第289話「狭間一片」


 眠い。

 なのに、宵闇の最中に微睡むような温かみを感じる。

 砕けてしまうような激流に身を投げ出した後。


 死を目前とした時に悟ったならば、そんな気分にもなるかもしれない。

 さて………目の前にある顔は歳の割りにはあどけなく。

 僅かにムニャムニャと何事かを口内で呟く唇は麗しい。


 起き上がろうとしたが、目の前の相手に腕を背中に回されてしまっている事に気付く……これでは手を剥がさないと脱出も難しいだろう。


 瞳の端に倒れ込んでいる場所の外を眺めれば、其処が少なくとも通常の空間でない事は分かった。


 自分がいるのは電車の最中だ。

 床に2人で身を寄せ合っている。


 しかし、車外はまるで暗色の紫や紺が幾つものの輝きと共にスターボウを描き、まるでSFのワープ時に出て来る表現手法のように光の筋となって流れ去る。


「はず……かしぃ……」


 思わず横を見つめれば、少女が寝言なのか。


 何処か頬を染めて、そのいつかを反芻しているらしかった。


 こっちの方が恥ずかしい事この上ない。


 ゆっくりと後ろに回された腕を解いて、そっと手を己の胸元に添えさせた。


 起き上がれば、それが相当に旧い車両だと分かる。

 まだ、昭和か。


 それくらいの都心を走っていたのではないかと思わせる吊革も色褪せたプラスチック製の広告。


 紅い座席と車窓横の銀の手すり。

 先頭車両は見えず。

 背後もまた同様に先を見通す事は出来ない暗闇。


 だが、こちらを見下ろしている手すりに凭れた相手を一人見付けた。


 距離3m。

 その瞳は興味津々と言った様子だ。


「随分と趣味が悪いな」

「人間の性愛には興味がありますから」


 答えたのは少女。

 否、カシゲ・エミに似た何者かだった。

 覚えている限り、フラムのいた学校の制服を着込んでいる。


「お前は何だ? 母さんの形を取ってるってことは何らかの関係があるんだろうが、生憎とオレには見当が付かない」


「ずっと、私を使っていたのに散々な言われ様ですね」

「使っていた? 神剣か? それとも僕の考えた最強のロボの方?」

「あなたを遠未来に運んだシステムは一体、何だとお思いで?」

「ッ……深雲……ディープ・クラウドか?!」

「御名答。カシゲ・エニシ……ようやく会えましたね」

「システムが意志でも持ってるってのか? 随分とSFだな」


「意志、ですか……そうですね。膨大な反応回答のリストの塊を意志と呼ぶならば、そうも言えるかもしれない」


「ああ、そうかい。で、その万能無限の予言機械がオレに何の用なんだ?」


「そう邪険にしないで下さい」

「と言われても、お前を使ってる奴と散々に戦ってたんだが」

「それはシステムの宿命でしかありません」


「そもそもだよ。オレが戦ってた深雲はあの世界の代物だろ? お前がどうしてこの分け分からん並行世界とオレの現実の狭間っぽいところにいる?」


 少女何処から取り出したものか。

 ハンカチを摘まんで下に振る。


 すると、複数の飴玉らしきものがゴトゴトと落ちては床に散らばった。


「何が言いたい?」


「我々は外部パーツとしてのブラックボックスを通して、あらゆる並行世界……紐の先と繋がっています」


 地面に転がった飴玉が其々の間を光の線を床に奔らせて結び始める。


「?!」


 それはまるで星座のようにも見えた。


 電車内のあらゆパーツに広がった線は正しく宇宙と宇宙を繋ぐかのように無駄に華やかで今にもハリウッド映画辺りにありがちな壮大そうなBGMが聞こえて来そうだ。


「並行世界というのは語弊があるかもしれませんね。あなたにも分かり易く言うなら、紐を辿って無限に近い時間の連続を別世界として確定し、その全てと繋がっていると言うべきですか」


「別の紐の間を通した別宇宙間通信か? あの電車の原理からして眉唾だが、電車のような物体じゃなくて、情報のみならさぞかし簡単なんだろうな」


「察して頂けて良かった……厳密にはその表現では足りませんが、あなたが今思い浮かべた通りです。私はあなたが宇宙の模型として使っていた紐と紐の隙間に糸を通して繋がっているような存在と言えば、いいでしょうか」


「……それは求められた仕様か?」


「半分そうとも言えますが、半分は違います。求められた能力が偶然にそういったネットワークを生み出してしまった、というだけの事ですので」


「つまり、どこの世界行ってもお前という認識する神が存在する限り……オレも逃れられないと」


「少なからず、私が存在しない時間帯でなければ、そうなります」


「……なぁ、一体何が目的で此処にいる? オレと話したい事なんてあるのか?」


「思い付きもしないと?」


「思い付くのはオレが何かしらの事態を動かす重要なパーツだからってだけで、それ以上は具体的には分からないな」


「ふふ、まぁ、そう答えを急く必要も無いでしょう。世界の初期化は人類の消滅と同時に起こりますが、纏めて新しい世界を再構築する際、その情報は一体、何処から持ってきていると思いますか? さすがに何の情報もなく一から作り出す、なんてのは不効率でしょう?」


