第59話「悪の帝国聖女Ⅰ」


『ああ、ぼうや!! ぼうやぁあああぁあああ!!?』


『こんな!! こんな事が!? ああ、ああ!!』


『奇跡だ…………』


 ユラウシャを飛び立ったリセル・フロスティーナで北部中を回る事1か月半。


 行く前に竜騎士連中に手紙を届けさせていたおかげで視察と診療はスムーズに行えたが、驚くのは人間の生命力だった。


 鉱山で働く鉱夫の殆どが何かしらの鉱毒による中毒症状や煤塵による肺病に掛かっており、その周囲で生活する人々も同じような症状があったのだ。


 グアグリスによる診療は最初こそ、かなり悲鳴を上げられたが、奇跡の類だと何故か船の誰かが触れ回ったせいでスムーズに事は運んだ。


『おお、聖女様だ!! 聖女様だぁああ!!』


『我が村落にも聖女様がいらっしゃったぞぉおおお!!』


『ああ、聖女様!? お願い致します!! どうか!! どうかこの子を!!』


『うぉおおおお!!? ばーちゃん!! 分かるか!! オレだぞ!? 聖女様が病気を治して下さったんだぞ!?』


 投資先の大半でようやくグアグリスの破片から尾鉱ダム。


 つまりは鉱山で出た屑石を積み上げる露天掘りした湖みたいな場所の浄化が始まってはいたが、それにしても綺麗な飲み水の確保も開始されて間もなく。


 石炭を正しく用いる為の暖炉やパイプの製造ラインが稼働し始めたばかりの北部では寒さへの対策も十分ではない。


 それらの品が出回るまで今しばらくは空気にしても水にしても寒さにしても、今までの水準を抜け出すのに時間が掛かるだろう。


『ひぃいぃいぃ!? これを飲まねばならぬのですか?!』


『とうめいでぷよぷよしてるーあはは♪』


『命には代えられまい……く、行くぞ!!(ゴクリ)』


『ええい!!? 病で死ぬか!!(ゴポリ)』


 そんな状態であるからして、グアグリスの診療で死に掛けたりした人々に健康を取り戻させつつ、水と空気と食料の調達の仕方を予めアテオラの実家に刷らせていた新生活様式の書籍を文字が読める者に配布。


 健康を護り、仕事の効率を上げ、生存を確保するという単純にして現在では最も難しい事への対処法を広め続ける事になった。


「とことん、竜がいないと不便だな……」


 全ての国家でそもそも発電設備があるわけではない為、発電設備が完成している豊かな国を何度も経由しながら、各地に物資を竜で運びつつ、あちこちを回った。


 だが、大量の患者は大別して年齢から来る病気と鉱毒病、生活習慣病に分け、生活と今後の治療方針を明示。


 アテオラの祖国から医者が送られて来たら、見せるようにと総括した村落単位のカルテもズラリと書いた。


『ありがどうゴザヴィマズゥウゥゥウ!!?』


『ああ、この世には神が、女神様がいたのじゃな!!?』


『おお、おおおお、奇跡!! 奇跡じゃぁあああ!?』


『ウチの息子が、う、腕失くしたのに両手、えぐ、聖女様ぁあぁぁっっ。ありがどうござびまじだぁあぁあぁ!!』


『足が!? オレの脚がある!? あるよ母さん!!?』


 もはや、インクが足りないレベルで書き物が爆増。


 足りないなら造ればいいじゃないとばかりに炭を作ってわざわざ削り溶かして数百kgも備蓄する嵌めになった。


 こうして事前の準備で何とかやり切った苦行のせいで今や片腕は見ていなくても微細に文章を高速で書けるようになった。


 村落1つに付き20枚程。


 これを鉱山と周辺の鉱山労働者のいる集落分。


 もはや医者なのか指導者なのか聖女様なのか。


 という具合に崇められるやら畏れられるやらの一か月半。


「疲れた……いや、腕とか脚はいいが、心が疲れたぞ。絶対……」


「フィティシラ……ご苦労様」


 フォーエに労われつつ、ゼンドの上でグッタリ気味に北部最後の集落を出た脚で近場の十数km先にあるリセル・フロスティーナに戻る。


 この一ヵ月以上の連続飛行ですっかり船体に積んでいた兵器類以外の荷物が掃けた為、残っているのは銃弾と重火器くらいだ。


 ユラウシャで調合した戦争用の各種の化学薬品や火薬の類は将来的に来年の南部皇国の攻略に使う予定なので降ろして来た為、倉庫内の箱には変わりに大量の食糧と生活雑貨が詰まれた。


