第317話「人質」


 世の中の戦術や戦略と呼べるもので実質的に軍に拠る戦闘を想定した多くの叡智は突き詰めると3つの要素に別れる。


 敵の数と現在位置の確認。

 火力の集中方法。

 火力の維持方法。

 大雑把にはこれが全てだ。


 敵よりも早く相手の数と位置を確認し、敵よりも効果的な火力の集中方法を見付け、その火力を維持する為の兵站を確実なものにする。


 戦闘の実際において火力とは兵器の事を指すが、それの射程と威力、効果範囲が重視されるのは言うまでもないだろう。


 誘導兵器や効果範囲の広い大量破壊兵器に類する代物が最終的には核ミサイルとして機能を集約されるのは前述された敵の数と現在位置の確認の手間と火力の集中方法の手間を省ける事が最も大きい。


 大規模な攻撃は数と位置をある程度無視しても効果があるし、火力は集中させなくても広大な効果範囲のおかげで考える必要が無いくらいに効果が出るからだ。


 これらに割く手間が省けるという事はそれだけで数多くの戦力の維持に関する負担を軽減し、核保有国は先進兵器こそ持っていたが、第二次大戦期のような過剰な戦力を養う必要が無く。


 軍備を小規模で維持する事が可能になった。


 要は金を軍に掛けなくても十分に紛争などで戦うには足りたのである。


 このパラダイムこそが核を経済兵器と言わしめた事実であり、その上で戦力を増強し、常に最新を求め続けたアメリカが最強であった事は論を持たない。


 ソ連が負けたのは核の数ではなく。


 アメリカと渡り合う為の軍備拡張には共産主義の経済性では限界があった、というだけの話なのである。


 これは正しく思想の勝利と言えるが、資本主義が共産主義よりは富む事が出来たという事例に過ぎない。


 戦略研究、戦術研究の多くも最終的には数学の世界になる。


 現実を数や関数や数式に落とし込む事こそが、最も効率的な戦い方となった。


 その最北こそがドローン師団のような死なぬ兵隊による数学的な戦術、戦略の反映を容易とする効率化の極致であり、これを前にして人間を維持する必要に駆られる軍隊が敗北したのはまったく条理道理の上では当然であった。


 然るに今戦争をするポ連がある程度は効率的な動きをするのは鳴かぬ鳩会がバックに付いている以上、普通の話だろう。


 あちらは正しくそんな時代の戦術や戦略が出来る者達なのだから。


 こちらの姿を敢て晒したのだ。


 それでどうなるのか、なんてのは一目瞭然の有様に違いなく。


 ドゴォッ、ドガァッ、という至近距離への擲弾による攻撃が執拗に車両を追い回していた。


 現在位置はカレー帝国の国境粋。

 天海の階箸まで残り300kmを切っているというところだ。

 遠方からでもその天貫く柱は見えている。

 しかし、それでも遠い。


 ポ連の陣地辺りから出撃したと思われる車両が合計で300台近く。


 背後に迫っている光景には助手席の中佐も顔が真っ青であった。


「ど、どどど、どうするのよ!?」

「え~ぁ~~適当に逃げながら天海の階箸まで向かう?」


 横を向きながらハンドルを切りつつ答える。


「何でそんな緊張感無いの!?」


 ぶっちゃけ、こんなのに構っている暇はないし、今のハンドル捌きなら、相手からの直撃も受けない。


 そもそもあちらがかなり手加減しているのはミニガンっぽいものが搭載された車両が数十台いながら、こちらを蜂の巣にしようとしない事からも明白であった。


 あっちは恐らく生け捕りを言い渡されているに違いない。


「車両を吹っ飛ばそうってなら、適当に全滅させるんだが、あんなのを国境付近に置いておくのもなぁって事だ」


「それより私達が危機的状況なのよ!?」


「これの何処がだ? あっちは生け捕り所望で蜂の巣にする気も無いし、車両の故障を狙ってるだけ。ある程度は回避も可能だし、しばし爆音はBGMだと思って寝ててくれ。付いたら起す」


