第13話「帝国の台所事情Ⅲ」


 帝国の台所事情における北部関連の数値の割合は2割にも達する。


 その貿易品内容は殆どが天然資源と武器の交換による現物での貿易だ。


 天然資源と言っても色々あるが、北部にとって最大の輸出品目は宝飾品用の原石。


 つまりは宝石である。


「ラピスラズリってヤツか」


「ラピ?」


 アテオラが何やら馬車の中で御守りとしてギュッと持っていたものが何かと訊ねると胸元の小さな袋から出て来たのは宝石の原石であった。


「何でもない。それで一通り調べられる事は調べて来たが、これからトンネルの先にあるイツァルネアはお前から見て、どういう場所なんだ?」


 馬車の周囲は薄暗い。


 トンネルと言っても現代式のものではない。


 送風機なんて存在もしない。


 なので、根本的にトンネルは空気を山からの吹き下ろす風で入れ替える方式だとか。


 1km毎に縦穴と横穴が存在し、縦穴は空気の通り道。


 横穴は旧北部街道沿いの山中にある帝国軍の山間訓練場と山間部にある村落や集落の人間が無料で使える移動手段として確保されている。


 そのせいなのかどうか。


 トンネルそのものが笛のような構造に近いらしく。


 年中、時折吹き込む風で薄くボエーという音が聞こえている。


「そうですねぇ……イツァルネアは上手くやった国、でしょうか?」


「うまくやった国?」


「はい」


 トンネル内は基本的に左右の端に歩道が設置されており、手持ち式のランタンやその他の光源が無いと周囲が見えない程の暗さだ。


 トンネルの左右は北部への帝国製の武器と北部からの宝飾品の馬車が擦れ違う場所であり、徒歩で向かうのは基本的にあまり勧められない。


 暗いトンネル内では倒れても誰かが傍にいなければ、報告されようもないし、助けられようも無いからである。


「イツァルネアは北部で最初に帝国の殆ど庇護下に入った三小国の一つです」


「イツァルネア、ヴァドカ、ユラウシャだな?」


「はい。その三つの国が北部の中心で、その国々の動向次第で周囲の都市国家の大半の運命が決まってしまうので……」


 一応、帝国軍の騎馬隊が常駐しており、定期的に馬糞や落とし物の回収や掃除を行っているらしいが、3時間毎の定期的な巡回以外は基本されていない。


 不意の事故は多重になる可能性もあり、空気の関係で可燃物は厳禁。


 特に明かりの油の類も片道分しか許されない。


「ゼドゥルカは何処にあるんだ?」


「最北端であるユラウシャの南東です。海運を牛耳ってるユラウシャから運び込まれる産品の貿易経由地なんですよ」


「そうか。特殊な地形的要因か何かで中継ぎ貿易の拠点になってるんだな」


「お、お詳しいんですね!! フィティシラ姫殿下!!」


 何故か、相手の目がキラキラしている。


 話をしたいヲタクが仲間を見付けた時のような、と言うべきだろうか。


「地政学は一応、前々から習ってたからな(あっちの方のじーちゃんにゲームで)」


「さ、さすが帝国の偉い人ですぅ!!」


 対面の席で目をキラキラさせるアテオラである。


 周囲では夜になったとばかりにデュガが遠慮なくグーグーと涎を垂らしながら毛布を被って寝ているし、ノイテは暗い事もあり、目を閉じて目を慣れさせつつ、寝ていると見せ掛けて傍らの剣を膝の上に置いていた。


 ゾムニスは反対側で巨大な図体を縮こまらせるように座っていたが、外の様子を常に見ている様子だ。


「そう言えば、イツァルネアは他国に帝国が武器を売るのはどう思ってるんだ?」


「ちょっと複雑なくらいでしょうか」


「ちょっとで済むか?」


 何せ自分達を攻めるかもしれない武器なのだ。


「はい。トンネルの使用料と武器宝石の輸出入に関わる人達の宿泊でお金も落ちますし、トンネルの所有権こそ持っていませんが、もしもの時はトンネル内に国民を避難させる事や有事にはトンネル周囲の帝国軍に守って貰えますから」