「お前は里帰りどうだった? 診療後は先に他のとこへ行ってたから、詳しい報告は後でいいが……」


「う、うん。姉さんも凄く喜んでくれたし、病やケガが治って殆どの人が仕事を頑張れそうって言ってくれてたよ」


「そうか。まともな労働環境が整備されるまで1年くらいは恐らく掛る。大仕事が終わったら、ちょくちょく帰ってやれ」


「……それはまだいいかな」


「どうしてだ?」


「だって、君が一番頑張ってる横で里帰りしてたら、一番大変な時に支えられないし……」


「言うようになったな……」


「これでもドラクーンの師団長だから」


 フル充電済みのリセル・フロスティーナの倉庫が開くと同時に内部へと滑り込むようにしてゼンドが着地した。


「お疲れ様でした。フィティシラ様!!」


 アテオラも一時故郷に帰っていたのだが、どうやら家では死ぬ程忙しく家族が印刷業に励んでいたらしく。


 早々に挨拶と色々な帝都での土産話もそこそこに切り上げて来たらしい。


「姫殿下が帰りました!! 発進して下さい!!」


「はい。貨物扉締まります!!」


 電動のモーターで貨物扉が閉まっていく。


 その扉の傍にはエーゼルがいた。


 この一ヵ月半で彼女が色々と試作していた成果だ。


 モーターさえあれば、後は原始的な回路を作って回すだけ。


 という話だが、それでもユラウシャでの子供達の世話の最中から自分にやれる事をと現地の工場で作っていたらしく。


 かなり出発がスムーズになった事は間違いない。


 今はリセル・フロスティーナ内部の点検と電気回路を用いた機能の改良案を毎日研究しながら、実装手順まで考えてくれている。


「ご苦労様」


「い、いえ、温かい飲み物を入れて来ます。先に操縦室の方へどうぞ」


「ああ、了解だ」


 取り敢えず操舵室に向かうとゾムニスが動かしていた。


「このまま北部最後の目的地に向かう。それでいいのかい?」


「ああ、石屑街だなんて言われてる。例の豚さんの元領地だ」


「一応、監督官が行っているという話だが、どうなってるのかは?」


「報告書は読んでる。かなり酷い。ただ、この艦の運用に使える質の高い石炭。それを蒸し焼きにしたコークスの生産はどうやら順調らしい。今は儲けを全部国民に還元してる最中だ。後は健康を取り戻して貰った後、環境改善用のグアグリスが何処まで仕事するかって話になってる」


「毎日お湯を使えるだけで脅威。いや、狂気すら感じるが……まだまだ帝国の聖女様は満足しないらしい」


「こんなのはその場凌ぎだ。本番は医療制度改革。国民皆保険、国民皆診療。そういう制度が出来て初めて問題が解決する。石炭だって使い道をロクに知らない馬鹿が余らせてたのをまともに使うようにしたってだけだ」


「馬鹿か。確かに……ウチの西部でも見ない類の悪党だったな。報告書を見た限りは……」


「石炭用のストーブは今、真っ先に北部の工業ラインに載せてる。殆どただ同然で配ってる最中だが、その後の事もまだ動いていない」


「来年か……」


「ああ、全部それからだ。来年を見られない人間を少しでも減らす為の努力をしてるだけで、まともな統治なんて言えないだろ。今は何もかも最低限だ」


「最低限で帝国が半分造ってるようなストーブと奇跡染みた健康と食料が転がり込んで来るのか。まったく、足りるという言葉を知らない人間は幾らでも見て来たが、与えているという事を知らない人間は初めて見たな」


「そんな大そうなもんじゃない。問題は山積みだ。まぁ、グアグリス関連で一応、新しい収穫もあったし、与えっ放しでもないさ」


 肩を竦める。


「今年の冬は雪も遅いようだし、今の動ける内に動かしておけるものを全部やっておくってだけだ」


 ゾムニスに後を任せて通路でエーゼルから魔法瓶を受け取り、その脚で私室まで戻って書き物を更に100枚前後。


 現行ではあらゆる情報を最速で通達し、命令するのに竜がいるという事実を鑑みてもこれ以上の速度で国家を動かしていく事は出来ない。


 それが解ってもやはり迅速な対応が出来ているとは思えない。


(電気と来たら通信。だが、そっち方面の知識は殆ど無いからな)


