第26話 水上神殿なのです!

「これがアテナ教の総本山か……」

「凄く綺麗です……」


 街の北側にあるアテナ教の総本山、パルテノン神殿。

 広場から見る初めての神殿というものに、俺と奏は心を奪われていた。


 その建物を支える石柱は見上げるほどに高く、軽く10mはあると思われる。

 何本も並ぶそれはまさに壮観で、見ていて心が洗われていくような純潔しろさを誇っていた。


 その大きさを確かめるために上へと視線を向けると、ペディメントと呼ばれる屋根の三角部分が目に入る。

 アテナや梟、蛇やオリーブをかたどった彫刻が飾られ、その神殿の祀る者が誰か一目で分かるようになっている。


 しかし、驚くべきはそれだけではない。


 実はこの神殿、足元が膝下半分まで水に浸かっているのだ。

 太陽光を反射する水のきらめきは神殿をより輝かせ、神殿に神聖感を醸し出している。


 水の上に浮かぶ石造りの水上神殿。


 ここまで神々しい建造物を、俺は今まで一度も見たことがなかった。


「ここがパルテノン神殿。この神殿を見るために、わざわざ街の外から来る人もいる。アテナ教の人にとって、憧れの場所らしい」

「いわゆる聖地ってやつですね」

「だがこれなら来るのも頷けるな。この街は綺麗だが、こんなものまであるなんて思っていなかった」


 この街は歩いているだけでも癒しを得られるが、ここはそれとはまるで違う、浄化されるような感覚を覚える。


 この大陸の移動に苦労があることは知っているが、それを差し引いても来る価値はあるだろう。


「ここの中には入ることはできるのか?」

「礼拝堂までは誰でも入れる。入る?」

「行きましょう。中がどうなっているのか楽しみです」

「そうだな。行こう」


 俺達は歩みを進め、パルテノン神殿の中へと進んでいく。


 足は濡れてしまうが、水に浸かっているのだから仕方ないだろう。

 今日は比較的暖かいし、水もそれほど冷たくないため苦になることはない。


 神殿内に入ると、まず目に映ったのは巨大なアテナ像だ。


 3mほどのアテナ像は協会にあったものと違い、こちらは甲冑ではなく純白のウェディングドレスとヴェールに身を包まれている。

 本来、この二つは処女のみが着用を許される神聖な物であり、処女神として崇められているアテナ像は、それを象徴するためにその服を身に纏っているのだろう。


 神殿内に派手な装飾は施されておらず、ところどころにアテナを象徴する梟や蛇、オリーブや三日月といったものが彫られているだけだ。

 まさに、アテナを崇拝するためだけに作られた神殿、との印象を受ける。


 設置された長椅子には少なくないアテナ教の信者がおり、アテナ像へ深い祈りをささげていた。


「中もすごく綺麗です……こんなきれいな物、いったいどうやって作ったのでしょうか」

「石材なんてこの辺りに無いからな。運ぶにしろ削り出すにしろ、これだけの量いったいどれだけ時間がかかったのやら」

「不思議」

「ほっほっほ。不思議じゃろう。今の技術じゃこれだけの神殿、再現できんからのう」

「!?」


 後ろから突然声が聞こえ、俺達は驚きながら振り向く。

 そこには海緑色シーグリーンの聖職者服に身を纏った老人が立っており、脇には助手だと思われる修道士もいた。

 助手を連れて歩くという事は、教会でもそれなりの地位の人間かもしれない。


「いきなり後ろから話しかけるなんてやめてくれ。心臓に悪い」

「これは失礼した。何、獣人と仲良くここに訪れる人間など珍しゅうての。つい声をかけてしまったわ」


 どうやらこの老人は、俺達に興味を持って話しかけてきたらしい。

 見たところ獣人差別をしている様子はなく、むしろ好ましく思っていそうですらある。


 そういえば教会の人間で差別をする者には今のところ会っていない。

 もしかしたら、教会ではそのようなことを禁止しているのかもしれないな。


 それにしても、興味を持たれるのは構わないが、もっと自然に声をかけてもらいたいものだ。


「私はダニエル・カーターと言う。良ければ、お主らの名前も聞いてよろしいか?」

「俺は西条渉だ。こっちは妹の奏。そしてこのキュートな猫耳少女はリアだ」

「……渉、恥ずかしいからやめて」


 俺が二人を紹介すると、リアは少し顔を赤くしながら顔を伏せた。

 可愛いのは事実なんだから、別に気にすることはないと思うんだがな。


「ほっほっほ。仲がよろしいようで何よりじゃ。第三王女様が嫌獣家けんじゅうかのせいで最近の獣人に対する当たりは強いが、こんな若者がおると知って安心したわ。これからも仲良くするのじゃぞ」

