三章 メンブラート伯爵の告白2
「大体のところはわかったわ。それで、ダイヤモンドを本当に売るつもりなの、お父様」
オルフェリアはまっすぐに父を見つめた。
娘の真剣な眼差しを受けたバステライドは手にしていたナイフとフォークを皿に置いた。
「うん」
「どうして……。あれは伯爵家にとってとても大事なものなのに。お父様も知っているでしょう?」
言わずにはいられなかった。
メンブラート伯爵家の歴史の詰まった宝物。それがダイヤモンドの首飾りと耳飾り。カリティーファはバステライドとの結婚式のときにこの飾りを身に着けた。
代々伯爵家に嫁ぐ女性はこの二つの宝物を身に着けて結婚式を挙げる。
「だから、だよ。伯爵家の象徴だから売るんだ。そんな伝統、私が潰す。爵位だって返上する。ローダ家から下賜されたダイヤモンドもサファイヤも売ったとわかれば、彼らも私の本気が分かるだろう。あの領地を欲しがる輩はたくさんいると思うし、あとのことなんてどうにでもなるよ」
「サファイヤをヴァスナーに売ったのもお父様なのね」
オルフェリアは詰問した。
バステライドはオルフェリアの口からヴァスナーの名前が出たことに意外そうな顔をする。
オルフェリアは伯爵家のもう一つの宝物『蒼い流れ星』をめぐってのヴァスナーとのやり取りをバステライドに聞かせた。
もちろん話をする間中オルフェリアは避難がましい視線を彼に送り付けていた。
「私はヴァスナーって男にこれは伯爵家にとって伯爵領そのものみたいに価値があるものだよ、って言っただけだよ」
バステライドはひょいと肩をすくめた。
「お父様自らが売ったの?」
オルフェリアはまだ眉をひそめたままである。
「うん」
「どうして!」
オルフェリアは叫んだ。
あのサファイヤだってメンブラート家にとってはとても大切なものだからだ。
「お金が必要だったから」
「だから、どうしてなのよ」
「そりゃあ、アルメート共和国で暮らしていくには先立つものが必要じゃないか」
バステライドは心底不思議そうにオルフェリアを見返す。
「お父様あれを売る前にたくさんのお金を借りたじゃない。借金、残されたほうは大変だったのよ」
「ちゃんと利子つけて返してあげるよ。あれとサファイアの代金のおかげで共和国での基盤が築けたんだ」
バステライドは口の端を持ち上げた。
オルフェリアはきゅっと口を引き結ぶ。先ほどから微妙に会話がかみ合っていない。とにかく、一度確認しておかなければ。
「わたし、一言もアルメート共和国に、お父様と一緒に行くなんて言っていないわ」
これが一番の大問題だ。
アルメート大陸に移住しましょう、などと言われて「はいそうですね」なんてあっさり納得できるはずもない。
「オーリィはついてきてくれないの?」
「当たり前じゃない。そもそも納得だってしていないのよ。どうして伯爵家を終わらせる必要があるの? わたしたち一生懸命トルデイリャスを盛り上げるために知恵を絞っているところなのよ。お姉様は馬を育てる牧場に興味を持っている。リュオンも寄宿学校に入って将来のために勉強をしているわ」
「きみこそ、どうしてそこまであんな家に肩入れできるんだ? きみはあの家でずっと苦しんできただろう?」
オルフェリアは言葉に詰まった。
バステライドの言う、苦しんできたという意味。それは、オルフェリアが謂れなき責任を祖母に追わされたということだ。死産で生まれてきたオルフェリアの双子の弟。彼の死の責任を、祖母はオルフェリアに押し付けた。
田舎の狭い世界。その中でオルフェリアは息苦しい思いをして生きてきた。
ずっと逃げ出したいと思っていた場所だった。それでも、オルフェリアにとってトルデイリャス領は故郷で、その故郷が時代に取り残されようとしているのが嫌で、力になりたかった。
嫌いなのに、嫌いになり切れない。相反する気持ちをそのまま受け止めてくれたのはフレンだった。
「わたしは……、あの家にはあまりいい思い出もないけれど、それでも。あそこは私にとっては故郷だわ」
複雑な思いは頭の中にたくさん散らばっていて、それらをかき集めて自分の想いにするのは難しかった。
ずっとずっと、逃げ出したかったのは本当だから。
オルフェリアの胸の内を聞いたバステライドは冷めた瞳をした。
「きみにとっては故郷なんだね。でもね、私にとっては違うよ。あそこは監獄も一緒だった。兄が亡くなったから伯爵家を継げと、十八の時に突然迎えが来たんだ。それまで年に数度会うくらいに疎遠だった息子を、まるで鍵を取り換えるかのようにやつらは私を迎えに来た」
バステライドの声は暗かった。初めて聞く、彼の暗い感情だった。
オルフェリアは初めて垣間見た父の闇におののいた。ずっと優しい父だと思っていた。その父が心の奥に閉じ込めていた負の感情。それを目の当たりにするのが怖かった。
「そ、それでもわたしだけを連れて行こうとするのはおかしいわ。まずは、お母様やお姉様たちに知らせるべきよ」