 特に無線機の類は完全に真空管をどれだけ使えるかという話になる。


 だが、生憎と原理的なものは知っていても、工業系の知識には疎いし、左程の興味も無かった為、殆ど帝都の研究者任せである。


 回路技術の最初期のものを船に用いているとはいえ、それでも真空管の類を使う個所はまだ技術的に色々と未熟で信用出来ない。


 総取っ替え可能なように配電盤で集めさせて一括管理出来るようにしているが、全てはこれからの研究成果次第だ。


(後はこれをどうにか応用出来るように発展させるしかないか)


 機械がダメなら生物でもいい。


 遺伝子の詳しい情報は分からなくてもグアグリスという感覚で使える生体改造ツールとしては最高峰だろう代物が現物で手元にあるのだ。


 遠くと通信出来ずとも生物の再現と応用が利けば、大概の事はどうにかなる。


 コマンドを考えて、単独で切り離しても運用出来る再現生物。


 それこそグアグリスの再現体はかなり有用に働かせる事が出来た。


 これを応用出来れば、情報の通信速度の遅さを補って色々な事が可能になる。


「………コレか」


 私室のテーブルの一部の仕掛けを引いて、研究用の瓶を用いた管理用の標本をバネで下から飛び出させ、内部を確認する。


 瓶には大きさと形も色々とあるが、ナマモノは基本的にはグアグリスで生成した水溶液とグアグリスの欠片を入れて保存している臓器。


 そして、血液のアンプル。


 最後にバイツネードから引っこ抜いたバルバロスの一部が入っていた。


 一応、個人的に研究しているのだが、最も興味を惹かれるのはマルカスから引き抜いた丸い脊椎に埋まっていた球体だ。


 他は爪や歯や骨、内臓器官の一部などが多い中。


 マルカスのソレだけは何処の部位か分からなかったのだ。


 本人曰く。


 分家を統括する家の当主に本家が埋め込むバルバロスの力の塊という話。


 だが、力って何だ?


 という事でグアグリスで表面から採取した微量な試料を復元しようと試みたのだが、どうやら遺伝子を持つ物体では無いらしい。


 紅い色をした石状の何か。


 生物の一部なのだろうが、遺伝子を持たないというのもおかしな話だ。


(これらの事から考えるにバルバロスが生体で生み出せる遺伝子を用いない成果物……超重元素の凝集した老廃物の結晶、とかが有力だが……)


