エピローグ
二部が始まって、メイナはファティウスと一緒に大広間中央で踊っている。
明かりが少し落とされ、この場に残っているのは夫婦や、婚約者同士など特定の相手がいるものばかり。もちろん、今夜限りの相手と踊っている客人だっているのだろう。しかし、皆それぞれ密接した男女特有の甘い空気を醸し出している。
その中でメイナは考える。
はたしてメイナとファティウスとの間にそうした甘い空気が芽生えているかと。
はっきりいってメイナとファティウスはお互いに結婚相手に求めるものが似ていたから婚約したに過ぎない。
打算と計算に満ちた婚約である。
ファティウスはメイナに優しい。今だって慈愛に満ちた眼差しをメイナに向けて、腰に手を添えゆったりとしたステップを踏んでいる。
けれど、メイナに向けるまなざしの中に男女の恋愛めいた熱を感じ取ることはない。
「気になる?」
ファティウスが淡く微笑んだ。
「いいえ」
メイナは小さな声で囁いた。
密着したダンスの最中、踊っている男女はそれぞれ小さな声で囁き合っている。
メイナは視界の端に知っている顔を入れて、彼女のことを少しだけ目で追っていた。目の前の婚約者は目ざとく気がついていた。
「僕はちょっと気になるな。あの、先輩があんな顔をするんだから」
「ファティウス様って、ファレンストさんのことが大好きですのね」
二人は奇しくも同じペアを気にしていたようだ。
そう、なんだかんだとファティウスは学生時代の先輩ディートフレン・ファレンストのことが大好きなのである。婚約した後、一度自国に戻って婚約者であるメイナを家族に紹介したあとなんだかんだ理由をつけてミュシャレンに戻ったのだって大好きな先輩と会うためだと踏んでいる。
「うん。先輩ってお金儲けの天才だから。彼の先読みは良く当たるんだ」
「まあ」
メイナは淡く微笑んだ。
王族がお金儲けとか言うんだから、この王子殿下も一種変わり者だ。王族の義務よりも商会の運営の方に興味がある。彼は第三王子で、デイゲルン王国の中でこれといった要職につけば派閥を生み出しかねない。現在のデイゲルンの国王の妻は再々婚の相手だ。一番目の王妃は第二王子を産んで数年で亡くなり、ファティウスを生んだ二番目の王妃も彼を産んで産褥熱で亡くなった。現在王妃の座にいるのは三人目の妃である。彼女は二人の王女を生んで、現在も存命だ。要らぬ諍いを生まないよう彼は細心の注意を払って立ちまわっている。
メイナが結婚相手として選ばれたのも、特にこれといった特徴のない隣国の伯爵家の令嬢で、そこまで大それた野心をもっていないからだ。
メイナとしてもアルンレイヒよりも保守的な国の王妃の座なんて狙っていない。しきたりとか面倒そうだし、そこまで頭は切れない。王子妃としてそこそこにちやほやされて、どこの国に行っても歓待される身分があれば十分である。
それに目の前の王子殿下はそこそこ美丈夫だし、優しいし。学生時代一体どんな遊びをしていたのか、そこだけはちょっと気になるけれど、自分の前に彼の隠し子が現れなければそれでいいと思ってる。
(けど、ファティウス殿下の学生時代の武勇伝はオルフェリアには聞かせられないわね)
メイナはくすりと笑った。
なにしろ、その武勇伝には必ずフレンの名前が登場するからである。メイナも詳しくは聞いていないけれど、それでも察するものはある。オルフェリアは良くも悪くも純粋だから。
そう、彼女は純粋なのだ。
生粋の温室育ちのお嬢様。きっと身近にいたのが裏表のない人たちだったのだろう。
「どうしたの、笑って」
「いえ。ファレンストさんが好きなのは十分分かりましたから。ただ、学生時代の武勇伝をオルフェリアには絶対に話しては駄目ですよ」
「わかっているよ。先輩に嫌われたくないし。ただ、先輩を見るとね、僕たちももっとちゃんと仲良くなりたいな、って思うんだ」
メイナは少しだけ吃驚した。
彼がそんなことを言うなんて思わなかったから。
結婚したら妻を大事に扱ってくれるだろうとは思っていた。そう見せることが効果的なことがあるからだ。それ以上の熱はないと思っていたのに。
「……びっくりしました。ファティウス様がそんなふうにおっしゃるなんて思いませんでしたから」
「厭かな?」
ファティウスは穏やかに尋ねてきた。
「いいえ。その……わたしも、オルフェリアのことを、ほんの少しだけうらやましいな、って思っていましたから」
おずおずと彼を見上げると、ファティウスは子供のように屈託のない笑みを浮かべていた。
