第拾六話
さて、件の弟絵師たちといえば、母屋の客間にて気まずい沈黙の中にあった。立ち話も何ですから、と相楽に背を押されて客間に通されたところまではよかったのだが、当の相楽はお茶を入れると言って鼻歌交じりに台所に引っ込んでしまったのだ。年が近い者同士のほうがいいだろうと彼なりに気を利かせてくれたのだろうが、正直言ってとても困る。
(ええと……き、気まずいなぁ……)
春臣はといえば、何かを言わなければならないとは思うものの、そのとっかかりが掴めずにいた。先ほどから口を閉じたり開いたりするも、言葉が出てこない。仕事柄初対面の人間には慣れているつもりだったが、年が近い客がそういたわけでもないのでこういうときにどう話を振っていいかわからなかった。
しかし、どうやらそれはあちらもそうであるようで、特に短髪の青年は先刻からちらりと視線を投げかけてくる。長髪の青年は特段こちらをみることはなかったが、忙しなく眼鏡の位置をいじっていた。
「……ククッ」
やがて、その沈黙を押し殺した笑い声で破ったのは若者たちの誰でもなかった。皆が一斉に笑い声の主を見やれば、そこには室内だというのにぷかぷかと煙管をふかす猫又がいた。
「……紅尾。何がおかしいんだ?」
短髪の青年が訊くと、紅尾は客間の柱に背を預けたまま答えた。
「悪ィ悪ィ、この妙な沈黙が面白くなっちまってなァ。普段延々掛け合いしてるヤツらが坊ちゃん相手にそろいもそろってだんまりたぁ、こりゃ面白ぇや」
にやにやと黄色の瞳を細めて言う彼に、短髪の青年はやや決まり悪そうな表情を隠すように指を突きつける。
「うるせぇ、誰が普段は漫才師だっての!」
「漫才師?俺ぁそこまで言ってねぇよ。相変わらず年若ぇくせに耳の悪ぃヤツだ」
すると、長髪の青年も返す指先で隣に座っていた短髪の青年を指し示し、負けじと苦言を呈する。
「俺もこいつと十把一絡げにされるのは気に食わん。願い下げだ」
「なんだと!?オレだってお前みたいな堅物眼鏡と一緒にされたかねぇよ!」
「誰が堅物眼鏡だ!花より団子で食いすぎたどこかの阿呆と同列にされたくないと思って何が悪い!」
ぎゃあぎゃあ言い合いを始めた二人に、紅尾の傍らに浮かんでいた照鏡姫が横合いから呆れた声をあげる。
「はぁ……お主らの帰りが妙に遅いと思うておったが……そのような馬鹿をやらかしてきたわけじゃな、朱夏よ」
「何で照坊までそんな目で俺を見るの!?」
「ハハハ、その息だ。さっきのも借りてきた猫みてぇなのも面白かったがな」
「猫はてめぇだろうが!」
誰もとめる人物がいない。春臣が困って隣に座る白墨を盗み見ると、彼女は伏せていた目を開けてため息をついた。
「……………騒がしい」
「えっと……賑やかなのはいいと思いますけど」
「……ものは言い様だな」
美しい筆神は呆れ口調で呟くと再び瞑目してしまった。春臣がまた先方に視線を向けると、長髪の青年とちょうど目が合った。二人してしばし沈黙すると、今度はどちらからともなくくすっと笑みが漏れた。
「……すまない。見苦しいところを見せてしまった。君のような若者がくるのは存外機会が少なくてな」
長髪の青年は、くいっと眼鏡を押し上げると居住まいを正した。育ちがいいのだろうか、それだけで凛とした雰囲気になる。
「申し遅れた。俺は
「阿呆って言うほうが阿呆なんだぞ、阿呆の秋彦!」
すかさず横から割って入る短髪の青年は、その勢いで春臣ににかっと笑いかけた。こちらは長髪の青年───秋彦とは対照的な、親しみやすさを感じさせる。
「オレは
「手前ぇにかわいいだなんて思われた日にゃ、世も末だ」
「俺とてお前に好かれたいとは爪の先ほども思ってないから安心しろ」
「…………あの、総攻撃って受け止めるのもきついんで、大真面目な顔して切り返すのやめてもらえません?」
春臣は軽妙なやりとりにしばし呆気にとられていたものの、しまいにはおかしくなってきて笑い声をあげていた。その場にいた誰もがその反応に驚いたように少年を見た。あの白墨ですら反応がやや意外だったようで、片目を器用に開けていた。
ひとしきり笑ったあと、春臣は目尻の涙を拭うと一息ついた。
「……すみません、なんだかおかしくなってきてしまって……皆さん仲が良いんですね」
その瞬間、誰もが微妙な顔をした。しかし、純真そのものの言葉に勝るものはなく、めいめいに咳払いをするしかない。
そして春臣が何より強かったのは、彼自身が意図せずしてその空気感を一切読んでいないことだった。彼はがたん、と音を立てて立ち上がると、深々と一礼した。
「結城春臣といいます!号は青陽です!縁あってこちらでお世話になることになりましたので、よろしくお願いします!」
号を名乗ることは、それすなわち己が絵師であることを示している。……この少年がそれをしたことの意味を、夏樹と秋彦がわからないわけがなかった。
青年たちは予期せず登場してきた新人絵師を前に、顔を見合わせたのだった。
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