第26話「北部大計Ⅵ」


―――北部諸国北端ユラウシャ領バーツ平原。


『接敵!! 傭兵共のようです!! まだ陣地は構えていないようですが、既に陣容は整っている様子です』


『直ちに王太子殿下に伝令』


『はッ!!』


『……ん? それにしてもおかしい。連中、陣地を構える余裕は無かったのか? 周囲に人足も木材も運び込まれておらんとは……』


『隊長。仕掛けますか?』


『止めておけ。奴らは少数だが、1000はいる。こちらは斥候の装備で高が100だ。陽動をするにも数がまるで足りん。本隊が来るまでは我慢しろ』


『では?』


『最低限の監視を残して後退するぞ。本隊到着まで凡そ1日。街から離れて待ち受けている馬鹿共を騎馬隊で蹂躙するのはさぞかし胸の空く思いだろうさ』


『了解しました。では』


『ああ、ん? 待て!! 上空を確認しろ!!』


『ハッ!! ん!? 何だアレは!? この地に竜? 山岳国家から輸入したのでしょうか?』


『解らん。だが、奇妙だな。我々の位置はもう知れているはず。何故、何の合図も下の軍に出さんのだ……』


『分かりません。ですが、あの平和ボケのアルジーナ王のように我々がよく見えていないのかもしれませんぞ』


『ははは、そう願うばかりだ。あの王のせいで我らの進軍が遅延し、またあの良く解らん帝国の馬車が来てからは軍が半数も戻っていった。もはや時間は無い』


『隊長!? あの竜が高度を下げて何かを―――』


『何? 何だ……何かを落とした?』


 *


「高度を上げてくれ」


「はい。フィティシラ」


 すぐに高度を上げたゼンドが何かに気付いた様子で急いで更に高度を上げた。


「うぉ!? どうやら解るみたいだな」


「どうしたの!? ゼンド!?」


「ああ、コイツには下で何があったのかすぐに理解出来ただけだ。ほら、下の連中見てみろ」


「……混乱してる?」


 真下に展開する傭兵姿の正規兵達が次々に混乱しながら元々指示していた森林地帯へと逃げ込むように移動を開始した。


「今、連中を囲って逃げ場を誘導してる」


「逃げ場?」


「見えるか。この先の樹木の少ない森林地帯」


「は、はい!!」


 指差した方角には先程罠を仕掛けていた森が見えていた。


「さっき落とした黒い割れやすそうな瓶には特製の薬が入っててな」


「薬?」


「単なる臭うだけの代物だ。実際、人体に害はない」


「臭いで軍が?」


 元々はあの教授が作っていた代物を真似て造った薬だ。


 チオアセトンという言葉は聞いていた。


 あの教授の言葉から同じようなものが作れないかと例の研究所で細心の注意を払って作らせていてのだ。


 高校の教材も馬鹿にならない。


 クメン法でアセトンやフェノールのような化学物質を合成。


 更にそこからうろ覚えの知識で塩化亜鉛だの諸々メジャーな触媒を使って物質とくっ付けたり離したりしながら作り出したのだ。


 まぁ、さすがにヤバそうという事で完全密閉環境で造った後、水溶液を密封して帝都の下水の注ぎ口。


 大河の一部で1適溶かした水溶液を河川内部で開封。


