第34話「贖罪」


 ゼドゥルカはアテオラが言う限り、良い国らしい。


 それは話したゼドゥルカ王が賢王の部類であった事からも間違いない。


 穏健派であり、堅実な政治とまともな貿易立国として目立たない。


 だが、その存在感は何処の王も感じる国。


 恐らく北部で唯一戦争を吹っ掛けられない立ち位置の国。


 それがゼドゥルカだった。


 街並みは一見して木造と石作りの二つ。


 だが、街並みの美しさこそないが、合理的な配置の市街地と防衛施設と整備された道にある倉庫街などを見れば、理路整然とした様子が見て取れる。


 全体的には紅レンガを用いた建築が目を引き。


 市街の賑わいも大国に負けていない。


 一つ重要なのは風営法がまともで路娼のような商売女が道端にいない事。


 そして、浮浪児や浮浪者がいない事である。


 その理由が他国と戦争をこの数十年せず。


 家族を失うモノが少なく。


 国営の老人施設がまともに運営されており、医者が国民比で見れば、圧倒的に多いからというのならば、それはまったく恐ろしいくらいに他国が畏れるべき事だ。


 軍事力を犠牲にして国内の内需と何処の国からも必要とされる地位に治まり、距離感も間違えずに付き合い続ける外交努力と人道支援。


 まったく、他国に見習わせたい部類である。


「着きましたよ!! 此処が我が家です!! フィティシラ様」


 アテオラがニッコリしつつ、郊外にあるそれなりの大きな屋敷にやってくる。


 二階建ての石作り。


 レンガも積まれていて、帝国風の貴族の中規模な邸宅と言ったところだろう。


 ドアがノッカーで三回叩かれるとすぐに内部から使用人らしい中年の女性が出て来て、アテオラを見て慌てて抱き締めると旦那様ぁ~~~と大声で主を呼びに行った。


「どうぞ。応接室に御通しします」


「ああ、頼む」


 ノイテとデュガ以外は来ていない。


 宿屋の確保と此処まで乗って来た商会に借りた馬車の番。


 更に疲れているだろうゼンドの番があるからだ。


 しばらく通されたそれなりに立派な応接室で待っているとすぐに先程の使用人の女性がお茶を持って来て、畏まった様子で頭を下げて戻っていく。


「実家は落ち着くか?」


「あ、はい。何か今までの事がまるで嘘みたいです……こんなに大きな御仕事を家の代表として任されて、あんなに沢山の人達と御仕事して……お役に立てたなら、これ以上に嬉しい事は無いです。はい……」


