五章 舞踏会へようこそ5

 髪の色が違う。彼女はたしか、もっと明るい黄土っぽい色をしていたはずだ。

「髪の毛はね、染めたの。黒髪なんてあんまり人の記憶に残らないでしょう。あとは化粧と声色ね」

 シモーネの声はオルフェリアの知るそれに戻っていた。口調もオルフェリアの知る、こちらのことを嫌悪していることがわかる硬質なものに戻っている。


「どうして、あなたがここに?」

 オルフェリアは一歩後ろに下がった。

「あら、前に手紙を渡したでしょう? 迎えの者を寄こしますって」

 シモーネはくすくすと楽しそうに笑った。

「あ、あの手紙! あれはもしかして……」

 オルフェリアは驚愕に目を見開いた。


「そうよ。わたしが御者に渡したの」

「迎えの者ってあなたのこと? あなただって、ダヴィルドと面識なんて……」

「ま、そこはいろいろとあって。わたしあれから伝手をたどってロルテームへ行ったの。伝手は使えなくてどうしようかな、って思っていたところに彼が現れてね。利害の一致ってやつね。しばらく使われてみることにしたのよ」

 シモーネは口元に笑みを浮かべたまま饒舌に話す。目元は楽しそうに煌めいている。

 オルフェリアは聞きたいことが沢山あった。ミュシャレン公演を引っかき回して、ことが露見すると雲隠れしたシモーネ。


「あなたのことも聞いているわよ。私の代わりに舞台に立ったんですって。ほんっとう、嫌味な女よね」

「あれは、あなたが逃げ出したからでしょう」

「それもそうね。でもいまはそんなことはどうでもよくて。一緒に来てほしいのよ」

「嫌よ」

 オルフェリアは即答した。

「あら、探し物があるんでしょう? せっかく案内してあげるって言っているのに。彼、あなたのこと待っているわよ」

 シモーネはさらに口元の笑みを深めた。


「誰が待っていようとも、彼女一人では行かせないよ」

 後ろから第三者の声が聞こえた。


 オルフェリアにとって馴染みのある声だった。

「フレン」

 オルフェリアが振り返るとフレンが駆け寄ってくるのが確認できた。

「なんだ。もう見つかっちゃったの」

 シモーネは後方からやってくる声の主を確認してつまらなさそうに呟いた。

「侍女に化けるとは大したものだね。令嬢が侍女と一緒に行動していたんじゃ誰も不審に思わない。だけど、堂々と連れ出した分オルフェリアのことを見ていた人たちも多かったよ。彼女のドレス、汚れているし」

「あら、だから逆にいいかなって思ったのよ。ドレスを着替えるためって言い訳ができるでしょう。誰もわたしのお仕着せにまで気にとめないわ」

 シモーネは肩をすくめた。

 実際オルフェリアとシモーネは誰に何かを言われることもなく迎賓館の外へとやってきた。


「あなた、最近ミリアムのところに入った新人ね。化粧が上手だって彼女が褒めていたのを覚えているわ」

 フレンの後ろからすこし息の上がったカリナが姿を見せた。オルフェリアは意外に思った。珍しい組み合わせだからだ。ついでに、カリナがフレンの上着を肩からかけているのをみて、ずきんと胸が鳴った。

 こんなときなのに、彼が自分以外の女の子に親切にしているのを確認すると胸が痛くなる。

「ミリアムの?」

「ふうん。貴族のお嬢様なのに……。めずらしいこともあるものね」

 シモーネはカリナの発言に面食らったようだ。

「わたしたちだって、使用人のことくらいちゃんと覚えているわ。あなた、ミリアムに何を吹き込んだのよ」

 カリナが言い添える。


「べつに。大したことじゃないわ。ただ、そこのオルフェリアのことが気に食わないなら、機会を狙って彼女のドレスをよごしたらいいんじゃないかと手鏡を渡しただけ。給仕が近くを通った時にそれを光に反射させて手元でも狂わせれば彼女は色のついた飲み物をかぶって一時退場を余儀なくされるでしょう、って。ミリアムお嬢様なら絶対にやってくれるって確信していたもの。わたしは控室でオルフェリアがドレスを汚して戻ってくるのを待っているだけでよかったってわけ」

