五章 舞踏会へようこそ4
◇◇◇
あいにくと控室にミレーネはいなかった。一緒にいるであろう仕立屋の女性も不在である。一部の終了までまだ時間があるからもしかしたら食事でもしているのかもしれない。付添人用の食事も供されているはずである。
迎賓館の地上階の客間は招待客の女性のための更衣室として解放されている。あらかじめ割り振りされており、何名かずつで一室を使うことになっている。
「あら。お嬢様御戻りでしょうか」
控室に居残っていた他家の侍女がオルフェリアに気付いて声をかけてきた。
黒い髪をした侍女は目元が隠れるくらい長い前髪をしている。それでちゃんと仕事はできるのだろうか、とオルフェリアは関係ないくせに気になった。
「ええ。メンブラート家の者はどこにいるのかしら」
「実は先ほど別の令嬢のドレスに不具合がございまして。そちらの修繕に駆り出されています」
「そう」
不測の事態に人出が必要だったのだろう。
仕方ない。オルフェリアはミネーレが戻ってくるまで待つことにした。近くにあった椅子に座る。舞踏会用のドレスは一人で脱ぐことができない。せめて染みくらいはどうにかしたいな、と思って濡れた布巾を持ってきてもらおうとオルフェリアは黒髪の侍女に頼んだ。
「ああその前にお嬢様。実はこれを預かっていまして」
侍女はおずおずと白い封筒を差し出してきた。
オルフェリアは不思議に思って封筒と侍女を交互に見た。
「ちょうどメンブラート家の侍女の方がいなくなった後に、持ってこられたんです。だからわたしが」
オルフェリアは封筒を開けた。糊付けはされていなかった。
『中庭で待っています。 ダヴィルド』
オルフェリアは息をのんだ。
「ど……どうして……」
オルフェリアの顔から瞬く間に血の気が引いていく。手紙を持つ手が震える。
どうして。
「お嬢様? いかがなさいましたか?」
黒髪の侍女が訝しげに尋ねてきた。
突然顔色を失い、手紙に釘づけになったオルフェリアの態度を不審に思ったのだ。
「いいえ……なんでもないわ。あなた、これは誰から頼まれたものなのかしら?」
オルフェリアはようやくそれだけ質問をした。
「ええと。男性でした。そうそう、金髪をしていました。明るい色だったからよく覚えています」
侍女は少しだけ顔を宙に向けて記憶を探るようにゆっくりとしゃべった。最後金髪と言うとき、これだけは自身があるようではきはきした口調で断言をした。
金髪。ダヴィルドも同じ髪の色を持っていた。
「他には何か言っていなかった?」
「いいえ。とくには」
「そう。ねえ、あなた。明かりは持っている? わたし少し外に行きたいのだけれど」
オルフェリアはここで考えても仕方ないと思い、目の前の侍女に尋ねた。
いたずらか本物か。考えていても仕方ない。だったら確かめればいいことだ。
「明かりですか?」
侍女は首をかしげた。
控室から動かない侍女がそんなものを都合よく持っているわけがない。
「ええと。じゃあ少し一緒に来てくれない? 途中でミネーレと合流するまででいいわ」
さすがに一人は不用心すぎる。オルフェリアは彼女に無理を承知で頼んだ。どこかでミネーレに会えれば、そこからは彼女に付き添ってもらえばいい。
オルフェリアの口調にただならぬものを感じたのだろう。侍女はこくりと頷いた。
「お急ぎのようですね。分かりました。お付き合いします」
オルフェリアは侍女を伴って控室から飛び出した。
◇◇◇
友人や顔見知りと挨拶している間にオルフェリアのことを見失ったフレンは人の合間を縫うように歩き彼女を探していた。
フレンと最初の曲とそのあといくつかを踊った後、オートリエの夫と彼女はダンスを踊った。
そして合間に挨拶をし、世間話に付き合わされているうちにはぐれてしまった。
舞踏会は社交の一環だから、いくら連れだとはいえ始終一緒というわけにはいかないのが辛いところだ。
