第拾九話

 客間での論争にどうにか一区切りがついたころには、既に時は黄昏になっていた。春臣はいったん皆と別れた後、白墨とともに母屋の二階に上がっていた。これから生活していく部屋を教えてもらうためだ。

「ここが俺の部屋で、そこの突き当たりが秋彦の部屋な」

 紹介を買って出てくれたのは夏樹だった。彼は丁寧に指をさして部屋の配置を教えながら、とある部屋の前で立ち止まった。

「で、お前の部屋は俺の隣ってぇわけだ」

 その言葉とともに夏樹は襖を開け放った。

「わぁぁ……広いですね!」

 春臣は歓声を上げていた。おそらくは今まで生活していた部屋よりは幾分か狭いはずなのだが、〈結城屋〉ではずっと半分書物や紙に埋もれた部屋にいたので、何もない今は逆に広々として見えた。

 夏樹は入口に手をかけながら、春臣の様子を見てからからと笑った。

「まぁ、それも初めのうちだ。粉本だの画材だのを買い込むようになると、あっという間だぜ?」

 粉本とは、絵の手本を集めた指南書のようなものだ。絵師はこれを元に造形や構図を覚えていく。

「あ、そっか……買い出しにも行かなきゃならないですね」

「おうよ、明日にでもこの辺案内がてらいいとこ教えてやるよ」

 春臣は気分良さそうににこにこしている夏樹をじっと見上げた。そして、先ほどからずっと気になっていたことを尋ねることにした。

「……あの、どうして親切にしてくださるんですか?さっきも……その……」

 あんな言葉をかけてくれて、と言い淀んだ春臣に、夏樹はあぁ、と頬をかいた。

「オレはそんなに頭良くねぇから、難しい話はいつも秋彦や相楽さんに任せっぱなしでさ」

「なるほど、見た目通りの阿呆というわけか」

「ちょ、白墨さん……!失礼ですよ!」

 すぱっと横合いから言い切った白墨に、春臣はすかさずたしなめる。しかし夏樹は気にするどころかげらげらと声を上げて笑った。

「はは、良いって良いって。秋彦にはああいうふうに噛みついちゃいるが、実際んとこそうだしな!」

 ひらひらと手を振った夏樹は、その手を首の後ろに添えるとふっと浮かべる笑みの質を変える。それは、薄暮の中でどこか寂しそうに見えた。

「……あの二人、見た目の通り頭良くて常識人だからさ。ついつい人を疑うところから入るところがあるんだが……でもさ、そういうのってなんか哀しいだろ?お互いに」

 だが苦笑を見せたのは一瞬で、短髪の青年はけろりと明るく笑ってみせた。

「だから、せめてオレは人を信じるところからはじめようって思ってるわけだ。それだけの話だよ」

「夏樹さん……」

 夏樹は、わしわしと春臣の頭を撫でた。

「はは、呼び捨てで構わねぇぞ?」

「えっと……さすがに年もありますし、それは気が引けるんですが……」

「そうか?それならまあ、好きに呼んで構わねぇけどよ」

 ぱっと手を放すと、彼はあ、何かを思いだしたようにと声を上げた。

「そうそう。言い忘れるとこだった。ここじゃ飯も掃除も当番だから、覚悟しとけよ?」

「えっ、そうなんですか?」

「おう、そうだぜ」

 夏樹はそこでにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、それまで部屋の外で佇んでいた白墨を見やった。

「ちなみに、式も手伝うことになってるからな」

「………………面倒な………」

 白墨が心底嫌そうな顔をしたことは、言うまでもない。

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