第64話「悪の帝国聖女Ⅵ」
「初めまして。西部を救おうとする方々。フィティシラ・アルローゼンと申します」
外套の端をちょこんと摘まんで軍装ながらカーテシーもどきを披露して、その場にいる人々に頭を下げて見た。
「「「………」」」
そこにいるのは三人の老人だ。
男が2人に女が1人。
老人2人に関しては恐らく報告書で読んだ事のある人物だろう。
「ラニカ。どういう事か説明してくれないか。予定とはお嬢さんの入場の仕方が違うようだが」
ノッポで白い口ひげを生やした商人風の風体の老人がそうラニカに視線を向ける。
「薬が効きませんでした。今、同じように薬が効いていない侍女の方が扉の前で待っています」
「成程。噂に聞きし、超人か。まるでバイツネード連中のような体質を持っていらっしゃるようだ」
「先日、バイツネードの一部の方々と平和裏に協同してバイツネード本家への対処を行う旨を契約して来たばかりです。色々と情報提供も受けております」
「ッ、はは……どうやら我々がお呼びしたのは帝国の姫ではなく。吟遊詩人達の物語の中の人物だったらしいな。オルカンよ」
「フン。誘拐したというよりは連れていけと言われて連れて来たような様子。ラニカ坊にはまだ荷が重かったか」
「あら、ラニカちゃんはよくやったわよ。我々の方が甘かったのでしょう。思っていたよりも、いえそれよりもずっと大物。大河の主から逆に釣られているのかもしれないわね」
筋骨隆々で元々は武人だったのだろう禿げた老人が溜息を吐き。
仕方なさそうな顔で品の良さそうな貴族の老婦人のようにも見える老婆が微笑む。
武人はオルカンと言うらしい。
「我らの事もその様子では知っているな」
「はい。西部ゼーテの【大敗将軍オルカン】とそちらの方は【血の商人ビザー】様ですね」
「ふふ、じゃあ、私の事は解るかしら?」
「済みません。事前に仕入れていた情報には無いようです。お名前をお伺いしても?」
老女が頷く。
「アロネよ。薬師をしているの」
「では、料理に混ぜられていたお薬は貴方の?」
「ええ、常人用の薬だったのだけれど、そう……バルバロスの呪いを受けた子の為の薬を用意するべきだったようね」
「興味深いです。これが終わったら、是非お話を聞かせて頂ければ」
「フン。自分が生きてこの場を出られると確信しておるのか。まったく、度し難いな。帝国の難物というものは……あの老人も相当だというのに」
オルカンが苦々しい顔になる。
「此処で帝国を本気にさせても、皆様に未来は無いでしょう。それに皆様も察しておられるのでは? もう計画はわたくしをこの場に連れて来た事で破綻しましたよ」
「……そうねぇ。あっさりとこの数年準備して来た事が水の泡になったような気はしているものね。私達……」
「どういう事だ。アロネ。解るように説明せい」
オルカンがそう老女に言う。
「解っている癖に……このお嬢さんが目覚めたまま連れて来られた時点で計画の修正が間に合わないわよ」
「これは商人の勘だが、ラニカよくやった……このお嬢さん相手ではお前には荷が重い。ここは我らに任せて下がっていい」
「いえ、最後までこの場に留まらせて頂ければ」
「父親に似て堅物だな。よかろう……それでお嬢さん。具体的には我々をどう止める気かな?」
「止める方法ならざっと8つは考え付きますが、ご聡明な皆様の姿を見て、考えが変わりました。本当に皆様が西部をあるべき姿にしたいと望むのならば、帝国ではなく。わたくしの手によって独立してみませんか?」
「「「………」」」
老人達が一様に押し黙る。
どうやら、彼らの許容量を超えたらしい。
「どういう事かな? お嬢さん」
ビザ―がそう訊ねて来る。
「そもそもの話ですが、わたくしは最初から西部を預かった時から、この地域にはわたくしの直轄領として帝国と切り離した独立国家として運営しようと思っていたのですよ」
「……帝国と小竜姫。これは同じではないと?」
「使い分けの問題でしょう。わたくしが統治を行う際の一番の原則は君臨するとも統治せずです」
「どういう事かしら?」
アロネが興味深そうに訊ねて来る。