今日のオルフェリアはフレンの欲目を抜きにしても美しかった。
ルーヴェから呼び寄せた仕立屋は最新流行のドレスを仕立て、布地も上等なものを使っている。舞踏会でオルフェリアは視線を集めていた。
先ほどファティウスにも「先輩が本気になると恐ろしいですね」と言われたほどだ。とか言いつつ、フレンの手の内を読んでいたファティウスだってルーヴェから仕立屋を呼び婚約者のドレスを作らせた。
アルンレイヒの夜会でルーヴェの底力を見せつけてどうする、と思ったが被ってしまったものは仕方ない。
一人になったオルフェリアには絶対に変な虫が寄ってきていると思う。そして、彼女はそれに気付かずに普通に対応していそうだ。
(というか絶対に警戒心もなくついていっているに違いない)
純粋培養のお嬢様は自分がモテるという自覚もないからたちが悪い。
歓談用に開放された控えの間や回廊も順に見て行く最中、フレンはホルディと鉢合わせた。
ホルディの隣にはミリアムが体を寄せるようにぴったりと張り付いている。
「ああ、ファレンスト氏。ちょうどよかった。話したいことがあったんです」
ホルディはにこりともせずに話しかけてきた。こちらはあまり話す用事もないからまた後でと言いたかったが、彼はフレンの返事も聞かないままミリアムに断りを入れた。
ミリアムは不服そうにフレンのことを睨みつけた。オルフェリアになにかときつく当たる令嬢だということはミネーレから聞き及んでいる。確かに、美人だがきつそうな顔立ちの娘である。
ホルディは人の輪から外れた窓辺にフレンを連れて行った。
「先日ロームについてお話ししましたでしょう。最近になって妙な噂が流れてきていましてね」
「噂?」
「ええ。ファレンスト商会ロルテーム支店で行われているという取引について」
「事実無根だ」
フレンは即座に否定した。
「本当に? あなたも知っての、それこそ一族ぐるみではないのですか」
「そんなことあるわけないだろう」
フレンがフラデニアに帰っている間に流れてきた噂。それはファレンスト商会のロルテーム支店が奴隷取引を行っているというものだった。もちろん根も葉もない噂だ。
現在西大陸とアルメート大陸の主要な国では奴隷取引は禁止されている。
ファレンスト商会は奴隷商売には手を出していない。過去も現在も。もともと国内の流通から始まって次第に事業を拡大し、貿易も手掛けるようになった。人間を取引の品物に加えたことは一度もない。
「悪いけど、たちの悪い冗談に付き合っている暇はない」
フレンは一蹴した。
「ですが、彼女の今後を考えるとあなたのような方はふさわしいとは思えません」
ホルディは尚も言い募った。
フレンは不愉快になって眉根を寄せた。
「それこそ余計なお世話と言うものだろう。きみは彼女の親戚か何かか?」
「彼女は可愛い後輩の姉です。リュオンはまじめだ。彼には期待しているんですよ。変な醜聞に巻き込まれてほしくない」
フレンはホルディをまじまじと見つめた。感情の読めない、深い色の瞳をしている。
商売人とは違う、貴族の目だ。
「ご忠告ありがとう。しかし、根も葉もない噂だ。あまりまき散らしてほしくないね。中傷だと知れたら、こちらも容赦はしないよ」
「ええ。もちろん。私は噂話は好みません」
それだけ言ってお互いに別れた。
どうやら早々にもアルンレイヒから離れることになりそうだ。すでに父エグモントはロームに入っているはずである。
嫌な予感がした。
噂の域を出ない割に、情報が拡散する速度が速すぎる。誰かが故意に悪意ある情報を流している。
しかし、今はオルフェリアである。
フレンは頭を切り替えて婚約者探しを続行した。
◇◇◇
ホルディと踊り終わったカリナは再び壁の花に甘んじていた。さきほどのあれは運が良かった。そして奇跡的にオルフェリアがこちらの空気を読んでくれた。助け船を出すように見せかけて単にホルディと踊りたかったカリナである。少しくらいは見栄を張りたいのだ。