 少しだけ恥ずかしそうにアテオラが微笑む。


「そうかそうか。良い経験になったようで何よりだ」


「お爺ちゃん!? ただいまです!!」


 そう扉の先から声が掛かる。


 開かれていた応接室の扉の先から初老の男が1人やって来ていた。


 白髪に口ひげを蓄えた仙人染みた様子。


 枯れ木の枝よりは古木を思わせる力強さのある肌。


 年老いたとはいえ、ガッシリとした体付きは昔は山男だった事を彷彿とさせる。


 鋭い視線を持つ老人が抱き着いて来た孫を撫でてこちらに微笑む。


「フィティシラ・アルローゼン姫殿下、ですな」


「ああ、お初にお目に掛かる。サリエル・イム・イオ長老」


「はっはっは!! 長老などと。単なる王の相談役の1人でございますよ」


 サリエル。


 帝国の悪虐大公たる自分の祖父と親交のある男。


 数十年前の大隧道の開発計画で大事業の行く先を決める調査を行い。


 資料を纏めた巨大インフラ事業の第一人者。


 調べてみれば、正しく北部諸国を通る道の殆どに関わった物流の力を誰よりも知っているようにしか見えない真っ黒な男。


 それが正しく目の前の柔和で快活そうな老人に違いなかった。


 貴族風のタキシードに身を包んでいるとはいえ。


 それが余所行きの代物でないのは年季が入っている事からも見て取れる。


 だが、皺一つ無い服を見れば、相手の几帳面な性格も分かろうというものだろう。


 御爺様が話しを持って行くのも頷ける。


 正しく、北部諸国の現状を作る場合、この男がいなければ、成立しない話は極めて多いのだ。


「孫はお役に立ちましたかな?」


「ああ、今回の旅でこの子がいなかったら、途中でオレは死んでただろう。本当にその事に関しては感謝してもし足りない」


「そ、そんな!? 大げさですよぅ!?」


「今後、もしもイオ家が良ければ、我が国に彼女を国費留学生として招待し、アルローゼン家に逗留して貰いたいと思っている」


「え? ええ!?」


「ほぉ、良かったのう? アテオラ」


「あ、う、え、そ、その、あぅ~~~!!?」


 思わず目を回した孫娘に苦笑して、使用人の女性を呼んだ老人が寝台に寝かせておいてくれと苦笑しつつ、扉を閉めて、対面に座った。


「孫娘をいたく評価して下さり、誠にありがとうございます。姫殿下」


「いやいや、事実は事実だからな。それで本題に入るが、オレを殺せと金で雇った商人を動かしてたのはアンタか?」


「何の事ですかな? それにしてもお命を狙われていたとは……いや、驚きです」


 老人はまったく寝耳に水だと言わんばかりのリアクションだ。


 だが、相手の表情は老獪だが、瞳の様子や僅かなリアクションは誤魔化せない。


 人間の真理は人間の仕草や視線に現れる。


 嘘を吐いているのならば、生憎と臨床心理学を齧ったこちらには通用しない。


「オレがそう思う合理的な理由を4つ教えよう。一つ。オレが北部に干渉しちゃ困る連中を王様連中から洗い浚い聞き出してみたが、殆ど見当たらなかった事」


「ほうほう? どのような推理をしたのかお聞かせ頂きましょう」


 相手はあくまで冗談を聞く体だ。


「二つ。オレの目的を推測出来るレベルで情報を集めてた人間が殆ど見当たらなかった事」


「つまり、姫殿下に注目していた者が誰もいなかったと」


「いいや、誰もじゃない。殆ど、だ」


「………」


「三つ。オレを殺すのに大量の金と人間を使える立場のヤツが今まで調べた二つの中のリストに殆どいなかった事」


「最後の四つ目はなんですかな?」


「オレがあの時間、あの場所に来る事を予測出来る情報を持ってるのがたった一人しかいなかった事だ」


「どういう事でしょうか?」


「オレは御爺様にしか向かう日程を喋ってない。通常、帝国首都からあの場所までの日程は殆ど倍以上掛かる」


「つまり?」


「普通に考えるなら、襲撃者は詳しい情報を知っていなければ、首都を出る時期が解っても移動速度から算出してもっと遅く隧道を張って無きゃならない」


「ほうほう?」


「だが、実際にはギリギリに襲撃者自体がトンネル付近に来ていた事が解ってる。つまり、あの場所に来る時間が正確に解って無きゃ無理な話だ」


「先に来て張っていたのでは?」


「残念ながら相手はバルバロスを投入して来た。見つかる危険を冒しては襲撃が失敗する確率が高くなる。指示するヤツが絶対厳守させるのは時間であるはずなんだから、その失敗確率が高くなる方法は合理的じゃないな」


「……それで自分の来る事を知っていた人間にわたくしめがいたと」


「ああ、そうだ。最後に残った事実だけが真実呼ばわりして良い情報だろう」


「証拠は?」


「無い。ただし、1人だけ商人連中に近頃消えた大金を持ってトンネルを抜けた男の話は聞いた。酒の席でポロッとこれから帝国の南部方面に向かって他の国で大きな商売をする夢を語った男がいたんだと。ユラウシャ訛りのな」


「……左様ですか。それでそれが真実だとすれば、貴女様は如何されると?」


「オレを襲った理由については見当が付いた。いや、今付いたと言うべきか。確信的なもんじゃないが、要は新しい戦乱を起こされたくなかったんだろ? ヴァドカのユラウシャ併合に水を差されるのが嫌だったんじゃないか? 大まかに言えば」