「でも、控室にはミネーレだっていたはずだわ」

 オルフェリアが当然のことを口にする。

「あら、それはどうとでもなるわよ。現にあのとき、彼女の姿はなかったでしょう」

 シモーネはオルフェリアの指摘を一蹴した。他の令嬢のドレスに不具合があり、修繕の手伝いに駆り出されたと、シモーネは言っていた。もしかしたら、彼女が何か細工をしたのかもしれない。

「なるほどね。きみを遣わした人物は、オルフェリアのミュシャレンでの評判も人間関係も熟知していたってわけか」

 フレンはオルフェリアの隣までやってきて、彼女の肩をしっかりと抱いた。


「あら。さすがにそこまで完璧ってわけでもないわよ。お嬢様付きの使用人を探している屋敷を紹介してもらって、たまたま仕えるお嬢様がそこにいるオルフェリアお嬢様のことが大嫌いだったわけ。どうやって近づこうかと考えていて、少し利用させてもらったの」

「あ、あなたねぇ!」

 と、カリナがシモーネを睨みつける。


「彼女もわたしの提案に乗っかるくらいにはあなたにご立腹だったみたいよ。ま、聞いていると九割がた、ただのいちゃもんだったけど」

 シモーネはそこまで言ってくるりと後ろへ向いた。

「分が悪そうだし、そろそろ潮時かしら。そうそう、あの人からの伝言よ。万一うまくいかなかったときはこれを伝えろって。『ロルテームへいらっしゃい。ダイヤモンドはロームにあります。お嬢さんとお会いできるのを楽しみにしています』ですって。わたしともそこで再会することになるかしらね。わたしはちっとも楽しみじゃないけれど」

 それだけ伝えると今度こそシモーネは立ち並ぶ馬車の横を器用に抜けて走り出した。


「ちょ、ちょっと」

 オルフェリアは追いかけようとしたがフレンによって止められてしまった。

 彼の腕がしっかりとオルフェリアの肩を抱いて押さえている。

 オルフェリアがフレンの方を振り返えると、彼は黙って首を横に振った。

◇◇◇


 控室へと戻ったオルフェリアは汚れていたドレスを着替えることにした。

 ちょうどミネーレが戻ってきていて、持ってきていた紅いドレスを着つけて行く。ミネーレにはフレンからかいつまんで経緯を話した。

「ドレス、駄目にしちゃったわね」

 オルフェリアはがっくりと項垂れた。フレンから贈られたものだから、それでなくてもドレスはとても高価なものだ。一度きりで汚すなんてもったいない。


「あなたでもそんなこと気にするのね」

 と、これはなぜだか控室に居座っているカリナの台詞だ。彼女はあれからミリアムを呼び出し、彼女の侍女がしでかした行為についてミリアムに語って聞かせた。ミリアムは自分は関係ないと言い張って、気分が悪いと言い捨てて帰ってしまった。