「つまり、他国からの侵略に一番強いと?」


「ええ、帝国軍は北部の内政と軍事には干渉せず。武器を売るのみ。というのが北部では一般的な常識です」


 アテオラの顔が時折擦れ違う馬車の付けているランタンの明かりで照らし出されるが、その表情は左程暗くは見えない。


「宝石で武器を買うのは解るんだが、鉱山を持ってない国とかはどうしてるんだ? 帝国製の武器を買えないとやっぱり力関係とかが変わるのか?」


「ええ、それは確かに変わりますが、北部は比較的痩せた土地が多く。殆どが冬は乾燥地帯と豪雪地帯に別れます。帝国の武器を買えない人達は平地の都市国家が多くて、そういう人達は平地での食料生産で他国から武器を迂回輸出して貰ったりするんですが、値段は2割増しくらいで済んでると思います」


「どうしてだ? 仮にも国防の事だろ? 商人に吹っ掛けられないのか?」


「伝統的に山間部の民は数も少ないし、宝石は出ても食料には乏しいです。平地は辛うじて地元の麦や穀物類が育つので……」


「ああ、つまり、食料を握られてる相手へ強く出られないわけか」


 アテオラが頷く。


「はい。ただ、宝石の輸出が食料の輸出と殆ど同じくらいの規模になってしまってる現在、国力の差は経済的な面が埋まって来ています」


「つまり?」


「地形的には攻め難い武力を基軸とする山岳国家と食料を握って今まで山の民を虐めて来た地平国家の差は人の気質と人口くらいですね」


「それは……戦乱になるな……」


「はい。これが明確な上下関係の上にあるなら、昔のようだったかもしれません。でも、差が帝国のせいで埋まってしまったので平地国家を攻める山岳国家が多くなってしまって……」


「なるほど」


「あ、でも、それは小さなところだけで大きな国は武力が上がって安定しているんです」


 帝国が相手のポケットに金と武器を突っ込んだせいで北部はどうやら混沌としているらしい。


 帝国の書物で語られる事よりも随分と明確な解り安い情報であった。


「(ふぁ……なぁなぁノイテぇ)」


「(何でしょうか? デュガシェス様)」


「(あいつら何話してるんだ?)」


「(さぁ? 偉い方や軍団長が話すような事ですよ。きっと……)」


「(ふぃーって、そういうとこ男みたいだよなぁ……ねむい)」


「(話させておきましょう。ああいうのは殿方やそれが好きな方向けです)」


 真剣な話が行われている横ではそんなお気楽そうな会話が繰り広げられていた。


「(むぅ……どうしたら、あの盤面をひっくり返せるだろうか? これは研究が必要そうだな。ソデビシャ……どうやって打ち破ればいい? 帝国を崩壊させるよりもこれは手強そうだ……)」


