二章 メンブラート家の子供たち4

◇◇◇


 オルフェリアは、館には戻らないでそのまま外出しようと、厩の方へ向かった。

 気分が塞がっているので、街へ行こうと思った。

 歩いているとフレンに捕まった。


「やあ、オルフェリア。きみを探していたんだ。お昼は食べてないよね? 使用人たちもきみの姿を見ていないって言うし」

「え、ええ」

「ちょうどよかった。私も今さっき剣の稽古から解放されたんだ。一緒にアレシーフェの街へ行かないか? 街の様子を見て回りたい」

 フレンは少し頬を上気させていた。

 運動した後だから体に熱がこもっているのだ。

 オルフェリアは少しだけ考えた。今は、正直一人がいい。


「だったら、アルノーと一緒に行けば?」

「アルノーは別の用事を言いつけていて、ここにはいない」

 なぜだかフレンの声がさっきよりも少しだけ固くなった。


「姉上! 街へ行かれるんですか? だったら僕も一緒に行きます。たまには姉弟水入らずでご飯でも食べに行きましょう」


 二人の間に大きな声が割り込んできた。

 少し距離がある場所からリュオンが急いで駆けてきたのだ。

 フレンとオルフェリアの間に両手を挟んで、ぐいぐいと入ってきた。


「リュオン、あなたまで……」

「こんなやつ、放っておいて僕と一緒に遊びに行こう」

「こんなやつ、とは何だ。オルフェリアは婚約者の私と一緒に出かけるんだ」

 リュオンがオルフェリアの腕に自身のそれをからめると、フレンが思い切り割り込んできた。


「誰が誰の婚約者だ。いいか、絶対に明後日の勝負は僕が勝つんだ」

「オルフェリアが、私の婚約者ということだよ。きみこそいい加減姉離れすることをおすすめするね」

「オルフェリア姉上は一生僕の姉上だ。姉離れなんてするもんか」

 それはそれで面倒だな、と思う薄情なオルフェリアだった。


 結局オルフェリアは婚約者と弟と連れだって馬車に乗り込んだ。

 乗りこんだら、フレンがさっとオルフェリアを自身の隣に座らせてしまったので、またリュオンが盛大に噛みついた。


「おい! 貴様。姉上のどこを触っているんだ。昨日から思っていたが、貴様姉上に触り過ぎだぞ」

「リュ、リュオン、ちょっとあなたなんてこというのよ!」

 弟に指摘をされるとオルフェリアの顔も赤くなる。


 家族の前で腰に手を回されるのは恥ずかしいと思っていたのも本当だったから、余計に反応してしまった。

「愛し合っている者同士なんだからこれくらい当然だろう? ねえ、オルフェリア」

 フレンは隣に座らせたオルフェリアの膝の上に自身の掌を乗せている。リュオンに見せつけるようにオルフェリアの頬へ顔を近づけてきた。


(これは演技……これは演技……)

