第38話 閑話その2、です!

 アクロポリスは水に溢れる非常に豊かな街だ。

 少し歩くだけで必ず水路に当たり、その水路の水は飲んでも問題ないほどに澄み渡っている。


 横を歩きながら覗いていると時折魚が泳いでおり、この水路が魚の生息域となっているのが見てわかった。

 川とこの水路は繋がっており、川登りしてきた魚がここに住み着いているのだろう。

 街中で釣りが楽しめるなど、水の都でないと出来ない事だ。


 神奈の背負っていた荷物を譲り受け、釣り場を目指して俺と神奈は街中を歩いていた。


「神奈、第二区画の方に向かっているようだがいったいどこで釣りをするつもりなんだ?」

「どこって、運河に決まっているだろう。あそこは人も来ないし、釣りをするには最高のスポットなんだ」


 クーラーボックスを手に隣を歩く神奈が、笑いながらそう口にする。

 人が来ないと知っているという事は、神奈は何度か釣りに出かけているんだろう。

 ずっと引き籠って兵器開発をしていると思っていただけに少し意外だ。


「釣り好きなのか?」

「ああ。釣りはいろいろと考えさせられるからな。水のせせらぎ、水の香り、水の空気。自然に触れる事は五感全てに作用し、脳をリラックスさせる効果を持っている。それだけでも十分だが、時折来る魚の襲来は脳に刺激を与えてくれる。凝り固まった思考をほぐすのに、釣りは最適なんだ」

「神奈の中で魚は襲ってくるものなんだという事は分かった」


 釣りで魚が襲来するとか言う人間は初めてだ。

 自然に触れる事でリラックスするのが目的という事は分かったが、それ以上にその言葉の方が驚きだった。


「魚は恐ろしいんだぞ。私が前に一度海釣りに行った時の事だ。私が普通に釣りをしていたら、竿が大きくしなるほどの大物に遭遇したんだ。私は必死に釣りあげようと試みたものの、逆に私が釣られて海に引きずり込まれてしまった。あの時の迫りくる魚の事を思い出すと、今でも恐怖感で背筋がぞくぞくするぐらいだ」


 本当に怖かったのか、神奈は肩に両手を当てて震えていた。


「それでも釣りはやめなかったんだな」

「海釣りはもう二度とやらん。だが、釣り自体は嫌いではないからな。ゆっくりできるしぼーっとできるし、物事を深く考えることだってできる。頭を使う人間にとって、釣りというのは最強の娯楽だと私は思っているよ」


 それは魚を釣ることを目的としていないのでは?と思ったが、釣りというのはそういった楽しみ方をするものなのだろう。

 子供の頃は釣れないとつまらないと思っていたが、少しは成長した今なら、神奈のような楽しみ方もできるかもしれない。


 とはいえ、釣れたほうが嬉しいに決まっているので、一匹ぐらいは釣りたいものだ。


「着いたな」


 神奈がそういうと、俺の背負っていた荷物を奪い取る。


 今回の釣り場だという目の前には、第二運河が広がっていた。

 第一区画と第二区画をつなぐ橋からは遠く離れており、人通りも少なく閑散としている。

 土手を降りると河川敷が広がっており、ここでピクニックと言われると穏やかな日が過ごせそうだ。


 神奈の言っていた通り人もおらず、静かに釣りをするにはうってつけのスポットと言えるだろう。


「ほら、釣り竿タックルだ。餌なんてないからルアーをつけておいてある。使い方は分かるよな?」


 その景色に目を奪われていると、神奈が竿を投げ渡してくる。


 俺は落とさないように慌てて受け取ったが、思っていた以上に竿という物は軽かった。

 リール付きの本格的な物なんて初めてだし、ルアーという物を見るのも初めてだ。


 ぱっと見では本当に小さな魚が先についているようにしか見えず、これを魚が勘違いして食べるのだろう。


「投げて回して釣り上げるだけなら出来そうだ。釣りをするのに気を付ける事はあるか?」

「糸が絡まらないよう気を付ければそれでいい。ああ、竿は地面に置くなよ。リールが壊れるからな。それとこれを使え」


 そういって神奈は、三脚と折りたたみ椅子を渡してくる。

 何もしない時はこれに竿をかけ、椅子に座ってぼーっとしていろという事なのだろう。


 一度忘れ物を取りに屋敷に戻ったのは、わざわざこれらを取りにいってくれていたのか。

 意外と神奈も世話焼きなのかもしれないなと、評価を改めた瞬間だった。


 三脚や椅子の準備も終わり、神奈は仕掛けを投げ入れた。

 それに倣い、俺も仕掛けを投げ入れる。


「あとはアタリまで待つだけだ。お前もここのところ、魔法開発だ任務クエストだと忙しかっただろう。この釣りを通じて、ゆっくりと休むといい」

「勝負だとか言わないのか?」

「ゆっくりと休む口実で釣りをしているのに、勝負なんて野暮な事言うものか。釣りで数を競うのは、漁師か勝負師だけでいいんだよ」

「それもそうだな」


 釣りの醍醐味は待つことにあり、と神奈は言う。

 釣れることに越したことはないが、休息を目的としているのだから、釣れる釣れないは二の次という事なのだろう。


 休息を目的としているから、釣れなくても別に気にすることはない。


 運河に流れる水は太陽の光を反射し、きらきらと輝いていた。

 空を見上げれば真っ白な雲も流れており、時折太陽を隠して降り注ぐ刺激を和らげてくれる。


 穏やかな空気に体が馴染み、心が落ち着いてくるのは、今までに感じた事のない不思議な感覚だった。

 俺が忘れているだけかもしれないが、洗い流されるような感覚はとても気持ちがいい。


 これからは、何かに躓いた時に釣りに来るのもいいかもしれない。

 誘ってくれた神奈に感謝しないとな。


「そういえば神奈。開発が煮詰まったって言っていたが、今やっている兵器開発はそんなに難しいのか?」


 俺は隣に座る神奈に話題を振った。

 それを受けた神奈は、少し緩い声を出しながら答える。


「んあ?今やっているものは簡単だぞ。もうすぐ終わるから釣りに来たんだ」

「ん?煮詰まっていたんじゃないのか?」

「お前、煮詰まるの意味を履き違えているな。煮詰まるっていうのは議論でアイデアも出尽くし、結論の出る段階の事を言うんだ。少なくともお前の思っているような手詰まりな状況を表す言葉じゃ決してないぞ」