「どういう事でしょう?」


「この国は良い国だ。ついでにユラウシャの迂回貿易の拠点にもなってる。ユラウシャに犠牲となって貰って、ユラウシャの地位に付いてヴァドカと交渉する。第二のユラウシャの地位に付かせる。これが未来の予定だった。違うか?」


「ははは、そのような大それた事を我が国が画策していたと?」


「いいや、違うな。国じゃない。アンタが画策したんじゃないか? 言うなれば、アンタは陰謀屋だ。地図と物流の力を握って、己のいる国家の行く道を違わぬようにと献策し続ける長老……御爺様にも確認の手紙を送ったが、昔話のアンタが隧道の計画を持ち込んだそうじゃないか」


「………」


「だが、アンタはそれ以上は金にも権力にも手を出さなかった。理由は予想が付く。アンタは賢く。本当の意味で国を愛していた。余計な事をせず、時流を間接的に操作する事でゼドゥルカは此処まで大きくなった。しかも、殆どの国に憎まれず、それどころか調停役にまでなってる」


「………」


「アンタの想定外は二つ。皇国がユラウシャの背後にいた事。もう一つはオレがユラウシャとヴァドカを平和裏に併合させた事。人材も資産も殆ど失われていない以上、ゼドゥルカの出番は無くなったな」


「………」


「それでもゼドゥルカが重宝される国である事は間違いないし、これからも末永く北部諸国同盟で重要な立ち位置の地方になる事も間違いない」


「………」


「実に堅実で良く出来た計画だ。次善策は幾らでもあるだろうしな。ただ、一つだけ間違ったな」


「間違ったとは?」


 老人の笑みは崩れない。


 汗一つ掻かない。


 視線も今や読めない。


 だが、だからこそ、その全ての状況が黒であると証明している。


 こんな話をされて平静を装う必要がある時点でもう言う事も無く犯人確定だろう。


「オレの周囲にいる人間を殺したな? オレは合理的に動く人間で人間に優劣を付ける人間だが、人間に貴賤は無いと考える。命の代価は命で払え」


「ほう? この老骨を無実の罪で何とすると?」


「オレはゼドゥルカ王とイオ家に仕事を依頼する事にした」


「仕事とは?」


「北部諸国にはこれからオレの考えた新しい規範と秩序。社会の到来が予定されてる。それを周知するには人々への宣伝や布告が必要だ。実社会における法規の周知と意識の変革には常に大量の読み物が必要だと考える」


「読み物?」


「オレはこの国に活版印刷技術を導入する」


「かっぱんいんさつ? 新しい印刷方法ですか?」


「印刷技術。書物の文字を木版で刷る事は知っているだろう? アレのスゴイ版だ。刷る為の機器の製造及び印刷物の大量生産と大量配布、販売をゼドゥルカに北部諸国同盟として委託する。それを行う為の新型機材も搬入する予定だ」


「何か面白そうな話ですな」


「そして、国家の賢人と称えられる男の家にはその大本となる全ての原板の製造を行わせるだろう」


「………」


「地図と測量で得た知見で各分野毎の地図の製造と販売。更に各種の新型印刷による本の製造による印刷物の流通掌握。人心掌握用に絵画なども用いる。識字率が上がるまで時間は掛かるだろうが、全てやって貰うぞ」


「何故、それが罪に対する罰になると?」


 自分がそれをやったとは言わないが、罪を被る前提で男が訊ねる。


「死ぬほど面倒な仕事だ。死ぬまでやってくれ。オレは優しくないんだ。金も世論も想いのままだぞ陰謀屋。だが、覚えておけ。オレは合理的にしか動かない人間だが、感情の為に世界を滅ぼしてもいい人間だという事をな」


