第67話「悪の帝国聖女Ⅸ」


「オーライ。オーライ」


 ゼーテとの決戦の地を選んで小道具をリセル・フロスティーナで運んで接地中であった。


 現在地は西部の南側にある沼地フォロンガ。


 乾いた西部の中では河川が程近い関係で年中湿気が多い地という事もあり、沼地の管理者達以外は稀少な薬になる動植物の生息地として人もあまり近付かない場所である。


 疎らな林と水草が生えた沼地の内部には各種多用な生態系が広がっており、特に生態系を支配的に占有している水草類は破片からでも大量に生い茂る外来生物と言われ、乾燥地帯にすら持ち込みが禁止されるヤバイ植物であったりする。


「ふぅ~~」


 そんな沼地の一角。


 僅かに小高い丘状となった元は中州らしい場所にロープで降ろしたのはゼーテの石屋……墓石や石像の類を削って売る業者に頼んだ特注の台座であった。


 内部を刳り貫いて貰っており、石製ではあるが、こじんまりとして持ち運び出来そうな代物である。


 陸の上からは疎らな林から先5km程先まで見えており、その先は小さな山岳の谷間から続く道が見えていた。


 まぁ、冬という事もあり、沼地も今は生物は殆ど見えず。


 乾燥した泥濘というよりは時間を掛ければ沈む地面と言った方がいいだろう。


 そんな最中でも繁茂する水草が地面からニョッキリ生えており、未だ青々しい。


「これで準備は完了だ。後はあっちが攻めて来るまで肉でも焼いて待ってるか」


『………』


 飛行船から出て来た外の作業組。


 ドラゴンに載れる者達が全員微妙な顔でこっちを見ていた。


「怪しげな薬品を大量に調合した後は地域一帯の地質調査。それが終わったら、玉座を此処に置いて準備は完了。作戦用の書類だけ渡されて準備はお終い。随分と戦争が簡単になったとボクは閣下に書かなきゃいけないわけか」


 ウィシャスが溜息がちにこっちを呆れた瞳で見て来る。


 バーベキュー用の研究所製コンロ。


 そして、布地に樹脂を沁み込ませた防水テントを1人で立ててご満悦中なこちらにしてみれば、それはそうだろうなという感想しか出ない。


「ふぃーは戦争嘗めてないと思ってるけど、何もしてなくないか?」


 元竜の国のお姫様が呆れ顔ながらも研究所製のクーラーボックスから肉を取り出して、炭にマグネシウム製の着火剤をブチ込んで船内から持ち込んだ種火を入れて火を起こし始めた。


 その手にはパタパタと小さなミニうちわが握られている。


「そもそも14万の人間を一網打尽にする方法なんてバルバロス以外で出来ないし。いや、出来るには出来るが資源や金が掛かり過ぎる。その点でオレはかなり一部の地形と相性がいい。主に省エネと省資源的に」