 何にしても設備が整っていない場所ではどうやっても軽く実験出来ないので今も保管中なのだ。


 ちなみに他のバイツネードのバルバロスの一部は一応、再現可能な事はグアグリスを用いて確認している為、その能力を取り出す事や再現は可能だ。


 特に有用なのはファーナの喉だろう。


 バルバロスの力を引き継いでいる移植無しでの超人枠。


 その力は弱いらしいが、それでもバルバロスの誘導に使えるだけで十分過ぎるし、それをグアグリスで適当に強化して使うのも可能と判断していた。


「さて、そろそろ……」


 街まで2時間弱。


 今の内から降りてからの即時展開の為の準備と洒落込もう。


 と、思っていた時だった。


 ドガンッといきなり船体を衝撃が襲う。


「何だ!?」


 いきなりアラームが艦内で慣らされる。


 非常呼集。


 すぐに外套を被って完全武装で操縦室に駆け付ける。


 凡そ30秒後、操縦室はアラームが鳴りっ話になっていた。


「何処を損傷した!!」


 ゾムニスの他には駆け付けて来たウィシャスの背後からゾロゾロと人が集まって来るが、すぐ脱出する算段も立てて置けと叫んで各自の持ち場と仕事に向かわせる。


「どうやら何か落雷のようなものに当たったようだ。


 複数のランプを見る限り、辛うじて電気系統はやられていないようだ。


 しかし、雷でいきなり上部のガスが爆発という事は考えられる。


「高度を落とせ!! 速度も減速だ!! 超低空飛行で山間を抜けろ。墜落した場合の衝撃を考えて、全艦対衝撃防御!! マニュアルA2を発令する!!」


 ウィシャスがすぐに背後から消える。


 即座に命令は行き渡るだろう。


「何があった? いきなりか?」


「ああ、いきなりだった。稲妻が横に光ったのが見えた」


「横に?」


「ああ、どうする?」


 現在高度は地表から400m。


 速度は時速20km。


 更に高度を落とさせながら、夕闇に暮れる世界に何一つとして雲が無い事を確認するが、雷撃らしい衝撃は確実にあった。


 それならばバルバロスの類かもしれない。


 ゾムニスに緊急に不時着可能な場所を見付けていつでも飛べる状態で降りるように言って待機部屋にいたフォーエに仕草だけで伝えて共に走る。


 既に貨物倉庫の緊急解放にエーゼルが待機していた。


「すぐに飛び降りられるように装備は付けたな!!」


「は、はい。い、一回もやった事無いですけど、が、頑張ります!!」


 もしもの時は艦の上から脱出する事になっていたのだ。


 まぁ、高高度で出来る場合に限っての話だ。


 地面までの距離が短いのならば、不時着の方が安全である。


「フォーエ!! 敵がいると仮定した場合、雷は照準が完了した時点で回避出来ない。防御はこっちでやる。火薬と薬品を使う装備は全部捨てろ。ゼンドも身軽にしてやれ。速度で躱せる限りはそうする」


「う、うん」


「電撃系のバルバロスはまだ出会ってないとはいえ、それでも準備は馬鹿にならないな……ホント」


 木箱から小型のモーターを一つ取り出す。


 工業製品としての超強力な磁石は現行帝国の技術では作れない。


 だが、レアアースを用いて、試作を繰り返した結果。


 それなりに強い磁石は作れるようになった。


「どうするの? ソレ」


「磁石そのものには電気を蓄えておけないが、引き寄せたり、曲げたり出来る。相手の目測を狂わせるには丁度いい囮だ。こっちの触手に持たせて、根本は絶縁体で覆えば、直接接触してても流れて来る電圧電流はかなり減る」


 いつもの触手に命令という名のコマンドを打ち込んで身体から切り離し、鎧の肩の部分にくっ付けておく。


 金属製だが、絶縁用の塗料が塗られている為、ちょっとやそっとでは感電しない。


「その……肩から透明なのが黒い棒を持ってるとか。かなりアレだよ?」


「解ってる……だが、この粘体も9割9分は水だ。それもかなり不純物が少ない。自然界には殆ど存在しない純水は絶縁体だからな。行けるには行ける」


「よく分からないけど、必ず船を護ろう。一緒に」


「ああ!! 出るぞ!!」


「お気を付けて!!」


「他の連中にはまだ出るなと伝えておけ!!」


「了解です!!」


 エーゼルがボタンを押した途端、扉が開いて風が吹き込んで来る。


 そのままゼンドに2人乗りで即座に出た。


 途端、猛烈な閃光。


 左肩の先にある粘体の保持する電磁石の周囲で歪んだ雷が直撃し、瞬時にグアグリスが焼き切れて磁石毎落下していく。


「左だ!! 突っ込め!! 近接に持ち込むぞ!!」


 瞬時に遠距離戦は不利だと接近支持を出し、もう片方の肩から出ている電磁石を前に翳すにして数秒後。


 再度の雷撃。


 さすがに両肩がビリビリするが、それだけだ。


 どうやら雷撃そのものの電流電圧は本物の雷には及ばないらしい。


 相手が金属を弾く事を想定して、木製の籠手に仕込むタイプの連射式なコンパウンド・クロスボウ……機械式でハンドルを後ろに引く度に連射出来るボウガンで相手の眼前を射る。