 オルフェリアは心の中で繰り返し呟いた。


「え、ええ……」

 オルフェリアは頷くだけで精いっぱいだ。

「姉上!」

 リュオンは悲痛な叫び声をあげた。


「さて、リュオン君。せっかくだから、今後の話でもしようじゃないか。私はオルフェリアの婚約者として、メンブラート家の力になりたいと思っているよ」

 フレンが大人の余裕をみせるように、にこやかに話題を変えるとリュオンは親の仇をみるように、眦を釣り上げた。

「おまえに頼る気など、ないんだからなぁぁぁ!」




 新市街にあるレストランで三人で昼食を取っているときのこと。

 三人とも、塩漬けされた豚肉を野菜からとったスープで煮込んだ、伝統料理を平らげてデザートが運ばれてきたときだ。


「オルフェリア、私の分もあげるよ」

 フレンはオルフェリアの方に自身のデザート皿を寄せた。

 皿の上には干した無花果をたっぷりとつかったケーキが乗っている。ケーキの上には真っ白なクリームが乗っている。


「ありがとう」

「どういたしまして」

 オルフェリアが素直にお礼を言えばリュオンは負けじと自分の前に置かれた皿をオルフェリアの前に置こうとした。

「三皿も食べられないわよ。リュオン、しっかり食べないと大きくなれないわよ」

 大好きな姉に無下にされたリュオンは悔しそうに唇を噛みしめた。


 ちゃっかりオルフェリアを自分の隣に座らせたフレンは食事の間もずっと何かとオルフェリアに構っていて、リュオンをイライラとさせた。

 オルフェリアはリュオンの手前、あまり過度に密着しないように心がけているのだが、唇を尖らせて「もう、フレンたら。リュオンも見ているのよ」と言うのを目にすれば嫌が応にもイラつきが雪のように積もっていく。なんだかんだと仲の良い二人を見せつけられているようで非常に腹が立つ。


 オルフェリアが頬を赤くして照れているところなんて、リュオンは初めて見た

 デザートを食べ終わって、食後のコーヒーやお茶を各自が飲んでいるところに、個室の扉が控えめに叩かれた。

 リュオンは内心ほくそ笑んだ。


 店員が案内してきた人物に、オルフェリアは少しだけ目を丸くした。

「ここにおいでだと、聞きましたぞ。ディートフレン・ファレンスト氏ですな。はじめまして、わたくしはこのアレシーフェの街の市長でございます、ハールマインと申します」

 勢いよくしゃべりだした初老の男性にさすがのフレンも驚きを隠せないようだった。


「ファレンスト氏はアレシーフェの街に興味があるようですよ」

「メンブラート子爵、ご連絡いただきありがとうございました」

「いいえ。礼には及びません。積もる話もありましょう、年少者二人は退散します。姉上、行きましょう」

 リュオンは流れるように市長に挨拶をして、それからまだ目を白黒させているオルフェリアの手を取った。


 フレンがあっ、と声を出しかけたが、すぐさまハールマインが着席をして口を開いた。

 実は店に入るときに従僕に言いつけて、市長を呼びに行かせたのだ。

 リュオンはオルフェリアを連れ出すことに成功して、子供らしい笑みを浮かべて店を後にした。


◇◇◇


 なんだか心休まる暇がない。

 フレンと対抗するようにオルフェリアに構おうとするリュオンは、今現在子供らしい溌剌とした笑顔を浮かべている。


(はあ……つかれる)


 オルフェリアは内心ため息をついた。

 どうして男はすぐに対抗心を燃やそうとするのだろう。

 正直少し、いや、ものすごく面倒くさい。


「リュオン……。もう少しフレンにやさしくして」

 オルフェリアの言葉にリュオンはだんまりを決め込んだ。

 笑顔だった顔はみるみるうちに渋面に変わった。オルフェリアよりも濃い紫色の瞳に陰りが見える。

「せっかく、フレンが力になってくれるって言っているのに……」

 オルフェリアはさみしくなってぽつりとつぶやいた。


 フレンのことを悪く言われるとオルフェリアは悲しくなる。

「あんなやつの力を借りなくても、あと数年もすれば僕だって大人になります。そうすれば色々と状況も変わってきます」


「それじゃあ遅いのよ。リュオン、今世界は早い勢いで変わっていっているわ。鉄道が通るようになってから、時代は変わったと思う」

 新聞の受け売り半分、オルフェリアの所感も半分といったところで意見を言った。

 遅いという単語のあと、リュオンは傷ついたような表情をした。

「それでも、あいつの力を借りる必要はありません」

「フレンは優秀な実業家よ。頼りになるわ。あなたが勉強に勤しむ時間をつくるくらいはできるわ」


 オルフェリアは困った。

 昨日フレンにも話したことだった。

 伯爵家の窮状を救いたい、というのは跡を継ぐリュオンが彼のペースで大人になる時間を稼ぐことでもあった。狭い箱庭の中だけで成長するのではなく、寄宿学校で同世代の友達をつくってほしいし、大学だって行ってほしい。

