第12話「帝国の台所事情Ⅱ」


 帝国の台所事情は栄華を極めていても常に逼迫している。


 理由は単純だ。


 戦費が嵩んでいるからである。


 それでも何とか恒常的に財政黒字を達成しているのは一重に占領地域からの搾取がゲタを履かせているからだ。


 故に帝国の占領政策は過酷ではあるが、理不尽ではない。


 と、一部の諸外国からは思われている。


 基本的に生かさず殺さず。


 ではあるのだが、占領併合地域の人々が疲弊し切らないよう、健康を害されない程度の収奪で意図的に止めている節がある。


 さすが大陸最大の侵略に長けた帝国と言えるかもしれない。


 まぁ、現地人からは滅茶苦茶恨まれているのは間違いないが、本当にヤバイのは策源地の人間が飢えや病でバッタバッタと死ぬような状況だ。


 軍事力を併合した地域に広く置いておけないという事情から帝国は根本的に横柄に振舞うには向いていないし、傲慢ではあっても嘗て散っていった幾多の帝国のような非合理的侵略国家ではない(歴史的な当社比)のである。


 だから、併合地域はある程度まだ暴動が多発するような状況にはなっていない。


 帝国の食糧事情が根本的に改善不能なのも併合地域の広大さに比べて戦力や人材のみならず支配領域の農業事情が殆ど改善されていないという実情からでもあった。


「ようやくだな」


 そんな帝国のお得意様は国境を接する大陸北部の国々だ。


 戦乱、争乱、内乱、反乱。


 とにかく乱が多過ぎると歴史家が愚痴りそうな小国、地方軍閥の群れ群れ群れ。


 大きくは無いが険しい山々に隔てられた海までの直線上には少なからず50以上の国を通り過ぎる必要がある。


「此処が入り口か」


 昼夜無く馬を中継地点で借り受け走り続けて帝都から10日。


 帝国軍の軍用行路を只管北に向かって1000km弱。


 広大な帝国領土の最北域は小規模ながら複数の連山が連なっており、その山間の細い街道は今、北部の開通したトンネルによって賑わっていた。


『商隊さんいらっしゃーい!! ウチは安いよぉ!!』


『隊長さん!! 寄ってって!! 昼から若い子がお酌してくれるわよ!!』


帝国大隧道ていこく・だいすいどう名物の垢鳥の丸煮だよぉ!!』


『今なら昼食に夕食も付けて隊全員宿泊で定価の8割だぁ!!』


 北部に送る大量の武器を持った商隊の群れが縦列する街道沿いの宿場町は馬糞の臭い溢れる宿場外の川沿いの停留所街と山の直前にある宿屋街に別れる。


 切り立った山を貫くトンネルはこの30年という月日で建設された帝国最大の物流インフラであり、総延長32kmもある大作だ。


 禿山ではないが、山々のあちこちには太い網が落石防止用に地面へ掛けられ、帝国の国土管理部門の工員達が手作業で枝や他の植物を刈り込んでいた。


「すっげー!? デカァ!?」


 この十日、馬車の上に乗るやら、馬車の内部で寝るやら、馬車の御者台で風を感じるやらしていたデュガである。


 現代からしたら巨大という程でもないが、十分に4頭立ての馬車が擦れ違える大きなトンネルは目を丸くする理由には十分だろう。


 今回の旅は大型の四頭立て馬車に食料と長期旅行用の道具を満載。


 それが2台という装備だ。


 帝国軍の印が入れば、立派な軍用馬車の出来上がり。


 それでもかなり揺れた。


 だが、実際にはそれすら実はとても軽減されているのは間違いない。


 何故なら、現代知識の一端を入れ込んだフィティシラ・アルローゼン謹製(職人の人に感謝しかない)だからである。


 このご時世に大陸の最南端で取れるゴムの存在を知って、取り寄せたのは数か月前の事であり、ゴムを使用した馬車の車輪は少なくとも整地された街道を行く限りにおいては現代人からしても快適の部類だった。


『揺れない? この馬車が普通とは違うというのは解った……それにしても静かだなぁ……』


 面食らった様子のゾムニスの横では同じようにノイテもデュガも驚いていた。


 馬車は揺れるもの。


 という常識がひっくり返ったのである。


 昼夜無く走る際には各地の帝国軍の守備隊が街道沿いの巡回やら道の保守点検をやらされたようだが、国内の帝国軍が暇な貴族の閑職である事を知っていれば、左程の罪悪感は無かった。