『!!?』


 敵はバイツネード本家の人間だろうか。


 黒尽くめな上に竜まで黒い。


 恐らくは磁石の類を纏う竜。


 片手に付けられる程度の機械式の弓など何するものぞ。


 と思っているのだろうが、甘い。


 接近し、一切の金属を使わない弾体にはたっぷりと生物毒が仕込んである。


 そして、こちらの瞳は既に相手の全身の状態を捉えていた。


 発電器官マシマシ竜と名付けよう。


 全身の磁化した錆びを纏うような黒い鱗。


 爬虫類型な竜は細身に見えるが、全長だけで2mはある。


 こちらに顔を向けており、ついでに瞳も口も開けっ放し。


 金属製の武具ならば、無双出来るかもしれないが、生憎とこっちの武器は硬木とセラミックが主原料だ。


 弓を続けて三回ハンドルを引いた途端。


 相手は回避どころか突っ込んで来て、一射目は左目に直撃。


 二射目は口内に直撃。


 三射目は外皮で逸れた。


 殆ど交差するように互いに擦れ違って数秒後。


 断末魔の悲鳴と共に黒い竜が地表へと緩やかに落下していく。


 それを回転して追うようにして地表に向けて加速。


 続けて変異していた片腕の先から例の白い竜の鱗を使った剣を生成。


 肉体の質量が微妙に2kg程減った事を実感しつつ、それを背後から投擲。


 竜の背中にぶっ刺さった途端に相手が高度を維持出来ずに墜落。


 凡そ上空10m程の高さから急速に落下して針葉樹林の森へ。


 それを追って着陸し、先行して相手に近付くと黒い竜はもはや蟲の息らしかったが、まだ生きている。


 周囲には投げ出されたらしい相手が見えた。


 体内から微弱に見える電磁波や温度から骨格の損傷が無い事は確認出来る。


 内臓破裂で即死という事も無いだろう。


 樹木がクッションになっていたところは見ている。


 精々が重度の打撲で筋肉が壊れ、急性腎不全で少し危ない程度。


 すぐに竜に近付いて片腕から伸ばした触手で内部から矢を引き抜き。


 ついでに侵食しつつ、毒の回った部位からゆっくりと毒を吸い出しつつ、剣を竜から引き抜いて、解毒していく。


 浸食しながら神経系を掌握。


 体内から進行していた毒による細胞の破壊を止めつつ、内部構造を触診と瞳で見ながら理解しつつ、脳髄付近までを完全に制御下に置いた。


「これで良し。情報源が増えたな」


「フィティシラ!!」


「まだ来るな。後ろにいろ。そこのヤツはまだ死んでないし、何なら生きて逆襲してくるぞ。少し後方に下がってゼンドと一緒にいつでも逃げられる態勢になっておけ」


「う、うん」


 黒竜を放り出し、黒い鎧を身に着けた相手を見やる。


 どうやら気付いてはいるらしい。


「無駄だ。ゆっくり両手を上げて起き上がれ。起きてるだろ」


 と、言いつつも相手が何かをする前から地面を伝わせてグアグリスの枝で相手の足元から侵食を開始し、鎧と服の間から細いクラゲの脚でそっと肌に触れる。


「く………」


 ゆっくりと両手を上げて躰を起こした黒い鎧の相手はよくよく見れば、まだ十代のようだった。


 十代後半か前半。


 15くらいだろうか。


「兜を脱げ」


 相手がそれを実行に移すと見せ掛けて、腰の短剣で喉を掻っ切ろうとした。


 勿論、自分のだ。


 だが、その短剣はそもそも腰に無く。


「な!?」


 手癖の悪い感じに使えるようにもなったグアグリスの触手が短剣を相手の背後から森の奥へと蟻が獲物をリレーするように運んで隠してしまう。


「言っただろ。無駄だって」


「ッ」


 相手が瞬時に舌を噛み切って窒息しようとしたが、それすらも無駄だ。


 もう首から上も下も神経で掌握されていない場所は無い。


「だから、無駄だって……」


「ッッッ~~~~!!?」


「そんなに死にたいなら、人の役に立ってから死ね。少なくとも誰かに感謝されてからな」


「何をッッ!!?」


 兜を触手で後ろから脱がす。


 相手は何をされたかも分からず驚くばかり。


 だが、その驚く顔は儚いくらいに少女であった。


 背丈は自分より10cmくらいは上だろうか。


 だが、事前に肉体を侵食していた時に確信した通り。


 まだまだ中学生くらいに見える。


 縮れた赤毛に厳しく強い眼差し。


 肌は褐色だが、微妙に斑模様で白い部分が混じっていた。


 どうやら病気らしい。


 遺伝病の類らしく。


 肌そのものには何ら問題は無かった。


 犬の毛色の模様みたいなものだろうか。


