A.D.2060 東京某所にて

7-1. A.D.2060 東京某所(上)

 ――俺たちだって、別に人間を襲うつもりはなかったのさ。


 いや、他の種族は知らんよ? ただ、少なくとも俺たちインプ族は紳士的に行くつもりだった。

 だってそうだろ。お前ら人間は知らんだろうが、ただでさえ魔界は争いだらけなんだ。なんでわざわざ別の世界に行ってまで喧嘩しなきゃならねえんだよ。

 王の実験でたまたま《大霊穴》とやらが開いたものだから、魔界よりも居心地が良いって噂の人間界に行ってみたかっただけだ。


「――移住というわけですか」

「その下見だな。居場所があればいいな、程度に考えてた。あとは単純な好奇心だ」


 人間界、トーキョーと呼ばれる街の一角。

 俺は硬い地面に座り込み、空から降ってくる水に頭を打たれながら、魔界の情勢や魔族のことをペラペラと喋っていた。


 俺ばかりが喋って、が時折質問する。先程からこの流れの繰り返しだ。

 幸い、こうしている間は俺は殺されずに済むようだったので、従うしかなかった。


「なにせ、人間界に行ったことがある奴なんて居ないからな。

 噂通りの住みやすい場所ならよし。そうでないなら、来た道を通ってさっさと魔界へ帰ろうと思っていた」


 人間って連中はどういう奴らなのか、

 人間界にはどんな文化が根づいているのか。

 そんな基本的な事すら、俺たち下っ端魔族にはろくすっぽ知らされていなかった。

 怖いんで、とにかく平和的にやりたかった。“力こそ正義”みたいな頭の悪い理論が通じるのは魔界だけで十分だ。


 ……そもそも、魔界がそういうカオスな世界になったのは王の統治が悪いからだ。頭の悪いトップを持って苦労するのはいつだって俺たち下っ端だ。

 ベリアルの奴、はやく死んでくれねえかな……マジで……。


「――ベリアルというのは?」

「俺達の世界の元締め。魔界の王、ベリアル殿下の事だよ。 ああ、クソベリアルは人間界には来てないぞ。来てるのは俺たち下っ端魔族だ」

「ベリアルという名前はこちらの世界にも伝わっています。悪魔の王として」


 目の前のそいつはさして興味もなさそうに言った。

 俺の喉元にはそいつが持つ奇怪な形の剣が突きつけられたままだ。刀身は平べったく、全体から虫の羽音のような謎の甲高い音を立てていて、明らかに危険物ですといった気配を醸し出している。

 俺はまだ死にたくないので、慎重に言葉を選んでいった。


「そうかい。《大霊穴》が開くのはこれが初めてじゃないらしいからな……大昔、魔界から人間界こっちに来た奴が、人間たちにベリアルの名前を伝えたんだろ」

「なるほど」


 何の話だっけ? えーと、《大霊穴》を通って俺たち下っ端魔族がわらわらと人間界に来たところだな。

 とにかく平和的な下見のつもりだったんだ。人間と戦争するつもりなんてこれっぽっちもなかった。少なくとも俺にはね!


 それがどうだ。通ってからわかったんだが、《大霊穴》は一方通行で魔界にゃ帰れねえ。しかもオークだの屍鬼グールだの、本能で生きてる頭の悪い奴らが人間を襲っちまったせいで人間達に誤解され、彼らとはこうして真っ向から対立するハメになってしまった。

 言葉も通じないから説得もできねえし、あっという間に大戦争だよ。


「あなたは人間の言葉を喋っているようですが」

「俺はインテリなの! 頑張って言葉を覚えたの! インプをナメんな!」


 たまらず足元の石を蹴っ飛ばす。ぴちゃぴちゃと水音を立てて石は転がっていった。


 輪をかけてひどい事に、人間には俺たちインプと野蛮なオークどもが同じに見えるようだった。

 いやまあ、俺も最近ようやく人間の見分けがつくようになってきたくらいだし、気持ちはわかるけどさ……ちょっと酷くない?