 夜もランタンを複数灯しての鈍行。


 国内の併合地域以外は治安も悪くない帝国だからこその旅だろう。


 途中、用を足す時は一斉にするくらいが問題だったが、何の事も無い。


 ちなみに個人的に一番旅に持って行きたいのは尻を拭く紙だったりする。


 帝都の上流階級はまだいいが、地方などは葉っぱを揉み解したものがよく使われるらしく。


 そういう資源が無い場所だと木製の洗って使う器具で尻穴を拭う方式になるとの事。


 出来れば、ご厄介になりたくないし、見なくていいように心掛けたいものである。


『ぬ、ぬぬ?! そのような手があるとは!?』


『これはそちらが一枚上手だったようだ』


『ただの袖飛車だ。定跡が無い分好き勝手するのがいいって習った(あっちのじーちゃんに)』


『ソデビシャ? 奇怪な名前の戦法ですね……ぅ、普段と違う位置に駒が置かれると中盤からこうもやり難いものですか』


 多少揺れる馬車の中でゾムニスやノイテ相手にこの世界での12面×12面の盤上遊戯……チェスと将棋を足して2で割ったような変則的な代物【パラド】をやっていたので気は紛れた方だろう。


 まぁ、のけ者にされた約一名の元蛮族系お姫様が暇で暇で暇だと叫んだくらいの長閑さだった。


「こちらで北部の方がお待ちです」


 最初から予約が取られていた現地で一番良い宿屋のすぐ傍では軍人ではない。


 祖父の暗部所属だろう男が予め待っていた。


 北部に手配した案内人と引き合わせたら周囲を見張る任務に就くらしい。


 まだ昼時という事もあり、周囲は賑わっているが、一番高い宿というわりには周囲は喧騒が遠い。


「ご苦労様でしてた」


「い、いえ、任務ですので。では……」


 一般人にしか見えない男が頭を下げてからすぐに宿の外へと消えて行った。


 恐らくは本当に国家規模のVIPの為に使われるのだろう場所は古びれてこそいないが、格式が低そうにも見えない。


 外見は貴族の邸宅風。


 二階建てであったが、誂えの良さそうな錆び一つ浮いていない門とそれなりに広い庭が向背に山を抱えて置かれているが玄関口からも左の後方に見えた。


 恐らく、襲撃を警戒するには打って付けの立地なのだろう。


 何せ山は帝国軍管理下だ。


 要人が泊っている時はその場に部隊を駐留させておけば、それで事足りる。


 ついでに喧騒が遠い場所に向かう人間は目立つ。


 裏手の庭から逃げる事も想定されていれば、逃走経路も完備されているだろう。


「ようこそ。おいで下さいました。お連れ様は二階の最奥。英雄の間でございます。お茶や夕食はどうなさいますか?」


 30代の女将っぽい女性が貴族風の黒紫色のドレスで出迎えてくれる。


「お構いなく」


「解りました。では、ごゆるりと」


 部屋の鍵が手渡され、全員で二階に向かう。


 それなりに長い通路の奥。


 最も山に近い部屋にノックするとどうぞの声。


 飴色の通路に花柄の壁紙。


 ドアノブを回して中に入ると小さな背中が振り返るところだった。


「あ、フ、フィフィフィ、フィティシラ・アルローゼン姫殿下であらせらるれるでひょーかぁ?!」


「後半の言葉遣いが行方不明だ。落ち着け」


「へ、ご、ご、ごご、ごめんなひゃいれふぅ?!!」


 何やら物凄くどもって怯えた様子でブルブルしているのは土色のフードを被った自分と同年代(外見)の少女だった。


 蒼い瞳に青黒い爪。


 それから童顔だが、それなりに高貴そうな顔立ちは育ちの良さも伺えて、殆ど煤けていない事からも北部の良いところのお嬢さんと見えた。


 フード付きの外套の色合いはどうやら偽装の類なようだ。


 本当に汚れている気配は無い。


 敢て、そう見せている感が強かった。


 パッと見ならば、落ちぶれた貴族の子女だろうか。


「如何にもこちらがフィティシラ・アルローゼンだ。名前を伺ってもいいか?」


「へ? は、はははは、はい!? と、ととと、当方はゼドゥルカのイオ家の末妹!! アテオラ・イル・イオとも、申しますぅ。あぅ~~こ、言葉遣いが滅茶苦茶でも、もうしわけござぁ、ひっく、うぅぅぅぅぅ」