「エネ? どういう事だい?」


 ゾムニスが一応聞いておこうと魔法瓶から次いだお茶を渡してくれる。


「ずず……オレがもしも砂漠で戦うなら、あっさり負けるだろう。だが、水場でこういうジメジメしてて、植物や生物がいる環境なら負ける理由無いんだよな」


「よく分からないが、あのクラゲを使うのかな?」


「ああ、それもある。問題はどちらかと言えば、相手を逃がさない地形。相手を束縛し、戦いに時間を掛けられる地形だ」


「時間を掛けられる?」


 首を傾げたのは近頃は本当にメイドとして有能過ぎる感じに成長した女竜騎士だった。


「14万の軍勢が民間人の皮を脱ぎ捨ててゼーテから出撃するのに2日前後。統率して行軍を開始し、この沼地にやってくるまで4日前後。馬なら1日半ってところか」


「それでどうするつもりですか?」


「座って待つ。勿論、色々と仕込みながら……その為に鎧を100着も用意させたんだしな。ガラクタが案外前の戦の残りとして安く買えたのも悪くない」


「なぁなぁ……どうするつもりだ。あんなにベコベコの鎧」


 ガラクタ同然に鍛冶屋やゼーテの屑鉄を買うところから買って来た鎧が乱雑に丘には積み上げられている。


 殆どは鉄ではなくて青銅や錫や今も大陸で常用される安い合金製の代物ばかりだ。


「そこらの沼地の上に置いておく用だ」


「お、置いておく?」


「ああ、置いておくだけだ。後でお人形さん遊びに使う」


 肩を竦める。


「お人形さん。ふぃーには一番似合わない言葉だな……」


 デュガがジト目でこちらを見ていた。


「帝都を旅立って、北部で色々と準備したり、新しい知見を得たり、サンプルも手に入ったから、負ける理由は今のところ無いな」


「負ける理由というか。相手が勝つ条件を潰すのが上手い気がする。ふぃーって」


「相手が単なるバルバロスと人間の軍勢なら、オレは此処で座ってるだけで勝てると断言しておこう」


 玉座に座って丘に脚を付ける。


 デュガがジト目で火を起こし終わり、肉を網の上に置いて行く。


「座ってるだけで勝てるとか。もうウチの人間離れしてる竜よりヤバそうな将軍連中も真っ青だな。ふぃーは……」


「ちなみにこの丘に攻め入るには全方位の沼地を進んで来なきゃならない。背後は山、東は疎らな林と泥濘。西は川。北は切り立った岩壁の最中を通る細い道。大群が進むには川、林、細い道を使う必要があり、尚且つ広大な泥濘地を7km四方超えて来なきゃならないわけだ」


「ああ、だから、スゴイ挑発用の立て看板立てさせたのか」


 デュガがやはり呆れた視線になった。


「あの彼らの教義を冒とくする看板を幾つもどうして立てさせたのかと思えば……」


 ウィシャスも溜息を吐く。


 同じ街で戦争の準備をしていたこちらをゼーテが黙認してくれたおかげで現地で必要になった小道具がすぐに手配出来て、まったく有難い限りである。


「相手は躍起になって、この沼地に入って来てくれるだろうとも」


「それにしても大量の棒と黒く塗った麻布とか何に使うんだ? もしかして陣地を隠すのか?」


「そんなもんだ。重要なのは相手が纏まって此処まで……オレの戦場に入り込んでくれるかであって、その小道具だな。全部」


 焼けた肉をデュガが紙皿に持って手渡してくれる。


 それに広げられたバーベキュー用のプラスチック製の折り畳みテーブルの上からソースの小瓶を取って掛け、フォークでモクモクする。


 ちなみにこの西部では肉が貴重品なのでそこそこお高い。


「陣地張る用のポール40本は此処100m四方に差してくれ。後は黒い麻布を10m感覚で竜に乗りながら張り付けて。更に内部にもポールを立てて、内部がそのまま見えないように少し入り組んだ感じに。これ説明書。全員でやれば、10時間もあれば、終わるだろ」


