第弐八話
簪を拾った日から数日が過ぎた。
この間に目立った進展や手がかりは見つからず、事態は膠着状態に陥りつつあった。
「はあ、今日も進展はねぇのかなぁ……」
今日も今日とてまだ夜も明けきらぬ暁の街を練り歩きながら、夏樹が盛大にぼやく。心なしか姿勢も悪く、足取りも重くなっているように見える。それは隣を歩く紅尾も同じようで、彼もまた冴えない表情で紫煙を吐き出した。それから煙管を咥えたまま、アーア、と頭の後ろで手を組む。ぱたりぱたりと動く尾だけが元気だった。
「情けない奴らめ……腑抜け面は近寄るな、こちらの運気が下がる」
白墨がずばっと言い放つと、夏樹は模造刀の柄を片手でもてあそびながら、紅尾は空いた手で煙管をくるくると回しながら、それぞれ言い返した。
「そうは言ってもよ、姐さん……」
「人手が少ねェと、こういうときが辛ェってなァ……」
春臣はめいめいにぼやく二人を見上げて、前々から抱いていた素朴な疑問をひとつ投げかけてみることにした。
「あの……〈六角座〉は絵師を他に雇ったりしないんですか?」
すると、珍しく白墨も春臣の言葉に同意を示した。
「それは私も疑問だな。あの志木という男、この程度でくすぶるような器には見えん」
「白墨さん……その言い方は……」
「私は思ったことを言ったまでだ」
「ハハァ、かえって座長殿は喜びそうな言いっぷりだけどなァ」
紅尾は春臣と白墨のやりとりに軽く笑った。その拍子に、彼の口からぶわりと吐き出された紫煙は薄闇の空気に交じり消えていった。彼はそれから思案するように二、三度煙管をふかすと、再び口を開いた。
「ンー……他の絵師座との兼ね合いってモンがあるらしくてなァ。むやみやたらに手が広げられないんだと」
猫又は自分のヒゲを引っ張りながら言う。春臣は、渡し舟で志木と恵が話してくれたことを思いだした。
『今は政府系の絵師座が強い時代だ。草の根で活動する僕たちには少し厳しい時代なのさ』
それを二人に話すと、青年絵師と式は揃って苦く笑った。〈篠宮座〉や〈神崎座〉のような大派閥が競合するとなると、〈六角座〉のような小さな絵師座にはなかなか有益な仕事が回ってこないものなのだという。加えて、他の絵師座も縄張り意識が強く、なかなか自由闊達に絵師稼業をするというのは難しいらしい。
二人はわかりやすくかみ砕いて説明してくれたのだが、そういったしがらみの外にいた玲陽の下で育った春臣にしてみれば、まだまだ昨今の絵師事情は複雑だった。
その一方で、白墨はふん、と鼻を鳴らして一蹴した。画龍としての技量と矜恃のある彼女にとっては、そうした状況は気に入らないらしかった。
「愚かな……そうした抗争ばかりしていては、いずれ己の絵すら見失うというのに」
手厳しい言葉に夏樹は肩をすくめた。
「良くも悪くも絵師座ってのはそういうもん
さ。一匹狼の筆一本で食っていくには、時代が複雑になっちまった」
しかし、彼はそこでふっと声の調子を明るくするとにやりと笑った。
「あ、オレたちだって何もしてないわけじゃないんだぜ?今、うちの座の絵師二人は郡のほうで動いてるんだ」
「郡の……?」
春臣はその言葉に首を傾げた。
新都の外には郡と呼ばれる地域がある。温泉地のような保養地だったり、畑ばかりが広がる田園地帯だったり、その様相は様々だ。しかし、新都に比べれば凶悪な妖もそれほど頻繁には現れないはずだ。正直あまり絵師稼業には向かないようにも思える。
すると、夏樹は得意げな表情のまま顔の前で指を振った。彼がやりなれていないのが春臣も白墨もすぐにわかってしまったが、あえて何も言わないことにする。
「郡には、才能はあっても一度機を逃して絵師になれないままいるヤツも少なくない。志木さんはそういった連中に目をつけて、あちこちで勧誘もしてるんだ」
「一門連中より先に逸材をってェことなんだろうよ。あんな細っこくて女みてェな顔だが、中身はしたたかなお人だぜ」
夏樹に続けて紅尾も笑う。隣で白墨がやはり、とため息交じりに呟いたのを春臣は聞き逃さなかった。僕はしぶといんだよ、と志木が笑う声が聞こえた気がした。
それからしばらく他愛もない話に興じながら人気のない通りを歩いていると、不意に紅尾が立ち止まった。ちょうど、あとひとつ角を曲がれば大池の堤下に出るという四つ角の辻でのことだった。
「紅尾?どうした?」
耳をピンと立てて周囲の様子をうかがう式に夏樹が声をかける。すると、彼は口元に指を当てて黙るようにと注意を促し、鋭い眼差しで前方へと視線を向けた。ただならぬ様子の紅尾に、他の三人も真顔になって彼の視線の先を追う。
そこには、こちらに向かって凄まじい速さで飛んでくる何かがいた。見たところ鳥のようだった。一番にその正体に気がついたのは紅尾だった。げ、と紅尾が声を上げたのと、その物体が聞き覚えのある声を発したのとはほぼ同時たった。
「しゅ、しゅ、朱夏殿ー!!!」
形といい、声といい、間違いなくその鳥は花散里の側仕えの桐壺だった。彼は弾丸のごとき速さで一同の真上を通過したあと、慌ててこちらに舞い戻ってくる。思わず春臣が手を差し出すと、桐壺は礼を言ってその上にぽてんと落ち着いた。
「あん?……あ!お前、春御前んとこの鳥助じゃねぇか!」
夏樹が大声を上げると、間髪入れずに目白の側仕えは言い返した。
「鳥助ではございませぬ!桐壺でございまする!いい加減名前を覚えてくださいませ!」
桐壺は、ばっと両の翼をあげて地団駄を踏む。端から見ているとかわいらしい光景だったが、止まり木にされている春臣は手に彼の爪が食い込むのが非常に痛かった。
「いててて!き、桐壺さん、爪立てないでください……!」
堪らず声を上げると、彼は我に返ったようでこちらを振り返り平身低頭した。
「も、申し訳ありませぬ!ちと興奮しておりましたゆえ……!」
「まさか、春御前になんかあったのか?」
険しい表情で夏樹が問う。春臣もはっとして手の上にいる桐壺を見つめる。すると、彼はふわりと舞い上がり、否、と強い調子で答えた。
「御君の身に何かあったわけではございませぬ。そんなことがあればこんなに冷静にはしておりませぬ」
それでも落ち着いているのかとは誰もが思ったが、それを口にする者はいなかった。当の桐壺は全くその気に気づくことなく、先を続けた。そのつぶらな瞳に宿る光が、鋭さを増した気がした。
「それより、先ほど池の周りをうろつく妙な影を見たのでございます。御君の命により急ぎご報告をば、と」
一同は各々の顔を見合わせたあと、一様に厳しい表情を浮かべたのだった。
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