四章 鎧祭りと決意の決闘2

◇◇◇


 鎧祭り当日のヴェルニ館はとても静かだった。

 屋敷の使用人の大半が祭りの準備や当日の手伝いに駆り出されているからだ。カリストもリュオンが決闘をするということで、彼に付き従っている。

 なんだかんだ言いつつ、リシィルのすることに寛容な街なのだ。

 ユーリィレインは祭りには参加せずに屋敷に残っていた。

 残っているのは客人の世話をする必要最低限の人間と料理番くらいだ。


 エシィルに誘われたけれど、ユーリィレインは「貴族のお嬢様は街のお祭りに気安く参加なんてしないものよ」と言って断った。

 ユーリィレイン以外、どうして姉妹たちはみんな気安く下々の人間と交流をするのだろう。ユーリィレインにはそれが常々不思議である。

 もちろん、領民との触れ合いは大切だけれど、それでも守るべき秩序がある。

 カリストの貴族教育で成功しているのはいまのところユーリィレインだけだった。


 しんと静まり返った廊下を、ユーリィレインは一人で歩いて行く。伯爵家の居住空間の最奥には一族代々に受け継がれてきた宝物がしまわれている部屋がある。

 六百年の歴史を有する伯爵家には親から子へと代々受け継がれてきた宝石類なども数多くあるのだ。歴史あるこれらの品を手放さないために、別宅を売りに出したり、比較的新しい時代に買い求めた宝飾品を手放してきた。

 鍵の保管場所くらい、ユーリィレインはちゃんと知っている。

 がちゃん、と鍵を回して部屋を開ける。

 整理された部屋の中は木製の棚が置かれており、引き出しの中には小箱がしまわれている。ユーリィレインはじっくりと眺めまわしたい衝動と戦って、とある箱をあけた。

 天鵞絨張りの小箱の中には大粒のダイヤモンドの首飾りと、同じ意匠の耳飾りが納められている。ユーリィレインの親指よりも大きいダイヤモンドの首飾りは一族に伝わる大切な宝物。


「きれい……」

 ユーリィレインは思わずため息をついた。

 真ん中のダイヤモンドを囲むように小さなダイヤモンドがちりばめられている。これを見るのは人生で二度目だ。昔、父がこっそりとユーリィレインを宝物庫の中に入れてくれた。わたしも付けてみたい、とねだってみたら「大きくなったらね」と笑って言ってくれた。そんな日がくるのか、わからない。

 もう少し大きくなって、ミュシャレンの夜会に呼ばれる日がくれば、メンブラート伯爵家の娘としてこのダイヤモンドを首に飾る日がやってくるのだろうか。


 ユーリィレインは小箱のふたをぱたんとしめて、手に持って部屋を後にした。

 自室にそれを持って、戻ってきたところで、侍女が来客を告げに来た。

 待ち人がやってきたのだ。

「ちょっと、ロルテーム語の本で、わからない個所があったから先生に来てもらったのよ」

 ユーリィレインはにこやかに言った。侍女はそれで納得したようで、ユーリィレインの部屋へ来客、すなわちダヴィルドを通した。

 ユーリィレインはソファから立ち上がった。

「こんにちは。先生。今日も良い日ね」

 ユーリィレインの少女らしい挨拶にダヴィルドが応じることはなかった。なぜだかこの世の終わりのような悲壮感のある顔つきをしている。

「先生ったら、またお腹すかせているの? なにか、お昼の残りものでも余ってないかしら」

 ダヴィルドがこんな顔をしているときは大抵お腹をすかせて(読書と研究に没頭して食べることを忘れた)いるときだと熟知してるユーリィレインが先回りをしてみたけれど、彼の顔が晴れることはなかった。


