第15話:最後の別れ際に



 あの神話災害の出来事から一週間経過し、神明神社をはじめその周辺は大事もなく平穏な時間が流れていく。その昼間、紫色のジャケットを身に着けて神社から出た一人の少女、唯吹は何一つ迷うことなく少し離れた鳩間孤児院へ走っていく。目的地まであと数メートルのところで、孤児院の建物前に1台の普通車が止まっているのを見て足を止めて思い出す。今日はついに訪れた『約束の日』だと……。

 見つからないように電柱の物陰に隠れて門前の様子を見てみる。車からでた夫婦と軽くお辞儀をする院長の姿。建物の中に入っていき、静かな時間が流れる。おそらく面談をしている頃だろう。一度孤児院の建物から目をそらし、あの時のことを思い出す。


         *    *    *


 神話災害から翌日の出来事に遡る。ほぼ使い切った体力は戻りつつあるが未だに万神殿の医務室のスペースから出ることができず、全身の痛みもまだなくなっていない頃。弥音が訪れて別室で治療を受けている心晴の状況の説明を受けていた。


「心晴に関しては霊力の消耗が大きいものの、命の別状はありません。今日か明日には意識が戻ると思われます」

「よかった……。大事に至らなくて良かった」

「神からの補助があっても後遺症が残る可能性がありましたからね。奇跡といってもいいでしょう」

「ボクもあの時はとても緊張したよ……。表には出ていなかったけど本当だよ!」


心晴の容態の状況に安堵を浮かべつつも、昨日の出来事を思い返しながら他愛の無い話しをしていた。その話の後、ある相談事を持ちかけられた。唯吹にとっては予感していたことだ。


「ここで本題に入るのですが、心晴のことで相談事があるのです」

「う、うん……」

「彼女の今後についてですが、単刀直入に言います。神の子として現世と絶界を行き来する存在になるか、人間として現世に残るか。彼女とは一番近い立場である君ならどれを選びますか?」


 分かっていたことでも実に悩ましい。第一に、この決断は心晴の人生に大きく左右するため、安易に決定しづらい。


「それは……心晴が決めることじゃ……ないの?」

「心身まだ熟していない子にこの選択はあまりにも重すぎるのです。迷うのは無理もありません」

「でも……。ボクの親神、龍吉様は心晴を現世で人間として生きて欲しいと……思っているし、何よりも……」


 前々から決断していたことだが、迷っていたところは『本当にこれでいいのだろうか』と思えるぐらいに不安になっていた。でも、彼女の今後のためなら……と考えた末もう一つの理由を明かす。


「新しい居場所が出来たの。その場所で幸せに過ごしてほしいな……とボクは思っている」

「居場所、ですか……」

「それに神の子として居ても万神殿の状況が悪いし、龍吉様の元に行っても……」

「はっはっは。御尤もです」


 今でも頻発する神子行方不明事件がある現状、頻繁に神子覚醒(特に熟していない時に)は避けたいという親神の方針はあったのだろう。龍吉公主は子供に対してそこまで世話をしない性格も考慮し、方針が固まったところで唯吹は一つ疑問点を投げかける。


「気になったことだけど、人間として現世に居る場合、どうなるの?」

「その場合は、神の血は封印。今回の神話災害も夢の出来事として遠い将来忘れることになるでしょう。夢の中で本当の母に出会ったことに関しては覚えていても、実際もうこの世に居ないと生きていくうちに確信するはずです」

「……それはそれで……とてもさびしいね」

「一般人からしたら、神様は見えない存在です。唯吹と出会った出来事は覚えていますし、会うだけでも彼女の心の支えになると思います」

「心の支え……かぁ。約束の日までに考えないと」

「約束の日とは?」

「里親が心晴を引き取る日……。あ、弥音さんが切ったりんごもう一個食べたい!」

「急に話題を変えてどうしたのです。まぁ、勿論切ってあげますよ?」


 結局のところこの手の話題に関してこれ以上言及せず、時間が許す限りテーブルに置かれたりんごを切ってもらって食べながら雑談をして過ごしていた。


         *    *    *


 先日のことを思い返しながらジャケットの右ポケットの中に入っているあるモノを確認。ちゃんとあると分かり、気持ちを落ち着かせ、再び目線を孤児院の建物に向ける頃には建物から里親と心晴が出てきて院長がかなり深く頭を下げている。距離からして声は聞こえないが、おそらく「心晴のことをよろしくお願いします」と言っているのだろう。