 試してみたのだが、試作品32号は河川全域を汚染。


 研究者共々、臭いが取れるまで数日掛った。


 そのせいで密封した割れ易い硝子容器を薄いゴム製の被膜でコーティング。


 現在は投げて破裂したらヤバイ戦術兵器になる一品が出来上がったわけだ。


「普通の臭いじゃない。もし原液を一滴でも肌に受けたら、その腕を切り落としたくなるくらいの代物だ」


「―――あの数本の瓶にソレが?」


 ゾッとしたようにフォーエが全身を震わせて青くなる。


「いいや、希釈してある。揮発性の高い液体に一滴垂らしただけの代物だ」


「そ、それって……」


「すぐに揮発した臭いは周囲に充満する。アテオラの予報に因れば、本日は晴天で東から西側への風が強い。だから、連中はどうなると思う?」


「東からの風で臭いに追い立てられる?」


「そういう事だ。あの森にはあの瓶が時間差で割れるようにしてある。これで連中はもう食料も失った」


「え? どういう事?」


「吐きそうな臭いがまともに付いた軍の粗末な糧食が食えると思うか?」


「ッ―――」


「まともに戦える状態でもない。何とかやって来ても、あの壁の陣地にはユラウシャ軍に急いで壁の廻りに堀を掘らせてる。近くの河から水も引かせてる」


「……そこまで来たら?」


「戦いに来たら、戦いもせずに籠城。降伏に来たら、裸になって街の外で7日から2か月くらい行水の刑だ。ああ、勿論、今の季節は河の水も温かいし、夜も冷えると言っても裸で寝られる気温だ。食料が有れば、死ぬ要素ゼロだな」


「い、嫌な負け方だなぁ……」


「あの街には真水が出る井戸もあるし、問題無い。最初に臭い武具の類は全部海に沈めさせてもらうが……」


「武器が無ければ、戦いようが無いって事?」


「いいや、心が圧し折れるように仕向けるだけだ。ちなみに海側の艦隊にも色々とたっぷりモテナシ用の計画を作ってある」


「うわぁ……(´Д`)」


「そんな顔するな。一番、死人が出ないのがコレってだけだ」


「それは確かにそうかもしれないけど」


「まともな戦争する戦力はユラウシャにはあるが、ユラウシャ自体が戦い向きの国じゃない。絶対、途中で墜ちる。あの王太子の目を見れば、解るさ」


「目を?」


「ああいうヤツは絶対に少なくない勝機や勝算が無い戦はしない」


「……それでコレからどうするの?」


「あの皇国兵は一端放って平原奥の森に押し込めておく。あの森には水場だけはあるようだからな」


「それも含めてあの森を檻にしたって事?」


「ああ、そうだ。連中が臭いと食料不足に音を上げるまで時間が出来た。此処からはユラウシャの降伏と避難先の確保だ」


「え? ど、どういう事?」


「ここ数日は風は東から常に西へ吹き続けてるって事だから、軍が来る前にこちらからユラウシャそのものを軍に面倒見て貰おう」


「まるで意味が分からないんだけど!?」


「すぐに解る。数日もせずにな。ユラウシャはこれから降伏するし、戦争もしなくていいし、皇国軍の艦隊は壊滅するし、ヴァドカは割りを食って戦争も出来ずに祖国に帰るし、オレは北部諸国を策源地として手に入れる。完璧だな」