 ユーリィレインはソファに座って、ダヴィルドにも着席を促した。

「いえ……、リルお嬢さんが……。よりにもよって、展示室からいっとう価値のある鎧を持ちだして、挙句の果てに自ら着込むとかいう暴挙に!!」

「ああ、そう……」


 リシィルがそれくらい平気でやってのけることくらいダヴィルドよりもよおく知っているユーリィレインは半眼になった。彼は知っているのだろうか。その昔、双子姉妹は長廊下に展示してある歴代伯爵の肖像画に思い切り落書きをして、今でもカリストから長廊下への出入りを禁止されていることを。

「ああそう、じゃないですよぉぉぉ! あの鎧の価値が一体どれくらいだか。いいですか、そもそも鎧というのは美術品としても価値のある」

「その話、長くなるわよね。また次の機会でお願いしたいわ。せっかく今日は先生のお願いを叶えてあげようと思っていたのに」


 ユーリィレインは侍女が淹れてくれたお茶に優雅に口をつけた。

 カリティーファ手製のお茶である。ミントの効いたすっきりした味わいのもの。茶請けは昨日料理番が焼いてくれたチーズケーキだ。


「ええ、ええ。もちろん覚えていますよ。僕の悲願ですから」

 ダヴィルドは急にうきうきとした表情になった。

「お嬢さんのお願いを叶えたら、見せてくれるという約束でした」

「わかっているわよ。わたしは約束は守るわ。ま、鎧祭りにカリストも一緒に出かけてくれたから、達成できたというのもあるけれど」

「その点については、リルお嬢さんの思いつきに感謝です」


 ユーリィレインは得意そうに胸を張ってから、立ちあがった。

 物書き机の上に置いてあった小箱を手にとって、再びソファへと戻った。応接用のテーブルの上に小箱を置いて、ユーリィレインはゆっくりと蓋を開いた。

 冷たい印象のダイヤモンドが姿を現した。

「これでしょう。先生がずっと見たかったのは」

 ユーリィレインは得意顔をつくった。


 歴史ある伯爵家の宝物庫や倉庫の中は歴史家にとっては垂涎もののお宝が眠る貴重な場所らしい。

 ダヴィルドは何度も、宝物庫の中を研究対象として見せてくれるようカリストやカリティーファにお願いしていた。もちろん、カリストが許すはずもなく、お願いは全戦全敗だった。