 現在地の地図に書き込んだ迷路というには素直に視認し難いだけのお粗末な陣地の設計図を全員分手渡しておく。


「布だけであの分量。幾ら麻布とはいえ、あれにどれほどの価値があるのか。まったく、分からん。説明されて分かる気もしないが……」


 ゾムニスが横合いに降ろされたら巨大な円筒形の数々。


 1km近い量の膨大な黒い布地を見て、溜息を吐く。


「星型なのか。だが、内部にも幕を張るのはどうしてだ? 外も見えないし、幕で完全に見えなくなる場所も多数あるようだが……」


「戦力の製造方法を隠蔽しつつ、相手にそこそこの戦力がいると勘違いさせて、全軍で突撃……みたいな事をさせる為の小細工だ」


「どうしてそうなるのか。まるで分からないな。いや、本当に……」


「まぁ、そっちには上空監視や他の仕事がある。全て間の取り方が命だ。合図を見逃さず。状況把握を正確に。素早く対応して貰いたい」


「……やるだけやろう。本当に此処で1人だけで戦うと言い出した君の事だ。勝算があるなら、何も言うまい」


「まぁ、そう暗い顔するな。オレは死なないし、バルトテル軍は壊滅するし、あいつらの命まで大半保障してやろうという細やかな恩返しだ」


「命を? それに恩返し?」


「お前みたいな優秀な副官が出来た事への……西部にこれ以上莫大な死人は必要無いからな……」


 その言葉に思わずゾムニスが固まっていた。


「君は……そんな事の為に……」


 命を投げ出して戦うのか。


 という言葉は呑み込まれたが、複雑そうな表情の元テロリストは大きくまた溜息を吐いた。


「……必ず、第一陣が来る前には工事を終わらせよう」


「よろしく頼む。全員肉を食ったら作業開始だ!! さぁ、お客さんが来る前にモテナシの準備をするぞ。終戦まで10日を見込んでる。頼むぞ」


 それに応えた者達は船の中にも多数。


 船の内部でもバーベキューをしながら、ガヤガヤと準備は進んでいく。


 *


―――開戦5日前。


 現在、バルトテルの軍団長を含め総員がゼーテ側の用意した街の内部で衣食住を行っていた。


 軍用の装備は隠され、彼らは着の身着のまま少しずつゼーテとその周囲の街に流入し、そこで食事をしつつ、その日を待っていたのだ。


 帝国軍の目がある以上は巨大な軍の移動は目につく。


 ならば、大規模な商隊や旅人などに扮して、数百回にも及ぶ小分けの移動を繰り返す方が無難だったのだ。


 半分は奴隷商人と奴隷に化けて内部に入り込んでいるので人間が多数入って来ても帝国軍の目は誤魔化せるだろうとの計である。


「軍団長!! ゼーテ側から帝国軍小竜姫よりの告知として戦場の指定がありました」


「遂にか……」


 砂漠の砂が似合う精悍な顔付きの60代。


 この大陸では最長老と言ってよいものの、それでも未だまったく衰え知らずの軍団長は名をブンバルド・オイギンと言う。


 彼の周囲には神官戦士、宗教者でもある者達の最上位職。


 ブンバルドと同じく白い布地を体に撒いて銀の剣を履く男達が集っている。


 ブンバルドは浅黒い肌に琥珀色の瞳をギョロリとさせて、伝令の兵を見やり、それにゴクリと唾を呑み込んだ男はすぐに指定された場所が泥濘地である事に気付き。


 しかし、今の厳寒の冬ならば、行軍の速度はかなり遅れたとしても軍が脚を取られて立ち往生するような事は無いと内心で思案する。


「どうなされますか!! 軍団長!!」


「沼地とはいえ、我が方の【神騎獣しんきじゅう】ならば、今の冬の泥濘などは地面のように走る事も可能かと思いますが」


 バルバロスを神と崇め。


 その大いなる存在が遣わした彼らの為の乗りもの。


 そういう位置付けで現在バルトテルはバルバロスを用いた騎兵を運用している。


「それ以前に彼の小竜姫。いや、あの薄汚い大悪女の戦力は如何程なのか。まるで情報が無い。ゼーテ側からは空飛ぶ船に乗っているとの話で、裏も取れているが、戦わずに空へ逃げて戦になるものか!!」


「ですが、ゼーテは臆病風に吹かれて、帝国軍本隊の襲来に備えなければならないの一点張り。我らが神を侮辱し、剰えこうして宣戦布告して来たのだ。もしも、そこに軍が無ければ、笑い飛ばしてしまえばいいだけの話だろう!!」