「一定の環境や規則は用意しますが、後はその地域の人々が自分達の力で自らを統治するという事です。自主性を重んじるという事ですよ」
「その言葉はただのおためごかしではないと?」
「北部同盟は良い前例になりました。彼らは大原則として独立国であり、わたくしは彼らの後援者ではありますが、統治者ではない。彼らは彼らのルールをわたくしが決めたルールの上で造る。そして、今は改革と同時に発展の最中、という事です」
「西部にもその原則を導入すると? 帝国が黙って見ているわけが―――」
「あるでしょう? ビザー様……貴方は知っているはずですよ。帝国とは帝国大貴族の所有物であるからこそ、そういった原則論を無理やりに無視してこの30年は道理を蹴飛ばして来たのです」
「むぅ……」
商人であれば、無理やりに帝国貴族が悪い慣習と決めつけた事を発布一つで潰して見せる事くらいは理解の範疇だろう。
「だとしても、帝国の国庫に寄与する西部をみすみす渡すと?」
オルカンがまともな事を言ってこちらを睨む。
「残念ですが、帝国は大改革中です。改革案として複数の地方領を独立採算制で帝国本体から切り離し、現地の事は現地でやらせて……というのは可能な事の範疇ですよ」
「我々にはもう旨みが無いと?」
「旨みはあります。帝国を護る盾として使い潰す為の方策ですから」
「盾……我々に帝国の盾になれと?」
「独立自治、一定の裁量権、帝国からの影響力は薄れて、また独自の道も歩ける。無論、帝国へ大局的に資する限りでという制約は付きますが、十分な成果では?」
「それを与えられろ、と?」
ビザーが核心を突いて来る。
「もぎ取った果実というのはもぎ取り方で味に差が付くものですよ? 痛んだ果実を甘い甘いと自分に言い聞かせて惨めに齧るのは国民では?」
「ぐぅ……むぅ……」
オルカンが唸る。
どうやら、言われた事は理解出来たらしい。
「では、皆様に帝国というよりはわたくしが西部をどうしたいのか。に付いてをお話ししましょう。フェグ」
「はーい」
フェグが扉を開いてやってくる。
例のいつもの鞄をドスンと床に置くとゴソゴソと資料を大量に出して1人分ずつ老人達の前に並べ始めた。
「これは……」
ビザーが額に汗を浮かべる。
「わたくしが来たという事が如何なる状況であるか。そして、帝国からの独立がどうあるべきなのか。今のところの所有者からの回答です」
「最初から用意されていた。これは偶然かしら?」
「ええ、偶然です。いきなり独立しようという勢力に出会うとは思っていませんでした。予定としては貴方達のような方をこちらで仕立てる方策を考えていたのですが、別の国で流用する事にしましょう……」
「「「………」」」
「さぁ、手に取って、読み解いて下さい。それが終わったら、本格的なお話に入りましょう。長いので休憩を挟んでも結構ですよ。ああ、それまで屋敷内で軟禁されているのも効率が悪いのでラニカさんを連れ立って街に出ても?」
「「「………」」」
老人達が大きな溜息をほぼ同時に吐いた。
「御老人には厳しいかもしれませんが、老眼鏡も用意しています。まずは自分達の現状の把握から初めては如何でしょうか? 計画とやらをそれから修正しても遅くはないと思いますよ」
「―――」
ラニカは何か絶望的なものを見たような気分になったらしく。
肩を落とし、フェグは眠さも飛んだらしく。
また、ダラダラとこちらの頭に頭を載せてギュー状態でスリスリしてくる。
「貴方達は立派な為政者になれた方達なのでしょう。ですが、もう時代はソレでは対応出来なくなっている」
「時代、か」
オルカンが目を細めて、資料を見やる。
「新しい常識、新しい価値観、新しい戦略、新しい技術、あらゆるソレに対応せずして、貴方達は決して今の西部を導けはしません」
老人の誰もが不適な笑みだったが、汗を掻いていた。
「時代に置いて行かれる前にご自分の継承者でも作って、ご教育なさる事です。それが独立において一番の近道であるとどうかご理解を……」
「……ラニカ。後は任せる」
「は、はい……身命を賭して」
ビザーの言葉にラニカが頷く。
「賭さなくても、少し歳頃の女の子がお買い物がてら街の観光をするだけです。そう硬くならず。リリさんに案内を頼めれば幸いです」
