第10話 アテナの紋章

 応接室に案内され、俺と奏、ヘクターとテレルが向かい合って座っていた。

 テレルは羊皮紙にペンを持っており、これからの会話を速記するらしい。


 残りの三人も横で椅子に座り、俺達の会話を聞いている。

 悪い事したわけじゃないが、教会側の神妙な雰囲気も相まって凄く緊張してきた。


「突然申し訳ありません。いきなりで訳分からないとは思いますが、お時間を頂けた事に感謝します」

「いや、俺から尋ねたんだからこっちはいいんだ。だがそっちはこんな急に時間を取って大丈夫なのか?」

「こちらの雑務は些事な事。今は渉様のその手に浮かぶ紋章の方が、何よりも優先されます。それほどまでに重要なことであるとご認識ください」

「兄さんのこれに、そこまでの価値があるという事ですか……」


 奏が信じられないとでも言うように、俺の手の甲の紋章をむにむにと触る。


 これで今日二度目の会談だ。

 ちょろっと情報を貰って終わりだと思っていたのに、まさかこんな事になるなんて思っていなかった。


 紋章一つでえらい騒ぎだ。


「価値などと言うものではありません。その紋章はアテナ様からの寵愛の証。渉様が望むのなら、教会の最高位である教皇の位を譲り渡さなければならない程のものなのです」

「きょ……!」


 横で見守るミアから悲鳴にも似た高音が発せられる。


 この紋章たった一つで宗教のトップに立つ事が出来るなんて、誰が想像するのだろう。


 あまりにも現実味のないヘクターの言葉に、俺は少し疑心暗鬼になる。


「そんなものがあるのなら、この世の中は教皇で溢れているだろう。自分で言うのもなんだが、どうやってこれを本物だと証明するんだ?」

「それを証明するために、今からいくつかの質問をさせていただきます。これから質問する事には、嘘偽りなく答えてください。その回答で、その紋章が本物か偽物かが分かります」

「分かった。答えよう」


 もしこれが本物だというのなら、俺がアテナと会った事が確定的になる。


 こんな紋章が自然と浮かび上がってくるなんて事は、普通ならば考えられない。

 あの夢のような出来事は本物で、アテナに刻み込まれたと考えるのが妥当だ。


 嘘をつくような事は一つもないのだから、素直に答える事にしよう。


「では質問させていただきます。この紋章はいつ浮かび上がりましたか?」

「今日の朝だ。洗ってもかいても消える様子はないし、もう肌に焼き付いているんだろう」

「なるほど。ではこの紋章の浮かび上がるきっかけとなった事に身に覚えは?」

「昨日寝た後にアテナに会った。多分、それがきっかけだ」

「どこででしょうか?」

「どこかは分からん。上下左右もないような無重力空間……ふわふわしたような所だ。多分、あの空間はこの世界には存在しないだろう」

「では渉様はどうやってその地へ?」

「分からない。気付いたらそこにいたし、目が覚めたらベッドの上だった。どういったのかも、あれがどこなのかも分からない」

「では、アテナ様とは何をお話に?」

「世界の秘密について」


 そうして俺はヘクターに、根掘り葉掘り色々と探られた。


 過去の宗教歴から食の好みまで、挙句は答えられない日本時代の事にまで追求が及んだ。

 流石に日本に関係する事は言えないと回答を拒否したが、答えられる事には出来る限り答えたつもりだ。


 ただ、本当にそこまで聞く必要はあったのかと疑問に思った所ではある。


「ありがとうございました。以上で質問は終了になります」

「長かったな。でもこれで本当に紋章の真偽が分かるのか?」

「はい。テレル君。あれを」

「分かりました」


 ヘクターがそう言うと、テレルが何かの書物を取りだした。

 分厚く豪勢な表紙をした書物であり、表紙には教会の掲げるシンボルマークが描かれている。


「これは、この教会に存在するアテナ教の聖典の複写です。ここに描かれているものが、現在の教会が掲げているシンボルマークになります」

「これが教会のシンボルマークですか。しかし、兄さんのものとは全然違いますね」


 奏の言うとおり、ここに描かれている紋章と俺の紋章は全く違う。

 教会の紋章は梟だけなのに対し、俺の紋章は梟、オリーブ、蛇が描かれており、俺の紋章の方がより複雑に見える。


「その通りです。教会の紋章は、アテナ様の使役したといわれる梟をかたどっております。信徒はアテナ様の庇護の元に、との願いが込められてこの紋章は使われており、こちらの方は世間一般に広く知られている事でしょう」

「ステンドグラスにも同じのが描かれていたな」


 教会に来たらまず目につくステンドグラスに描かれているのだから、信徒で知らないものはいないはずだ。


 しかし、それがこの紋章の真偽にどう影響するのだろうか。


「しかし、渉様の紋章はこの紋章とは異なります。梟、オリーブ、蛇、三日月までが描かれている渉様の紋章は、一般の信徒の知る紋章ではなく、この教会ではまず見る事も出来ないでしょう」