 頬や喉や顎、額の下などに白いブチが付いている。


「クソ……殺せ、殺せ……」


「はい。そうですかと殺してやれる程、善人じゃない」


「ッ」


「お前には情報源になって貰う」


「イクリアを殺しておいて!! 私は殺さないのか!?」


「はぁ?」


 思わず声が出た。


 こっちを極めて憎々し気に見た少女は自分の相棒らしい黒竜が……何故かピンピンした様子でこっちを見ている事に気付く。


「え?」


「取り敢えず、何処の所属だ?」


「………」


「言わないなら、勝手に調べさせて貰うぞ」


「な、何をするつもりだ!?」


「死体からでも情報は取れるんだ。是非とも生きたまま自分の口から情報は喋って欲しいもんだな」


「ッッ、デュガシェス様の仇!! ノイテ隊長の仇!! クソ!? 私は何て無力なんだ!!? ぅぅう……」


「はぁ? ちょっと待て、お前……」


「どうにでもしろ!? 何も喋らないぞ!?」


 ポタポタと少女が涙を流して悔し気にこちらを睨み始めた。


 いや、今一番大事な情報をぶっちゃけたよね。


 というか、どうにでもしろというのはこっちの台詞である。


 投げやりに全部投げたくなってしまうレベルで誤解甚だしい。


 背後にバサバサと竜が降りて来る音。


 小型の2m程のゼンドと同じタイプの鳥竜から降りて来た2人。


 メイド服に鎧を着込んだデュガシェスとノイテがこっちを見てから、もう泣き崩れている相手の顔を見て、「は?」みたいな顔になる。


「お前……アディルか?」


「え……?」


 顔を上げた少女がデュガシェスとノイテを見て、驚愕に目を見開く。


「おーアディだなー♪ 泣き虫アディル、泣き虫は治ったか~♪」


「え? え?」


 いや、それはこっちの台詞なのだが。


 少女は理解不能な状況に混乱している。


「まさか、ウチの元隊員ですか。すっかりバイツネードだと思っていましたが……」


「たい、ちょう?」


「久しぶりですね。アディル……まだぶちは取れそうに無いですね」


「た、隊長……デュガシェス様……ぅ、お二人とも生きて……っっ」


 ワンワンと少女が犬何だか泣き虫何だか分からないレベルで泣き始めた。


「あのなぁ……」


 思わず溜息が出た。


「……あ~~もしかして、さっきのってアディが?」


「でしょうね。それにしても黒竜【イクリア】ですか。我が国でも100頭いない上級士官の一部にしか配給されない竜なのですが」


 泣いて聞いていないアディルというらしい少女はデュガに傍でおーよしよしと撫でられて、更に涙を零してワンワン泣き始めた。


「……お前らが責任持って艦内まで運んで来い。毒も傷も治しといた。はぁぁぁ(*´Д`)……三時間は時間がズレ込むな。応急修理中はフォーエと一緒に先行しておく。後から追っかけて来てくれ」


「了解しました」


「フォーエ!! 艦内に戻ったら、持つもん持って先に行くぞ!!」


「う、うん!! そ、それにしてもいいの?」


「一々、咎めてたらオレの血管の方が持たない。こっちは忙しいんだ!! 貴重な時間を使わせてくれた借りは後でこいつの元上官殿達に支払って貰おう」


「あー何かごめんだぞ……」


 デュガシェスが済まなそうにして、ノイテが泣く子には勝てぬとばかりに首を横に振って肩を竦めたのだった。


 *


「ご、ごべんなしゃい゛ィぃいぃ!!? もうびばぜぇええん。ふぐぅぅうぅぅぅぅぅぅ!!?」


 怒る気も叱る気も失せるアディル・ベイガというらしいぶち犬っぽい少女の泣きっぷりにもはや食う気も失せた食事時。


 結局、石屑街と俗称される例の豚さんから買った都市国家では7箔する事が決定した。


 船は応急修理したはいいものの。


 雷撃で何処がどうなったのか細かく見ないと詳しい被害状況が解らないという事でエーゼルが調査だけで数日掛かりになると報告をしてくれた。


 街の周囲には充電設備が無い為、本来は一端北部同盟の中央付近にある基地に戻るべきだったのだが、大電力を供給してくれそうな竜が手に入ったので被害報告後に帝国へ一端戻る事で大筋の進路を決定。


 全てエーゼルの報告書待ち状態で小休止になった。


「(まったく、此処で足止めか………)」


 元王城にして今は街の鉱夫達を集める会議所になった場所では奇跡の大安売りが終わって以降、次々に街の有力者達が顔を出しており、応対せざるを得ない状況になっていて、それに対応していたら、もう2日目の夜になっている。