「そう、そうね。って言えるわけないわよね!?」


「く、乘りツッコミまで使いこなすとは……やるなアメリカ軍人も……その調子でアメリカンなジョークでも呟いてるといい」


「あ、貴方ねぇ!? って、前々マエェエエエエエエ!!??!」


 叫んだ少女を横に目の前の大きな岩を片輪走行で避ける。


「ぁあああぁあぁあうぅぅううぅぅう!!?!」


 もう涙目な少女は意識を失い掛けているようだ。

 今は原野地帯に入っている。


 此処から草原や平原を抜ければ、そのまま天海の階箸なのだが、どうにも道をボコボコに破壊してくれているポ連兵が擲弾をこちらよりも遠方へと射出し始めた。


 道が無ければ走れないよね。

 という事らしい。

 その通りかと言えば、違う。

 こちらはオフロードカーだ。


 即座にハンドルを切りつつ、爆破圏内ギリギリまで加速。


 脇道にそれながら爆発を蛇行で回避し、ジグザクに走行しつつ、切り抜ける。


 あちらとの距離は縮まるが致し方ない。

 シートベルト完備で本当に良かった。


 無かったならば、助手席で虹を垂れ流す中佐を見る事になっていただろう。


 大人しく失神してくれている内だと上限の300km近くまで一端加速。


 相手を一気に引き離しつつ、擲弾の弾着よりも早く道を抜ける。


 逆にあちらは自分達のせいで凸凹になった道で脱輪したり、高速で吹っ飛んだりしながら数を減らしていた。


 残念ながら、彼らに対して今現在何かしてやれる事は殆ど無い。


 取り敢えず、車両の中で挽肉になってしまいそうな相手に内心で合掌後、魔術を起動。


 まだ衣服を着替える前の時点で残していた空間制御用の石ころ。


 小さな小石程度のソレを握って、空間の引き込みを前方に開始。


 続いて引き込んだ空気をエネルギーに変換。


 掌に発生するソレを魔術で誘導し、車両後方の一面に這わせるようにして運動エネルギーとして放出。


 結果は単純極まる。


 物理的な距離が縮まった前方に対してニトロでも使ったのかという加速でツッコムという荒技が炸裂した。


 ワープ時のスターボウのような光の線こそ見えないが、新幹線よりは早いだろう時速700km程まで加速。


 摩り切れ始めるタイヤだが、一気に駆け抜ければ問題無いとばかりに加速は継続。


 そもそも残り数百kmが空間制御の引き込みで半分以下になるのだ。


 そこで加速も加われば、結果は押して知るべし。


 慣性制御もあるので助手席の中佐が呼吸困難になるという事も無い。


 数分後。


 時速1000km程にも達した車両のタイヤは限界ギリギリ。


 残り3km程度と迫った視界には……当然のように先回り済みのポ連軍と大量のNVが待ち受けていた。


 その後方には航空戦艦に釣られた四胴の空母。

 いやぁ、追い込み漁は大変でしたね、と言わんばかりの陣容だ。


 よくよく見て見れば、階箸の手前には男の娘に猿轡を噛ませられてグルグル巻きにして転がされた男達の姿。


 勿論のように銃を突き付けられ、爆薬らしきものが彼らの周囲にはセット済みであった。


 車両を魔術の慣性制御で分解。


 然る後に気を失っている中佐をお姫様抱っこして両足で道路の地面を削りながら靴底を気にせず減速。


 ポ連軍の車両をサーフィン染みて高速で抜けながら止まったら、あっという間に包囲された。


『ふふ、はははは……愉しんでくれたかね。易い追い掛けっこだったろう?』


「ぇ~っと、その声は……」


『だが、借りはまだ返していない。アルコーンの時の事は覚えているかな? カシゲェニシ・ド・オリーブ』


「副総帥……アンタか」


『名前で呼んで欲しいものだね。君と私の仲じゃないか』


「ポ連を纏めてるのは総帥じゃなくて、そっちだったわけだな」


『如何にも!! 君の良心に訴え掛ける極めて純粋な人質作戦だ。ああ、ちなみに天海の階箸内部にもポ連兵は展開済みだよ。赤子達にもしっかりと其処に転がってる連中と同じく特性の注射を行わせて貰った。13時間後までに解毒剤を服用しなければ、彼らは死ぬ。勿論、君相手だ。解毒剤自体もちゃんと用意している。嘘は無しだ。割れ易い硝子の小瓶に乳児用の注射器まで用意したんだ。まったく、君のおかげで要らぬ手間を取った。投降してくれたまえ』


「はぁぁ……赤子に手出しするとか。外道って言われないか? アンタ」


『ちゃんと哺乳瓶でミルクを上げている最中だ。いやぁ、まったく、口の訊き方が成ってないな。この子達の骨を何処か一本折れば、その口は治るのかね?』


「OK。分かったよ。副総帥……従おう。何処にでも連れていってくれ」


『それから君の拉致した彼女だが、返してもらおう。あちら側に引き渡す予定なのでね』


「分かった。オイ、起きろ」

「ふぁ?」


 ようやく目覚めたらしい少女がいきなりお姫様抱っこされている事に気付いてブルブルと首を横に振った後、周囲を見てから自力で立つ。


「ど、どうなって!?」


「残念だが、逃避行は此処までらしい。ポ連に人質を取られた。其処に転がってる連中には薬も盛られてる。此処にいる連中は一部だろうし、塔内部では他の奴らと赤子も銃と爆薬を横に置かれて、毒の注射をされてる最中。オレが投降しないと命は無いそうだ」


「な―――」


 絶句した少女がワナワナ震える。


 それに対して相手から見えないようそっと掌に水晶玉を握らせておく。


「中佐殿。結構、アンタとのドライブは楽しかったぞ。まぁ、此処が滅ぶまでは宇宙には無い海でも観光してるといい。オレはこれから無抵抗で投降しなきゃならない。拉致って悪かったな」


「ぁ……ぅ……」


 プルプルと震えた少女相手にお手上げのポーズをしておく。

 すると、ポ連兵が一斉にこちらを捕縛するべく。


 取り囲まれたと思ったら、殴る蹴る銃床で殴打というフルボッコなフルコースを受ける。


 まぁ、そんなに痛くは無いのだが、無抵抗で吹っ飛ばされておく。


「や、止めなさい!! 捕虜の扱いは―――」


真里香マリア・カーター中佐。ご無事で何よりです。貴官の救出は既にUSA宇宙軍に対して行っており、すぐ迎えの者が来るそうですので、兵の誘導に従って下さい。後、その男に対して、銃で手足を撃たずにいるのは甘い措置だとお考えを。いや、これから四肢は切り離すのですけどね?』