 電柱から離れ、歩みだそうとするが妙に足が重い。恐怖を感じているのか。このまま別れも告げないほうが、彼女のためになるのだろうか。でも最後のやり取りはしたい。……色々と考えているうちに心晴の声が聞こえる。


「唯吹……姉ちゃん?」


 我に返り、目線を改めてまっすぐ向けると心晴が右手で手を振り、唯吹に駆け寄ってきた。少し息が荒くてもすぐに整えて顔を上げた時の心晴の顔は安心と不安が入り混じっているようにも思える。


「よかった……。もう姉ちゃんに会えないかと思ったよ」

「ボクも何もせずにお別れは嫌だからね。そうだ、心晴にあげたいものがあるの」

「なになに?」


 期待の眼差しを受けながらジャケットの右ポケットから取り出したのは、青を中心とした寒色の珠3個を小さな青色の紐でつなぎ、さらに上部に2個今は振っても鳴らない鈴のついたキーホルダー。幻想的な色をした珠を見て興味を示したが、なによりも鈴のことも気になるようで。


「この鈴、鳴らないよ?」

「この鈴は鳴る時に鳴るもの。鳴った時に何か起きると思っておくといいかもね」

「う、うん。鳴った時の音、期待するね。あ、こはるからも唯吹姉ちゃんにプレゼント」


 小さなカバンを降ろし、さらに小さなポケットから取り出したのは、青色のお守り。表面には「こううんきがん」、裏面には「はとまじんじゃ」と糸を使って書かれている。


「本当はね、後で神社に立ち寄って渡したかったの。でも今渡せてよかった」

「へぇ~。細かく出来ているね。これ全部自分で作ったの?」

「あ、ごめんなさい。糸を縫ってくれたの……先生なの」

「ま、まぁ、そうだろうね」


 幼い子どもに糸を使うのはちょっと危険だろうからね。と思いつつ


「でもね、布を選んだのも、文字の場所も、中にある紙を書いたのはこはるだよ!」

「おぉ! かなりセンスがいいね。ありがとう、大事に持っておくよ」

「うん! こちらこそありがとう! 姉ちゃんからくれたこのキーホルダー。貰ったこと、絶対に忘れないから!」

「うん。あ、お父さんにお母さん!」


 とこちらを話すだけでなく、少し離れた里親の夫婦に声を掛けて気づかせる。


「心晴のこと、よろしくお願いします!」


 そう告げると母は笑顔で右手を振り、父は笑顔で頷いてくれた。見るからに、一緒に暮らしていたら幸せそうだと思える。


「よかったね、心晴」

「こはる、とてもうれしいよ!」

「さよならとは言わない。また、とこかでね」

「うん、約束!」


 最後に、お互いの右手小指で結び、指切りげんまんの歌を一緒に歌い、そして小指が離れる。完全に気持ちの整理を終えたところで、心晴から駆け足で唯吹から離れ、車に近づいたところで振り返り手を降ってくれた。遠くからでも分かるぐらいに、彼女の目から涙が浮かび上がっているが堪えつつ。


「それじゃ、またね!!」


 唯吹も右手で大きく手を振り、心晴が車の中に入って走っていくまでしっかりと見送った。その後、ゆっくりと院長の方へ歩み寄る。


「短い間だったけど、心晴と一緒に居た時間。楽しかったです」

「心晴も同じ気持ちだと思う。あなたは今後どうするの?」

「これから色々とあって頻度は下がるけど、たまに孤児院に顔を出しに来ますね。孤児院の友達と遊ぶのも楽しいものですから」

「はい。その時はまた、よろしくお願いします。唯吹さん」


 深々と頭を下げ、再び上げる院長の目には涙が浮かび上がり、時折落ちている。動こうと思っていた唯吹だが涙の流れる院長の姿を見て踏みとどまり、右手で肩を乗せる。


「心晴を……助けていただいて……ありがとうございます…………」


 心晴を孤児院に帰すことが出来た時も院長は涙せず喜んでいた。ここまで泣き崩れる様子を見る限り、心晴と別れる、そして子供たちが見ていないところ、さらには信頼できる人の前だから……かもしれない。院長が落ち着くまで、そっと余計なことをせずに待ち続けた。