『おおお、めしいた目が、おおおお、何と神々しいお姿……』


『帝国万歳。ああ、帝国よ。永遠なれ』


『帝国の聖女様じゃ~~ありがたや~ありがたやぁ~~~!!』


「いえ、全ては皆さんが艱難辛苦に耐えて来た賜物ですよ』


『聖女じゃヴぁぁああ!!? う゛ぉ゛ぉぉおぉぉぉ!!!?』×一杯の御老人s。


 爆泣き老人会みたいな有様でお年寄りに縋られまくりとか疲れる事この上ない。


 結局、街での数時間遅れて始まった住人の治療が終わったのは8時間後だったが、その後にも感謝感激帝国万歳アイラブユーな人々の応対で忙殺された。


 徹夜で重病人のいる場所を回るやら、現場で次々に症状の重い連中を見るやらしていたら、すっかり夜明け。


 広場で軽症者の群れを見ている内にリセル・フロスティーナが寄港。


 人々は巨大な浮かぶ船を崇めまくるレベルで貢ぎ物を持って来て、涙ながらに平伏しまくり……塩対応するわけにも行かず。


 お仕事モードで贈り物は少し受け取って後は祝いの席に使って欲しいと笑顔も引き攣りそうな連続業務が続いた。


 ようやく何もかもが一段落したのが二日目の朝。


 鉱山の操業は現在停止している。


 町中が病が治った事にお祭り騒ぎになっている最中、帝国の監督官からの報告と新業務、新労働形態と労働環境の改善報告を受け、食事の時間をようやく取って、一息吐いた時……先程の言葉が聞こえて来たのだ。


「え、え~~っと、ちょっとした手違いというか。ちょっとした間違いというか。勘違いだったから、許してやって欲しいぞ!!」


 視線を逸らしたデュガの言葉から恐らくは軍団長と先日色々やり合った時の事が歪んで伝わったのだろうという事は理解する。


「昔から早とちりする器質の子でして。前はウチの小隊にいた事があり、戦後は離れていた為、あまり状況は知らなかったのですが……どうやら、戦争で功を立てた事から竜騎兵として昇進したようです」


「……あぁ、今後こういう事が無いように言い聞かせてくれ。それとイクリアとか言う竜は……悪いが、今回の一件の代償として引き渡してもらう。もし、嫌なら仲間になれと勧誘しとけ。オレは食ったら寝る……はぁぁ……」


「疲れてんなー。ふぃー」


「体が疲れなくても心は疲れるんだよ。お休み」


 食事を食べ終えたのは僅かに岩壁を刳り貫いた王城の前。


 滞空する船の傍に作った応急修理用の簡易修理場での事だ。


 元々は王を讃える広場である。


 中央にある噴水の横にはぶっ壊された跡があり、台座の上には元々悪趣味な銅像が立っていたとか。


「(恐らく竜の国の方の軍団外縁だな。あの軍団長の差し金ではないと考えていい。組織だった誘導は恐らく受けてる。そうでも無きゃ、船の航路を推定出来ない。竜騎兵の哨戒範囲もまだ基本は高高度を想定してない。となれば……極めて面倒だな)」


 現行では竜騎兵の運用はあちらが三枚も四枚も上手なのだ。


 見えざる竜で情報収集されるより、こちらの動きを高高度の竜騎兵で観測されて、一々報告される方が実質的には痛いと思うべきだろう。


 船の修理用の大きな更地としては有用だった為、艦内から出た全員でしばらく滞在する為のテントや食料の調理用のスペースを確保している。


 だが、この状況でもしも相手がこちらの方を見ていれば、冷静に観察する余裕もあるはずであり、中々にして情報を集積されていると見て間違いない。


(戦い方まで観測されるのは困ったもんだ。取り敢えず、観測者狩り用の戦力増強は必須だな。後で竜騎兵の訓練内容増やしとくか……)


 ただ久しぶりに一か所で長期間の逗留である。


 慣れない操船を続けさせて、哨戒活動もやらせていた分、クルーのリフレッシュを図るというのも良い選択ではあるだろう。


「それでは、我々はこれで」


 ノイテがもう一度頭を下げさせてからデュガと共に少女を連れ立って船内に消えていく。


 アディは土下座を終えた顔をノイテのハンカチで拭って貰いつつウンウンと何度もしませんしませんと呟いていた。


 そそっかしいなーという顔のデュガに肩を叩かれて、ペコペコ頭をこちらに下げる様子は死も覚悟したようだ。


 まぁ、一日もあれば、誤解は解けたし、誤解後に血の気が引くのも早かったわけである。


 今も小さな絨毯くらいありそうな小型の浮遊するボードに腰掛けたエーゼルが艦の外装にチェーンを掛けて固定しつつ、被害の点検と応急修理した場所以外の状態の確認で忙しく働いている。


(もう、ここはしょうがないと割り切って休むのが吉か)


 勿論、行くのが遅れる各種の機関組織個人に対して現地の竜騎兵を通じてお手紙配送ネットワークを使うのも忘れない。


 個室に戻って取り敢えず寝ようとしたら、黒猫が一匹。


 机の上で尻尾を揺らして待っていた。


「何だ? 今日はもう次に食事の時間になるまで寝たいんだが……」


「マヲヲ~~」


 黒猫がテシテシとテーブルの上を叩く。


 すると、其処にはいつの間にか地図が広げられており、黒猫の指先には黒いインクが付いていたようで、その地図の一点がチョンチョンとマーキングされた。


「何かまた来るのか?」


「マゥヲゥヲ~~」


 違う違うと首を横に振った黒猫が地図の上の……現在地と街の先にある鉱山の一角に線を引く。


 矢印の先にある点には大きく〇が書かれていた。


「宝の地図でも造ったのか?」


「マヲ~~~♪」


 当たり的な声だった。


 仕事したぜ!!


