第伍話
気を失っていたのは、時間にすればほんの少しだった。
「………ちゃま、坊ちゃま!」
耳元で声がする。ぱっと目を開ければ、彩玲の面が間近にあった。
「……う、わぁぁ!?」
春臣は、一拍おいて大声を上げて起き上がった。いつの間にか倒れていたらしい。彩玲は腰に手をあてて少しむっとしたような声を上げた。
「何ですか、その反応は。倒れてらっしゃったから心配したというのに」
「ご、ごめん、彩玲……ちょっとびっくりして……」
何の心の準備もないまま目の前に面が迫っていたら、誰だって驚く。春臣ははぁ、と息をついて、ふと先ほどまで自分の手の中にあったはずのあの書物がないことに気がついた。
「え、あ、あれ……?」
周りを見渡しても、影も形もない。傍らの木箱のふたを開けて中を見ても見当たらない。
「?どうされました?」
彩玲の言葉に、春臣は首をかしげながら口を開いた。
「ねえ、彩玲。僕が倒れてたときに手に何か持ってなかった?小口のない書物なんだけど……」
「??……坊ちゃま、どこか打ち所でも悪かったのですか?私が来たときには、坊ちゃまは何もお持ちでなかったですし、そもそも小口がない書物など意味がないと思うのですが……」
春臣は少しの間釈然としない気持ちのまま黙り込んでいたが、やがて首を振って彩玲を見上げた。
「……そっか。ならいいんだ。ごめんね、変なこと訊いて」
「はあ……坊ちゃま、念のため申し上げておきますが、くれぐれもご無理はなさらないでくださいね?」
首をかしげつつも優しい言葉をかけてくれた彩玲に、春臣は笑った。
「うん、ありがとう」
釈然としないが、ないものはないのだ。あの書物のことは、あとで玲陽に訊いてみればいい。
そう思い直して、春臣は立ち上がると木箱を抱え上げた。ずっしりとした重みによろめきつつも、蔵の外にそれを運び出す。彩玲が後に続いて出てきて、蔵の扉に触れた。
すると、ずずず……と重い音を立てながら、扉がひとりでに動いて閉まっていく。
彩玲は基本、結界を張ったり建物に術をかけて外界からの侵入を防いだりといった、守ることに特化した妖だ。この蔵を初めとして、春臣と玲陽が住むこの家全体には彼女の術がかけられているので、扉という扉、窓という窓は、すべて彼女の意思ひとつで開け閉めが可能なのである。
完全に閉まったのを確認したあと、彩玲は春臣を振りかえった。
「お待たせいたしました。さあ、参りましょうか」
春臣はその言葉にうなずくと、木箱を抱え直して店のほうに急ぐのだった。
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