 アテオラに更にしばらくの時間は北部の実情を聞こうと話を促そうとした時。


『―――ガッ?!!』


 今まで御者台に座っていた軍お抱えの御者の短い悲鳴のような声が上がる。


 と、同時に車体が急激に蛇行した。


「ッ、頭を抱えて背中を丸めろ!!」


 何とか、そう内部に叫んでアテオラを胸元に抱き込む。


 それとほぼ同時に車体が横倒しになった。


 速度はそれなりに出ていた為、内部が揺さぶられる。


 馬の嘶き。


 それから炎が外に見えた。


 ランタンが壊れて内部の油が漏れ出したのだ。


「う……ゾムニス?」


「すぐに出よう。立てるか?」


「ああ……」


「ぁぅ~~」


 目を回したアテオラが気絶しているのを任せて、ゾムニスの分厚い脚から放たれるケリが横倒しで上になった扉を吹き飛ばす。


「お前ら無事だな!! さっさと逃げるぞ!!」


「痛ったぁ~~~何なんだよッ、もぉー!!」


「デュガ。どうやら襲撃のようです。そちらの匣の斧を。こちらは剣で」


「りょ~か~い。ぶっ飛ばしてやるぅ。せっかく気持ちよく寝てたのに!!」


 ゾムニス先行して外に出ると同時にデュガが飛び出していく。


 ノイテが下から押し上げられ、ゾムニスに引っ張り上げられて外に出ると馬車の周囲が炎で僅かに燃えて明るくなっていた。


 だが、車体そのものは火を射掛けられる事もあるかと基本的に一度構造材を油で表面を焼いている為、いましばらくは燃える事も無いだろう。


 横倒しの馬車からゾムニスに抱き抱えられて降りると周囲には脱輪こそしていないが、馬はいなかった。


 御者台から投げ出されたらしい相手を探して―――。


 ビチャビチャと天井から降り落ちる軍用馬車の御者だったモノから落ちる血肉に目が細まる。


 昔ならば、顔が引き攣っていそうだが、生憎と死んでから度胸と共に昔の自分よりも図太さや無神経さは増した気がする。


 人の気質は変わらないというのが現代科学における結論であるが、外面や相手に対する時の精神的な面の皮の厚さは相当になっているだろう。


「目を皿にしろ!! 近くにある隧道内の軍詰め所に走るぞ!!」


 ゾムニスがこちらを小脇に抱える。


 それと同時に天井付近の闇からボチャンと御者が落ちた。


 それと共にズチャッと上からソレが降って来る。


『キィー!! キキキィ?』


 グチャグチャと自分の手にこびり付いた肉を捏ねながら、ギョロリとした紅く血走った瞳がこちらを見た。


 瞳孔内部から光を発している様子から光源的なものを宿しているのが解る。


 1.4m程もあるだろうか。


 斑模様の毛皮と異様に長い四肢。


 そして、人間のような表情のある明らかに邪悪さマシマシな嗤う猿。


 のようなモノがこちらを凝視していた。


 だが、その爪が周囲に残っている炎に照り返されれば、20cm弱の刃物染みている事もまた露わになる。


「現地生物か? 猿……集団かもしれない?! 警戒しろ!!」


 その声とほぼ同時だった。


 暗闇の死角から異様に長い腕と爪がユラリと伸びてこちらが抱えているアテオラに迫った瞬間。


 ノイテの持った長剣がその爪を弾いて、的確に腱を切断した。


『ギィエエェエ!!!』


 その叫びに呼応したのか。


 次々に吠え猛る声が木霊する。


「デュガ!! 何匹だ!!」


「え、え~~と? ひぃふぅみぃ……軽く10匹くらいか?」


「倒せない場合は走るぞ!!」


「りょーかーい。ノイテ。あれ何か分るか?」


「いえ……ですが、恐らくはバルバロスの類でしょう。あの威容に長い腕と刃のような爪。更に光を発する瞳。バルバロスの特徴の一つは鉱物を食して死なぬ事。そして、摂取する鉱物によっては光を発する事、ですので」


「言ってる場合か。今から合図したら後ろは振り向くな。行くぞ。3、2、1」


 懐から携帯していたマグネシウムを用いた閃光と煙を撒くフラッシュグレネードやスモークグレネード・モドキを服に縫い込んでいた火打ち石とマグネシウム合金製の袖のボタンで着火し、走り出してから相手の内部に放り込む。


 すぐに目を瞑った。


 途端、マグネシウムと各種の金属の粉末が瞬時に猛烈な勢いで燃え上がり、相手の瞳を焼いてから煙で視界と嗅覚を奪う。


 現代版のソレに比べれば、各段に威力は落ちるが、学校に通う前に邸宅や個人的に開設した研究所で色々な科学実験ついでに身を護る道具も開発したのだ。


(よし、何とか効いてるようだな)


 ソレは上手く相手を混乱に陥れたようだった。


 猿達の絶叫と共にどうやら同士討ちが発生しているらしく。


 煙りの中から血飛沫と同時に恐ろしい断末魔が複数聞こえて来る。


 だが、それもいつまでも続くとは限らない。


 100m、200mとゾムニスが奔る間も後方からは絶叫が響き続けていた。


 何とか逃げ切ったかと思ったのは直線のトンネル内を相手が追い掛けて来なかったからだ。


 途中、帝国軍の詰め所から反対車線の馬車から人でも出ていたのか。


 十名近い兵士達が馬で駆け付け、最終的には中央地点の詰め所で一端の避難。


 その後、トンネル内から逃げ出した猿と猿の死体が発見される事になり、周囲は騒然とした空気に包まれたのだった。


 *


 横倒しの馬車を片付ける専用の馬車が出て数時間後。


 御者の死体に黙祷を捧げ、遺族への手紙と共に遺族給付を手厚くするよう嘆願書を帝国軍に出した脚で無事だった馬車を応急修理して現場から持って来るのに数時間を要した。


 帝国軍からの話によれば、猿は帝国領側へと逃げたが、そのトンネルの頭上の山岳内に夜逃げ込んで行方を晦ましたとの事。


 トンネルを抜けるまでは護衛が必要だと5人からなる騎兵に追走されながらトンネルを鈍行し、北部側のイツァルネア領に入った時には夜明けだった。


 一睡も出来ないという事は無かったが、眠りが浅かったのは間違いない。


「見えて来たぞ」


「ん……ああ、ようやく、か」


 ゾムニスに起こされて外を見やる。


 本来ならば、朝焼けに輝く赤レンガの街並みは美しいものなのだろうが、トンネル内の襲撃でケチが付いた形だ。


 ついでに御者が軍属であったとはいえ。


 死者も出たので素直に喜べるものではなかった。


 イツァルネアはトンネルの先からほぼ3km四方に広がる街だった。


 市街地は最大級の国力を持つだけあって整備されており、山岳部の一部から流れ込む河川が中央を分断しており、トンネルのある山間の中腹から下る形で見える街並みの少し手前には王城らしきものが一つ聳えていた。