「な!?」


 と言っている合間にもポ連兵達の間から何やらチェーンソウを持った連中が出て来た。


 妙にメタリックでカッコ良さげな近未来的なロマン兵器だが、その刃先には僅かに紅の輝きが見て取れる。


「勘弁してくれ……」


『首を切り落とされないだけマシと思ってもらいたいな。やれ!!!』


 完全に私怨が入りまくり。


 転がされた地面で両腕両足を広げさせられたかと思ったら、容赦なくその回転鋸が物理的な原理では防御不可能な破壊をその刃先に宿し、振り下ろされた。


 一瞬で切断された後。

 血飛沫が上がる。

 失血死するレベルの血液を失うわけにもいかず。


 また、相手に痛がってる様子くらいは見せておかなければ溜飲が下がらず。


 相手の更なる理不尽が人質に襲い掛かる可能性も捨て切れず。


 痛覚を20分の1程度に絞って受けてみる事に―――。


 喉が絶叫を上げているらしいが、あまりの痛みにビクビクと身体が跳ねた。


 早くも傷口の再生は始まっているが、それを見越してか。


 首筋に太い注射が3本。


 その上で傷口には白いパットのようなものが押し当てられ、そのまま黒い革製の平べったい紐でグルグル巻きにされていく。


 視界は涙で滲んでいるし、悲鳴は零れているし、失禁は免れない痛みだし。


 その光景を見たからか。

 耳には愉悦した嗤い声が響いてくる。


『おやおや、蒼き瞳の英雄ともあろうものが、痛みで失禁とは……くくく、下半身もと言いたいところだが、生憎と君の再生能力が何処まで通用するかは分からないのでね。それで勘弁して差し上げよう。君には2時間おきに薬を打たなければ死ぬ身体になって貰った。最初の注射は効果が4日持続する。次の注射は2時間その効果を無効化するものだ。3つ目の薬は心臓は動く程度の筋弛緩薬。さぁ、総帥への手土産も出来た。君はもう何も出来ない。大人しく付いて来てくれるかな? ああ、君の使う触手に関しても手は打ってある。使おうとしても不可能な事は言っておこう』