「………確かにそのように見えますよ。小竜姫殿下……いえ、いつかは大竜となる日も来るのかもしれませんな。偉大と表されるあのブラジマハターの申し子の孫娘ならば……」


「祖父には黙っておいてやる。精々、大往生してくれ。最初期に必要な原案は此処に全て持って来た」


「随分と多いようですが」


「高々4000頁だ。帝国で研究してる薄い薄い紙を使ってる。破くなよ?」


「………気を遣う作業ですか」


「一族の稼業にするのもいいだろう。機材と資金は2か月後までを目途に運び込ませるし、造らせる。継続して原稿も送る。否はあるか?」


「ありませんとも。最初から御仕事のご依頼となれば、こう硬くならずに済んだのですか。いやいや、本当に凄まじい……」


 最後まで言質を与えない相手に溜息を吐いて立ち上がる。


「孫娘殿の事は任せて欲しい。それも込みでの罰だ。今生の別れになるんだ。精々、孫孝行する事だな。帰るぞ。二人とも」


 ずっと黙って背後で待っていたメイド2人が何も言わずに老人の前に四つも紙でパンパンの鞄を置いた。


「御機嫌よう。もう二度と出会わない事を祈っております。先に宿へ戻っているとアテオラには言っておいて下さい」


 ニコリと微笑んでカーテシー一つ。


 そのまま頭を下げてから、宿へ戻る事にしたのだった。


 *


「………ふぅ………」


「御父さん。感触はどうでしたか?」


「いやいや、どうして、我が家は崖っぷちなようだ」


「結局、小娘と侮っていた事は仇となったようで……」


「小娘どころか。特大の竜に睨まれてもああまで緊張すまいさ」


「それでアテオラは?」


「あの子は帝国に行かせる。悪いが当主をもう一人産んでくれ」


「仕方ありません。そうしましょうか……あの子は一番出来が良かったのですが」


「凡庸な子でも当主は務まるが、これから我が家の家業の乗り換えが始まる。優秀でなければ、無理だろう。今までの裏向きの伝手は全て切っておけ」


「解りました。それにしても隣室で聞いておりましたが、アルローゼン家とはああも凄まじい一族ですか?」


「はは、青年時代に会った大公が怒った時を思い出すが、アレよりも尚となれば、帝国もまた大きな転換を迎える時節となっているのだろうさ」


「それにしても何を考えて我が家にあのような仕事を押し付けるものか」


「望んだモノをくれてやると言われたのだ。どのような思惑があれ、こちらを見透かしている以上、仕事はせねばならん。文字通り、死ぬまでやってやろうではないか。それが罰だとするなら、喜んで受けよう」


「そういったこちらの内情までも見透かされていたのかもしれませんね」


「アテオラからの手紙を半信半疑に読んでいたが、こうも身に染みるとは……歳だな……後、20年若ければ、虚勢くらいは張れたものを……」


「小竜姫フィティシラ・アルローゼン……何れ、この大陸に名を馳せるでしょうね……」


「それどころか。大陸そのものを手中にしてしまうかもしれんな」


「冗談に聞こえません」


「ああ、冗談になればいいが、世の不思議は誰も止められはせん。あの蟲も殺せぬような笑顔だった大公が、世に悪虐と称されたようにな」


「あの子に持たせるものをこれから用意しなければ……それではこれで……」


「ああ、アテオラには出来る限りを持たせてやれ。ウチには当分帰って来ず帝国で学び励めとな。さてはて、あの子の未来はどうなるものか……」


―――その日、1人の少女が家の者達に送り出され、ひっそりと帝都に帰還する竜郵便の荷物となって、帝国の小竜姫と共に帝都への帰途へと付く事になる。


 世界が動き出した時、人々は知るだろう。


 北部諸国の争乱が治まり、同盟を組んで統一が始まったと。


 それを主導した少女の名を多くの吟遊詩人が酒場で謳うのは間違いない。


 アレは悪逆大公の至宝にして大いなる帝国に在る美しき竜。


 ブラジマハターの加護を受けし、大化物すらも内側より喰い殺す猛毒の姫。


 全ての万難を排せしは蒼き瞳の小竜姫。


 フィティシラ・アルローゼンである、と。

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