樫森華琳編

第19話:二人の華琳


 ある夢を見る。いつの出来事かはっきりと分からず、風景も霧に覆われた朧気そのもの。一人の少女がこの霧の中で目を開けてあたりを見回す。どこを見ても先が見えない。


「ここは一体、どこ……?」

「よかった。気がついたか」


 低めながら自分とよく似た声が耳に聞こえ、声の主に目を向ける。黒い影から姿を現したのは、これもまた自分とよく似た顔をした人物の姿。顔や目の色だけ似ていて、それ以外はそこまで似ていないとはいえ、少女は彼女のことを知っていた。恐る恐る、その人の正体を明かす。


「えっと……。『本物』の……私?」

「うん。やっと会えたね、『影の双子』の私」


 彼女と出会ったのは今回がはじめてではない。数時間前、怪物に囚われていたところを解放された後万神殿の一室なのが初対面の出来事だ。

 当時は自分が何者であるのか未だに理解つかず、さらには怪物の宿主にされたことで周りの人たちに多大な迷惑をかけてしまったこともありかなり萎縮していた。『本物』の彼女も、少女の対応に困っているようでどう言えばいいのか探りに探っていたそうだ。そこに解決に向かってくれた運命共同体の神子たちのフォローにより、この場をほんわかムードで馴染むことができた。

 でも実際他の誰もいない空間……夢の中で姿の似た自分と対面するのは、とても恐怖を感じている。自分には持ち得ない真剣な眼差しがこちらに見つめているからだ。『偽物』だから、偽物の自分はここで消えるべきだったのか……と今でも感情が支配されそうな気分で話しかけてみる。


「ここって夢、だよね?」

「そうだとも」

「『本物』の私は……『偽物』の私をどうしたいのかな、なんて……」


 あぁ、また今でも怒りそうな顔でこちらを見つめている。聞くべきじゃなかったのだろうか。鈍器でもかなりキツく痛いビンタでも受けて夢から避けたい、逃げたい欲望に押しつぶされないよう立ち止まり、近づいてくる彼女の同行を逃さず見つめる。

 距離から目と鼻の先になったところで、彼女の右手をデコピンスタイルにして少女の額に向けて弾いた。


「いたっ!」


 強く溜めており、尚且つ爪の鋭さが額から来る痛さに思わずしゃがみこんでしまうほど。これは夢のようで夢じゃない。悶絶しているところを彼女もしゃがみこんで目線を合わせてきた。


「近づこうとしたところで半泣きとは、君は一体何を考えていた? もしかして、『影の双子』である『偽物』の自分はこの世界に存在してはいけなかったとか思ってる?」


 あまりにも図星。頑張って抑え込んでいた感情が崩れ、涙が止まらなくなってきた。今自分が日常として過ごしている世界は本来彼女が居るべきであるが現在では絶界、その一つである聖地にいる。今自分が消えることができれば、彼女は現世で生活できるのかもしれないのだから。それを言いたいが感情が溢れて嗚咽混じりになっているせいかうまく言えず、ただ感情に飲まれるしかない少女の背中に彼女の手が差し伸べてきて優しくさすってくる。


「はぁ……困った妹がいるものだ」


 ため息混じりにながら話す彼女には攻撃を行う意図が全く感じられない。一瞬肩を震わせて気持ちを落ち着かせるように涙を拭く。


「確かに君の存在を消した場合、私は現世に戻って生活できる。でもそれは『根本的解決』であって『平和的解決』ではない」

「……どうしてそこまでするの? 私、影の双子だよ?」

「第一に、父や母、周りの人たちが知っているのは『君』であって私ではない。概念のつじつま合わせで紛れ込むことはできるけどすぐにバレてしまう。後々になってお互い悲しみに包まれるぐらいなら今の方がいい」


 彼女から答える言葉からは決意の現れが見える。真面目な表情から微笑みに浮かべた表情に変えて少し離れた。


「いつかは私も現世で生活できるようにする。それまで君が樫森華琳として居てくれ。決して絶界に行かないようにね」

「う、うん。分かったよ。君も……本物の私も死なないで……よね」

「約束しよう」


 ここまでの会話で彼女の気持ちや意気込みは読み取ることができたが、結局のところ『現世に居てほしい』の意図を読み取ることはできなかった。推察の範囲内ではあるが、まだ自分には何かがあるのかもしれないという己に対する不安を抱え込む結果となる。