 何やら先程こちらの四肢を切り落とした連中が両手両足に準備していた黒く太い革製の束を取り出したかと思えば、中から釘程度の細さの金属製のパイルを取り出した。


『やれ♪』


 S気があったらしい。


 四方八方から杭が拘束している革の隙間から人体内部に……人体の重要臓器、太い血管を傷付けない場所に押し込まれた。


 やっぱり、20分の1でも十分に死ねる悲鳴が出る。

 だが、それを期にして触手は確かに使用不能となった。

 神経がゆっくりと壊死していくような麻痺する感覚。


 恐らく神経間の信号をブロックする仕掛けが施されているのだろう。


 心臓辺りに撃ち込まれてはいないが、常時呼吸困難で内臓機能が低下する事になるのは避けられないに違いない。


『くくくく、無様だな。張り付けられた蝶の方がまだ可愛げがあるというものだ』


 お前らの時代に蝶なんていたのか、という軽口は悲鳴で出ないし、実際に人質を取られた手前、挑発も出来なかった。


「―――ぅぷッ?!!?」


 思わず中佐が口元を抑えて、それでも抑えきれずにカレー帝国で適当に買って食べた料理を虹色の川にしてしまう。


『ああ、済みません。お前達、中佐を介抱して差し上げろ』


 こうして中佐はドナドナとポ連兵に背中を摩られながら連れて行かれた。


 こちらの横にはすぐに棺桶のような半透明のケースが用意され、ご丁寧にも目隠しとヘッドフォンが掛けられる。


 五感を遮断しつつ、相手に恐怖を与えるという趣向なのだろう。


 まぁ、悲鳴が出ていた口へ最後に猿轡が噛ませられる辺り、相手の怒りと性癖が透けて見えた。


 脳内で起動していた光量子通信を開始。


 暗号化してある上に超微弱な信号でも復元可能な原理上、相手に悟られる事は無いだろう。


 中佐に渡した水晶玉が途中で分裂し、誰にも気付かれぬように透明化した後、周囲の観察を開始する。


 人質達は用済みなれば、殺されるというのが相場であるが、そうしようという程にはまだ使い潰していないという事なのか。


 ポ連兵は人質達を引っ立てると爆発物を撤去し、塔内部へと向かっていった。


 一人手に転がる見えざる玉がそれに同行しているとは誰も思うまい。


 一緒に天海の階箸内部へと入れば、塔の最下層には赤子も含めて数千人が存在していた。


 ポ連兵が外の人質達をその中に突き飛ばす。


 その後、銃を向けて掃射を開始でもするのかと思えば、何処か後ろめたそうな顔になった後。


 放置して上へと上がっていく。

 無論、解毒用の小瓶だの注射器が用意されている様子は無い。

 恐らくは解毒薬だけは供給し続けて飼い殺しにするのだろう。

 それを管理するポ連兵は上の階にいるに違いない。

 分裂しつつ、上層部に向かうポ連兵のポケットに入る。


 月に向かう前に使っていた弾丸列車内部に入った兵達が大きく疲れた様子でドカッと腰を座席に降ろした。


 内装はちゃんと使える程度にまでは改修したらしく。

 座席もちゃんと人数分用意されている。


『はぁぁ………』


 深い溜息。

 そして、不快そうな顔で天を仰ぐ兵が多数。