「なんだと……八方塞がりな状況を表す言葉じゃなかったのか……」


 今まで思考が進まない時に煮詰まると使っていたが違うらしい。


 日本語というのは難しいな。


「まあ私の使い方もあまりよくなかったかもしれないがな。そういう渉は魔法で手詰まりをしていると言っていたが、飛行魔法はうまくいっていないのか?」

「ああ。いろいろと試してはいるが、今のところ全て失敗だ……」


 川のきらめきと対照的に、虚脱感に見舞われながら神奈の問いに答える。

 今までが成功続きであったがために、これが普通であると分かっていても心に来るものがあるのだ。

 こんな気持ちを引き摺っていては、完成するはずの魔法も完成しないだろう。


「私達を地面に縛り付けているのは重力なのだから、それを利用すれば空も飛べそうな気もするんだがな。瞬間跳躍が使えて、重力を操れない理由がよく分からん」

「それなんだよな。空間を操る魔法は使えるのに重力は操れない。重力は空間を歪ませるほどの力があるそうだから、魔法では重力みたいな強すぎる力は操れないかのかもしれないな」

「強すぎる?重力は四つあるという力の中でも最も弱いんだぞ」

「は?」


 重力が弱い?

 俺達は重力に縛られているというのに、それが最も弱いというのはどういうことだ?


 俺が疑問符を浮かべていると、神奈は一つ咳払いをして語り始めた。


「一つ簡単な講義をしてやろう。自然界には四つの力が存在する。重力、電磁気力、強い力、弱い力だ。これを力の強い順に並べると、強い力、電磁気力、弱い力、重力となる。細かい式や説明はお前も理解できないだろうから省略するが、重力は万倍、兆倍しても弱い力にはかなわないぐらい弱い存在なんだ」

「重力はそんなに弱いのか?」

「ああ。弱い力はほかの物質に与える影響が少なく、検出することが困難なほどだから体感することは難しい。また、強い力も影響範囲がとても小さいために、こちらも体験することはまずできない。だから、式上では重力より非常に強いと認識しておけ」


 強い力と弱い力は体験できないものの、重力より強いらしい。

 神奈の言うように、重力より強いと認識するしかないようだ。


「電磁気力は身近なもので磁石が挙げられる。床に砂鉄を置き、その上に磁石をかざせば蹉跌は磁石にくっつく。この時点で、重力を振り切って磁石にくっついているのだから、重力よりも強いことは分かるだろう」


 神奈はそういうと、地面に落ちている石を拾い上げた。


「重力の弱さは今この場で体験できる。例えばこの石をこうすると」


 神奈はその石を上に投げ上げる。

 その石はある程度の高さまで上がると、重力に従い下に落ちていった。


「今、この石は重力に逆らって上にあがった。これと同じで、お前もジャンプすれば重力に逆らって飛ぶことが出きるな?それは、この石やお前が重力に打ち勝っているという事を意味しているんだ。もしこれが強い力の場合、お前は地面から離れる事も立つことすらできないだろう。万倍の重力を想像してみれば、それは想像できるんじゃないか?」

「そうだな。戦闘機にかかる数Gでも訓練が必要だと言われるぐらいだから、それの万倍ともなると、人間に耐えられるレベルじゃないのは分かる」


 それだけの重力がかかるとなると、人間なんてぺちゃんこになってしまうだろう。


「お前は重力を強い力だと思っているようだが、その実、人間の力でどうにかできるぐらいに弱いという事だ。お前の飛行魔法がうまくいかないのは、重力が強いというイメージが先行しているからじゃないのか?」


 神奈の講義を受け、俺は重力という物の見方が一変した。


 今まで重力は強いものだと思っていたが、磁石や人間の筋力でどうにかできるレベルだと考えると、それが非常に弱い物だと感じることが出来る。


「目から鱗だな……神奈の言う通り、俺は今まで重力が強い物だと認識していた。俺が飛行魔法で躓いたのはそれが原因かもしれない」

「魔法はイメージが全てだからな。多少融通が利く事はあっても、根本が間違っていると正常に作用しない物なのだろう。その間違いを正したなら、次はうまくやれるはずだ」

「今なら出来そうな気がする。が、今はゆっくり釣りを楽しむことにするよ。こんなまったりと過ごす時間も悪くない」


 胸もつっかえも取れ、今は心も晴れ晴れとした気分だ。

 気のせいか、きらめく水面も先ほどより輝いて見えるような気がする。


「お前は見ていて急いているように動いていたからな。それらを忘れ、たまにはこんな休日があってもいいはずだ」

「……そうだな」


 俺は椅子に身を委ね、そっと目を閉じた。


 風が肌を撫でるように流れ、流れる水の香りが鼻腔をくすぐる。

 暖かな日差しは身を弛緩させ、自然と体の力が抜けていった。


 動き尽くめの毎日だったが、こんな陽気に身を任せるのも悪くない。


 俺は神奈と共に、ゆったりとしたこの時間を過ごすのだった。

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