三章 メンブラート伯爵の告白

 結果から言えばオルフェリアはフレンと引き放されることになった。

 父親が見つかったのだ。結婚前の令嬢が、いくらホテルに滞在しているとはいえ婚約者の男性と行動を共にしているというのは外聞が悪いとバステライドが主張し、エグモントが承諾したからだ。

 フレンは難色を示した。しかし、父親が見つかったのだからオルフェリアを父のもとへやることのどこがいけないとエグモントに一蹴されて押し黙った。


 オルフェリアはその日のうちにバステライドの滞在する屋敷へと居を移すことになった。夜にはホテルからオルフェリアの荷物だけが運ばれてきた。

 ローム市内中心部より南側に位置した屋敷街である。

 街屋敷のようにいくつもの住宅が壁続きになっている地区ではなく一つ一つの屋敷は狭い区画ながらも離れている。土地の狭いロームではあまり大きな屋敷を建てないのだ。屋敷の目の前は目抜き通りになっている。運河には面していない、閑静な住宅街である。


 夕食はバステライドとオルフェリアの二人きりである。

 食堂のテーブルに二人向かい合って座っている。燭台の明かりに照らされた父の顔は、二年前とそんなにも変わってはいなかった。深い紫色の瞳がいつくしむ様にオルフェリアに注がれている。

 しかし、娘であるオルフェリアは父に対して幾分厳しい視線を投げつけている。

「お父様。わたしちっとも意味が分からないわ。そもそも、どうして今ロームにいるのよ」

 文句を言いたくても、父と再会してからの展開が急すぎた。フレンと引き離されたこと、ダヴィルドもといデイヴィッドがバステライドの下についていたことなどなど。

 とにかく聞きたいことがありすぎてオルフェリアは食事を楽しむ余裕などない。というわけで前菜のニシンの酢漬けも手付かずである。

「そうだね、いろいろとこちらにも事情があったんだ」

「冒険家の事情?」

 オルフェリアは父が家を出るときに残した手紙の内容を当てこすった。

「あはは。こだわるねえ、そこ」

 バステライドがふわふわと笑みを浮かべる。


「お父様が書いた手紙でしょう!」

「うん。だって、伯爵家を終わらせるために暗躍してきますなんて書けるわけないじゃないか」

 娘からの詰問にもバステライドはどこ吹く風だ。あっけらかんと言い放つ。

「そう、それよ! どういうことよ」

「え、そのままの意味だよ。オーリィ、私はねメンブラート伯爵家を私の代でつぶして家族みんなでアルメート大陸に移住したいんだ」

 オルフェリアは目が点になった。

 なんてことを言い出すのだろう。開いた口がふさがらなくて、オルフェリアは少しの間口をぱくぱくさせた。

「だからまず準備をしようと思って家を出たんだ。すべて準備が整ってから迎えに行こうと思っていたんだ。じゃないとカリストあたりに邪魔をされるしね」

 彼の中では話の筋書きが完成しているのかもしれないが、オルフェリアにはさっぱりわからない。

「ま、まず……順を追って話してちょうだい、お父様」

 オルフェリアは水の入った杯を口に運んだ。冷たい水でのどを潤す。少しだけ心が落ち着いた。


「そうだね。どこかはら話そうかな……」

 バステライドはゆっくりと頭を上に傾けて、少しばかり宙を見やった。

 しばらくそのままの状態で静止をして、それからゆっくりと前菜を口に運ぶ。

 オルフェリアは固唾をのんで見守った。

「私はね、ずっと考えてきたんだ。家族を犠牲にしてまで成り立たせないといけない伯爵家なんて、必要なのだろうかってね。だから、行動に移した。家族を養うための基盤づくりをするために、一人で家を出た」

 バステライドは記憶をたどるように、ゆっくりと話をはじめた。

 オルフェリアは黙って聞くことにした。

「せっかくなら王様のいない国がいいなあって思って。気候もこちらの大陸と似ているし。南の方だと暑かったり、伝染病が蔓延していたり、紛争があったりするしね。で、アルメート共和国で地盤づくりをしながら、デイヴィッドに伯爵家の様子をさぐりに行ってもらった」

「ずっとメーレンベルフと名乗っていたの?」


「まあね。メンブラートの名前で動くとアルンレイヒにまで噂が伝わるだろう。だから今まではただのメーレンベルフと名乗っていた。けれど、きみを取り戻したしオークションもあるからね。このタイミングで世間には真実を発表するつもりだ。ま、謎の紳士を演じてきたから私とかかわりを持っている人は、私がどこかの国のやんごとない身分の者だって予想はしていたみたいだけれど」

「お父様って意外に策士だったのね」

「そうだよ。きみたちがまだ小さいころからずっと草の根活動をしていたんだ」

 オルフェリアの嫌味をバステライドはあっさり受け流した。昔から優しくておおらかな父親だと思ってきた。けれど、そのなかなかの曲者だったということか。

「ダヴィ……デイヴィッドは最初からお父様の配下だったのね」

 オルフェリアは確認をした。

「そうだよ」

 バステライドはあっさりと認めた。


「じゃあ、彼の言っていた、わたしに会わせたい人っていうのは……」

「私のことだね。彼に、きみを連れてくるように頼んだもの私だ。それというのもきみが婚約なんて予想外なことをしでかすから。手紙のやり取りをする間で、この際だから一足早くこちらに来てもらおうということになって。それで」

 バステライドによれば、デイヴィッドと知り合ったのはルーヴェとのことだった。バステライドは家出する前から、たびたび屋敷を空けてふらりとどこかに行く癖があった。彼はそのころからいろいろな場所に出かけて人脈作りやら情報収集をしていたのだ。

