしていた。

 オルフェリアが一方的にバステライド預かりになってから再三にわたって面会を申し入れていたのだ。フレンだっていろいろと聞きたいことや確かめたいことがあるからだ。

 指定された時間に屋敷を訪れたフレンは淡い期待を抱いたが、バステライドは「娘なら今デイヴィーと散歩に出かけているよ」と冷たく言い放った。気分の悪くなるフレンである。なにしろ一緒だというのがあの嘘つき男なのだから当然だ。


 デイヴィッドがバステライドの部下だというのも驚きだった。会わせたい奴とは父親のことだったのか、とようやく腑に落ちた。

「それで。何の用かな?」

 応接間にフレンとバステライドの二人きりである。目の前にはコーヒーが置かれているが、口をつける気分ではなかった。

 バステライドは気だるそうに一人掛けの椅子にゆったりと体重を預けている。

「もちろん、オルフェリアに会わせてもらいたくて訪れました。あとはこちらも、いろいろと話を聞きたいと思いましてね」

「話?」

 オルフェリアの件はさっくりと無視させた。フレンは友好的な笑みを顔に張り付かせたまま口を開く。


「ええ。婚約者の実家の窮地を聞いて、私もいろいろと援助を申し出ていまして。リュオン殿とも話し合っていたんです。あなたの今後の進退について私も興味があります」

「へえ、きみはリュオンのことも手懐けたのか。すごい手腕だね。彼、きみのこと本当に認めたんだ」

 バステライドは感嘆した。

「ええ。もちろんです。リュオン殿も私とオルフェリアのことを認めてくれていますよ」

 フレンは嘯いた。

 今現在も隙あらば別れさそうとしているが、オルフェリアに決定的に嫌われるのが嫌でしぶしぶ認めているだけに過ぎないことくらいフレンは百も承知している。


「あいにくと私は認めていないよ。だから彼女にも会わせない。残念だったね」

 バステライドは胸を張った。

 子供か、と突っ込みたくなるのをぐっと我慢する。将来の義父である。今の時点ではフレンの願望に過ぎないが。

「彼女との仲は伯爵夫人も認めております」

「カーリーねえ……。女親とは得てしてそういうものだよ」

「しかし、あなたは二年も何の音沙汰もなかったわけですよね。それを今更現れて婚約に反対だと言われても」

「だからってしたもの勝ちだといいたいのかな?」

「いえ、そういうわけではありません」

 フレンは取り繕った。

 つい力が入ってしまったが、喧嘩をするために訪れたわけではない。


「ところで、あなたは本当に伯爵家のダイヤモンドを競売にかけるのですか?」

「もちろんだよ」

「彼女は反対しています」

 オルフェリアは昔王家の王女が輿入れの際に持ってきたというダイヤモンドの首飾りと耳飾りをそれは大切に扱っていた。側で見ていたから知っている。

「きみが一緒に出たんだってね。あの暮れの晩餐会に。よりにもよって、オーリィはあのダイヤモンドを首にぶら下げて」

 バステライドは苦いものを嚙んだような顔を作った。

「彼女、美しかったですよ」

「そりゃあそうだろう。私の娘だからね。いや、今はそんな話じゃないね。きみの聞きたいこと、伯爵家の今後はこの間言ったとおりだよ。私はあの家をつぶす」


 フレンはごくりと喉を鳴らした。

 どうやら冗談ではないようだ。

 目の前に座るバステライドは確かにそう決断したという断固した決意を瞳に宿している。

「どうして、と伺ってもいいですか?」

 フレンがそう問うと、バステライドは決意を秘めた瞳から一転、少し疲れたような笑みを口元に浮かべた。


 オルフェリアによく似た面差しだが、この時の彼は年の分だけ積み重ねてきた錘のようなものをまとわりつかせていた。

「僕はね、あの家に人生を狂わされたんだ」

 そうして彼の長い話が始まった。

 フレンはじっとその話に耳を傾けていた。


 バステライドはメンブラート伯爵家の次男として生まれた。長男とは二歳差だった。昔から、長男以下の息子や娘は親戚筋の家や修道院に預けられることが習慣としてメンブラート家には残っていた。特に、後継ぎと年の近い男兄弟は例外なく外に預けられる。将来跡取りの座を巡って兄弟同士で対立しない予防措置だった。

「私はね、メンブラート家の家臣筋の家に預けられた。うんと小さい頃のことだね。それから伯爵家の、実家の両親と会うのは年に一度か二度のことだった。私にとっては預けられた家のほうが生家のような場所だったよ」