「努力、しよう……」
三人の老人に頭を下げてから、フェグを引きずって現場を後にする。
何だか外では蒼褪めたというよりは震えた兵士の皆さんが何コレどういう事という顔でこちらを化け物みたいに見て来るものだから、苦笑しか零れない。
「お仕事お疲れ様です」
『は、はッ―――』
何とか敬礼で返した帝国軍内の西部派閥の兵士達を背後にラニカを連れて館を出る。
すると、既に待っていた馬車の中から眠そうな顔で目を擦りながら、リリがこちらを見付け、パッと顔を輝かせたのだった。
その後、兄のおかしな様子にどうしたのだろうという顔になったのだが。
こうして、滞りなくゼーテの街に繰り出す事になったのである。
*
「「「………」」」
ペラペラと資料が捲れる音。
老眼を補助する老眼鏡とやらの説明書を見て、それを使い出した老人達は黙々と西部独立試案と書かれた資料を見ていた。
「我らは道化か……ビザー」
「どうかな。ソレを決めるのは正しく我ら自身だと思うが」
「甘かった。我々が甘かったという事実だけで終わらせたくはないわね」
「左様。このままでは終われん」
「だが、これで我らの計画の第一段階は潰えた。あのお嬢さん。いや、小竜姫殿下を用いての帝国への脅しも使えなくなった」
「勝てんと言うのか? 我々が力だけでは……」
「解っていて言うのは野暮よ。オルカン……バルバロスの呪い。それもかなり強い……前に来ていたバイツネードなどお呼びではない階梯の力を持っているわよ。あのお嬢さん」
「お主が言うならそうなのだろうが、それにしてもあの歳でか」
「帝国は魔窟とはよく大陸の為政者が使う慣用句の類だと思っていたが、どうして……我々は魔窟から悪魔。いや、竜を呼び出してしまったようだ」
「そうねぇ。アレは難物で済まないわね。この資料……バルトテルのお偉方が見たら泡を喰いそうなくらいに内部事情が全部書かれてあるわ」
「軍事も経済も政治の内情すらも丸裸だ。どうやってこんな……帝国の情報網を侮った我らの敗北だな」
「知られていない事もあるにはある。だが、何だ? この数字は……これ程に緻密な推計……」
「それどころか地図を見て御覧なさいな」
「―――この地図一枚あれば、凡将でも勝てるな」
老人達が西部の集められた情報の数々に内心の勝てないという事実が無理やりに補強させられている事を理解しつつも読み進めながら、その思いを深くしていく。
そうして数時間後。
夕食時には彼らも帝国の聖女と呼ばれるようになったらしい物語の中の誰かが何をしにこの地へとやって来たのか。
理解出来るようになっていた。
「西部の独立は帝国国防戦略の一貫なのね」
「バルトテル及び反帝国勢力への防波堤だな」
「干渉地域国家。概念的には属国というよりは物理的な独立国領土による盾化か」
「我々の国が第三国からの盾となり、暗闘の主戦場になるわけか」
「だが、これを受け入れれば、西部もしくは第三国からの利益をも引き出す事が……」
「のらりくらりとどちらにも付かないと言い続ける事が仕事になるわけね?」
「そして、帝国は帝国の影響が強い壁となる国家によって仮想敵国の陸軍を阻み。我々の独立を脅かすものに対しては共同で戦闘を行う権利を得る、と」
「義務ではないところが重要なのでしょう。見捨てられる衣類扱いよ」
「だが、そう簡単に捨てられないよう努力しろと言うわけだ」
「我々が受け取る利益は独立国の地位と自治権」
「義務は帝国の盾」
「そして、その為の支援は制度、技術、文化面で推し進められる、と」
「「「………はぁぁ」」」
老人達は溜息を吐く。
「仮想敵国の軍事通行権を承諾したら、後ろから斬り付けられるな」
「ただ、逆に帝国の西部への進出も拒否して構わないとは言われてるわね」
「あくまで独立国の体裁な以上は当然の権利だ」
「現代の独立国がこんなに大変だとは思わないわよ。老人連中は誰も……」
「はは……これを見たら、後援者諸君は思わず昇天してしまうかもな」
老人達が一先ず切り上げて王城のある方角を見やる。
「王はどうされるつもりかな」
「あの子は敢て聞かなかった。そういう事でしょう」