カリナみたいななんの取り柄もない子爵家の令嬢に進んで声をかける人なんてまずいない。顔だって十人並みだし。かといって財産があるかといえばそんなこともない。内心持参金の心配をしているくらいである。
カリナは壁の花になることにも飽きて、別室に用意されている軽食を見繕っていくつか口につまんで、それから回廊へ出た。
控室で少し休憩でもしようと思った。
もしかしたら母も休んでいるかもしれない。思いがけない慶事で、こんな半端な季節に催された舞踏会。普段は小さな領地に引っ込んでいる季節である。両親に無理を言って出てきてもらった。
カリナとしては貴族階級と結婚をしたいが、上を望むのは無理だろう。なにせ……以下略。
だったら成金貴族で、格式をほしがっている人物だったらまだなんとか自分を売りこめるのではないかと思っている。一応歴史だけはそこそこあるし。
カリナとしてはメイナがさっさとミリアムに見切りをつけたことのほうが驚きだった。王太子妃のお茶会には呼ばれなかったけれど、あの場での出来事ならちゃんと聞いている。令嬢間の情報伝達はとっても早いのだ。
そのかわりメイナはまだカリナの方が横にいて無害だと思ったらしい。まさかルーエン侯爵家への訪問に呼ばれるとは思っていなかった。
オルフェリアには本性を見せてある。彼女は驚いていたけれど、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに。だいたい、あんな絶妙な間でぽんと爆弾発言を落とす人間が天然な訳がないではないか。
そんな人物がいたら逆にカリナの方がお目にかかりたい。
カリナは目立たないように迎賓館の西側の階段を使って階下へ降りた。中央階段付近には客人がたくさん溜まっているからあまり通りたくない。西側の階段を下りて地上階へ降りたカリナはなにとはなしに窓の外を見た。かがり火が多く焚かれているので、迎賓館の周囲は本日に限っては明るい。おかげで中庭の様子も平時よりかは分かりやすい。きっと、中庭でも人目を忍んで逢瀬を楽しんでいる人がいるんだろうな、と思ってからもう一度ため息をついた。
なんか、ひがみっぽい。
と、ため息をついているとかがり火によって照らし出された庭園に見覚えのあるドレスが視界を横切った。
今日は庭園にも通常よりも多くかがり火が焚かれているので見通しがよい。
(あれって……オルフェリア?)
こんな時間になんで外にでることが、と考えて白けた。彼女には仲睦まじい婚約者がいるんだから、ようするにそういうことである。
(いいわよね。今が絶賛春真っ盛りって感じで)
最近オルフェリアは可愛くなったと思う。もともと顔立ちはお人形のように可愛いけれど、そういうことじゃなくて表情も態度も恋する少女のそれで愛らしい。婚約したての頃の方がよっぽど堂に入っていたというものだ。婚約して数ヵ月後に初々しい態度を見せてどうする。
偽装結婚だと知る由もないカリナはもちろんオルフェリアの心境の変化なんて分かるはずもない。
てっきり恋人との逢瀬かと思ったカリナだったが、どうやら違うということに気付いたのはオルフェリアのすぐ隣をあきらかに侍女だと思わしき少女が歩いていたからである。二人とも肩かけをかけている。
カリナは窓の近くに寄って外を凝視した。オルフェリアの隣を歩く少女のことが気にかかったのだ。
(あれって……たしか……)
見覚えのあるお仕着せは、たしかミリアムのところ、ジョーンホイル侯爵家のものだ。カリナは何度も侯爵家の街屋敷を訪れているので覚えている。
どうしてオルフェリアがミリアムの侍女と一緒に歩いているのだろう。
ミリアムの指示だろうか。なにがそんなにも気に食わないのか分からないが、ミリアムはオルフェリアのことを目の敵にしている。同性同士、どうしてもそりの合わない子がいるのは理解できるけれど、だったら一緒につるまなくて放っておけばいいのに、とカリナは思う。
