第3話「悪の帝国Ⅲ」


 悪の帝国の朝は早い。


 女に産まれなきゃ良かったと思うのは朝っぱらから女中連中に髪を櫛くしで梳すかれるやら、お湯で湯女ゆなと呼ぶらしい日本でいう昔の銭湯にいたサンスケとか言うのの女性版に身体を洗われるやらする度に思う事だ。


 さすがに衣服は自分で着させろと通したし、湯舟に入っている最中はカーテンも引かせたし、お嬢様に構いたい病を発症している女中達に何とか自立して生活する意義を説いて黙らせたのは記憶に新しい。


(ホント、あいつら何も言わなかったら、食事まであーんで食べさせ始めかねないからな……)


 学校教育を受けられるまでに家庭教師や本を活用したのは身体を大きくされてから数か月間の出来事。


 その後の生活は短いが何とか形には成っていた。


(学業に行きたいと言えば、学業開始記念で帝国一の若手軍人さんをプレゼントされたらしいしな……哀れ過ぎるなリージ……今度、労っとこう)


 衣服を着込んで朝食の場に行けば、まだ老人は帰っていなかった。


 女中達にすぐに食べて出られるものをお願いし、ようやく出して貰えるようになったゆで卵やらベーコンやらサラダなどの殆ど手間の掛からない料理は貴族にしては質素(食材の質は抜きで)だと言われるかもしれない。


 まぁ、日本で喰われているモノと全て同じではないが、味の大差がない事は本当に安堵するところだろう。


(帝国って何でも香辛料掛けるやら塩加減が濃いからな。こんなの喰ってたら、そりゃ太く短くしか生きれないだろ)


 ベーコン一つ取っても女中に塩抜きさせている為、無駄に油や塩分を取らない自分の健康は良好だ。


 食事を終えたら、馬毛製の歯ブラシで歯を塩とミントっぽい香草の歯磨き粉で磨いて私室からカバンを持って、その脚で登校となる。


「へ~~すごいな~♪」


「デュガシェス様。あまりキョロキョロしては……」


「違う違う。デュガって呼ぶようにって言ったろ? ノイテ」


「う、は、はい。デュガ……」


 貴族街の緩やかな坂道を歩く貴族などいない。


 殆どが馬車だからだ。


 それも早朝ともなれば、まだ走っている馬車すら無い。


 普通は此処で2頭か3頭立ての馬車にお付きの者を詰め込んで自分は一頭立ての馬車で登校……というのが貴族の子女達のスタイルだ。


「それにしてもフィーって変なヤツだな。やっぱり」


「そうか?」


 背後にいるのはメイドが2人。


 デュガとノイテであった。


「どうして歩くんだ?」


「地理に詳しくないと問題になるからだ」


「チリ?」


「周辺の地形の事ですよ。デュガシェ……デュガ」


「へ~~軍人でもないのにすげー物知りになりたいのか? フィーは」


「そういう事だ」


 家の女中として秘密の一端を握られた相手を雇用。


 ついでに女中連中に『一人では絶対に歩かせないぞ』と涙目でストライキされそうな現状も回避したので一石二鳥である。


 ちなみに2人とも三つ編みにさせているが、カツラ……今風に言うならばウィッグというやつだった。


「いいか? デュガ。問題は起こすな。何か問題だと思って手足が出そうになったら、オレの顔を思い浮かべろ。オレが失墜するとお前らも身元がバレてすぐに斬首刑だ。ノイテも巻き込むからな?」


「りょーかーい♪」


「ぜってぇ解ってねぇ……ノイテ。お前が何かあったら止めるようにしてくれ」


「貴女に言われるまでもない」


 対照的な2人。


 片や呑気にお嬢様学校へ。


 方や剣呑にお嬢様学校へ。


 だが、だからこそ、どちらにも言い聞かせるべきは自分の身の安全だ。


「どんなに胸糞の悪いお嬢様やらがいても絶対に相手へ手を挙げない事。何かされる時は我慢だ」


 ノイテは胡乱な顔であった。


 この3日というもの。


 色々と現状での自分の手駒として働けば、帝都の外に出る機会は必ず作ると約束する事で衣食住の保証と共に大人しくして貰っているが、彼女達にしてみれば、帝都にいるのは敵の腹の中である。