「我々に出来る事は無い、か」
彼らは食事を摂ったら、またぶ厚い書類を読む事にしようと邸宅内の食堂に向かう。
ゼーテの命運は悪の帝国の前には風前の灯。
と、言うのであれば、彼らは喜々として資料を齧ったのだろうが、生憎と相手は悪党でも無ければ、善人でもない。
まるで老獪な政治家というよりは全ての理不尽を賭けの勝利で吹き飛ばす山師。
それもあらゆる情報を総合して勝利する勝負だけ戦っているような。
そんな感想を抱く相手となれば、彼らに出来る事は正しく賭け事が自分達へ有利に働きますようにとお祈りする事くらいなのは間違いなかった。
*
「ふふー♪」
「えへへ~」
「………」
両手に華とは言うまい。
片や現在進行形で帝国を裏切る最中な西部の重鎮の子女。
片や華というには近頃更に肉付きが良くなりつつある自分の被害者。
市街観光である。
要は露店のよく分からない素材で出来た原価3割くらいの加工品を片手に市街地の観光名所を巡るツアーだ。
ちなみにフェグは肉々しい串焼き。
リリは仄かに甘い果実を切り出して飴のように煮詰めて加工した果実糖という果糖を凝縮したものを棒に付けた棒飴を嘗めている。
だが、その背後で胃をキリキリさせているのは少女の兄であるラニカか。
「あ、あのお店のも美味しいんですよ。アロネ様達にも買って行っていいですか? お兄様」
「あ、ああ、勿論だとも。選んでくるといい」
「はーい。あ、フェグさん。一緒に選びましょう!!」
「いくー!! いい?」
「ええ」
二本の華が次の露店でお土産の素朴ながらも雑多で形も味も様々らしい色彩豊かなお菓子に群がっている間にもラニカが何かを言いたそうな顔になっていた。
「何か言いたげですね。ラニカさん」
「……貴女はどうしてそう自然体にしていられるのですか?」
「いつでも死ぬ覚悟と準備なら出来ているから、と言いたいですが……生憎とまだまだ準備が足らないので覚悟一つ出来ていません。でも、貴方達に殺されてしまうくらいに弱いつもりもありません。そういう事です」
「この状況下で、ですか?」
「ええ、わたくしを狙える位置の射手が3人に護衛兼襲撃役が8人。良い練度です。察するに西部ゼーテの正規兵から選んだ方々でしょうか?」
「―――」
ラニカがさすがに顔に出さないのは無理な様子で自分の未熟さを痛感したような顔になる。
「どうやら、アロネ様が言っていたようにバルバロスの呪いはお強いようだ」
「これでも苦労していますから」
「……貴女は西部の指導者となった。確かに多くの改革が今は西部で様々な問題を解決している。だが、しかし……それでは遅過ぎるのですよ」
「遅過ぎる? 改革が、それとも帝国が変わるのが?」
「どちらもです。だからこそ、我々は立ち上がる事を決意した。バルトテルも帝国への逆襲の為に動き続けていた。我々はその力をも取り込んで西部に新たな国を興す、はずだった」
ラニカが最後ら辺で唇を噛む。
「頓挫しましたね」
「ッ、まだそうとは限らないでしょう」
「いいえ、先程から何回か思考してみましたが、貴方達の計画には3つ程、致命的な問題があります」
「まるで我々の計画を知っているような素振りですが、貴女に何が解ると?」
「まず、バルトテルはゼーテを支援はしますが、帝国に汚染されたゼーテを途中で使い潰す方向で調整しているはずです」
「ッ、確かに我々はバルトテルの戦力を当てにしていた。だが、何処かで裏切られると?」
「ええ、確実に。バルトテルの情報も集めていましたが、あの国は宗教原理主義に陥って長い。ゼーテは独自路線を貫いていますが、それは宗教的な地位を得ないという大昔の確約からというのは歴史の資料で見ました」
「それは……」
「バルトテルの宗教はバルトテルが創始して西部に広めた代物ですが、殆ど寛容性に欠けている。【レヌン教】でしたか。北部で同じようなバルバロスを信奉する土着宗教はありましたが、アレを過激化させたような経典内容や厳しい戒律。明らかに異郷者は死ねと言わんばかりですね」
「………」
「それにこちらではバルバロスの呪いと言っていますが、あちらでは祝福と言うのでは?」
「ええ、確かに……そうです」