「ええそうです。このダイヤモンドの首飾り! ローダ家の姫君ゆかりの品……。すばらしいですね」

 ダヴィルドはダイヤモンドに釘づけだった。

「そもそも、このダイヤモンドは……」

 ユーリィレインは再び始まろうとするダヴィルドの歴史談義を阻止するべく口を開いた。


「それについてはわたし、小さいころから耳におできができるくらい聞かされて育ってきたの。今さら講義は不必要よ」

「でしたね」

 ダヴィルドは苦笑した。


 当時の名匠によって作られた精緻な細工とダイヤモンドのカット。今はもっと研磨の技術が発達しているから、このダイヤモンドよりも光り輝くように研磨できる。

 しかし、代々受け継がれてきたものには、そこに宿る歴史がある。

 重みが備わっている。

「わたしも、きっと数年後にはこれをつけて舞踏会へ行くわ。そうしたら、沢山の求婚者が殺到するのよ。お姉様たちみたいに、貴族でない人となんて結婚しないんだから」

 ユーリィレインはうっとりとした目つきになった。

「レインお嬢さんは夢見家さんだなあ」


「馬鹿にしているの?」

 ユーリィレインはぷうっと頬を膨らませた。

「いえ。可愛いなあって思ったんです」

 ダヴィルドは邪気のない笑みを浮かべた。兄が妹に浮かべる含みのない笑顔のようだった。

 そしてダヴィルドはおもむろに上着のポケットから、白いハンカチを取り出した。


「だから、お嬢さん。少しの間、夢をみていてくださいね」


 ユーリィレインは小首をかしげた。

 正面に座ったダヴィルドは身を乗り出してきて、ユーリィレインの口元にハンカチを押しつけた。

 とっさの出来事に、ユーリィレインは反応できなかった。

 叫ぼうと思った時にはハンカチで口と鼻を覆われていて、そして、意識が遠のいた。

 力の抜けたユーリィレインをダヴィルドは前のめりになって受け止めて、ソファへと押し戻した。

 ソファに身を沈めたユーリィレインを尻目に、ダヴィルドはダイヤモンドの首飾りと耳飾りを無造作に掴んで、ポケットに入れた。


「本当、お嬢さん方には感謝していますよ。あとは……オルフェリアお嬢さんだけ、か」

 ダヴィルドはにっこりと口元に笑みを浮かべて、いつもの調子で独り言を言ってから、扉の取っ手を回した。


    ◇◇◇


 リュオンの剣戟がフレンに迫ってくる。

 フレンは器用にかわそうとするも、平時よりも重たい体は言うことを聞いてくれない。体をよけようとするが、頭で思い描く動きが、実際の動きに連動してくれなくて、内心舌打ちをした。


(くっそ。体が、というか鎧が重い)


 唯一救いなのは、分厚い鎧のおかげでリュオンの剣が当たっても痛みを感じないということだ。決闘と言いつつ、死闘は現在法律で禁止をされている。昔ながらの貴族の伝統的な決闘も今では様変わりをしてて、公平な見届け役を立てて、細かい決めごとをお互い了承のうえで決める。

 今回の決闘のルールは、どちらか一方の体を地面に押し倒して、二十秒立ち上がれなくするか、完全に意識を失わせるか。そうすれば勝ちだ。

 重たいものを何も身につけていないリュオンは先ほどから一方的にフレンに切りかかってくる。何度かフレンも反撃を試みたが、速さでかなわない。絣はしたが、命中というわけにはいかずに、決定打に欠けている。


「どうした、息があがっているぞファレンスト」

 リュオンは剣劇の合間にフレンに話しかけてくる。


 身軽なリュオンは、最初こそフレンの格好を見て激昂したが、すぐに割り切ったらしい。

『姉上! 勝手にハンデをつけるとは! 僕への侮辱か』とか喚いたくせに。

「私のことを気にかけるくらい、余裕ってわけだ」

 フレンはどうにか口元に笑みを浮かべた。

 会話をしている合間にもリュオンは容赦なく突きを繰り出してくる。

「さっさと降参したらどうだ。婚約破棄しますと、宣言しろ」

 リュオンの突きがフレンの腹にまともに入る。後ろへとよろけかけるが、どうにか踏ん張ってこらえる。

 腹への衝撃は分厚い金属板が防いでくれるが、それでもフレンの体力は確実に消耗している。


「姉上と喧嘩したんだろう? 僕だったらあんな顔、オルフェリア姉上にさせない。さっさと身を引け! 姉上のこと、なんにも知らない癖に!」

 フレンが黙っている変わりにリュオンは何度も婚約破棄を迫ってくる。

 フレンは肩で息をした。

 思うように体が動かなくて、苛立ちが増す。汗をかいた額に髪の毛がまとわりつく。

「何にも? ……たしかに、私は、彼女のことをあまり、知らない……」

 フレンは線を描くように体の前で剣を横ざまにうち払った。リュオンが慌ててリュオンから間合いを取ろうとしたが、最後少しだけ脇腹をかすめた。


 リュオンが眉をひそめた。

「だけど、これから知っていくことだってできる。きみだって、オルフェリアの何を知っているんだ」

「ば、馬鹿にするな! 僕は小さいころからずっと姉上を見てきた。本が好きで、いつも図書室で静かに本を読んでいた。おとなしいけれど、お転婆なところだってある、優しい姉上だ」


「私だって知っているよ。感情を表に現さないだけで、実は王太子妃にあこがれるくらいミーハーで、女子歌劇団に感動する普通の少女だ。ケーキを食べて嬉しそうにしてみせたり、言葉を飾らずにぐっさりと刺さることを言ってきたり。まっすぐで、不器用で、まぶしい女の子だって」

 フレンの飾らない言葉にリュオンは顔を真っ赤にした。

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