「左様!! 神の加護ある我らを前に臆したのだと!! 吟遊詩人共に謳わせてやればよい!! 兵の士気も上がろう!!」


 喧々諤々。


 部下達の勇ましい言葉に男が手を上げるとすぐに声が静まる。


「諸君。我らが神を侮辱した彼の女を許してはならない。もしも、空に逃げたとしても、我が方にも竜はある。船ならば、落とす事も敵うだろう。400騎を用いれば、どのような敵とて空から追い落とす事は適うはず。ならば、何も畏れる事はない」


 男達が盛り上がる。


「おお!! 軍団長!! そう言ってくれるものと思っておりましたぞ!!」


「然らば!! 直ちに各地に置いていた軍をあちらへと向けます!! 戦力は如何しますか?」


「何を言う!! 相手は少数とはいえ!! 帝国軍だ!! 全軍で向かい!! 叩き潰す!! 前哨戦として国威発揚にもなる!! 帝国に打撃を与える事が出来るのだ!! 此処は逃がさぬよう全方位から一斉に掛かるべきだ!!」


「ですな!! その為にもやはり此処は全軍で包囲殲滅を企図するべきかと。軍団長!!」


 部下達の言葉に頷いた彼はすぐにその瞳を怒らせて、室内に立て掛けてあった巨大な錫杖を片手で持ち、ゴンッッと石製の床を打ち砕く勢いで鳴らした。


「よろしい。では、諸君。全軍で全方位から彼の地を封鎖し、帝国の姫果てた地としてあの沼地を墓標にしよう!! 竜騎兵共には偵察させろ!! また、先走らぬようにと釘もさせ」


 こうしてゼーテの一室で決まったバルトテルの帝国侵攻計画の序章。


 神を冒涜した売女をバルトテルの光輝く神の軍団が打ち砕くといういつかの神話に載るだろう聖戦に心胸躍らせて、意気軒高に彼らは小竜姫へと猛突する事を決断。


 それを王宮の衛兵として見ていたゼーテ王の子息は嫌な予感と盲目な子羊にしか見えない彼らを静かに観察していたのだった。


 あの恐ろしき少女を相手にこの男達は敵うものなのだろうか、と。


 *


―――開戦4日前。


「軍団長。三方向に別れて沼地を目指している我が軍は全て順調であるとの事!! 渡河用の【神騎獣】を用意していた賜物です!! また、竜騎兵共の定時報告ではやはり陣地に動きは無く。二百にも満たない者達がどうやら野営を続けている模様。また、陣中央には変わらず玉座にあの女がいると!!」


「よろしい。山の合間を抜ける兵達を急がせろ。先に到着するだろう我が軍は合図あるまで待つと各部隊長達に伝えよ。特に崖上には目を光らせろと竜騎兵達には徹底させろ」


「了解致しました」


 バルトテルの軍団はすぐに正体を露わにして各地の手勢を吸収しつつ、東西北からの三方向を囲う形で進軍を続けていた。


 西部は基本的に歩き易い荒野が多い為、大軍の移動を阻害するのは基本的に山がちの地形や水辺に限られており、彼らは水生系のバルバロスを河川などで用いる事でゼーテからの物資で補給を維持しながら比較的近場である沼地一帯へと迫っていた。


 事前に空からの偵察も行っており、陣地が張られている事も本人がそこにいるだろう事も分かっていた彼らにしてみれば、例え待っているのが影武者の類であろうともバルトテルが帝国軍に打ち勝ったという事実が欲しかった為、それを兵達に印象付ける為にも全軍で戦うという選択肢以外に取れるものは無かったのだ。


「……軍団長。奴らは一体、何を考えているのでしょうか。我らの兵を過小評価したのであれば、逃げ出しても良い頃合い。竜騎兵はあちらにも見えていたはずですし……」


「些末な事だ。竜騎兵がいては逃げられまい?」


「おお、確かに言われてみれば……ですが、それにしても不遜で度胸も据わっているようですな。例の悪女は……」


 自らの副官に言われつつもブンバルドは戦士としての勘として、僅かに奇妙なものを感じていた。


 高々200にも満たない兵で沼地の中心に陣を敷いたからと言って、戦いにもなるまいというのは戦に携わる者ならば言わずとも解るだろう。


(退路を空に求めているならば、我が方の竜騎兵の数はかなりの圧力であるはず。虎の子の船を温存して、戦場の混乱に乗じて逃げるにしても……あのような何も遮るものの無い沼地では……)