 急いで大人になる必要なんてない。

 自分の目で世界を見てほしい。


「僕は、そんなこと頼んでない! どうしてあんな得体のしれない男を連れて帰ってきたんだ!」


 旧市街の狭い道でリュオンが感情的に叫べは、往来を行き交う人々は何事かと振り返る。

 皆、オルフェリアらの顔を確認して、ぎこちなく会釈をしてまた歩き出す。

 狭い街だ。皆、自分たちの領主一家の顔を知っている。

 オルフェリアは少しだけ気まずかったけれど、反論した。


「得体が知れないだなんて言わないで。フレンは立派な実業家よ。立場は違うけれど、あなたとおなじ後継ぎよ。一生懸命頑張っているわ」

「姉上はあいつに騙されているんだ」

 騙されてなんかいない。すべて合意のうえでの契約関係なだけで。

 けれど今それを明かすわけにはいかない。

「騙されてはいないわ」


「前にも言いましたけど、僕は姉上の相手がどこかの王族でも反対だ。あいつは姉上のことどれほど知っているんですか。姉上がずっと、ずっとこの土地で苦しんできたとことか知っているの?」

「……そ、それは……」


 オルフェリアは言いよどんだ。

 心の中に入ってきてほしくないことなら、オルフェリアにだってある。自分の生い立ちとか、心の中の奥のこととか。


「それは、リュオン、あなたにだって立ち入ってほしくないことだわ」

 オルフェリアはそれだけ言ってリュオンを振り切るように歩幅を広げて歩いた。

 言い過ぎたと思ったのか、リュオンは追っては来なかった。


 しばらく頭を冷やした方がよさそうだ。

 オルフェリアは迷路のように入り組んだ路地をひたすらに歩いた。

 寒い冬空の下、何度か同じ路地をぐるぐると歩いて回った。肉屋の前には血抜きをされた鳥やうさぎが吊るされている。白い息を吐きながら、街のおかみらは来る新年に向けて食材を買い込む。値引きを要求する声や、それに景気よく答える声が飛び交っている。


 オルフェリアが悩んでいても、そんなこと些細な出来事だと言わんばかりに世界はせわしなく動いている。

 当てもなく歩いていると、思考も当てなく思いつくままにさまざまな出来事の間を漂う波のように色々なことを思い浮かばせる。

 フレンのこと、家のこと、決闘のこと。


 ちょうど仮の婚約者のことを思い浮かべたところで、我に返れば目の前は馴染みの菓子店だった。『白葡萄』という名のそこは、小さいころからよく父に連れてこられた懐かしい場所だった。

 カランと入口にかけられたベルを鳴らして扉を開ければ、温かな空気がオルフェリアのことを出迎えてくれた。


 狭い店内にはたくさんの種類の菓子が並べられている。はちみつをたっぷり使ったものや、飴やマシュマロ、ヌガーなど、子供たちが気軽に買える菓子を売っている店だ。

「いらっしゃいませ……。これは、メンブラートのお嬢さま」

 店主は入ってきた人物がオルフェリアなことを認めて、猫撫で声を出した。


「ひさしぶり」

 オルフェリアは簡素な声を出して、店内を見渡した。

 ここは変わっていないように思う。

 いつも売っているものは同じ。口に含むとふわりと甘みが広がる砂糖菓子が懐かしい。

 ひさしぶりに買ってみようか。

 そういえば、フレンはどんなお菓子が好きだろう。

 オルフェリアは以前渡されたフレンの身上書を記憶の中から引っ張り出した。


(好きなものは確か、蒸留酒と新聞と、投資話……って食べ物のことが知りたいのに)