「何かとんでもない人に仕えた気がする……」


「今更、遅いぞ。そういうのは出会った時に気付くもんだ」


 まずは一端、ユラウシャへと戻る事とする。


 ここからが計画の本番だ。


 何をするにも細心の注意が必要だろう。


 やるからには徹底的にやろう。


 人の命の代価が人の心ならば、そんなものは幾らでも焼べていい。


 それを使わずに済めばいいなんてのはこの命の危険が常に付き纏う世界ではそれこそ理想論なのだから。


 *


―――2日後バーツ平原南端仮陣地。


『どうしたものか……』


『これもユラウシャの謀略なのでしょうか』


『いや、それならば、良いのだが……嫌な予感がする』


『どういう事だ?』


『街道が殆ど封鎖されてしまっている。一応は東端から抜けられるルートが確保出来たが、それにしても……』


『何、道が!? 本当か!?』


『ああ、だが、あの現状では兵站も兵列も伸び切った横っ腹を晒す事になる。その上、あの臭気がいつこちらに風で襲い掛かるか』


『だが、それはあやつらとて同じ事では?』


『奴らには壁がある。あの臭気の中で籠城されては士気を保てない。食料を食べる事すら儘ならぬのだぞ?』


『ぐ、面妖な戦略をッ!! ユラウシャの者共め!!?』


『で、伝令!! 平原東端部より馬車の群れを確認したと!!』


『何ぃ!? すぐに兵を展開せよ!!』


『奴らめ!! 自分からやって来たか!? これは好機!!』


『い、いえ、それが……どうやら一般人の列らしいとの報告があり、白旗が荷物を満載した馬車の上に高々と掲げられていると』


「来たな。者共、これより兵を一兵でも動かす事まかりならん!! 自ら出る!! 陣容はそのままにしておけ!!」


『殿下ぁ!?』


「ふ、面白い。今度はどのような策を見せてくれるのだ? フィティシラ・アルローゼン……」


 平原東端を通る街道沿いにゾロゾロと歩いていると。


 すぐに騎馬隊が数百騎。


 こちらの避難民の列へと近付いて来ていた。


 その隊列のほぼ最先頭付近には一際屈強そうな騎兵に守られた男がいる。


 ライナズ・アスト・ヴァドカ。


 その明らかに英雄器質そうな男がすぐに軍馬から降りると荷馬車の上に陣取ったこちらを見てニヤリとし、それに応じて久方ぶりに荷馬車を引いたと愚痴っていたビダルと共に前に出る。


「また会ったな。どうやら屍ではないらしい」


「ええ、またお会いしましたね。ですが、屍ではない以上、お喋りかもしれません」


「「………」」


 こちらは作りものの笑顔。


 あちらは満面の獰猛な笑み。


 そして、ビダルはその笑顔に挟まれたのを我が身の不幸だと言いたげにこの狂人共めという顔をしていた。


「それでこちらの方は?」


 先に切り出したのはライナズだった。


「お初にお目に掛かります。ライナズ閣下……いえ、本当は生まれた頃に一度宮殿でお会いしているのですが、コレが初めてと言ってもいいでしょう」


「ほう? つまり、貴君が海の大豪商ビダルか」


「左様にございます」


 物腰も低く商人として男は頭を下げた。


「それで戦の相手であるユラウシャの首魁がどうして背後に大量の民と荷馬車を従えて、この敵軍であるヴァドカの前にその身を晒すと言うのか?」


「ライナズ閣下の恐ろしさは存じております。ですが、同時に横の方の恐ろしさもまた同じように存じております。ですが、ユラウシャには今や戦争をしている余裕はないのですよ。閣下」


「余裕が無い? これは異な事を……傭兵をあれだけ雇って、更に防備に船も大量となれば、沿岸諸国からの応援すらも織り込み済みなのではないか?」


「いえいえ、それが私共の大きな判断の誤りがあったようでして」


「誤り?」


「ユラウシャは全面的にヴァドカに降伏致します。無論、併合して頂いて結構。白紙和平でも白紙講和でもありません。全条件をお飲みします。ただし、我が国の民を本当の敵から護って頂きたい」