 ノイテなどは好条件を出されて渋々という状態であるし、その主らしい子犬はまーなるようになるさーと能天気なんだか、大物なんだか分からない様子でニッコリ。


「すぐに報告すれば、こちらでどうにかする。さすがに一生ものののケガとか、障害になりそうな傷を受けそうになったらケガを負わせない範囲で反撃していいから。それでいいな?」


「はーい」


「相手を殺したりは無しだからな?」


「……はーい」


「その間は止めろ。オレが面倒事を揉み消す嵌めになる」


「はい!!」


 返事だけ良くても護らないタイプと見たが、さすがに自分の現在の状況が詳しく解っているとは思いたいので微妙な不安は胸の奥にしまっておく事とする。


「よろしい。正門が見えて来た。黙ってろよ……二人とも」


 こうして最低限の女中連中のメイド力……礼儀作法の類を学ばせた2人を伴っての登校となったのである。


 正門前には今日も女性騎士達が眠そうな様子もなく。


 きちんとした身なりで歩哨に立っていた。


「お、おはようございます。殿下」


「おはようございます」


 僅かに会釈してお嬢様風なスカートの裾を摘まむような仕草。


 つまり、カーテシー抜きでスタスタと歩き出せば、背後からはいつもより視線が強い気がした。


 チラリと振り返ると2人の偽女中もとい偽メイドが静々と歩いている。


「ノイテ。そこのお前の主の沈黙って何分持つんだ?」


「何か酷い事言われて無いか? あたし」


 デュガが微妙に首を傾げた。


「まぁ、今みたいに大人しく無言で貫き通してくれって事だ。叫ぶの禁止。大笑い禁止。勤めて他の人間がいるとこでは無表情を装え。あんまり表情豊かだとお嬢様連中に目を付けられるぞ」


「心配には及びません。デュガシェス様にはこのノイテが付いています」


「言った通り、お前らはオレの家の立てたクラブハ……小さな館にいろ。内部は好きにしていいが、昨日言い含めておいた通りの対処をしてくれ」


「了解しました。では、此処で?」


「ああ、学内に入れば、動きは自由だ。食料は持って来たヤツを食べてくれ。館の間取りは地図を見ろ。オレはこれから学業に勤しんで来る。昼になったら来るから、問題は起こすなよ」