 やはり、子供は子供かという考えが僅かに脳裏に掠めた彼は僅かに被りを振って、噂の帝国の姫の事を考え直す。


(とにかく、まずは現地にて確認せねばならんな)


 一昼夜の行軍中であるバルトテルは騎兵を先行させて、沼地に入る直前の地点に物資を送り、陣地を構えさせている。


 そこまで歩兵達を歩ませ切れば、彼らの勝利であり、天候が悪くて竜騎兵が現地の者達を見失う事さえなければ、取り逃がす心配も無い。


(神敵に天罰を……そして、我らが手にはアレもある。負ける理由は無い……無い、はずだ)


―――開戦3日前。


「伝令!! 伝令!!」


「どうした!!」


 後、2日で現地に歩兵達も到着する。


 荷馬車の列が伸びる最後尾。


 殿付近でブンバルドは慌てた年若い十代後半の少年と言ってよい兵に返す。


「現地の偵察中であった竜騎兵100騎が独断で奇襲を決行せりとの報!! また、我が方の竜騎兵100騎が同時に壊滅したとの事であります!!」


「な、何ぃ!?」


 思わずブンバルドは馬の上から降りて、車列を見送りながら、手勢の兵だけを止めさせつつ、詳しい話を聞く事にする。


「他には!!」


「はッ!! 敵陣から大きな破裂音と火花が多数確認されたとの事です!! 新型の弓や弩弓の類ではないかと残った竜騎兵からは伝えられており、突撃した100騎が瞬きの間に何かに撃ち落とされて、泥濘地に沈んだと!!」


「ッ、帝国の新兵器か……残る騎兵は!?」


「友軍を救おうとするも泥濘地に沈む竜を引き上げる事敵わず!! また、落ちた時に殆どの者は衝撃で生きているとは思えず!! 敵の追撃も懸念され救出を断念!! との事であります!!」


「解った!! 竜騎兵達には厳に独断先行は控えるようにと厳命せよ!! また、他の部隊にも勝手な独走は許さんと念押しするよう将軍達に伝えるのだ!!」


「りょ、了解致しました!!」


 少年兵が駆け出していくのを見て、再び馬に乗ったブンバルドに副官が後ろから寄せて来る。


「帝国の新兵器でしょうか……竜騎兵100騎を瞬きの間に落とすとは……奴らが逃げもせずに陣地を張っているのはその兵器の存在故なのかもしれませんな」


「そう考えれば、合点が行く。逃げる時もその兵器で竜騎兵を落とすつもりなのだろう」


「では、重要なのは間の取り方ですか?」


「ああ、相手に勝てると思わせ。同時に逃げるのを竜騎兵で抑えられている合間に相手を潰さねば、空飛ぶ船とやらで逃げられるのは必至……各部隊の連携を密にする必要がありそうだ」


「やはり、敵もさるもの……幾ら小と付いていようと侮る事は出来ませんな。帝国の姫は……」


「小娘と侮った我らの失態だ。一部、部隊を分ける。各部隊の将軍共に狼煙で動けと念押ししろ。また、潰す時は一気呵成だ。その時には損害に構わず敵陣に押し入り、首を取る」