「当然です。リアは私たちのアイドルなのですから」

「私はそんな大層な物じゃない……」


 リアはさらに顔を赤くして縮こまってしまった。


 そういえばここでのアイドルは、崇拝の対象を表すものだっけか。

 だがまあ、あながち間違ってもいないし、正さなくてもいいだろう。


「それで、お主たちはなぜここへ?見たところ礼拝に来たというわけではなさそうじゃの。観光か?」

「まあ観光で間違っていないかもしれないが、それはついでだ。ちょっと知りたいことがあってな」

「ほう、わしに答えられる事があれば何でも答えよう。それで、教会に来て知りたい事とは?ちなみにここにはアテナ像以外何もないぞ?」


 そう聞かれ、俺はどう話を聞こうか少し悩む。


 アテナ像以外に何かあるのではと思っていたが、ここにはアテナ像以外何もないようだ。

 紋章の事はヘクターの件もあり、話すわけにはいかない。

 世界の秘密なんて直接聞くのもどうかと思うし、ここは神殿の噂について聞くのが得策か。


「アテナをまつっている神殿は魔王領を含む4つの国にあると聞いた。その4つを全て回ると至上の幸福が得られるというが、それは本当か?」

「その噂か。残念じゃが、そのような事実はないの。魔王城と化している神殿から戻ってきた者もおるが、至上の幸福を得られたという話は聞いたことがないのじゃ。それに、神殿にはアテナ像があるだけで、特に特別なものはないからの。所詮は噂、人の夢という事よ」

「はっきりと言い切るんだな。もう少し含みを持たせるような事を言うと思っていたんだが」


 ここで少しでも希望を持たせれば、もしかしたら魔王を討伐する者が出てくるかもしれない。

 魔王が討伐されれば大陸の脅威も消え去り、アテナを祀っている神殿も戻ってくる。

 平和を願うアテナ教徒としては、それは願っても無いことだろう。


「至上の幸福が得られたという者がいない以上、はっきり言っておかないと無駄に被害が増えるだけじゃからな。魔王領に向かい、生きて帰ってこられるのはほんの僅かじゃ。下手に希望を持たせ死んでしまうより、ここではっきりと言って諦めさせる方がはるかに良い。お主らも変な希望は持たず、魔王領の神殿になど向かわないことじゃ。たった一度しかない人生、無駄にするようなことは絶対にしてはならん」


 ダニエルはこちらをじっと見つめ、訴えかけるようにそう言った。


 噂を信じて魔王領に行き、帰ってこなかった者を多く見てきたのだろう。

 そんな悲しみを知っているからこそ、被害を増やさないためにその噂を否定しているのだ。


「人生をそんな噂で棒に振るのは確かにごめんだな。その忠告は素直に受け取った方が賢そうだ」


 ダニエルの言葉に、俺は苦笑を浮かべながらそう返す。


 至上の幸福が得られるという事実もないようだし、世界の秘密を探る旅はいきなり座礁してしまったようだ。

 何か手掛かりが掴めればと思ったが、世の中そう上手くはいかないらしい。


「残念ですね。何か手掛かりが掴めればと思っていたのですが」

「他に手掛かりはない。これからどうする?」

「そうだな……手がかりもないんじゃどうしようもないな……」


 俺達三人は、何も得られなかったという事実に頭を抱える。


 神殿に何かあると思っていただけに、アテナ像以外何もないというのは思っていなかった。

 他に手掛かりもないし、これからどうすればいいのだろうか。


 ここは多少踏み込まれることを承知で、ダニエルにこの世界の秘密を聞いてみるか?

 だが、踏み込まれて紋章の事を知られても厄介だよな。

 前は人の少ない教会だったからいいものの、この神殿で大騒ぎになっては非常に面倒なことになりそうだ。


「お主らには何か望むものがあるのか?見たところ、何かに困っているようには見えぬが」

「いやな、確かに困っていることはないんだが……」


 そこまで俺が言ったところで、神殿の外部から巨大な爆発音が聞こえてきた。

 体の芯にズドンとくるような衝撃を受け、俺達はよろける体を互いに支えあう。

 神殿もそれを耐えるように全体を震わせ、神殿内で祈りを捧げていた者達は、何があったんだと混乱の渦に巻き込まれていた。


「……まずい」


 リアが何かを感じ取ったのか、突然一人で神殿の外へと駆け出していく。


「兄さん」

「ああ」


 俺達も何があったのかを確認するため、すぐにリアの後を追った。

 そして、神殿を出た俺達は、目の前に広がる光景に目を疑う。


 神殿の前に広がっている広場は、まるで爆撃を受けたかのような焦土と化し、見るも無残な姿に変わり果てていた。

 悲鳴を上げる人々は、皆一様に空を見上げながら逃げ惑う。


 空にいるのは、一匹の竜。

 獰猛な口からはチロチロと炎が漏れ出しており、あの竜がこの惨状を作り出したことが一瞬で理解できる。

 その姿はワイバーンに似ているが、それはワイバーン以上に大きく、全身を覆う鱗はその身の堅牢さを物語っていた。

 背中には誰か人のような姿が見えるが、竜の姿に隠れて確認することが出来ない。


 ただ一つ言えるのは、あの魔物は野生の魔物と空気が違う。

 手当たり次第に破壊活動をするでもなく、野生の魔物のように本能で動いているように見えない。

 まるで意思を持っているかのように、この場にいる者たちを観察している。


 なんでこんなところに魔物が現れたんだ。


 魔王領から離れているというのに、なぜわざわざこんなところまで。


 ここに出現した理由は何なんだ。


 俺達は訳が分からないまま、魔物と対峙することになってしまった。

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