                  ●



 休日の昼間という頃合いにちょうどいいぐらいの参拝客で賑わう神明神社。弥音も巫女裝束の姿で藁箒を持ちながら参拝客と挨拶を交わしていた。いつもと変わらない振る舞いに同じく働いていたフォンヒルドからは心配そうに見つめられている。


「あの、弥音様大丈夫でしょうか? 貴方は明日高等部の昇級試験があると神主様から聞いているのですが」

「大事な日の前だからこそ、いつもどおりにするのが大事です。まぁ、流石に愛里は不安だからって部屋にこもっているみたいですけどね」

「それならよろしいですが、無理しないでくださいね」


 分かっております。と清掃に戻ろうとしたところ、彼女にとって見知る人物の姿を見つけ、向こうからもこちらの姿に気づいて近づいてきた。茶色のセミロングをしたまとめ髪に冬らしい上着を着た少女が手提げバックを持っている。


「弥音さん、こんにちは」

「こんにちは、華琳。今日はどうしました?」

「試験前の気分転換として一緒にお茶でもどうかなって。折角商店街の人からいい緑茶の茶葉を貰ったので」

「茶葉……! フォンヒルドさん、いいですか?」

「勿論構いませんよ。この後の仕事はわたくしがやるので、弥音さんはご友人と一緒に楽しんでください」

「ありがとうございます。さて、自宅の裏庭へ行きましょうか」

「はい!」


 本来であれば業務中だから終わってからでもと思ったのだろう。だが、友人を待たせるのも申し訳ない上に他の人からくれる茶葉を相手にはどうも抗うことができなかった。

 弥音の自宅の裏庭についたところで茶葉が入った缶詰を受取って支度している間、華琳は庭に植えられている草木を見渡す。桜の木の枝には蕾がいくつか膨らみ始めているのを見て、そろそろ春の季節と思い始める。


「お待たせしました」


 戻ってきた弥音の手には急須と湯呑みをのせたお盆を持っていた。二人は縁側に座り、急須から湯呑みにお茶を入れて香りを確かめる。


「うん。普段飲んでいるお茶とは違う香りがしますね」


 そして一飲。意外な味に一瞬目を見開きつつ、湯呑みを下げた。


「程よい苦味と渋味からの旨味が現れて、とてもおいしい。珍しい茶葉を使っているのですね」

「良かった、気に入ってくれて。つまらぬものですがこれもどうぞ。後で唯吹さんや父親にも分けてやって」

「ありがとうございます。毎月ここまでしなくてもいいのに……」

「いえいえ。私のご厚意なのでね」


 しばらく時間が流れる。まだ冬の気配が抜けきれず、それでも徐々に春へと近づこうとする風景の中。襲い掛かってくる冷気も湯呑みからの温もりで震えることはない。静かな時間の中で切り出したのは、華琳の方だ。


「明日からの昇級試験が終われば……中等部も終わって来月から高等部だね」

「そうですね。重大なミスさえ起きなければ進級は確実ですけどね。イルハは自信満々だし、愛里も不安がっていますが内申点は悪くないので当日休まなければ大丈夫と思います」

「だね。みんなと一緒に中等部を修了し、高等部に進級できる形で、私もよかったなって」

「一緒にって……。華琳、もしかして別の高校に進学するつもりだったのですか?」

「あっ……。実は、両親から電子工学に長けた高校に進学するように勧められてね。お父さんは電子工学が得意だし、私も手先は器用で最低限の知識は持っているからさ……」


 思い出して語る華琳の表情からは少し陰りを見えているような気がしたが、すぐに切り替えて明るさを取り戻す。


「実は秋頃まで考えていたんだよ? 最悪、弥音さんに気づいてもらえなかったら進学しようって考えていたぐらい。でもこうやって気づいてもらって、進級したい理由ができたから今に至る。まぁ、電子工学に関しては大学に入ってからでも遅くは無いからね」