「懸命な判断です。幾ら遠間の兵器が優れていようと限界はあるはず。泥濘地で射撃の時間を取ろうとしたのでしょうが、生憎と今は冬……勝機は我らにありますぞ。神官長」


「ああ、そうだな……」


 ブンバルドは冬というのに快晴な空の下。


 何か得たいの知れないものに脚を取られているような気がしてならなかった。


 その不安の正体が何なのかは分からず。


 しかし、敵の底を見定めようと、その瞳は荒涼とした地平線の向うへと向いていた。


―――開戦2日前。


「伝令!! 伝令!!」


「どうした!?」


 嫌な予感というのは続くものだ。


 また、同じ少年がブンバルドの傍に走って来ていた。


「に、西のイピリテ様の部隊の一部が独断専行し、交戦に入ったとの事です!?」


「どういう事だ!? 独断専行はあれほど慎めと言っただろう!? 竜騎兵で報は届いているはずではなかったのか!?」


「は、はい!! 竜騎兵の話では川を渡河中に我らが大いなる光、我らが神を冒涜する文章の書かれた看板を複数確認し、その場にイピリテ様が居合わせてしまったらしく。烈火の如くお怒りになった後、渡河中の部隊を後詰として先行して1万5千の兵と共に突撃したと!?」


「ッッ、まんまと小娘の策に嵌ったか!? ええい!? 戦況は!?」


「未だ次報は届いておらず!! 不明でございます!!」


「仕方ない。兵共の脚を早めさせろ!! 沼地を完全に封鎖するのが先だ!!」


 部下達がその言葉に頷いて歩兵達を急がせ始める。


 ブンバルドがギリリと歯を噛み締める。


(各個撃破を狙っているのか!? それが分からんヤツでもないだろうに!! 挑発で乗せられただと!?)


 だが、味方への思いもあるにはあるが、それよりも小娘と未だ自分に侮る気持ちがあったのではないかという方が彼には恐ろしかった。


 高々、高い玩具を見せびらかす子供ではないか。


 という気持ちが彼に無かったと言えば、嘘になる。


 相手は子供だと搦め手は使って来ないと思っていたが、それは大きな間違いだった。


 未だ彼が殿に付いて兵糧を輸送する兵站の守護に手勢を割いていたのは安全地帯だからというだけではなく。


 心の何処かで相手の恐ろしさに気付いていたからとも言えた。


 だが、途中から相手の底が見えたかもしれないと勝手に思い込み。


 現場から前線に早馬で駆け付けるという事を僅かに考え始めていたのだ。


「小竜姫……か。確かに竜のように狡猾なようだ。必ず、その首、貰い受ける」


 暗雲がゆっくりと出始めた幾手に彼は激戦を覚悟したのだった。


―――開戦半日前。


「伝令!! 伝令!!」


「申してみろ」


 少年がブンバルドの気迫のようなものに僅か気圧されながらもすぐに報告し始める。


「イピリテ様の先行した部隊の3回目の続報です。敵は凡そ100騎と変わらず!!! ですが、減っておりません!!」


「馬鹿な……」


 ブンバルドの周囲がざわめく。


 初報と次報を聞いた時から変らぬ報告はもはや男達をざわめかせるに十分だ。


 その理由は幾つもあるが、最大の懸案は少年の畏れる顔にも出ていた。


「後続の後詰部隊が撤退を支援しようとしましたが、地表付近で滞空しながら火球で牽制してくる竜騎兵に阻まれ、断念し後退!!」


「万の軍勢が百や二百の兵に圧し負ける、だと……」


「そんな、事が……やはり、誤報ではないのか。誤報では……」


「陣地へ突入前にイピリテ様の先行部隊の全滅が確認されましたッ」


「そうか……」


 ブンバルドが瞳を閉じて輩の為に拳を握り締めて感情を押し殺す。


「尚、1回目の報で報告した通り、敵兵は死にません!! 一兵たりとも損失を確認出来ず!! 誤報ではないと再度、竜騎兵からの報告であります!!」


 その言葉でブンバルドの手勢達もどよめきが奔る。


 それは次報の時点で報告された敵兵の特性であった。


 あまりの報告に嘘だ何だと少年は殴られそうになり、ブンバルドは部下の手を推し留めたのだ。


 そして、再度竜騎兵に命令を送り、同じように報告を受けたのが現在なのである。


 だが、そのあまりの状況が覆る事は無かった。


「剣で弓で槍で傷付こうとまったく問題無く動き、黒く肌を塗っており、血も出ず、炎に焼かれて尚動く。この報告のままに突撃した部隊を薙ぎ払い。沼地に沈めた模様です!!」