 どうやら俺の紋章には三日月まで描かれていたらしい。

 俺では見てもよく分からなかったが、見るものが見れば分かるというものだろうか。


「渉様の紋章を知る事が出来るのは、聖典の原本オリジンを読むことのできる大司教以上の者だけで、この複写にも描かれる事無い秘中の秘となっております。テレルは……まあ過去にやんちゃしたこともあり、その内容を知っているようですが、渉様の紋章を知る者は、アテナ教でも数えるほどしかいないのです」


 テレルが一体何をしたのか気になるが、なんだか大きな話になってきている気がする。


「なんで紋章の事は複写されていないんだ?複写なら完全にトレースしないと意味ないだろう」

「その聖典には紋章の絵と共にこう書かれています……『この紋章の顕れし者。その身、その心、我が身許と共にあり。この紋章の顕れし者。世界の一端を担う者なり。この紋章の顕れし者。信徒はその者を主として崇め奉り、その者の望むままに行動せよ』……つまりアテナ様は、その紋章の持つ者を自分の代わりとして扱うようにとおっしゃっておるのです」

「と言う事は、複写した聖典を見て悪用する人達が出ないように、あえて複写していないのですね」

「そう言う事になります」


 奏の推察に、ヘクターは大きく頷いて肯定をした。


 紋章があるだけで神の代わりになれるのだから、そうなろうとする人間は後を絶たないだろう。


 そうなってしまえばアテナ教の求心力も落ち、信者がいなくなってしまう。

 それを防ぐため、紋章の部分の複写は省いているようだ。


「渉様にその紋章を見せられた時点で、私達はその紋章に疑いを抱いてはおりませんでした。つい先日こちらに越してきた方が、聖典の原本を見た事があるはずないからです。しかしその性質上、私どもは渉様の紋章に慎重にならざるをえず、無礼なまでに質問を重ねてしまいました。その事に関しては謝罪させていただきます。まことに申し訳ありませんでした」

「いや、慎重になるのも当然だ。教会にとってこれは相当な物みたいだからな。俺にはあまり実感はわかないが……」


 今日の朝、突然浮かび上がったものに、そんな影響があるなんて考えられるだろうか。

 言ってしまえば、アトランティスにいる全ての信者を自在に操る事が出来るのだ。

 そんなものが顕れましたなんて言われたら、慎重にならざるを得ないだろう。


「その紋章は間違いなく、アテナ様から授かりし寵愛の証。アテナ様とお話しされたという事からも、それは明らかです。私などがそのような御方に出会えました事、深く感謝します。私共は聖典に倣い、渉様を主と定めさせていただきます。我らが主よ、どうか私共の信仰をお許しください」


 そう言ってヘクター達は、俺に向かって頭を下げた。

 どうやらこの紋章は、アテナに関するもので間違いないようだ。


 しかし、いきなり主と言われてもどう対応すればいいのか分からない。

 下手に対応しても彼らに悪いし、主の為にと勝手に動かれても迷惑だ。


「兄さん、どうするんですか?このままだとアテナ教信者全員のご主人さまになっちゃいますよ?」


 隣に座る奏から、彼らに対する対応を迫られる。


 このままだと奏の言うとおり、いきなりアテナ教の信者を一身に受ける事になってしまう。

 ミアならともかく、不特定多数から主と言われるのは個人的にも避けたいところだ。


 俺は頭をかきながら二人に対して言葉を投げかける。


「二人共、悪いんだが、俺はアテナ教信者の主になるつもりはない。というより、こんな紋章一つで主認定されえても迷惑だ。やめてくれ」

「ですが」

「俺はこの紋章が何か聞きに来ただけだ。二人はそれに答えて、俺はその回答を貰った。この紋章はどこにでもある普通の紋章で、二人の記憶に残るようなものじゃなかった。OK?」

「渉様がそれでよろしいのでしたら……」


 言いたい事が伝わったのか、二人は頭をあげてくれる。


 いちばん簡単なのは、二人がこの紋章を見なかった事にする事だ。

 そうすれば、周りにこの事が広がる事も、アテナ教の信者を抱える事も無くなる。


 二人には悪いが、このまま何もなかった事にして貰おう。


「この紋章について詳しく分かった事だし、お暇させて貰うか」


 俺はそう言って立ち上がる。


 紋章に関しては十分な情報が手に入った。

 聞きたい事はまだあったが、アテナに関係しているかも確認が取れたし、さっさと帰るに限る。


 これ以上、主だの何だの言われても困るからな。


「そうですか……また御用がおありでしたらお越しください。私達に出来る事があれば、全霊をもってあたらせていただきます」


 ヘクターが名残惜しそうにそう口にする。

 やめてくれとは言ったが、やはり完全には割り切れないようだ。


「その時はよろしく頼む。わざわざ時間を取ってくれてありがとう」


 二人に礼を言い、俺達は逃げるように教会を後にした。

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