「そうですか。自分なりの折り合いがつけて良かったです。私も、あの時驚きましたよ。今まで忘れていたことは深く詫ますが」

「もう過ぎたことだよ」


 会話していくうちに思わずお互いに笑みを浮かべ、小さく笑いを上げてしまった。


「あ、そういえば唯吹さんはどこへ? お茶とお菓子を振る舞いたい」

「唯吹なら……親神からの特訓で今絶界九龍城に居ますよ」

「九龍城かぁ。あそこには『本物』の私が居たね。……まぁ、大丈夫かな」

「はい。先輩神子からの教えの元で修行をするのもまた成長する手がかりになるのです」



                  ●



 絶界九龍城、一部の階層にある大道場にて唯吹と青い戦闘中華服を身に纏った薄茶色の長髪ポニーテールの華琳がお互い竹刀を持ってぶつかり合っていた。唯吹に関しては所有する武器の都合で短い竹刀を二本で襲い掛かってくる華琳の竹刀をさばいていく。


「二刀流で小回りが利くはずなのに、どうしてこっちの方が」

「舐めないほうがいいよ~。そこは経験の差だ!」


 長い竹刀を駆使しているためか柔軟な二刀流を相手でも傷をつける暇を与えない。相手の隙を見て攻撃を与えることに集中していたために他のことを考える余裕もなくただ振り下ろす唯吹に、一瞬の隙を見て片方の竹刀が叩かれ、もう片方の竹刀を振る前に敵側の竹刀の先が喉に突きつけられた。


「……参りました」

「まだ爪が甘いね。これだから龍吉公主様から「まだ鍛錬が足りませんね」と言われる。ずっとやっても精度が下がるだけだし少し休もう。……おや?」

「やぁ、お疲れさま二人共」


 大道場の扉の前に立っていたのは20代の一人の男性の姿。大きな襟のジャケットを身にまとい、茶色のバサバサ短髪をした長身の男性が靴を脱いで入ってきた。その姿を見て華琳はすぐにお辞儀をする。


「団長!」

「え、団長?」

「はじめまして、だったかな。俺は絶界九龍城自警団団長、名前は如月きさらぎ 朱鳥しゅう。みんなからは『シュウ』と呼ばれている。よろしくな」

「よ、よろしくお願いします! ……ところで、『絶界九龍城自警団』って何?」


 まさかの質問はここかよ! と言わんばかりに二人がずっこけてしまった。


「華琳、まだ彼女に自警団について説明していなかったのか!」

「説明する暇無かったもの。仕方ないじゃないか」

「全く……。こ、これは俺が説明しよう」


 直々に団長からの自警団説明に心が踊りだし、まっすぐな眼差しで彼を見つめる。シュウからしたらその眼差しは刺激が強いらしく、思わず目線を少し逸した状態で咳払いをし、説明を始めた。


「『絶界九龍城自警団』。通称『九龍城自警団』で呼ばれており、主に九龍城に住む神子の有志たちで構成された集団だ。主に俺たちが行うは九龍城内の規律管理や悪種の怪物討伐等など。今こうやって九龍城が平穏でいるのも俺たちや神々の協力があってこそなのだ」

「なるほど! 自警団かぁ~」

「説明は以上。先程まで見回りをしていたわけさ」

「団長、九龍城の状況はどうだった?」

「あぁ、異常無し。いつも通り平穏そのものだ」


 見回り報告とお互いの近況報告の様子を見て、「わぁ~……」と言葉を漏らすしかなかった。


「さて、折角来たし、唯吹」

「は、はい」

「その短い竹刀を一本貸してくれないか? ここまでの組み手で一つ気になったことがあってな」


 近寄ってきたシュウに言われるがまま竹刀一本手渡し、受け取る。


「二刀流は両手其々武器を持つことは全意識を両手に意識するに値する。両利きでなければなお難しい。一つのテクニックとして教えよう」


 右手に持った竹刀の弦(つる)の方向をもう片方の補助無し親指側から小指側に持ち替えた。一瞬の行動に目を離さなかった唯吹ではあるが仕組みについて理解できなかった。


「え、これ、どうやってやるの?」

「持ち方を変えただけ。といっても、少しむずかしいかな。逆手持ちにすることによって外側の対処もできるのさ。唯吹の場合、この竹刀よりももう少し長めだろうから難しいができて損は無い」