 トルデイリャス領の片隅で育ったバステライドはカリティーファと出会うこととなる。彼女も貴族の傍流筋(彼女の父の兄が爵位を継いだ)で避暑に来ていたところをバステライドと知り合った。


 バステライドとカリティーファはやがて恋仲になって、将来を誓い合う。けれど、そこに不幸が起こった。

 バステライドの兄が、伯爵家の跡取りが不慮の事故で無くなったのだ。


「ある日突然奴らはやってきた。そして私に伯爵家を継げと無情にも告げた。私はどこかの事務所にでも入って商売を学ぼうと思っていた。カーリーとよく話していたよ。アルメート大陸に渡って、貿易商にもでなろうか、なんてね。奴らはカーリーとも別れろ、と迫ったけれどそんなの承諾できるはずもない」

 バステライドは伯爵家を継ぐ条件としてカリティーファとの結婚を挙げた。彼女と結婚できないのなら今すぐに出奔する。伯爵家など知らない、今更なんなんだ、と。

 しかし今まで遠い存在だった両親のほうはこともなげに言ったのだ。


『おまえは伯爵家の人間だ。兄の代わりとして生んだのだから義務を果たせ』


 その言葉にバステライドは初めて貴族の家について理解した。

 他人のような距離感の両親。

 何を考えているのか顔におくびも出さない使用人たち。

 それでも、両親はしぶしぶバステライドとカリティーファとの結婚を認めた。男の赤ん坊が生まれれば、その子をまた一から伯爵家の後継ぎとして教育すればいい、中継ぎが多少出来損ないでも仕方がない、と思ったのだろう。

 けれど、バステライドとカリティーファにとっての地獄は結婚した後に起こった。

 最初に生まれたのは双子で、どちらも娘だった。次に生まれたのはまたしても双子で、今度は男女だった。


「亡くなったのが息子のほうで、あの女が一番取り乱したよ。死産は悲しいことだけれど、オーリィは無事に産声を上げたんだ。喜ばしいことじゃないか。それなのに……あの女は」

「あの女とは……?」

 なんとなく、話の流れで察しはついていたけれどフレンは念のために確認した。

 オルフェリアが生まれたときのことはリシィルから聞き及んでいる。しかし、当時年端もいかない子供だったリシィルから聞くのと、父親であるバステライドから聞くのとではそこに籠っている感情がまるで違う。

 彼はまるで昨日のできごとのように忌々しげに吐き捨てた。紫色の瞳が暗く鈍い色を放つ。

「私を産み落とした女だよ」

 バステライドは母親と呼ぼうとしなかった。

「あの女はね、カーリーに言うんだ。男を産めない役立たずと。私にはあんな女を捨てて次を娶れだとか、愛人を作れだとか煽ってくる」

 屋敷の中の雰囲気は最悪だった。


 カリティーファはみるみるうちに憔悴していった。子供を産んで日が浅いのにもかかわらず義母からの圧力に耐えきれないようにバステライドに乞う。

「泣きながら抱いて、なんて言うんだよ。きみは、愛する女が憔悴しきって、自分を責めて泣きながら、それでも抱いてと取りすがる姿を想像できるか? 私は、彼女を抱くしかなかった……。リュオンを身籠るまでずっと続いた。あの子が生まれて、ようやく私たちは家族になれたよ」


 バステライドはフレンを通り越して、部屋の遠くを見やった。いや、きっと彼は在りし日の伯爵家を思い出しているのだろう。

「わたしは、思ったよ。伯爵家が一体なんだというのか、とね」

 バステライドは再びその瞳に鈍い色の光を灯らせた。前かがみになり、膝の上に両肘を乗せる。

 何度か、口元を湿らせてから口を開いた。

「私がメンブラート家を継いだのも何かの縁だ、私の代で終わらせてやる、と思った。私の人生をめちゃくちゃにした伯爵家だ。そんなもの、未練なんて何もない」

「……だから、オルフェリアを連れて行く、と。あなたはそうおっしゃるんですか」

「ああそうだよ。彼女もあの家の被害者だ。昔から私はオーリィを一番に可愛がってきたからね。かわいそうな私の娘、オーリィ。あの子をメンブラート家から解放してあげるのが私の役目だ」


 バステライドの言い分にフレンは不快になった。彼の言い分は一方的すぎる。

 そして、彼の言動にユーリィレインは屈折した感情を抱いたのだろう。数いる姉弟のなかで父の関心を一身に受けるオルフェリアに対して。


「彼女は、オルフェリアはトルデイリャス領を愛していますよ。いろいろと思うところはあるけれど、それでも伯爵家の現状を憂いています。それはリュオン殿だって同じだし、リシィル嬢も彼女なりに領地の行く末を案じています」

