最終章 『月花美陣』 PART12 (完結)
☽✿.
真っ白の雪に覆われた中で、墓だけが綺麗に顔を覗かせていた。きっと彼女が掃除をしてくれたのだろう。
雪奈に貰った煙草を線香代わりに点け、吸い込まないようにふかした。セブンスター独特の香りが辺りを漂い始める。
……私は一度、ここに来たことがある。
隣を覗くと静かに微笑んでいる志遠の姿が見えた。いや、これはイメージだ。彼が立っているわけではなく、そこに残像として影が残っているだけ。
……それにしても何の会話をしているのだろう?
お互い幸せそうに話しているが、一向に会話の内容までは思い出せない。お互い時計を眺めながら静かに寄り添っている。
……煙草の香りが妙に心地いい。
この香りが心地いいのは志遠と一緒にいたから? 学校を卒業して一緒に時計店にいたから? 香りと共にぼんやりとしていた記憶が徐々に浮かび上がってくる。
客が来ても愛想笑いのできない志遠。
ネジ一つ締めることに妥協しない志遠。
時計のために空気清浄機を回しながらも煙草を吸う志遠。
携帯のメール一つ打てない志遠。デジタル式の時計は固くなに拒んだ志遠。
頑固で意地っ張りで、それでも純粋に私のことを見てくれた志遠。
私が好きな、志遠。
志遠。しおん。シオン……。
様々な表情で微笑んでいる彼の姿が浮かんでくる。彼の名が彫られているだけなのに、どうしてこんなにも彼との思い出が蘇ってくるのだろう。
どうしてこんなにも愛していたのに、私は彼のことを忘れてしまっていたのだろう――。
ばらばらに散らばっていた記憶が星座のようにイメージと共に繋がっていく。私は彼と共に生きる道を選んだ。彼と共に時計店で一生を過ごすことを誓った。
……なのに、もう彼はいない。
私の愛した志遠はこの世界にはいない。私の中に生きていた志遠はもう、どこにもいない。
……私は一体、どのくらい夢を見てきたのだろう。瞳を閉じて見る夢よりも、瞳を開いて見る夢を――。
彼が見してくれた夢は希望に満ち溢れていた。頼りない私を導いてくれる光を纏っていた。自分のことよりも私のことだけを考えてくれていた。
……志遠はどんな思いでここまで来たのだろう?
彼に修理して貰った腕時計を眺めようと右手を見る。だが時計はいつもの右手ではなく左手に巻かれてあった。
……おかしい、さっきまで右手にあったのに。
先ほどの千鶴の右手が蘇る。彼女は話をしながら自分の両腕を擦っていた。その時に付け替えたのだろうか?
まさかこの時計は――。
時計の古傷が記憶とリンクする。奇妙な感覚が働き、この時計こそが本物だといっている。裏蓋以外は全て、自分の時計だと感じさせるものがある。
裏蓋には『
その言葉の意味を理解した時には全てが一瞬にして繋がった。
そう、この言葉は逆から読まなくてはならないのだ。
逆から読むと――。
~千を越える月日、私はずっと彼を纏っていた~
あなたと……。
あなたと…………。
もっともっと話がしたかった。もっと多くの時間を共有したかった。あなたのことをもっと知りたかった。あなたの名前をもっと呼びたかった。
……でも。
私があなたと幸せになる未来を壊してしまった。私が躊躇った結果、あなたとの未来をなくしてしまった。
……それでも。
あなたは私を助けてくれた。二度も私の命を救ってくれた。私はあなたに何もできなかったのに――。
……どうして私はあなたのことを忘れていたのだろう。あなたのことが好きでたまらなかったのに。忘れたくなんてなかったのに……。
私はもう迷わない。自分の意識を閉ざしたりしない。
……だって。
あなたがいたことを忘れたくないから。あなたと共に築いた思い出を失いたくないから。
あなたといた時間は短かったけど、私の中では最高に幸せな時間だった。
本当は過去にしたくない。だけど未来にもできない。あなたが私の時を進ませてしまったから。私の時間は今、この時しか流れなくなってしまったの。
……志遠。
……ごめんね。もう弱いままの私は捨てるから。あなたの心は私の中で必ず受け継いでいきます。あなたの精神は私の中で生かしてみせます。
私は……全てを受け入れて、黄坂千月として生きていきます。
……だから。
ちゃんとお別れの言葉をいわないといけないね。
懐中時計をぎゅっと掴むと、凪の言葉が蘇った。
――この裏蓋は二重になっているんだよ。本当の文字は
裏蓋はきっちりと固定されており、素手では開かないようになっている。
強い既視感を覚える。確か前にもこんなことをした記憶がある。その時には時計の針を動かして、裏蓋を開けたはず。
だが今回の数字は?
現時点では2008年2月29日と表記されてある。だが今日は12月29日だ。彼の誕生日でもある。
カレンダーの日付は動かせない。どうやらそこだけ壊れているらしい。時分をずらし12時29分としてみる。それでも変わった様子はない。
クロノグラフを動かしてみる。
10秒、20秒、30と行く前に裏蓋が軋む音がした。ちょうど29秒だ。
裏を覗くと、小型のメモリカードが入っているのがわかった。今日持っている携帯に挿入できるタイプだ。
メモリカードをはめてみると、中にデータが入っていた。画像ではなくテキストデータらしい。
タイトル名は『月封弔花』となっている。だけど読み仮名は逆に書いてあった。
~君との時間に封をしよう。そして自らの魂をここに弔おう~
これは黄坂千月のために作成した文だ。
だからそれ以外のものが読んでもつまらないし、運悪く別の人物が見たのならその時は処分して貰っても構わない。
これを読んでいるのが千月だとすれば、僕との記憶が戻ったということになるだろう。そうしなければ出てこない仕掛けをしている。万が一、故障してこのデータを発見しても読むことはできない。日付により今日だけにしか読み取れないようにしてあるからだ。
本当にすまない。君のためを思ってしたこととはいえ、君の時間を奪い、君の未来を無理やり作ってしまった。もちろんこれからも葬儀屋として生きていく必要はない。君の未来だ。君が決めることに誰も咎めはしないし、僕は応援する。
どうしてこんな細工をしたのかというと、やはり君のためを思ってだ。
もし最終日に君が記憶を取り戻したとすると、君はまた意識を閉ざしてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。僕が今まで苦労してきた意味がなくなってしまうからだ。
だからこのメモリーカードを残すことにした。ここには君のなくした記憶の全てがある。日記帳とは違い真実だけが書かれてある。僕が千月として生きた日々が余すことなく綴られてあることを約束しよう。
この記録は全て僕一人でつけた。今の君には信じられないかもしれないけど、それだけ時間が経ったということだ。デジタルは嫌いな僕だったけど、葬儀屋になるためにはPCの勉強もしなくてはいけなかった。だから安心して読んで欲しい。
あの日描いた同じ夢を追いかけることはもうできない。離ればなれになるけれど、僕はきちんと受け止めて別の世界へ行こうと思う。だって君と過ごした思い出は嘘ではないから。
それに不安はない。君を大切に思ってくれる人を僕は知っている。彼らと幸せな日々が送れることを願っているよ。
どんなに遠く離れても君のことを静かに思ってる。
心はいつまでも君と共に――。
……だから。
さよならはいわない。
fin
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