 全然違うじゃん。インプとオークだよ。あいつらの目はどうなってんだよ。


 呪文とはまた違う、あのチクチク痛い武器……銃? 銃を使って『悪魔だ! 悪魔が来たぞ!』って手当たり次第に攻撃してくるんだから堪らない。人間界に疎い俺達だっていい加減学習した。


『衝撃の事実! 複数の人間に囲まれて銃で撃たれ続けると、魔族でも死ぬ!』


 アホかっつー話だよ。

 こんなのもう、応戦するしかないじゃないか。大戦争だよ、人間と魔族の。

 ちょっと人間界にお邪魔するだけのはずが――平和的とはまるで程遠い、とんでもない事態に発展してしまった。


「泣きたいよ。俺たち下っ端魔族は被害者なんだ」

「そもそも、あなた方が軽率に人間界に来たからこんな事になったのでは?」

「うっせー! 一方通行だと分かってたら最初から来なかったわ! バーカバーカ!」


 罵倒に応じるかのように、平べったい刀身を持つ奇妙な剣が俺の目の前で振られた。火花が散り、人間界でよく見られる《コンクリート》と呼ばれる岩が真っ二つに寸断された。


「すみません、なんでもないです」

「続きを」


 思えば、これは魔界の口減らし政策だったのかもしれない。

 人間界の良い噂だけを流し、数が増えすぎた魔界の住人を《穴》の向こう――人間界に送り込む。

 人間達と仲良く共存できればよし。人間達と戦争になって俺たち下々の者が死ねばそれはそれでよし。どちらにとっても魔界の上層部、貴族連中にとってはゴミ掃除ができて万々歳ってわけだ。ふざけやがって。


 わかるか? 魔界ってのはそういうカオスなとこなんだよ。ルールもへったくれもあったもんじゃない。

 力のある王の言うことは絶対。力のある貴族の言うことは絶対。そういう世の中なんだ。人間界に逃げたくなる気持ちもわかるだろ。


「共感はできませんが、理解はできます」

「ありがとうよ坊や。 ……いや嬢ちゃん? どっち?」

「私は男性型としてデザインされています」

「ありがとうよ坊や」


 そして今。哀れな俺は、このトーキョーとかいう地の固く冷たい地面の上で本物の悪魔に捕まり、こうして尋問されている。いつ解放してもらえるのか、それとも唐突にトドメを刺されるのか、それすら分からない。

 なーにが人間界だ。なーにがあたたかな太陽と豊かな緑だ。行けども行けども灰色のでっけえ墓石ばっかじゃねえか! 貴族どものアホったれクソったれめ! 死ね!


「なるほど。貴重な情報でした」


 ――ぴたり。

 ようやく甲高い音が止まった。目の前のは、騒音の元――平べったい刀身を持つ奇妙な剣を鞘らしき金属箱に収める。

 とりあえずの命の危険は去ったと見えて、俺はここでようやく、落ち着いてそいつの顔を拝む事ができた。


 全てを吸い込むような黒髪。

 血のように赤い瞳。

 中性的な見た目は男のようにも見えるし、女のようにも見えた。


 インプの俺でもわかるくらい異質な雰囲気だった。

 他の人間とは明らかに別物の何か。俺にとって幸いなのは、そいつが存外話せばわかる……平和的なやつだというところだった。


「あなたは悪魔の中でも話が通じる方のようです。シンジュク保護特区に居住できるよう、上層部に打診します」

「そりゃ結構。ただ、できれば魔界へ帰りたいんだが……」

「じきに回収部隊が来ます」


 無視された。肩をすくめる。

 命を取られないだけマシか……もう数え切れないほどの魔族がこいつにやられている。下手な抵抗はしないほうがよさそうだった。

 とはいえ、話題がないのも落ち着かない。俺は少し考えた末、相手が魔族でも人間でも通じる(はずの)無難な話題を振った。


「お前さん、名前は?」

「名前ですか」

「そうだよ。名前くらい教えてくれてもいいだろ」

「私に名前を訊ねてきた悪魔は、貴方がはじめてです」


 聞く暇もなく戦いになっちまうからだろ! そう思ったが、口にはしなかった。少年の口元が……少しだけだが……嬉しそうに綻んでいたからだ。


 この世に生まれてきた以上、だいたいの存在には名前がある。俺は親父にそう教わった。

 名前は誰もが持つ宝であり、存在証明だ。他人に名前を伝えるという行為は、自分がこの世に生まれてきた証を残す行為に他ならない。


 もし、その行為に喜びを感じているというのなら。

 こいつの肉体は人間とも悪魔とも異なる何かなのかもしれないが、少なくとも心のつくりは他の人間や俺たち悪魔と大差ないのだろう。

 そして恐らく、こいつはまだ生まれたばかり。

 成長したらどんな性格になるのだろうな、と思った。


「俺はエイブラッド。しがないインプだ」

「《DH-05》です」


 赤い瞳で俺の瞳をじっと覗き込みながら、そいつは瞬きもせずに言った。


「対悪魔用・自動成長型生体兵器。デモン・ハート・シリーズの05号。

 《 DH-05-Leo[レオ] 》です」

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