「どういう事だ? 詳しく聞かせろ」


 ビダルに相手側の情報を喋らせる事数分。


「成程? つまり、過ちを認めると。ユラウシャは誤った道を進んでしまったと。ヴァドカと敵対した事は間違いだったと。そう言うのだな?」


「はい」


「その上で皇国からユラウシャを救って欲しいと。そうしたならば、併合には全て否は無く応えると。そう、言うのだな?」


「その通りでございます」


 周囲の騎馬隊もさすがにざわめいていた。


 南部皇国の北部諸国への介入。


 大量の秘密兵器を搭載した船。


 ユラウシャをヴァドカ軍と共に燃やしてしまおうという陰謀。


 正しく、ソレはまるで御伽噺の類にも聞こえただろう。


「証拠は?」


「証拠は提示しても意味が無い事はお解り頂けるかと」


「だろうな。捏造だとこちらが言えば、それで終わりだ」


「それを承知でお頼みします。ユラウシャの民を護って頂けないでしょうか。無論、その為にユラウシャのほぼ全ての動かせる価値のある動産は持って参りました」


 すぐに背後の車列から幾つも樽が取り出され、内部の貴金属の山が開封と共に騎馬隊の方へと向けられる。


「成程? 賠償金はこれ以上払えないと」


「はい。食料や備蓄資材は賠償にならないのは常識ですので」


「………護るとは何処までだ?」


「我が国が滅びるまでです」


「ほう?」


「事実上、ユラウシャの軍は残った市街地において、海と山間からの敵に備えている最中。その2割は傭兵で、残りの正規兵の3割はまだ15に届きません」


「つまり、南部からの増援が来れば、持たないと?」


「その通りでございます。ユラウシャ民3万、軍2万、男手はほぼ全て軍に入りました。後は女子供ばかり。僅か荷揚げと荷下ろしに男は来ておりますが、それだけです」


「つまり、此処で貴君を殺して、その車列を奪えば、我が軍は大戦果。と言って国に帰れるわけだな?」


「左様です」


「くくくく、狸め……」


 ライナズが面白そうに目を細めてビダルを睨んだ。


「そんな事をしてみろ。これから、この帝国の大悪女が我が国での会議で糾弾材料を得る事になる。それは戦一つの損益など吹き飛ぶものだろうに」


「閣下のご心情を察するなど恐れ多い事はこの老いぼれには刺激が強過ぎます」


「入地恵されたにしても堂々とし過ぎだろう? その老獪さ。気に入ったが、軍を出した手前、ケジメは付けねばならん。その覚悟はあるのだな?」


「勿論ですとも」


 ビダルは何も気負いも無い様子で晴れ晴れと笑った。


 それは自分の失敗を帳消しにする為に必要な最低限の事だろうと覚悟していたに違いない。


 そして、ソレは相手に不快さを与えてはならない。


 それすらも使って国の民を勝ち得るという事。


 その覚悟はどんな役者にも出来ぬ嘘に違いなかった。


「残念ながら、それは無理なのですよ。ビダル様」


「―――」


 チラリとこちらをビダルが見やる。


 その目は邪魔するなと言いたげだ。


「ほう? そう言うからには手札はあるのだろうな?」


「ええ、これで引き下がれなければ、わたくしはヴァドカ軍を壊滅させなければなりません」


「はははは、言うではないか!!」


 騎馬隊はこちらの発言にかなりピキピキ来ているようだったが、ライナズは構わずにこちらを見やる。


 無様なものを見せるのならば、此処で死ね。


 あるいはオレが殺す。


 そう言いたげに。


「どうぞ」


「また、手紙か?」


「二番煎じではありませんよ」


「何?」


「読めば解ります」


 相手に手紙を手渡し、裏の封蝋の焼印を見た途端。


 ライナズの顔色が変わった。


 それはまるで渋いものを齧ったかのようだった。


「ふ、そう来たか。我が軍より先にヴァドカと手紙をやりとりする、か。まったく、あのご老体にも困ったものだ」


 中身を一応、取り出して流し読みしたライナズは思わず興が削がれたとでも言いたげにすぐ手紙を千切って捨てると騎馬に乗り直した。


「いいだろう。搦め手の次は正攻法。いや、恐れ入る。ヴァドカはユラウシャの民間人の車列を護衛して帰途に付こう。その賠償金と共にな」


「ありがとうございます」


 頭を下げておく。


「止めろ。貴殿がそのような柄か? 欲を言うなら、もっと地を出して喋って欲しいものだ」


 頭を上げて笑みを浮かべておく。


「それだけ殿下が強敵という事ですよ」


「ふ……今はそういう事にしておこう。貴様ら!! 聞いていたな!! 直ちに各旅団に伝えよ!! 戦わずしてユラウシャはヴァドカに下った!! 鬨の声を上げた後!! ユラウシャの王都への賠償金と避難民を護衛しろとな!! 騎馬隊にやらせろ!! 規律の行き届かない兵は外せ!! いいな!!」


 すぐに騎馬隊がそれに応えて未だ展開する遠方の軍の各地へと散っていく。


「フィティシラ・アルローゼン。貴様は北部諸国をどうするつもりだ?」


 馬の上で男は今までの愉悦が嘘のように静かな瞳でこちらを見ていた。


「それは間違っていますよ。


「何?」


「北部諸国はようやく時代の波に呑み込まれるのです。全てから隔絶され、ヌクヌクと地獄を演じていた役者達にようやく光が当たるのです」


「ヌクヌクと、か」


「ええ、今度は大陸全土から多くの視線と善悪の区別無く呑み込む人の醜悪さが押し寄せて来るでしょう。ですが、それこそ本来の地獄なのですよ」


「フン。こんな片田舎で戦争をしている我々は端役に過ぎないと?」


「いいえ、人間の地獄は人間が創るもの。人間の戦いは人生の戦い。貴方のいる場所こそが貴方の戦場。それには大陸の何処も関係はありません」


 ビダルを後ろにして一歩前に出る。


「正しく、それが道端で息絶える乞食だろうと浮浪児だろうと王侯貴族だろうと皇帝陛下だろう商人だろうと農民だろうと代わりはない」


「………」


「わたくしはだからこそ、貴方の戦場に貴方が十全に戦えるだけの武器と食料と知識と家と職と……それを共にする誰かがいる事を望みます。それこそが全ての人にとって肝要なのだと思うのです」