「バルトテルは国力で劣るが易い相手ではないゼーテの独立自治を認める代わりに傘下として税を徴収していた。ゼーテは敵と戦わない事無かれ主義と言われて久しいですが、実際には砂漠からこちら側を融和的に間接統治していたに等しい」
「よくお解りのようで……」
「此処で二つ目の問題です。西部は各地方都市や街や村が独自路線で動きつつも盟主という形でバルトテルの影響下にあった。前回の対帝国戦で痛んだ戦力の殆どはこちら側のゼーテ以外とバルトテル本国の戦力が半々くらい」
「それの何が問題だと?」
「ゼーテの求心力が下がっているのですよ」
「ッ―――」
さすがにラニカの顔色が悪くなる。
「現行、ゼーテが革命を主導すれば、西部は一応付いて来る、でしょう。ですが、まともな戦力にはならないとわたくしは踏みます」
「帝国憎しと思えば、それくらいは……」
「恐らく、背後から脅しでもしなければ、まともに戦う事は出来ない軍隊に仕上がるでしょうね。それともバルトテル本国の兵に脅させます? そんな兵士なんて正しく烏合の衆……数合わせ以上ではありませんよ?」
「………」
「そして、最後の一つですが、バルトテルはバルバロスの力を用いても帝国に負けたのです。この根本的な意味がバルトテルには解っていないという事が大きい」
「どういう、事ですか?」
顔に思いっ切り出ていたラニカが何とかそう返してくる。
「バルトテルの近年の動向に付いて情報を収集していましたが、本国ではどうやら帝国撃つべしの号令の下にバルバロスの増産。実際には増やすというよりは狩り集めていたとか?」
「それが一体?」
「バルトテルがもう一度戦う為に頼るのはバルバロスという事ですよ。それがどんなに致命的な事なのか。お解りになりませんか?」
「……言いたい事が分かり兼ねます」
「数は大事ですが、数の論理は基本的に戦力の質が同等。もしくは勝っていてこそなのですよ。そして、一度破れた戦略を単に大規模化して流用するのは戦略としては下の下です。勝ててもロクな勝利ではない」
「勝てれば、問題ないのでは?」
「生憎と帝国は進歩する国家であり、対バルバロス用の兵器などそれこそ試作品だけで軍部の倉庫が山済みのガラクタで埋まるほどあります」
「ッッッ」
ラニカが愕然とした表情になる。
「特に一度戦ったバルバロスに対抗する戦術、戦略は常に研究されており、兵器もそれに合わせて専門のものが開発されて次々に試験、実戦投入されていました」
「そんな……」
「それに帝国まで押し掛ける事をバルトテルは想定していない。帝国の恐ろしさはその戦力の強力さではないという事実を理解していないように思えます。近頃の最新の軍情報部からの現地報告書を読んでも彼らの装備には進歩が見られないとか」
「帝国は全てお見通しだと?」
「ええ、例えわたくしが貴方達を制止しなくても、帝国が数師団も送れば、バルトテル壊滅は時間の問題でしょう。その為の超長距離行軍の装備と兵站計画、バルトテル本国の強襲離脱、【無統治計画】までざっくりと何通りも計画書がありましたし」
それを聞いてラニカの顔はもはや崩れ落ちそうな程に歪んでいた。
「まぁ、恐らくはバルトテルも強いバルバロスのようなものを手に入れたか。もしくは投入する算段が付いたのでしょう。だから、ゼーテの目論見にも載った」
ラニカはもう何も言わない。
いや、言えないというのが本音か。
本当ならば、自分達は勝てるんだと主張する為の根拠を提示したくて口を開きたいはずだが、そんな事はこの祖国を愛する好青年には出来ないに違いない。
「ですが、生憎とソレもわたくしが来てしまったせいで意味を為さなくなる。これでもかなりバルバロスとは戦って来ました。今のわたくしならば、国を覆うよりも大きいくらいの敵でなければ、何とかなるでしょう。その為の装備は持って来たので……」
「貴女は……貴女はまるで本当に……御伽噺の、吟遊詩人達が謡う英雄譚の中のような事を言うのですね」
ラニカがそうもはや驚きも無く諦観のようなものを貌に滲ませながら囁く。