 孤児院のことは全て終わり、その帰り道。人の通りがないのを良いことにひっそりと見ていた龍吉公主に話しかけてみる。唯吹を見る彼女の視線は無表情にも見えるが、上手く読み取れない。


「……さっきまで見ていたでしょ、龍吉様」

『単なる気まぐれです。あのお守りキーホルダーを渡してくれればいいのですから』

「これで心晴は当分怪物の脅威から避けられるのですか?」

『霊力を練り込んで作り上げた珠です。異常事態が起きれば鈴は鳴りますが、最低限な脅威は回避できるでしょう』

「なら、良かった……」


 これで当分心配することは無い。……と空を見上げる。異常は全く無く、とても穏やかで青い空。


「……親神は分かった。でも結局、ボクの記憶までは思い出せなかったな……」

『わたしの子であることの情報と、あなたの記憶は別情報です』

「まぁ、そうか……。これから、自分のやるべきことを見つけ、記憶を取り戻す手がかりを探さないと!」


 次の目標を見つけ、気合を入れるために背伸びをする唯吹であるが、龍吉公主から水を刺すような言葉が入る。


『自分のことを探すのも大事ですが……まずは徳を積むための修行です』

「え、えぇ!?」

『まだまだ未熟者です。まず仙術の基本を学ばなければ、本来の目的なんて夢のまた夢。今日の予定が空いているようだからこのまま九龍城へ行きなさい』

「ま、またぁ……? きょ、今日ぐらい休んでもいいじゃないですかー」

『修行の結果は日々の鍛錬から来るもの。一日たりとも怠ってはいけません』

「う、うぅ……」


 唯吹の目から涙が浮かび始めたが、これは別れ際に見せる涙ではなく、心の底から苦痛を感じた時に出てくる涙。抱え込んできた感情を爆発するように


「神明神社の巫女修行も……きついけど……。龍吉様の修行も……厳しすぎるよおおおおおおお!!!」


 周りの人に聞こえてしまうぐらいに大声を上げてしまった。







「……ところで、龍吉公主。唯吹について気になったことを聞いてもいいかしら?」

「これはこれは。かの有名なヤマト神群の主神様じゃありませんか。久方ぶりですね」


 万神殿の某所。中華神群の聖地へ帰ろうとしている龍吉公主の後ろに現れたアマテラスに目線を向けた。普段社……岩戸の外には出ないアマテラスが興味津々にこちらを見ていることを確認し、他の誰も見られていない間穏便に受け入れる。


「でも、現状誰のためにもならないことは話さないから、そこは許してください」

「分かったわ。聞きたいのは唯吹の持つ背景の予言のことだけよ」

「それなら回答は容易い。彼女の持つ予言、それは『汝はある者と夢を共有している。いつかその者の持つ重大な使命を受け持つことになるであろう』……です」

「『取り替え子』……ねぇ。もしそうならどっちが本物で、どっちが〈影の双子〉なのかしら?」

「それははっきりと答えかねます。ただ、一つだけ言えるとしましたら……」


 一呼吸を置き、そして口を開く。重大な匂いを漂わせる真剣な表情で。


「片方は……現世はおろか絶界にも存在しません」

「既に死んでいる……という認識?」

「かもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも珍しいですね。自分以外の子のことを気にするの」

「そりゃ……興味もあるし、わたしの神社近くに住んでいるもの。何も知らないまま住まわせるのは流石に不安よ。あなたも、人間に興味ないのに随分と気にかけるのね」

「神仙に至るに相応しいと見ているだけです。わたしはこれで失礼します」


 答えることが出来る範囲だけ答え、そのまま歩み出してこの場を後にしていった。その龍吉公主の姿を見送った後、アマテラスは軽くため息を吐いて呟く。


「話しかけやすかったけど、神仙ってそういうものかしら。龍吉に限った話であればそうありたいのだけど……」

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