 もはや涙目でオロオロするしか出来ないアテオラと名乗った少女のフードを剥がすと流れるような長い黒髪姿だった。


「解った。取り敢えず、アテオラと呼ばせて貰う。まずは席に掛けて落ち着け。それから深呼吸しろ」


「は、はぃぃぃ~~」


 何故かヒッヒッフーし始めるラマーズ法とかあるのと首を傾げそうな目の前の少女は自分を何とか落ち着け始めた。


 後ろではもう興味を失くしたらしいデュガが欠伸をしつつ、使われていない皺一つ無い寝台のシーツの上にダイブし、ノイテにやれやれと呆れられている。


「落ち着いたか?」


「は、はぃ……す、済みません。と、当方、帝国の偉い方に会うのは初めてで……」


「気にするな。あちらに無理を言ったのはこちらの祖父だろうからな」


「ひぅ?! お、お、おお、御爺様には何卒!? 何卒よしなに!? よしなにですぅ!? お、お願いなのでどうか悪くはお伝えなさらぬようぅぅぅぅ!?」


(どれだけ諸外国に畏れられてんだか。あの孫馬鹿な祖父……)


 改めて祖父の力は偉大ダナァとげんなりしつつ、話を促す。


「と、当方が北部の視察を案内する事になりましたイオ家からの使者デス」


「固い固い。別に取って食わないから力を抜いてくれ」


「と、とと、取って食うなんて滅相もない?! と、当方やせっぽっちで美味しくないですよぉ?! は、これはばあやが言っていたあっちの意味!? え、もしかして当方の貞操の危機?! で、でも、そ、それでゼドゥルカが救われるならぁ!!?」


 もう勝手にヒートアップしている少女に溜息を吐いて、頭をポンポンする。


「ぁ……」


「何もしないから、そんなに怯えなくてもいい……」


「はぅ。はぃぃ……」


 何かようやく落ち着いてきたらしい少女が紅い頬で涙目をゴシゴシ袖で拭いながら、ぎこちなくこちらに微笑んだ。


「それでアテオラ。聞いている通りなら、北部の目的地までの案内をしてくれるって事だが、他に人は?」


「そ、それがぁ、そのぉ……」


 思いっ切り、脂汗を流した少女の瞳が泳いだ。


「何か問題が?」


「ぅぅ……も、もぅしわけありません!? ひ、1人になっちゃってぇ、えぐっ!?」


「一人になっちゃった?」


「そ、それがぁ……」


 事情をしばらく聞いてみる。


「……成程? つまり、信頼出来る傭兵を護衛に付けて此処まで来る道中に野盗に襲われて応戦している間に逃げて来た、と」


「傭兵さん達は当方を逃がす為に残ってぇ……ぅぅ……」


「心配なのか?」


「ぃ、ぃぇ、料金分のお仕事はして貰ったので文句は無いんですけどぉ……でも、これで1人じゃ帰れなくなっちゃってぇ……ぐす」


 戦乱が起こっている地域なだけあって、微妙に逞しい意見だった。


「家に連絡出来ないのか? というか、再度合流しないのか?」


「それがぁ……」


 小声でお財布無くしたんですと呟かれた。


 それと戦闘1度毎に別途支給の条件で別料金らしい。


 何でもなけなしの金だったのだとか。


「はぁぁ……解った。取り敢えず、金の事はしばらく心配しなくていい。それよりも祖父が言うには地理に詳しいヤツを頼んだって事だったんだが、通常の地図以上の働きが出来るのか?」


「は、はい!! ゼドゥルカのイオ家は天候予測と測量の大家ですから!!」


「天候、測量?」


「当方の産まれたイオ家は地図作りの家なんです!!」


 何やらいきなり明るい話題とばかりに少女が笑顔となる。


「そういう事か。地図とか国際情勢は頭に入ってると考えていいのか?」


「は、はいぃ!! お、お役に立ちますぅ!? 絶対!! 絶対!!」


 振り子人形並みにフンフンフンと頷く少女の目はキラキラだ。


「解った。それじゃあ、頼もう……お前らもそれでいいか?」


 クルリと後ろを振り返るとダラケた寝顔で速攻居眠りしているデュガの横でノイテがシーと口元へ人差し指を立てていた。


 そして、護衛であるゾムニスはと言えば、馬車の中で対戦した盤上遊戯の棋譜のような譜面を凝視し、ブツブツ独り言を言いながら話を聞いていなかった。


「お前ら……ホント、緊張感無いな……」


「あのぉ……」


「心配するな。いつでも旅人は心配性なくらいで丁度いい」


「それってぇ……」


「期待してるぞ。アテオラ」


 同年代の少女の方をポンポンする。


「せ、責任が何か降り注いでる気がしますぅぅう?!」


「気のせいだ。たぶん……」


「ひぅ~~~~?!!」


 こうしてトンネルを潜る準備は出来たのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る