 ミリアムは最後までオルフェリアに謝罪をしなかった。

 舞踏会の一部も終了した頃合いである。


「あなたね、わたしそんなにも贅沢ってわけじゃないのよ。伯爵家ではつつましやかに生活していたもの」

 オルフェリアは鏡越しにカリナに視線をやった。

「ふうん」

 カリナは控室で温かいブランデー入りの紅茶を飲んでいる。フレンから貸してもらったという上着はすでに彼に返却済みだ。今は控室の暖炉のそばで暖まっている。

「それにしても……あなたが助けてくれるなんて思わなかった。ありがとう、フレンを呼びに行ってくれて」

 カリナがフレンと現れた時は意外に思った。彼女がミリアムの味方をしていたらオルフェリアはシモーネになんだかんだ押し切られて彼女についていっていたかもしれない。

「べつに、お礼を言われることでもないわよ。あなたについた方があとあと得かなって思っただけ」

 カリナはオルフェリアの謝意に決まり悪そうに嘯いた。

 天然演技の入っていないカリナはなかなかに天の邪鬼な性格のようだ。


「ファレンストさん、いい人ね。あなたのこと本当に心配していたわ。わたしがあなたを中庭で見かけたって言うとすぐにでも駆けつけようと走りだそうとしたくらい」

「ふ、ふうん……」

 第三者から彼の様子を聞かされるとなんだかむずむずする。それでいて、その先も聞きたいような、恥ずかしくてこれ以上は聞きたくないような。

「なに、にやけているのよ。気持ち悪いわね」

「にやけてないわよ。こ、婚約者同士なんだからし、心配してくれて当然……なのよ」

 あれ、なんだかかなり上からな言葉になってしまった様な。

「わたしが寒いだろうって上着貸してくれるし」

「……」

 渋面になるオルフェリアである。親切なことはいいことだけれど、わたしだってそんなことしてもらったことないのに。


 オルフェリアはカリナが注意深くこちらを観察していることなんてまるで気付いていない。もちろん鏡越しではあるが。

「あとで一曲踊ってもらおうかしら」

「ちょ、ちょっと」

 オルフェリアがたまらずに声を出すと、カリナはお腹をかかえて笑いだした。ようやくオルフェリアはからかわれたことに気付いた。


「あなた、からかったわね」

「だ、だって、オルフェリアったらとっても面白いんだもの!」

 カリナは尚もお腹をよじって笑っている。オルフェリアは頬を真っ赤に染めた。

 ミネーレは令嬢二人の会話など耳に入っていないように、淡々とオルフェリアのドレスのボタンをかけていく。

 今までつけていた耳飾りを外されて、かわりにこの間フレンから贈られた紅玉のものに変えられた。この石の紅にちなんでドレスを仕立てたのだ。

「ドレスも宝石も真っ赤できれいね。ただ、まだあなたドレスに着られている感があるけれど」

 カリナは笑うのをやめてまじまじとオルフェリアを品定めする。

 なんとなく、胸元に視線を感じるのはオルフェリアの気のせいだろうか。


「どうせわたしには大人っぽすぎるわよ」

 自分でも自覚している。

 顔立ちも幼さを残しているから、こんな大人のドレスなんて似合わない。

 紅いドレスは肩が大きく見えていてふちを彩る飾りも背面の大きな飾りリボンもすべてが紅色なのだ。

「二部に出席するならそのくらい背伸びしていいんじゃない? わたしは帰るけど」

「帰っちゃうの?」

「特別なパートナーもいないのに二部に出席なんてしないわよ」


 二部は休憩を挟んで、深夜も時刻を回るころに開始される。オルフェリアも出席するのは今日が初めてだ。使われる曲はゆったりした曲調のもので、密着したダンスの演目が続く。

 婚約したメイナとファティウスのための舞踏会だから、二部の方が本番だと思っている招待客も多い。恋人のための甘い時間。

「わたし、あなたのこと嫌いじゃないわ。ミリアムのことは、まあちょっとあの子もいま自分のことで荒れているから大目に見てやって。婚約したら落ち着くと思うの。あの子、遅くに出来た子で父親ももう年であまり娘に関心がなくてね。そのせいで自分がなんとか頑張らないとよい縁談がこないって焦っているのよ。で、お人形さんみたいなあなたがそんな風に自分の容姿も実家の権威にも無関心でしょう。気に障っちゃうんでしょうねえ」

 カリナはしみじみと語った。


「……なにそれ。人それぞれでしょう、そんなこと」

「あなたにとってはそうなんでしょうけど。隣の芝のがよく見えるっていうか。自分よりいいもの持っている子がそれに執着しないでいるのを見せつけられると、ね。反発したくなる子もいるのよ」

 カリナは肩をすくめた。

「あなたも、そう思っていたの?」

 オルフェリアは不思議に思って尋ねてみた。

「わたしは最初からあなたと張り合うつもりはなかったもの。顔も家格もはなから負けているわ」

 カリナはとくに感情を乗せることもなく単調な口調で言った。


「それより、あなた。本当にロームに行くの?」

 カリナは部屋を出る直前に質問をした。

 シモーネとの会話を、彼女も耳にしている。

「ええ、そのつもり」

「よくは分からないけれど、忙しくなりそうね。ひと段落したら遊びに来なさいよ。今日のお礼はファレンストさんの取引先のお金持ちを紹介してくれるっていうのでいいから」

 カリナはオルフェリアの事情を深く尋ねるわけでもなく、なんとなく話の流れで聞いてみたという風だった。

 最後の一言にオルフェリアは笑ってしまった。彼女らしい言葉だと思ったからだ。


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