『家に帰りてぇ……』

『同意する。同志』

『でも、オレらがやらなきゃ、家族は死ぬんだ……』


『オレの家、海になってた……ぅ……避難出来たのかなぁ。カミさん今4か月目なんだ』


『オイ。止めろよ……皆、誰だって……』


『こんな事してて本当に救えるのかよ……帝国を襲って、薬と食料奪えば、こんなところさっさと出て行けばいいじゃねぇか!!』


『黙れッ!! 黙れッ!! あの鳩の面野郎が今は上司だ。遺憾ながらなッ』


『―――クソ、あの船さえありゃぁ、薬も食糧も奪って来られるだろ!! 何で師団長はッ!!!』


『馬鹿野郎!! 銃殺刑になりてぇのか!?』


『オッサンはともかく……女の子や赤子に毒打ってたんだな。オレ達……』


『考えるなよ!! オレらは結局、死ぬんだ此処で!!』

『何だと貴様!?』


『わ、分かってんだろ!! あの男をやってた連中だって、あのいけ好かねぇ仮面野郎の手下だ……オレらなんか、突撃させられて肉の壁が関の山さ!!』


『クソが……どうしてこんな事になっちまったんだ……あの戦争に負けてなきゃ……クソ、クソ……』


『止めないか。君達……あの仮面に聴かれてみろ。軍法会議にも掛けられず、そのまま銃殺刑か帝国戦の最前線で壁役が適当だと地獄に投げ入れられるだけだ』


『……いっその事、あの男や仮面野郎が殴り合って決着付けりゃいいんだよ。ははは……』


 渇いた嗤いに誰もが沈鬱な表情となる。

 最もな話だろう。


「お前ら、そんなに軍隊止めたいのか?」


『……オイ、誰だ今の? 軍隊なんぞ止められるならとっくの昔に止めてるよ。はッ』


「なら、止めさせてやろうか? お前らの命をこれから救って救援物資も山盛りにして送り出してやってもいい。勿論、あのいけ好かねぇ、仮面野郎とやらをぶっ飛ばした挙句、追手も掛からない素敵プランだぞ?」


『ッ―――誰だよ!? 本当に!! オイ!! 冗談じゃ済まなくなるぞ!?』


「大丈夫大丈夫。お前らの傍にある盗聴器は全部乗っ取ってある。今頃はグダグダな会話で早く帰りてぇって欝々した愚痴を垂れ流してる声があいつらに聴かれてるはずだ」


『誰だ!! この声は!? もうこの塔はポ連兵以外いないんだろ!? 何処からだ!! 何処から話し掛けて来てる!?』


 BGMスタート。


 オドロオドロシイ空気マシマシEXなパイプオルガンの音色が響き上がり、網膜投影で相手の視覚をジャックし、いきなり宇宙に放り出した後。


 その中に魔王形態で姿を現してみる。


「やぁ、諸君。こんにちわ。さっき四肢を切り落とされた君達の知らないあいつの敵だよ」


「ひ!? う―――」


「撃つのかな? 言っておくが、会話してしまった君達をあの仮面野郎が何もせずに放っておくとでも? 君達が一番よく知ってるだろう……あの男はそんなに甘い奴じゃない。これは死刑宣告……そして、その確実な死から逃れられるかどうかの瀬戸際だ。撃ったなら、オレは消える。消えていいんだな? オレはお前ら以外に話し掛けて、お前らはオレと接触した裏切り者として即時処分だろうなぁ。いやぁ、“代わりがいる”ってのは不便な仕事だな。兵隊って……」