 と言う顔の黒猫がシタタッと床に上に降り、ドアを開けて出て行った。


 バタンと扉が閉まる。


「………寝た後でいいよな? いや、宝なら緊急性は無い、はずだ。ああ……もう……三十分だけ……」


 眠気が押し寄せて来る。


 電池が切れたと表現するべきだろう素早さで寝台の上にドサリと墜ちた。


 *


―――北部同盟加盟国エオリオ王国。


 大陸北部においては所謂赤貧貴族や赤貧王族と庶民に陰口を叩かれる者達は一定数いる事が知られている。


 旧い時代の祖先がやらかしたせいで領地が限界集落並みになったとか。


 大陸基準で王国の要件を満たせなくなりそうなくらいに国民を失ったとか。


 故に多くの貧乏国家の重鎮というのは並みの国家の貴族にすらも舐められる事が多々あるとされる。


 それだけに彼らの誇りを重んじる文化は並々ならぬものがある。


 祖先から引き継いだ資産の維持の為に家族を売る事くらいは平気でしてしまう者達もいれば、泣く泣く家族の為に宝を売ると言う者もいる。


 だが、真逆の事をしていても共通するのは何を誇りとして、何を護りたいかという点では違えど、誇りにこそ重点を置くという事だ。


「何故ですか。お父様ぁ~~~それは、それは!!」


 北部同盟の成立以降。


 次々に帝国から濁流の如く北部の国々に卸され始めた品々と技術と叡智は今や各地に新たな産品や工業製品を造る工場を打ち立て。


 赤貧な貧乏貴族、王族達に新たな風を起こしつつあった。


「ええい!!? 放せ!! これを売り、少しでも誘致する工場を大きくせねば、次の時代に乗り遅れるのだ!! 本当に必要ならば、また買い戻せばいい!!」


 今や先祖伝来の宝物は十把一絡げに北部中で売りに出されている。


 王達の誰もが自らの領地に新たな工場の新設を願い。


 その上で経済を上向かせようと初期投資の為の種銭というものを求めていた。


 こうしてボロボロな王城に入る商人達が次々に宝物と引き換えに金を貸して、最低限以上の設備を整えようとしている以上。


 宝物の値段は割安。


 ついでに儲けの大半が地域の生活とその質の安定と向上への再投資に割り振られるという契約の関係上……彼らが遂に儲けというものを受け取るのは長い時間が掛かる事だろう。


 最初に潤うのは生活困窮者であり、生活の底上げが地味に彼らの毎日の人生を押し上げるのも長期での事であり、短期的な利益は上がらない。


 という話はちゃんとされていたのだが、今も生活に困っている貧乏国家の王族や貴族達にはあまり耳に入っていない


 こうして多くの王城からは宝物が運び出され、嘗ての栄光は競売で物好きな金持ちに引き取られる事になる。


 しかし、その日に王城から運び出された一つの箱については伝説や伝承が戦乱で失伝していたとはいえ、それでも売るべきでは無かったかもしれない。


 見た目には古びれた美品の箱。


 だが、商人の荷馬車からポロリと落ちた箱が壊れた時、大陸北部ではふと気付く者が現れた。


 それは旧い時代からバルバロスの力を利用してきた民の極一部。


 彼らはバイツネード程では無くてもバルバロスの能力を用いられるタイプであり、その感覚には特大の危険信号がバンバン感じられていた。


 その日、エオリオ王国と他国の国境付近で商人の率いる数名の商隊が消息を絶ち……そこから疫病の如く周辺地域に危機が広がる事になる。


―――キシキシキシキシ。


 そんな音を響かせて、ソレは小さな村々を襲い始めた。


 襲われた村々から逃げ延びた人々は口々にこう叫んだ。


『鋼の生えた人や獣の化け物に襲われた!!』と。


 それが如何なる姿なのか。


 実際に見て戻る者が未だ無い状況下。


 竜郵便によって異変はすぐに北部同盟域内に広がっていく。


 新たなバルバロスの到来によって、北部同盟の運命はゆっくりとまた転換点へ向けて加速し始めたのだった。

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