 オルフェリアは眉根を寄せた。

 そういえばフレンの好きな食べ物とか、あんまり知らない。あんまりというかさっぱりだ。好き嫌いはなかったはず。一緒に食事をしていても、そつなくなんでも口に運んでいたような気がする。

 何でも食べるのと、好きなものとはまた違う。


(わたし、フレンのことなんにも知らないわ……)


 渡された資料に書いてあることも嘘ではないだろう。実際仕事の話をしているフレンは生き生きとしているし。

 けれど、たとえば肉なら鳥より牛の方が好きで、とか、スープならこういう味付けの方が好みで、とか。そういう日常のちょっとしたことをオルフェリアは何も知らない。

 これまで知ろうともしなかった。

 オルフェリアは途方に暮れてしまった。

 この中でフレンにお土産を買うとしたら、一体何が喜ばれるのだろう。


「あれー? オルフェリアお嬢さんじゃないですか」

 オルフェリアが一人思案の海の中を漂っていると、先ほども聞いた声が耳に届いた。

 顔をそちらの方へ向けると、視線の先には案の定ダヴィルドがいた。

「ポーシャールさん」


「ダヴィルドでいいですよ。お嬢さんもこういうところで買い物するんですね。親近感沸くなあ」

 ダヴィルドは相変わらずの人好きのする笑顔をオルフェリアに向けてきた。

「ここは小さいころから好きな店なの。あなたこそ、どうしてここに? 屋敷にいたんじゃなかったの?」

「あはは。今日の授業はもう終わりました。僕も『白葡萄』のお菓子好きなんですよ。研究ばかりしていると甘いものがほしくなるんです。だから、ここのヌガーやキャラメルにはいつもお世話になっているんです」


 ね、っと店主の方へ愛想笑いを投げれば、かっぷくのいい中年の店主も釣られて笑った。

「先生にはいつもひいきにしてもらってましてね」

「いやあ。あはは~」

 頭の後ろに手をやって笑うダヴィルドに釣られて店主も再び豪快に口を開けた。

「お嬢さんも何か買うんですか?」


「え、ええ。フレンに何か買って帰ろうと思ったんだけど。男性の好みがわからなくて……」

 オルフェリアは正直に白状した。

 その答えをきいてダヴィルドはしたり顔をした。

「男性でも甘いもの好きなら何でも食べますよ。僕はもう、甘いココアからクリームたっぷりのケーキまでなんでも好きです」

「ココアはわたしも好きだわ」

「気が合いますね」


 ダヴィルドは警戒心をまるで抱かせない独特の雰囲気がある。

 いつも口元をゆるませているからか、それとも柔和な目元がそうさせるのか。

「お嬢さんの婚約者さんが羨ましいですね。贈り物貰えて。僕もお菓子くれる女性がほしいなあ」

「先生は研究ばかりしているから気付かないだけだろう。もっと周りに目を向けてごらんよ」

 大げさに嘆いたダヴィルドに対して店主が茶々を入れた。


「そうかなあ」

「あーあ、本人がこれじゃあ、ね」

 どうやら店主にはダヴィルドにほのかな想いを抱いている女性に心当たりがあるらしい。しかし、本人の意思を無視してそれとなく匂わせるのはいかがなものか、とオルフェリアは思う。


「そうだ。お嬢さん、ファレンストさんの好みがわからないなら、とりあえずこれとかどうですか? おいしいですよ」

 そう言ってダヴィルドが進めてきたのは木の実に煮詰めた砂糖をからめて炒った菓子だった。オルフェリアも好きなもののひとつで、一つ食べると止まらなくなる。

「そうね」

 少しずつ食べられるし、酒の肴にもなるかもしれない。


 なにより同じ男性からの推薦ならば、オルフェリアが選ぶよりはずれが無いかもしれない。

 オルフェリアは箱に入ったそれを一つ買って、店を後にした。その後花屋によって白雪草という真っ白な冬の花を買った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る