 ビクッと腰の拳銃を抜き掛けていた男達が止まる。

 そして、その中の一人がさすがにそのまま声を上げた。


「う、撃つな!?」


 恐怖は伝染する。

 自己保身も伝染する。

 だが、最も強く伝染する空気はいつだって1つだ。


「契約の話を始めよう。オレはお前らに同情的だ。ちゃんと生き残れるように計らってやる。“あんな事をした奴ら”だとしてもオレはお前らに罪を負わせる気は無い」


 男達の身体は震えていた。

 伝染したものはたった一つ。

 罪悪感だ。


 人は良心でこそ、自分が悪ではないと思い込もうとする時にこそ、最も強い動機を得る。


 絶望や死への恐怖は確かに人を縛るが一過性に過ぎず。


「あの子達も助けてやれるぞ?」


 兵隊が恐れるものが弾丸以外にあるとすれば、それは確実にトラウマ、PTSD、己の良心による自己否定感なのだ。


「ぅ……ぁ……ぁあ……」


 視覚情報から送り込んだ悪魔の枝に連なる心理学誘導技術と叡智の結晶は切り札の1つ。


 自己良心増大に起因する自己破滅願望の顕現プログラム。


 それは英雄症候群とも呼べる状態を生み出す代物だ。


 バルムンク・シンドローム。


 悪い事をして死ぬよりは良い事をして死のうなんて教義や思想はそれこそ人類悪を生み出す最たる代物だろう。


 民族浄化が民族の為だから英雄的行為だと嘯く連中を生み出すようなものだ。


 だが、それが愉悦や喜悦や他者を虐げるサディスティックな心理状態ではなく。


 真に良心に拠って他者を助けるという行動に起因する宗教的、心理的な優越感に近い感情に浸れるものであれば、どうか?


 それは正しく己を聖騎士のようなものと誤認させ、立ち上がる自己像は英雄願望を満たしてやれる程に清廉だろう。


 自分に酔ってる兵隊程に扱い易いものはない。


「ついでにあの仮面野郎が絶望しながら死んでいく無様な姿と命乞いの声も聞かせてもやろう。サービス旺盛なオレに感謝しろ」


 銃を一人が取り落とした時。

 全てが決まった事は確かだろう。


「さぁ、選べ―――死か、帰郷か」


 世の中には怒らせてはいけない人間がいる、とはよく聞く。


 だが、自分がその類だとは思っていなかった身にしてみれば、中々に新鮮な気持ちに違いなかった。


 残念ながら、文明の利器に恵まれていても人類の愚かに限界は無く。


 一欠けらの良心すら無い者もいたりする。


 そして、その類に対して持ち合わせる堪忍袋というのは自分には装備されていなかったようだ。


 赤子へ涙ながらに毒入りの乳を飲ませていた母親達。

 弾丸に撃たれた痕に包帯を巻いて伏せる男達。


 まったく、戦争は地獄には違いなかったが、だからと言ってルールが無いわけでもない。


 民間人くらいは戦いの外に置いてやれ、なんてのは戦争の実態を何も知らない理想主義者の戯言なのだとしても……せめて、人間ならば躊躇くらいはして欲しいのが人情だ。


「……まぁ、いい。貴様らにも時間が必要だろう。本当に正しい事が何なのか? お前らがこの戦場から帰る為に一体、何が必要なのか……」


 不意打ちで景色を元に戻して、ホカホカの蒸芋とハムを全員の横に一人分出現させる。


 その横には耐性薬を一錠。


「その薬を飲んで、ソイツを食べて……お前らの家族はソレの味すら知らずに死んでいくべきなのか……よく考えてみろ……」


 今まで自分達が欲しがった物を手に入れて。


 それを手放せもしない彼らが全てを隠蔽するには喰うしかないというのはまったく非道な話だろうか?