と、今はオルフェリアのことだ。こんなところで何かしようものならミリアムだって無事では済まないのに。
ミリアムだって、今はまだ一応同じ寄宿メイトだ。見てしまったものは、気になる。
カリナはその場で腕を組んで唸った。
こういうのは得意ではないのに。
とりあえず、とカリナは踵を返してフレンを探すべく上階へと向かった。
◇◇◇
一方、渦中のオルフェリアは中庭に行ってみたはいいものの、空振りに終わってがっかりした。
がっかりしたものの心の中ではやっぱりね、とも思った。王族も出席する舞踏会だ。警備だってとても厳しい。そんなところにダヴィルドがもぐりこめるなんて、冷静に考えればあるはずもない。
中庭には沢山のかがり火がたかれ、そのへんの広場よりも明るいくらいだ。
夜の散歩だという風を装って一周歩いてみたけれどそれらしい男の影はなかった。
「悪いわね。付き合ってもらって。戻りましょう」
オルフェリアはあっさりと見切りをつけた。
「あら、お嬢様もういいんですか?」
「ええ。それであなたにもう一度聞きたいんだけれど、この手紙を持ってきたのは本当に金髪の男だったのかしら?」
「ええ、そうですわ」
侍女はあっさりと肯定した。
オルフェリアは考える。目の前の侍女がオルフェリアに嘘をつく動機がない。ということはやっぱりダヴィルドの仕業なのだろうか。
招待客でなくても、下働きとかで潜り込もうと思えばなんとかなるかもしれない。
「これを持ってきた人は、どんな格好をしていた? 招待客のようだった? それとも使用人?」
「身なりは、それこそ立派でしたよ。そうそう、思い出しました。実は彼、わたしに言づけを残して行っていたんです」
「言づけ?」
「ええ。たしか……中庭に人が多くいたらゆっくり語れないので、そのときは前庭の方がいいかもって」
「いいかも、って。なにそれ相変わらず適当ね」
オルフェリアはつい悪態をついた。
彼らしい言葉だと思ったからだ。飄々としていて掴めない男。それがダヴィルドの印象である。
オルフェリアは侍女の案内の元、一度建物に戻り、そして中央入口へと誘導された。
入口の広間には歓談に興じる招待客も少なからずいるけれど、だれもオルフェリアらのことを気にするそぶりも見せない。客が出たり入ったりするのはよくあることだからだ。
侍女の少女は当たり前のようにオルフェリアを外へと誘った。
「ねえ、本当にこんなところに彼がいるの?」
前庭と広場の間には確かに植栽が植えられているけれど、中庭よりも面積は狭い。しかも定期的に歩哨が巡回している。
「あら、馬車の方だったかしら」
侍女は首をかしげて前に進む。
オルフェリアも行きがかり上彼女を追うが、次第におかしいことに気がついてきた。
まさか、おびき出されている?
いや、そもそもあの手紙自体がオルフェリアへの招待状だったのだ。それでも、迎賓館の中だからと応じた。外に出てしまっては何かあっても対処のしようもない。
「ねえ、あなた……」
オルフェリアが声をかけると、少女はくるりと振り返った。
そして笑いだす。くすくす、と。
オルフェリアの耳に妙に残った。
「ほんっとう、あなたまだ気付かないの? まあ、わたしの演技力もばっちりだから仕方ないといえば仕方ないけれど。所詮貴族のお嬢様にとって下々の人間なんて覚えるに足りないってことなのかしらね」
侍女は重たい前髪を自身の手ですくって見せた。顔が露わになる。
辺りには招待客の馬車が多く止まっており馬車に付けられた角灯の明かりによって彼女の顔も照らし出される。
昼間のようにはいかないけれど、それでも目の前の少女の顔をオルフェリアははっきりと識別した。
既視感に襲われた。
「あ、あなた……まさか……シ、シモーネ……なの?」
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