なんだか、自分まで恥ずかしくなってきて慌てて下を向いたら、腰にまわされた彼の掌に力が込められた気がして。
けれど、それは気のせいでもなくてメイナはファティウスの方に引き寄せられた。
だって、オルフェリアのあんな顔を見ていたら自分だって甘い空気を出したいな、って思ってしまったんだもの。
婚約者以外目に入りませんっていうくらい彼女はフレンに首ったけで。
お人形みたいな彼女の瞳には確かに恋の熱がこもっていたから。
二部のゆるやかな楽曲に合わせてオルフェリアはフレンと踊っている。
一部と違って、体が密着してさきほどから心臓がうるさい。
フレンはてっきり一部で帰るものだと思っていたようで、紅いドレスに着替えたオルフェリアを目にして驚いていた。なんだかこちらだけが張り切っていたみたいで、バツが悪くなって「せっかくのドレスがもったいなかったし、演技だし」と可愛くないことを言ってしまった。
そう、演技なのだ、これは。
熱い婚約者同士なのだから二部に出ないでどうする、という。
それなのに、オルフェリアは今とても幸せで。まるで夢の中にいるみたい。
フレンがオルフェリアだけを見つめてくれている。彼のオルフェリアの腰に回れさた手や密着した胴体から感じる熱もすべてが恋する心が見せる幻のよう。
彼とこうして踊ることができて夢みたい。たとえフレンがオルフェリアのことを演技の相手くらいにしか思っていなくても、それでよかった。
「ねえフレン」
「なに、オルフェリア」
「わたし、行くわ。ロームに」
オルフェリアは囁いた。
「反対したいところだけど、仕方ないね。だけど、私から絶対に離れないように。あと、きみにはほうれんそうって言葉をもっと理解してもらわないと」
そういえば昔も言われたことがある。
報告・連絡・相談という言葉をつないでほうれんそうと言うらしい。実は少し前にダヴィルドからの手紙を受け取っていた、と白状したら怒られた。二部が始まる前だったから簡潔にすましてくれたけれど、『どうしてそういう大事なことを言ってくれないんだ』と厳しい顔をされた。
あのときの集まりにはミリアムも参加していたて、シモーネはミリアム付きの侍女として王宮へついてきていたのだ。彼女はリタと名乗って平然とジョーンホイル侯爵家の街屋敷で働いていた。
「今後は気をつける」
オルフェリアは素直に謝った。
彼はその言葉を受けて、オルフェリアの頬を撫でた。彼から触れられると心がきゅっとなる。もっと、触れてほしいと願ってしまう。
お互いの目線が絡んで、しばらく見つめ合った。誕生日の、あとのときのように目が離せない。結局あのあとなんにも無かったことになってしまったけれど、オルフェリアは気になっていた。
もし、あのとき。ミネーレが扉を開けていなかったらフレンはわたしに何をするつもりだった?
もし、もしも口づけだったら。
オルフェリアは受け止めていたのだろうか。契約書には過度の密着は禁止と書いていあるのに。口づけなんて、結婚もしていないのに。頭では分かっているのに、心の奥では彼からしてもらうことを望んでいる。
彼を好きだと認めて、望むようになってしまった。
でもきっと、あのときのあれはオルフェリアの髪の毛にほこりがついていたから取ろうとしていたとか、口元にパン屑がついていたからとかそんな理由に決まっている。
(フレン、好き……)
オルフェリアは心の中で呟いた。
呟いたら恥ずかしくなって慌てて目線を正面に向けた。彼の胸のあたりに視線がくる。
好きだと自覚をしたら、もっともっと彼のことが好きになった。優しくされると欲張りになる。オルフェリアのことだけを見ていてほしい。
宝石なんていらない。ただ、優しく触れてほしい。ぎゅっと抱きしめてほしい。耳元でオルフェリア、と名前を呼んでほしい。傍に居させてほしい。それだけで十分幸せ。
今だけ。今だけだから、少しだけ勇気をください。少しだけ甘えさせて。
オルフェリアはフレンの胸に自身の頬を摺り寄せた。温かくて、彼の鼓動が聞こえてくる。
舞踏会には何か魔法がかかっているに違いない。普段のオルフェリアだったらこんなこと絶対に出来ない。
なのに、一度触れてしまうとそれはまるで何かの魔法のように抗いがたくて。
オルフェリアはそっと瞳を閉じた。
フレンの腕に力が込められたような気がして。オルフェリアは今この時だけでも、彼が自分のことを想ってくれていればいいなと思った。
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