「毒を打たれた赤子は今お前らが食べる物の味も知らず死んでいくんだ。お前らが何もしなければ、な?」


 エコーを響かせて何事も無かったかのような普通の空間に戻った、ように見せ掛ける。


 だが、呆然とした男達は自分の横にある湯気を上げている蒸かした芋と分厚いハムのステーキと錠剤を1つ見付けて……慌てた様子でソレを手に取る。


 頭が回る者がいなくても、これを隠さねば、自分達がどうなるかなど、彼らには自明。


 そして、それを一番簡単に隠す方法は考え付くまでもなく。


「う、ぁ……うぁあああああああああああああああ!!!!!」


 感情が降り切れた男の一人が薬を呑み込んで、芋を、ハムを齧った。


「ば、馬鹿!?」


 我に返った男が一人、吐き出させようと下が、もう遅い。


 ゴクリと演歌した男だが……数秒しても何ら具合が悪くなる事はなく。


「ぅ……ぅまい………肉って………こんな、味……だったんだな……」


 涙が零される。


「うめぇ……どうして、オレら……こんな戦争してんだ……こんな……こんなッ……」


 まるで親の仇のようにハムを睨んでまた喰らい付く男に釣られて、全員が薬を飲んだ。


 ポ連兵の身体検査は徹底的だ。


 督戦隊やMPに薬なんか見付かれば、即座に拷問対象になる可能性すらある。


 ガツガツと薬を飲んだ後、芋をハムを喰らっていく男達は泣いていた。


 あらゆる感情が過ぎれば、残るのはいつでも悟ったという勘違いである。


 そして、その勘違いこそが人間を破滅させ、人間を突き動かす。


「くそぉッ……!!! クソゥッ!!!」


 ガツガツガツガツ。


 腹が膨れる頃には誰もが涙で顔を歪めていた。


「クソ、オレらを塵みたいに!! ゴミみたいによぅ!!!」

「施しをやるから裏切れってのか!! クソッ、クソッ!!!」


「何でオレらなんだ!! 何で!! オレはどうしてこんなとこにいんだよ!! 家族が海に襲われてるって時に―――ぁあ゛あぁあ゛ぁああ゛あぁ!!!!」


 感情が渦巻く食事が終わって。


 何に感情をぶつけて良いのかも分からなくなった男達の一部は拳銃を自らの額や口に咥える者もあったが……結局は力なく腰元に戻した。


(さて、これからだな。本番は……まったく、嫌な話だ。こういうところで自分の本質的なものが出てくるってのも……)


 あまり認めたくはないのだが、魔王様はサイコパスだ。


 基本的にサイコパス的な性質を持つ程に人間は魅力的に映る事があるという。


 共感能力が欠如していたり、他者を何とも思わなかったり、あるいは倫理的なハードルが低かったり……だが、そういった人物程に他者を騙す事が異常に上手かったり、他者を自分の為に行動させる術に長ける。


 自分に当て嵌まらない事も多いと思っていたのだが、己の敵を前にした時の心理状態の大抵が7割くらいチェックリストに当て嵌まるというのも溜息が出る話である。


 脳の働きがサイコパス的には極めて大きいらしいのだが、多重人格症状のあるサイコパスは一般的な人格も持っていたり、その人格とは性格が対比されるような差が生まれるという事例もあるらしく。


 結局はその人格が自分の行いを良しとするかどうかが問題だという。


 無論、カシゲ・エニシは二重人格ではない。


 ならば、自分が本当に敵と思う相手の前で晒す人格的な素養は自分の一部と認めざるを得ない。


 月面下でやんちゃしてた魔王様が今更サイコパス告白しても誰もが?と疑問を頭に浮かべて首を傾げるとしても、個人的にはちょっとショックなのだ。


 まずはに行動を開始しよう。

 最初から皆殺しにされているような最悪の事態は避けられた。


 そうであったならば、適当にポ連軍兵士と共にあの仮面も昇天する事になっていたが、そうではない以上、また幾つか考えていた穏便なルートを取る事も出来る。


(総帥との面会までがタイムリミットだな。あっちに通信がバレる可能性が極めて高い。それまでに盤面を固め切れるかどうかが問題か。中佐殿には是非頑張って貰おう。さて……アメリカさんはオレの勧告にどう応えるかな?)


 兵士達の様子を見ながら、再び話し掛けるタイミングを待つ事にした。

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