「単なる事実です。わたくしの計画で独立するか。貴方達の計画で無用な犠牲を出して独立するか。良く出来た代替案があるなら、そちらに乗るのは為政者ならば、義務ですらあるでしょう」
「我々を操り人形にすると?」
「少なからず、全部お膳立てはしますが、ちゃんと役目もあり、自分達で独立を勝ち取ったという体裁にも致します。為政者として個人の感情に判断を左右される者は二流でしょう」
「見知らぬ貴女の船に乗れと言われるのか」
「いいえ、自分で乗り込む価値がある船を見極める目があり、『自分で作ってないから、こんな船には乗れない』……なんて子供っぽい事を言う政治家が減るのを祈るばかりですよ」
「減らなかったら?」
「絶滅するよう戦うだけです」
「………」
「最も割を喰らうのは政治家でもなければ、貴族でもない」
「ならば、誰だと言うんです」
周囲を見渡してみる。
少なくともまだ西部には活気らしい活気がある場所もある。
という事実は確認出来た。
「今、この日常を懸命に生きている一般の人々ですよ。日々を暮らすのに精一杯の彼らに死や生活苦を負わせてまでやらねばならない事、なんてものは世の中に殆ど無いはずです」
「貴女の方が我々よりも上手くやってみせると?」
「ええ、勿論、貴方達の意見だって取り入れますよ? ちゃんと資料にもそう書いてあります」
「帝国の、貴女のような少女が? 戦う事すら出来るのか怪しい程に細いその躰で?」
「わたくしはわたくしの願いの為に戦う何処にでもいる人間の1人ですよ。貴方の戦場は貴方の人生にある。そこが日常でも戦場でも政治の場であろうとも、それに変りはありません」
そこでようやくラニカに怒気らしきものが見えた。
「誤魔化すな……貴女の力が我々の努力と涙の上にある力より強いと言うなら、それほどのものだと言い張るのならば、今すぐ帝国に殺された西部の人々を蘇らせてみろ……ッ」
声こそ周囲に注目されないように低かったが、それは正しく心底の声であるに違いなかった。
「わたくしには死者を蘇らせるだけの力がありません。そして、貴方が何処の誰を失っていたとしても、代わりを用立てられると思える程、上せてもいませんよ」
「くッ」
自分の幼稚さを理解しながらも言わずにはいられない。
正しく戦争という事象における被害者達の魂の叫びだろう。
「ですが、貴方の声は確かに頂きました。その声が何処でも叫べるくらいの国にはしましょう」
「自分を糾弾する者の口を封じる気は無いと? 馬鹿馬鹿しい……」
ラニカが視線を逸らして吐き捨てるように呟く。
大陸の為政者の大半は基本的にデフォルトでダメな方の独裁者思考だ。
帝国が異質なのであり、議会に歯止めが掛けられるとはいえ、帝国最大の独裁者が独裁者の癖に無感情で機械みたいな合理的判断を繰り返した結果、帝国は大きく為り過ぎた。
という事からもそれは事実である。
「為政者の一番最後の仕事は大勢の人間に石を投げられて死ぬか。もしくは石を投げられても、大勢の人に石を投げられる世界を用意する事では?」
「―――」
「さて、もう買い終わったようですし、行きましょうか。さすがに夜には帰らないと御老人達もお困りになるでしょうしね」
夕暮れ時。
白いレンガ造りの家々に夕日が映り込む。
黄金色の街並みは美しく。
これが戦火に呑まれる事を忌避する者の気持ちが分かるような気がしたのだった。
「おいふぃ♪」
「せめて、呑み込んでから喋らないと女性として色々と困りますよ」
選んだ菓子を口一杯に頬張るリスみたいなフェグに呆れつつ、ちょっとだけ控えめに頬を膨らませたリリが恥ずかしそうながらも幸せそうな笑顔になるのを見て、決断する。
(やれるだけやってみようか。帝国からの独立……それが本当にこいつらだけでもまともに出来るかどうか……)
いつだって、世の中はそんな些細な事で歴史が動くのだ。
生憎と現実でもそれは証明されている。
王太子を殺した青年のせいで数千万人が死ぬのなら、1人の少女のせいで国が一つ助かるくらいの事はやってみせなければ、嘘だろう。
いつだって、人生で一番最後に重要なのは数字ではなく感情なのだから。
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