 男達のどよめきよりも先にブンバルドが敵とすら呼べるのかどうか。


 万の軍勢を押し退けた不死身の軍隊の話に唇を噛む。


「他には?」


「また、次報時から報告していた通り、沼地より現れた竜騎兵達に関してですが、黒くこそなっていますが、やはり……我が方の騎兵だったとの事です」


 その言葉でようやく男達は自分が何を相手にしているのかを悟ったような気がした。


「死者を蘇らせて、戦わせて、いるのかッッ!?!!」


 その部下達の1人の言葉に誰もが身動きも出来ない程に震えていた。


 彼らのバルバロスの神と呼べるモノを崇める教義。


 その内容として死後、不浄なるものは大地を彷徨う亡霊になる。


 というものがあるのだ。


 そして、多くの場合、彼らは遥か先の世で蘇るまで自ら蘇る為、それまで蘇らぬようにと固く遺体は灰にして聖なる地に封じるという習慣がある。


 それが出来ない大多数の者達はやがて蘇るまでの功徳を積まねばならないと宗教に関しての労役を課され、現在の兵役や徴兵もその労役に当たる。


「鞍や装備がそのまま使われているらしく!! 乗っている者達に関しても同僚の顔を見たと証言する竜騎兵達がおり、皆……怯えていると……」


「敵は死人か。正しく邪悪。正しく暗黒……神よ……」


 ブンバルドが拳を握り、震わせていた。


 1日前に話を聞いて信じられなかった事が次々に襲い掛かって来る。


 この現実を前にして誰もが口を重くしていた。


 彼らは国というよりは宗教としての体面を保ち。


 国の奪われた地を取り戻す為に来た。


 だが、殆どの兵達はそこまで信心深いわけではない。


 奴隷からの搾取などだけでは成り立たない社会構造。


 自己献身を求められる労役は基本的にバルトテルの成人に課された義務であり、自らの手でやらねば意味が無いという思想に基いている。


 だが、死後の新たな神の御代に蘇る事無く。


 暗黒の化身として敵に使われる。


 もしも、こんな事が事実として兵の間に広まれば、もはや言うまでも無く軍は瓦解してしまうだろう。


 ああ、やはり帝国に手を出すべきではなかった、と。


 だが、そんな事は祖国の後背地にいる者達には分からない。


 特に高位の神官辺りならば、まったく彼らの畏れを意に介さないだろう。


 多くの信心深い者達は神が畏れから救ってくれると思っているし、その為に献身を捧げ、この今の時代に死んですら構わないという狂信者とているのだ。


(だが、その前提が覆る。敵は死なぬ兵に殺された同胞……在り得ぬ吟遊詩人共の寝物語……我々は何と戦っているのだ……ッ)


 彼らの脚は重い。


 此処で一端、引き返す。


 撤退もしくは後退するという言葉を誰も言い出せずにいる。


 理由は簡単だ。


 本国からは必勝の策を与えた以上は敵を下さねば、帰るなと絶対の勝利を約束させられている。


 要は負けたならば、潔く死ねという事だ。


 それを王と多くの神官、国家の権力者層達が望み。


 信心深い国民達もまた神の軍隊の勝利を信じて多くの若者を送り出した。


(神よ……どうか、我が眼前の畏れを打ち砕き給え)


 ブンバルドが内心で唱えながら、再び行軍を再開させる。


 その列はまるでこの世の終わりに続くかのようだと彼は思う。


 もはや、冬の景色は冷たく。


 その幾手にある沼地の方角には黒い雲が立ち込めていた。

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ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] TAITAN @TAITAN

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