「私にとってはきみが一番大切だからね。かわいそうな私のオーリィ。ずっと、きみを救い出したいと思っていたんだ」
バステライドは一転、猫なで声をだす。
彼はオルフェリアが小さなころからよく、可哀そうな私の子、とオルフェリアのことを呼んでいた。
「お父様、話をはぐらかさないで」
「エルは結婚したんだってね。彼女はついてきてくれるかな。いっそのことナヘル家もあそこの土地を売って新天地で一からやり直せないかな。リルもエルもお転婆さんだから共和国でもうまくやっていけると思うんだ。リュオンも向こうでゆくゆくは私の事業を手伝ってくれればいいわけだし」
バステライドは饒舌に語った。
「お母様は……、賛成なさるかしら」
オルフェリアの言葉に一拍おいて彼は乾いた笑みを浮かべた。
「さあね。彼女は……変わってしまったから」
バステライドはどこかつまらなさそうにつぶやいて、顔を横にやった。
まるでそこにカリティーファがいるかのような視線だった。そのカリティーファが、彼曰く変わってしまった彼女なのかそうでないのか、それはオルフェリアにはわからなかった。
母を引き合いに出しても駄目だと悟ったオルフェリアは戦法を変えることにした。
「そもそも、わたし婚約したのよ。フレンと離れるなんて嫌だから移住はできない」
もうあとはこの理屈で押し通すしかない。
フレンとは偽装婚約で、この夏には契約期間が切れるけれど。そんなこと目の前の父は知る由もない。
「ああオーリィ。あんな男のことをお父様の前で話さないでおくれ」
バステライドは大げさに嘆いて見せた。
「お母様もリュオンも認めてくれたのよ。どうしてお父様が反対するのよ」
対するオルフェリアはフレンのことを悪く言われた様に感じて頬を膨らませた。
「よくあのリュオンが認めたよね。お父様もびっくりだよ。でも、私は認めないよ。きみはまだ十七だよ。それに、きみは家のために婚約したんだろう?」
バステライドは感心した声を出した。リュオンがオルフェリアにべったりなのは彼もよおく知っていることなのだ。
「そ、そんなことないわよ。わたしとフレンはれ、恋愛して恋に落ちて婚約したのよ」
父の前でも噛んでしまうオルフェリアである。けれど、言いたいことは言い切った。恋に落ちたとはっきり口にしたオルフェリアに対してバステライドは呆けた表情を浮かばせた。しかしすぐさま体制を立て直したのか、咳払いをした。
「とにかく、きみは一度頭を冷やすべきだよ。ファレンスト氏とのことは白紙に戻して、アルメート共和国に行ってから改めて将来のことを考えたらいいだろう。というか、しばらくお嫁に出す気はないけれど」
「お姉様の、エルお姉様のことは反対しないのね」
「まさか。今からでもねちねち責め立てたいよ。それでも……セシリオを彼女らの遊び相手に認めたのは私でもあるからね」
バステライドは苦い顔をする。
「とにかく。私の意志は固いから。ダイヤモンドも予定通りオークションに出す。これはきみのためなんだよ、オーリィ。わかってほしい」
バステライドそう言って話を切り上げた。
◇◇◇
バステライドの元に連れてこられてから早三日。オルフェリアは自由に出歩くことも許されていない。屋敷の中を歩き回ることはかまわないが、外に出ようとすると大きな図体をした従僕らがたちどころに現れる。
バステライドは、つまるところオルフェリアとフレンの婚約を認めるつもりがないのだ。
日当たりだけはよい部屋の中でオルフェリアは窓の外を眺めていた。
「ちょっと、デイヴィッドが呼んでいるわよ」
オルフェリアにぞんざいな言葉遣いをするのはシモーネだ。
まったく侍女らしからぬ不遜な態度の彼女は、オルフェリアがバステライドの屋敷に連れてこられた日から一応、侍女としてオルフェリアに接している。
「わたしはあの人と話すことなんて何もないもの」
オルフェリアは窓辺の椅子に座ったまま冷たく言った。オルフェリアはふてくされている。ここ数日、自分の主張をことごとく却下されているからだ。
「ずっと部屋にこもりきりじゃ腐るわよ。散歩に連れて行くって言っていたし。あんたが部屋にいると片付けもはかどらないのよ。ちょうどいいからちょっと出てってくれない?」
「それが主人に向かっていう言葉?」
「わたしの雇い主はバステライド様だもの。わたしはしょうがなくあなたのお世話をしているのよ。貴族のお嬢様は一人じゃなにもできないものね」
後半部分にたっぷり嘲笑の意図が込められている。
「何もできなくはないわ。一人じゃ脱ぎ着できない意匠なのがいけないのよ」
「なんでもいいからとっとと出て行ってくれない?」
ここでシモーネと言い争っても不毛だと思ったオルフェリアは面白くなかったけれど素直に部屋から出て行った。
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