 フレンはゆっくりと語った。

 伯爵家のこどもたちは皆、それぞれにトルデイリャス領を大切に思っている。短い滞在だったけれど、フレンはオルフェリアら姉弟らの郷土愛を肌で感じた。

 リシィルは一見すると破天荒だが、彼女なりに領地を盛り上げようとしているのだろう。領民に娯楽を提供し、みんなで楽しめるお祭りを、と心を砕いていた。(もちろん打ち上げと称した酒盛りも織り込み済みなのだろうが)

 リュオンだって寄宿学校に通い将来のために勉強をしている。


「きみに、あの子の何が分かるというんだ。あの家で、オーリィが一体どんな目に遭ったかも知らないくせに。あの女はね、レインが生まれたときオーリィを手にかけようとしたんだよ。乳母が必死に止めて大事に至らなかったんだ。オーリィの次に生まれたのが女の子で絶望したんだろうね。オルディーンを殺したのはおまえだと、あの女は完全にイカれていた」

 バステライドの告白にフレンは声を失った。それこそ、おそらく彼が伯爵家を恨む原動力なのだろう。

 フレンはオルフェリアが一族の墓陵の前で祖母が亡くなったときに涙が流れなかったと自分を責めていたことを思い出した。

 フレンはやりきれなくなって、瞳を伏せた。


「すまない。つい勢いで言ってしまった。このことを知っている人間は少ないんだ。誰にも、子供たちには絶対に言わないでほしい」

「……わかっています」

 フレンだって、こんなことオルフェリアに知られるわけにはいかないことくらいわかっている。彼女は傷つくだろうし、それほどに祖母を追い詰めたと自分を責めるに違いない。それがどんなに見当違いな事であっても、彼女ならそうする。