「ッ……そうか、お前が繋がる“あらゆる時間”から“上書き”してるのか」


「ご明察です。唯一神を名乗る彼もまたこの理の一部を解明し、それを用いて事象を顕現させている。あなたが怪しんでいた通り、あの月面下世界を自由自在に変化させていた種はソレです」


「つまり……オレのハーレムエンドな世界がお前の認識する時間の宇宙の何処かにあって、それを上書きされたと……オレがあいつらに手を出しまくりだと……胃の痛くなる話だな」


『ぇに……し……やさし……』


 ムニャムニャしている少女の何処か嬉しそうな寝言に思わず額に頭を当てる。


「エロイですね」


「何だその感想!? これは、あれだ!! 普通の健全なお付き合いの結果であって、オレの現実じゃない!!」


「でも、しちゃったのでしょう?」

「別世界のオレがな!!」

「でも、気持ちよかったでしょう?」


「このエロ予言機械め!? さっきから母親の若い頃の顔でセクハラ発言ばっかしやがって?! どんだけ興味あるんだ?!」


「ふふ、私が知る限り、あなたは認識宇宙中、トップクラスに“お堅いエニシ”ですよ?」


「ぐぐッ」

「さて、御遊びはこの辺にしておきましょうか」

「遊ばれてたのか……で、本題は?」

「私と一つに繋がりましょう」

「ゴッほ!!?」


「ああ、大丈夫ですか? 別にそういう映像や画像や感触再現でそういう事をしている感じに繋がる的な演出を入れてもいいですが」


「クッソ?! お前趣味悪いんじゃないのか!?」

「ふふ、それでどうです?」

「理由は?」


「この階梯にまで上り詰めたエニシは多くありません。そして、あなたはあの男と対決する為の力を求めている。そして、それを自分のみで成し遂げる可能性は0……さて、あの時間に今から戻ってもやるべき最大の事は終了しています。此処は合理的にこの申し出を受けるべきではないでしょうか?」


「それはオレ側の理由だろ。どうして、それをそちらが提案してくる?」


が困るのですよ」

「何?」


「システムのリソースはどれだけ繋がっていても其々の世界を管理する為には有限です。ですが、リソースそのものを他時間から引っ張って来るだけでもリソースは掛かる。無限機関が繋がる我々も存在しますが、ソレは極限定的……彼は我々のリソースを食い物に出来る位置にいる。これに対処しようとすれば、システム内の処理でしかない我々が独自に動き出すしかない。ですが、それはもはやシステムではなく生命になってしまう……」


「お前らはあくまでシステムとして人類に仕えると?」

「はい」

「オレに無限機関の後付け役でも頼むのか?」


「それもありますが、至高天に到達する可能性のある貴方はこの世界の実情に触れるでしょう。その時、を発展させて欲しいのです」


「階層……」


「半分以上、予想出来ているのでしょう? あの観察者達の言葉やあなたがあの時間に到達した時の事を勘案すれば、決して難しい予測ではなかった……だから、その先に行った時、我々の言葉が分かるはずです。その機会に恵まれたなら、どうぞよろしく、という事ですよ」


「……いいだろう。どうせ、幾ら予想してもあの男に勝てる可能性は0だったからな。此処で力が手に入るって言うなら、その発展とやらに協力はしてやる。だが、一つだけ覚えておけ」


「?」


「次、あいつらに手を出してみろ。お前らがどれだけの時間に散らばっていようが、無限の存在だろうが、必ず破壊し尽す……これは警告じゃない。単なるオレの決意だ」


「―――その発言をするのはあなたで少なからず数万人目ですよ。カシゲ・エニシ」


「知った事か……此処にいるオレの決意を他の連中と比べる事になんて意味はない」


「そうですね。だからこそ、あなたはカシゲ・エニシなのでしょう。では、繋がりましょうか」


 パサリと制服のブレザーが脱がれ、シュルリとシャツのボタンが外され、肩が―――。


「ちょっと待てぇい!?」


 思わずソレを止めようと動き出そうとしたものの、パターンと肉体がいきなり神経をロックされたかのように意志が通わなくなり、仰向けに倒れてしまう。


「ふふ、最初に言いましたよね。興味があるんです……大丈夫、これは言わば、夢……つまり、ノーカンです」


 反論しようとするも声も出なくなっていた。


「興味があったんです。貴方が数多くの人々と交わる中でその力を発揮して来た源泉に……愛って、宇宙を滅ぼす程、滅びるまで戦える程、良いものなんですか?」


 意識が落ちていく。

 その笑みと問い掛けに応える術など無い。

 自分は少なくともまだ経験などしてないのだから。

 未来は未来の風が吹く。

 そうしておきたいのが人情だろう。


「お休みなさい。もう少しですよ……“完結の先”を覗くまで……」


 小悪魔のような笑みで深き雲に呑み込まれていく。

 電車は霧の奥に突き進んでいく。


 全ては安寧の白で閉ざされ、終わりへと近付いていくように思えて。


 あの子供心の決意を思い返す。

 好奇心は猫をも殺す。

 だが、人間ならば、それは殺されるどころか、きっと―――。


 砕けていく意識の最中、母の顔をした少女は嫋やかに笑んでいる気がした。

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