「ありがとうございます! そ、その持ち替え方を教えてください!」

「持ち替え方もゆっくり教えよう。これをだな……」


 手早くではなく、今度はスローモーションや実践などを交えながら事細かく指導していく。この様子を少し離れてみていた華琳にとっては少し懐かしく感じたのだろう。数年前までアーセルトレイの塚で親神のオグマとかつて居た師匠と死に物狂いに修行をしていた日々を過ごしていたからだ。あの時と比べれば生易しいものであり、微笑ましいものである。

 すべて手順を学び、実践を行う唯吹であるが流れはよくても空中持ち替えできずに竹刀を落としてしまう。これは一度だけでなく二度三度も起きて「大丈夫かな……」と心配してしまうほどであった。


「うーむ……。うまく出来ないな」

「頭には完全に叩き込んだのだけど、身体がついていかないというか……」

「練習だとどうしても安心した環境の中だから気が抜けやすい。すぐにできなくても地道に練習していけばいつか自分のものにできるぞ。何度も失敗しても落ち込まないことだ」

「……はい。色々とありがとうございました」

「さて、修行の邪魔し続けるのもアレだし、俺はここで失礼するよ」

「団長、ありがとうございました」

「おう。そうだ華琳」

「ん? 何だろ?」


 シュウが大道場へ出ようとする最中。華琳と通り過ぎるところで唯吹に聞こえない声量である事を伝えて肩を叩き、流れるようにして靴を履いて大道場を去っていった。耳にした時に眉を少し上げただけですぐに下げるだけに済んだ。


「さて、唯吹さん。遅くなったけど休憩しようか」

「うん! 色々と教えてもらって少し疲れちゃった」


 しばしの間やすむために唯吹は窓の前に座り、予め置いていた水の入ったペットボトルを開けて飲みすぎないように口に入れる。換気しているとはいえ道場内の室温が高く、さらにはペットボトルの水がとても冷たいと感じるぐらいに熱がこもっていたことに気づく。


「ふぅ~……」

「お疲れ様だね。親神の子になったおかげか、最初に会った頃より大分力ついたんじゃない?」

「そう? 霊力の扱いうまくないし、剣術だってまだまだ……」


 心晴を助けに行ったときに完璧に霧露乾坤網や龍状態の二龍剣を操ることができたのは、あの時親神の龍吉公主の補助があってこそ。あれから同じ要領で引き出したものの、水が安定せず維持も難しく、命中もままらないなどの難点もあり成功率はそこまで高くなく(ファヴニールの件に関しても実はまっすぐ投げていただけ)、さすがの龍吉公主も頭抱えるぐらい。そのこともあり、巫女の業務がない日や用事がある日を除いてほぼ九龍城で特訓する日々を送っている。


「安定力と精度に関しては今すぐにでもできるものではない。霊力の活用に関しては私の専門外だが、白兵戦の実力は積み重ねによってできるもの。そう覚えると気が楽になるかな?」

「積み重ね、かぁー……。ありがとうございます。その積み重ねを大事にする」

「うんうん!」


 落ち込んでいるばかりでは前に進まない。アドバイスで明るさを取り戻した唯吹を見て、華琳もまた微笑みを見せる。その後、唯吹は何かを思い出したのかある話を持ちかける。


「そういえば、華琳さんに気になったことがあるのだけど、いい?」

「いいけども、何かな?」

「ボク、ある夢を見たのです。華琳さんとその影の双子が会話する夢を。この夢も含めて、影の双子と弥音さんはどのような関係か……知っているのであれば教えて欲しい」

「思った以上に欲張りだなぁ」

「ご、ごめん。前々から気になっていたから。先月神社で影の双子がお茶菓子を持って弥音さんと会話していたからさ……」

「まぁ、気になっているなら仕方ないか。それじゃまず影の双子と弥音さんの関係から」


 場が急に静かになり、少しの間深呼吸をした後に華琳は再び口を開く。


「実は……二人は、幼馴染なんだ」

「……えっ!?」

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