「とにかく。私は彼女を連れて行く。きみとも結婚はさせない。だから、これは返しておくよ」


 バステライドは懐に手を入れて、ソファの前に置かれた小さなテーブルの上に何かを置いた。

 置かれたのは指輪だった。彼女の瞳と同じ色の宝石が使われている、見慣れた意匠のもの。

 フレンがオルフェリアのために贈った、婚約指輪。

「これは彼女に贈ったものです」

「でも、きみとオーリィは打算のみの関係なんだろう。聞いているよ。トルデイリャス領への援助と引き換えにきみと婚約したと」

 バステライドは顔に酷薄な微笑を浮かべた。

「……違います」

 フレンはかろうじてそれだけを返答した

 けれど、フレン自身わかっている。今の自分とオルフェリアの関係は所詮は偽物だということを。


「オーリィはとても美しいだろう。隣に飾るにはいいものを手に入れたと思っていたようだけど、返してもらうよ」

「いくら父親といえど、本人が了承していないのにアルメート大陸へ連れ去るのは横暴だと思いませんか」

「彼女は納得しているよ」

 バステライドは笑みを崩さない。


「まさか。そんなはずないでしょう」

 フレンは即答した。

 断言してもいい。オルフェリアがそんな簡単に故郷を捨てられるはずがない。


 バステライドは口元から微笑を取り除いた。

「ふん。ずいぶんと知ったかぶりをするんだね」

「振りではありません。私だってずっと彼女の隣にいましたから」

 フレンとバステライドはしばらくの間お互い視線を絡ませた。


 短くない静寂を打ち消したのは扉をたたく音だった。

 コンコン、と音がしたあと、控えめに扉が開いた。使用人の女性が入室をする。

 彼女のほうを振り返ったバステライドが了承したように片手をあげた。

「そろそろ次の約束の時間なようだ。今日のところはおかえり願おうか。きみも暇ではないだろう」

 悔しいがフレンもあまり時間を遊ばせておける身分ではない。

「わかりました。この続きはまた次の機会に」

 フレンは不承不承立ち上がった。


 一目、オルフェリアに会いたかった。

 しかし、同時に思う。彼女に会ってフレンはどうふるまえばいいのだろう、と。

 ここでオルフェリアを取り戻そうと躍起になっても、フレンとオルフェリアの偽装婚約の期限は夏に一度切れる。

 相思相愛の演技を貫いても、オルフェリアがフレンを受け入れてくれなければ、結局はオルフェリアからフレンを振ることになるのだ。


 今ここで偽装婚約を引き延ばしても、数か月後には別れが来る。だったら、彼女を今度こそ解放したほうがいいのではないか、ともフレンは考える。

 行方知らずの父伯爵が見つかり、彼が二人の婚約に反対をしたため別れる。筋書きとしては悪くないし、オルフェリアが傷つかずに済む。

 理性ではわかっているのに、感情面がついていかない。

 フレンは促されるまま応接間を後にする。


 玄関広間まで来て、フレンは呼び止められた。

「お忘れ物です」

 手渡されたのは紫水晶をあしらった婚約指輪だった。

 フレンは仕方なしに受け取ったが、それともう一つ。目の前の人物が意外すぎて驚いた。


「きみ、シモーネだね」

「ええ」

 フレンに指輪を渡したのはシモーネ・ホーエンロルだった。

 元メーデルリッヒ女子歌劇団の女優は侍女のお仕着せを身にまとっている。

「まさか、ずっと彼に仕えて……」

「バステライド様に雇われたのは女組から放り出されてからよ。本当につい最近の話」

 シモーネはフレンの言葉を遮った。


「本当に?」

「ええ、それは本当。伝手を頼ってロームまで来たんだけど、そっちはけんもほろろに振られちゃったから。紆余曲折あってここに雇われたの。今は一応あの子の侍女やら接客係やらいろいろやらされているわ。ここの人たちは人使いが荒いのよ」

「きみ、まだいたの?」

 フレンとシモーネが玄関広間で話し込んでいるとバステライドが応接間から出てきた。

 さっさとフレンを追い出したいらしい。


「いま帰るところですよ」

「ああそうしたまえ。きみも今後は余計なものに気を取られないで、自分の分をわきまえて行動することを薦めるよ。きみだって、これ以上余計な横やりを入れられたくないだろう」

 バステライドの含みを持った言葉にフレンは訝し気に眉を寄せた。


 彼の口調は、いやにフレンの神経を逆なでる。なにか確信めいた上から見下ろすような声音だ。

 しかし今はそれについて言及している余裕はない。フレンも忙しいのだ。

 フレンは一例をしてからバステライドの邸を辞した。


 ちょうど邸の正門を出たところで、一人の男性と出くわした。

 栗色の髪に濃い灰色をした瞳を持った、初老に足を踏み出しかけた男性。すなわち、アウスタイン・スミットだ。


「おや、ディートフレン・ファレンスト氏ではないですか。こんなところで油を売っている暇があったら行方をくらませたディートマル氏を探しに行かれたほうがいいんじゃないですか。警邏隊に協力するのも一市民の義務ですよ」

 アウスタインは芝居がかったしぐさで丁寧にかぶっていた帽子を取り、お辞儀をした。

 フレンは内心の腹立ちをおくびにも出さずに微笑を顔に浮かべた。

「ご心配ありがとうございます。ファレンスト商会の無実を証明するためにも大叔父殿は近いうちに我々が保護してみせますよ」

 狐の化かし合いはフレンも得意とするところだ。


「高みの見物と行きたいところだが、今は時間がないもんでね。何しろメンブラート伯爵との約束の時間が迫っている」

 アウスタインは顔を横に向けた。その先にはフレンが今しがた追い出されたバステライドの邸の表門がある。

 フレンの顔に一瞬だけ驚きが混じった。

 アウスタインはそれを見逃さずに面白くて仕方ないようににんまりと笑みを深めた。

「ああ、彼の正体についてはちゃんと聞かされていましたよ。伯爵家当主ながら彼は非常に優秀な投資家でもある。我が商会にもいくらか出資していただいてましてね。その縁もあって彼の個人的な悩みの解消にも一役買って差し上げているのですよ」


「個人的な悩み?」

「ええ。娘についた特大の害虫を駆除するという……と、いけない。伯爵がお待ちだ。では、失敬」

 アウスタインは得意顔をして一方的に話を切り上げた。


 フレンを押しのけるようにすれ違い、そのままメンブラート邸へと入っていった。

 フレンは邸を去る直前のバステライドの言葉と、今しがたのアウスタインのそれを反芻する。


 バステライドはフレンにこれ以上の横やりは入れられたくないだろう、と言った。

 それは要するに。


 バステライドとアウスタインはつながっているということか。彼は娘を搔っ攫ったフレンに制裁を加えたということか。アウスタインとディートマルの思惑にあの紳士も乗っていると、ようするにそういうことなのだ。


 アウスタインの勝ち誇ったような卑下た笑いを思い出す。

 そういうことか。


 フレンは邸を見上げた。彼は確実にフレンからオルフェリアを取り上げるつもりだ。だったら、こっちも絶対に負けてやるものか。オルフェリアはフレンのものだ。

 必ずフレンに振り向かせてみせると決めている。

 フレンは足早に待たせてあった馬車に乗り込んだ。


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