 そうして知り合ったデイヴィッドがバステライドの計画に興味を持ち、そのまま行動を共にするようになった。

「彼はわたしに薬を盛って連れ出そうとしたのよ」

「それは聞いてる。まったく、彼は時々とんでもない手段をとることがあるからね。私が叱っておいたよ」

 バステライドも不測の事態だったようだ。彼は顔をしかめている。


「彼にダイヤモンドを盗むよう命令したのはお父様でしょう?」

「まあね。彼は元は研究者だったから、そっちの経歴書を作ってうまくアレシーフェの大学に潜り込ませた。伯爵家に取り入ってフレイツの家庭教師になってくるようにって指示をしたのも私だよ」

「ダイヤモンドを取ってくる機会をうかがっていたのよね。そして、彼はレインをうまく利用した。彼女、いまフラデニアの寄宿学校にいるわ」

 オルフェリアは悲しくなって瞳を伏せた。

「薬を使うよう指示はしていないよ」

「それでも……結局は同じことだわ」

「けれど、レインもおいたが過ぎたようじゃないか。オーリィに嫉妬して意地悪を画策したと聞いているよ」

「ただの姉妹喧嘩だわ」

 オルフェリアはぷいっと横を向いた。

 デイヴィッドが交換条件を持ち出さなければ、ただの行き過ぎたいたずらだけで終わったかもしれないのに。それだってリシィルらは憤慨しただろうが。

「ま、私は機会を伺ってダイヤモンドを持ち出すようにって彼に指示をしただけで、方法は彼に一任していたからね。とはいえ、薬を使うのはルール違反だって、彼にはちゃんと説教したよ?」

 バステライドは肩をすくめた。


 オルフェリアは何も言う気が起きなくて、目の前に置かれたままになっている前菜に口をつけた。酢漬けの野菜はアルンレイヒでも冬の定番料理だ。保存がきくからである。

 魚を口に入れたオルフェリアは目を白黒させた。生臭さが口の中に充満する。火を通していない魚を口にしたのは初めてだ。いくら酢に漬けてあるとはいえ、多少臭みは残っている。

 オルフェリアは慌てて水の入った杯を手に取ってそのまま口の中のものを水で胃に流し込んだ。

「ああ、オーリィはやっぱり駄目だったか。好き嫌いがあるんだよね、これ」

 バステライドはしみじみつぶやいた。

 オルフェリアは涙を浮かべながら父を睨んだ。こんな癖のあるもの、どうして出したのだ。


「一応、北国の名物料理だし。パンにはさんで食べたりもするんだよ」

 オルフェリアの眼差しから感じるものがあったのか、バステライドが言い訳をした。瞳だけで会話が成立するのが親子である。

 オルフェリアはもう一度水を口に含んだ。そしてパンをちぎって口の中に放り込む。バターをたっぷりとつけたのは少しでも口直しをしたかったからだ。

 バステライドが給仕係を呼び、前菜の皿を下げさせる。次に運ばれてきたのも魚料理だった。今度はクリームを使った白身魚の煮込みである。


 オルフェリアは食事を再開しながら、質問を再開する。

「シモーネをミュシャレンによこしたのもお父様?」

 オルフェリアが驚いたことは、連れてこられた邸に侍女のお仕着せに身を包んだシモーネがいたことだった。

 邸でのオルフェリアの部屋に案内をされ、そのときに紹介された。当然のことながらミネーレの帯同は認められなかった。

「うん」

 今度もバステライドはあっさりと認める。

「ミリアムの……、ジョーンホイル侯爵家に彼女を送り込んだのもお父様?」

「いや、さすがにそこまで家を指定はしていないよ。そもそも、ミュシャレンのどの家が使用人を募集しているか、なんてロームにまで届かないし」

「じゃあ、どうやって」

「私は懇意にしていたロルテーム人の一家に、ミュシャレンで仕事を探しているリタ、ああこれは偽名だけれど、を紹介しただけだよ。彼とはまあ、商売の付き合いがあってね。それで、ミュシャレンでシモーネのために新たな勤め先を紹介してもらえるよう手紙を書いたんだ。ずっと令嬢付きの侍女をしていましたって経歴書を作り上げて」


 そしてシモーネは運よく侯爵家の令嬢付きの仕事を手に入れたというわけだ。上流階級の令嬢付きの侍女となれば他家の使用人らと話をする機会もあるし、付添として令嬢の社交に同行することもある。

 そういった時を狙ってオルフェリアに接触できる位置にシモーネを置いたとバステライドは説明をした。

 オルフェリアは彼の話を聞いて考えた。

 デイヴィッドで失敗をしたから、彼は方法を変えたのだろう。確かにシモーネはうまく立ち回ってオルフェリアを連れ出そうとした。ダヴィルドの名前を出すことでオルフェリアの動揺を引き出すことにも成功している。


「シモーネとはどこで知り合ったのよ。まさか、ずっと……」

「ずっときみのことを見張っていたよ、なんて言ってみたいところだけど。彼女をロームで拾ったのは去年の暮れも近いころだよ。彼女、頼ってきた相手に無下にされて、さすがに消沈していてね。で、私が手を差し伸べた」

 あのシモーネが消沈しているところなど想像もつかない。大抵は泰然と構えているか、不機嫌そうに口を歪めている顔しか思い浮かばない。

「デイヴィッドがロームに戻っていて、いろいろ打ち合わせをして彼女にミュシャレン行きを命じたら人使いが荒いって文句を言われたよ」

 バステライドはあはは~と笑った。

 オルフェリアは呆れた。やはりシモーネはどこに行ってもシモーネらしい。

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