「そんな神にでもならねば、実現せんように思える事を本気で求めるというのか?」


「理想は理想です。ですが、何事も理想を探求せねば、此処まで辿り着きはしないでしょう」


「偉大なる始祖に栄光を、という柄ではないな」


「軍という組織も国という集団も、人々が良くあれと想い、誰かに受け継がせて来た大いなる遺産の先にあるもの」


「……チッ」


 まるで説教された子供のようにライナズは不貞腐れていた。


 何かを思い出したのかもしれない。


「だからこそ、人が地獄を生み出すように、人が理想を生み出しもする」


「貴殿と話しているとまるで母に諭されているようだ」


「褒められていないのは分かります」


「ああ、少なくとも善き母には成れそうも無いな。貴殿は……ソレは、その考えは、平和を識る者の価値観だ」


「そうですね」


「この北部諸国には無いものだ」


「いいえ、ありますとも。これからソレはこの地で誰の目にも見えるようになるだけなのですから……」


「そこには貴殿や我のような者の居場所が無いとしてもか?」


「居場所が欲しかった事なんてあるのですか?」


 実際、上に立つ者に求められるのは常に孤独だ。


 現代の民主主義ですら与党の党首、総理、大統領、全ての上に立つ者達に求められるのは孤高にありながらも忍耐によって粘り強く交渉し、己の決断で権力を上手く使う手腕なのだ。


「はは、さてな……忘れたよ……他者と違うという事の意味を我と同じように知るのだろう貴殿が他者と同じになれと言い始めた。これ程に醜悪な喜劇があれば、時代は確かに動くのかもしれん」


 ライナズは馬を返して、風のような速度で陣地へと取って返していく。


 さすがに一流。


 軍団は既に方向転換を開始し、陣を撤収し始めていた。


「……腰が冷えましたな。帝国令嬢殿」


「肝じゃないのか?」


「商人にとって、それは冷やせぬモノでして」


「随分と羨ましい話だ」


 見れば、アテオラを載せたゼンドがフォーエと共に上空へと来ていた。


「さて、皇国海軍を軽く捻って、とっととヴァドカに向かわないとな」


「はぁ、怖いのは一体どちらかと聞かれたら迷わず答えられるな」


 老商人はそう軽く愚痴って、こちらの予定に溜息を吐いた。


「ちなみにあの手紙は?」


「ヴァドカに出した手紙の返事だ」


「何と書いたのだ? あのヴァドカの老王に」


「内容を簡略にするとこうだな。『他の手紙を出した連中が無事に祖国へ来るように祈ってくれ』だ」


「ユラウシャの指導者が来るよう御祈りしろと言われた王はすぐに自分の息子が率いた軍の事を思い出すわけか。まったく、何処まで何を読んでいるやら……」


 ビダルが何でこういう事が出来るんだと視線を細めていた。


「それにあの王太子の逸話は多いが……偉人同士、随分と親しい様子だったな」


「止めろ。こんな帝国の吹けば飛ぶようなカヨワイ小娘が偉人なわけないだろ」


「これは嗤うところですか?」


 荷馬車に隠れていたノイテがスゴイ瞳でこちらを見ている気がした。


「いいから、さっさと行くぞ。この避難の列も早く途切れさせなきゃならない。ユラウシャを軍人だけにして、それから皇国と決着を付ける。まだ、付き合ってもらうぞ。ビダル」


「フン。言われずとも。まだ、融資も受け取ってはいないからな」


 降りて来るゼンドの背中にはアテオラが手を振っていた。


 さっさと戻ってやるべき事は山積みだった。

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