「はいはーい。お~~これがブラ女か~~」


「その言葉、他の奴らの前で言ったら、どんな事になるか分からないからな?」


「はーい。ふふ~~~」


 物珍しいものを見るオノボリサン全開のデュガがキョロキョロする。


「デュガ。行きましょう」


「え~もうちょ―――」


 ズルズルとデュガがノイテに引き摺られるようにして家の所有する館へと向かって行った。


 その様子は明らかに手の掛かる妹と世話をする姉だ。


「ふぅ……」


 ようやく肩の荷が下りた気分で噴水近くまで歩いて行くと。


 薔薇の園の片隅で灰色のフリルの付いた作業着が目に入った。


「生徒会長様。おはようございます」


「ん? ああ、君か。おはよう。今日も早いね」


「その私より早く来て花壇の世話をしている方もいるようですね」


「あはは。朝露に光る薔薇もいいものだよ。裏にある百合も朝方のは格別なんだ。此処だけの話だけどね?」


 一本取られたと頭に手を当てて少女が微笑む。


 ユイヌ・クレオル。


 学院の生徒会長が言うならば、それは事実なのだろう。


 立ち上がって寄って来た笑みはいつも帰りに見る時とは違って、他の人物の目が無いからか何処か柔らかい。


「今日は誰か連れて来ていたようだけれど、女中の方かな?」


「はい。2人程雇い入れたので」


「そうか。そう言えば、君は帝都の奴隷市のオークショニア達と親しいらしいね」


 どうして知ってるんだよ、と思わなくも無い。


 が、こういうのは女の園では普通だ。


 秘密なんてものは女性が3人もいれば、誰か知っているものである。


「ええ、今事業を手掛けていまして。人が欲しいので各市場の方々とは親しくさせて頂いています」


「それにしても君は多才だと思うよ。その歳で本当に……」


 このファンタジー込々な癖に魔法は無いが、巨獣の類はいる世界において物理現象を超越する現象は多くない。


 ドラゴンみたいな超常染みた生物やソレに関連する何がしかの道具くらいなものである事は調べが付いている。


 自分の歳が見かけ上のものではない三歳程度というのは大貴族の中でも耳聡いものが秘匿しそうな類の噂だ。


 それを揶揄されたのだとすれば、侮れる相手では無かった。


「勉強が好きなだけですよ」


 そう当たり障りの無い薄い笑みで返しておく。


「そうか。そうなのかもね……世に言う御伽噺や伝説の人々、傑物達の多くは君みたいに破天荒だったとも聞く」


「褒め過ぎです……」


「ふふ、本当に面白いな。君は……その瞳をした者は貴族の社会にも多いけれど、本当の【蒼アズルス】は……君みたいな子なのかもね」


「そこまで言われると恥ずかしくて困ってしまいます。生徒会長様」


 “蒼”とはこのブラスタの血族の貴族社会においては特別な意味を持つ。


 始祖と呼ばれるブラスタの血族の大本の者達は多くが特別な色の瞳を持っていたと伝わっており、その色こそが蒼だ。


 普通の青とは違って、透明感のある空や海、湖の色合いを示す蒼い瞳は帝国において優遇を受ける。


アズルス】とは貴族階級におけるそんな色の瞳を持った真の貴族。


 大貴族の子女子弟に時折現れる深い蒼色の瞳を持った者達。


 その色合いの良し悪しだけで寿がれる事も多く。


 学院にはその色の違いはあれど、大体青か次点で優遇される赤色や紅の瞳の少女しか通っていない。


「ふふ……その呼び方もう必要ないんじゃないかな? こうして、私達は共に静かな朝の秘密を共有しているだから……」


 ファサリと御団子のように丸められた髪が解かれた。


 庭仕事中のユイヌしか見た事が無かったが、髪を解いてみれば、確かに中性的な顔立ちではあれど、本当の貴族の貴公子か。


 もしくは貴族の凛々しい女傑かという美少女なのは見て解る。


「……解りました。では、何とお呼びしましょうか?」


「ユイ……そう呼んで欲しい。君には」


「解りました。では、人気の無いところではユイとお呼びする事にしましょう」


「あはは。普通の子なら、これですぐに墜ちてしまうんだけどな?」


 冗談染みているが冗談ではない百合百合しい事実は耳に入っている。


「悪い生徒会長様のようで。生憎と育ちが悪いもので……」


「それには沈黙で返すしかないね。私からはフィーって呼んでいい?」


「ご自由にどうぞ。では、そろそろ図書館に行かなければなりませんので」


「ああ、話せて良かった。じゃあ、また……」


「はい。では、また……ユイ」


 軽く会釈して図書館へと向かう。


 少しだけ突っ込んだやり取りに内心は緊張していたが、上手く交流を交わせたようだと安堵する。


 悪い人間には見えないが、それにしても事情通な相手が知り合いに出来てしまうのは中々に骨が折れそうだ。


『……可憐だ……この胸の高鳴り……こんな事、一度だって無かったのにな……でも、温かい……今日も一日君が幸いであらん事を……フィー』


 とにかくまずは図書館で今日も読書。


 その後は講義を受けてレポートを提出し、今後の予定を詰めるのに昼時は館に向かう事にする。


「あ、そう言えば、あいつら……掃除出来るのか?」


 嫌な予感がしたものの。


 全て後回しにする事とした。


 お嬢様をやるのはこれで案外疲れるものなのだ。


 少しくらいは図書館で寛ぐのも日々の癒しの一つに違いなかった。

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