 小高い丘を使って作られたと思われる白の色はやはり赤レンガ造りだった。


「……市街地に入ったら宿を取る。それと馬車に積んでた物品の総点検をするぞ。食料込みでだ」


「了解した。ネズミを仕入れておこう」


「頼む。何かされてないか心配だからな」


 猿にそんな知能があるのかは分からないが、開封され得る食料は全て毒見が必要だろうし、猿がこちらを襲えた理由。


 つまり、この馬車を特定して襲う為の目印や仕掛けらしきものが無いかも確認しなければならない。


 道具に問題が無いなら、今の此方の技術では検知不能であるか。


 あるいは単純に人間や馬車を目印として覚えられていたかの二択だ。


 一応、馬車は帝国の紋章が付けられている為、関係者である事は解っているはずだ。


 視覚か、嗅覚か。


 それにしてもいきなり襲われるとは思っていなかった為、出だしから躓いた形になったのは間違いなかった。


「アテオラ。ちょっと今日は一日此処で宿を取るが、その間に色々と訊かせてくれ」


「……っ、はいぃ……まさか、あんなおサルさん。バルバロスに襲われるなんて……うぅぅ、付いてないです……」


 浅い眠りから起こされてすぐにしょんぼりした様子となるアテオラの頭を撫でる。


「気にするな。お前が狙われたか。もしくはオレが狙われたかの恐らく二択だ。どちらにしてもああいうのに襲わせる理由が殺害や誘拐だとすれば、敵はこっちにわざわざ、これからもちょっかいを掛けてくるって事になる」


「……ぁ、ぁわわ……は、はぃ……」


「ふぃー。目が笑ってないぞ」


 デュガが欠伸をしながら、そう呟く。


「せっかく、歓迎しくれてるんだ。相手が何処の誰だろうと歓迎しない手は無いだろ? 死人も出た事だし、手加減してやる理由も無いな」


「ぁ~~アテオラだっけ? あんまり、悪い顔してる時のふぃーは見ない方がいいぞ? 目の毒だからな。参謀連中が悪だくみしてる時の目だ」


「そ、そんな畏れ多いですぅ!? な、何とも思ってませんよ!? はい!!」


 そんなに悪い顔をしていただろうかとペタペタ自分の顔を触ってみるものの。


 今一分からなかったので無表情を装っておく。


「さ、宿を取ったら行動開始だ。各自、役割を与える。終わったら6時間寝ていい」


「ノイテェ……出番来たら起こしてくれぇ……あふ……」


 さっそく荒事専門な自分の出番は後だと理解したらしい少女はスヤスヤと眠り始め、そのお守をするに違いないメイドは何をさせようというのだろうかとこちらをジト目で見るのだった。


「ノイテ。デュガはこちらで見ておく。こっちの商会に掛け合って、これから書くものを一頻り買ってすぐに宿まで運び込んでくれ」


「解りました」


「ゾムニス。こちらのガードをしばらく任せる。昼は傍で寝ててくれ」


「解った」


「さすがに昼間に突撃を駆けて来るようなのならトンネルで襲撃なんてしやしない。誘拐にしても殺害にしても部屋に籠ってれば夕方までは問題ないからな」


「だが、あのバルバロスは見た限り、手強いぞ?」


「軍からイツァルネア側に自領内では警備を敷けと連絡が言ってるはずだ。軍人がウロウロするようになる街角を昼間に突破してくるのはバルバロスでも空が飛べなきゃ不可能だ」


「解った。しばらく寝かせて貰おう」


「アテオラ」


「は、はい!?」


「可能な限り、こっちの政治情勢とこの市街地の地理を地図使って教えてくれ」


「わ、解りました!! か、必ず!! 覚えられるようご教授いたしまふ!?」


「宿に入ったら行動開始だ」


 何の因果で襲われたのかは知らないが、取り敢えずやる事は決まった。


 相手がどんな相手だろうともまずは徹底的に示しておくのが寛容というものだろう。


 北部での初仕事は哀れな襲撃者が地獄を見る事から始まる。

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