第277話「真説~変神~」


 ファーストクリエイターズ。


 その最大の能力は常に相手の理解が及ばぬ攻勢を掛けられる、という事にある。


 従来の重火器では無し得ぬ連射性能を持つガトリングとか。


 普通の筋力では到底出せないだろう恐ろしい打撃とか。


 数十mの鋼の塊を浮かす未知の技術とか。


 それそのものが人類の現在での常識に反逆する力そのものだ。


 だが、それとて限界があるというのは彼らにもすぐ理解出来た事に違いなかった。


 問題なのは規模である。


 彼らが対人戦や対軍隊、対魔術師で圧倒的な優位を確保しているのは量よりも質の面がズバ抜けているからに他ならない。


 その量を先兵レギオンで補っているが、そちらは根本的に魔術師を育てるという部分に重きを置いた訓練相手みたいなものであって、彼らファースト・クリエイターズの大半はその中心たる少年から与えられた裁量権内での能力でしか戦闘能力を向上させられたリもしない。


 なので、この数週間の間に大幅に合理化、組織化、軍事力化された魔術師達を相手にするのもそろそろ最初期の能力では辛くなってきた、というのが実感に違いなかった。


 それを証明するかのように千音はアメリカでは大敗。


 南米では完全勝利したが、それにしても北米からの追手に追い回されて、半ば逃げるようにして欧州に渡って来た。


 魔術の本場などと呼ばれているらしい嘗ての大帝国では老人もまた自身の乗るフォートを大破させられ、何とか術者達を昏倒制圧させる事が出来たものの、最初期のような力の差というものが縮まっている事をよく感じ取る事が出来ていた。


 ユーラシアの国々では巨漢が元共産圏最大の国家に挑み……その生死を厭わぬ物量と合理主義の底力を前にして関心した。


 三人が三人ともそろそろ武器くらい新調した方がいいと考えたのが数日前。


 そして、今現在、東欧の国々へと向かい合流せんとした彼らはその直前で足止めされ、逸早く展開されていた各国の統合戦力らしい部隊と物量戦を行わざるを得なくなっていた。


 彼ら三人の彼我の距離は200km程。


 しかし、その合間にある森林地帯にてフォートは重力を操ると思しき魔術の影響によって墜落。


 その地点へ可及的速やかに展開された各国の術者の部隊とNATOらしき機甲戦力や火砲の群れが火力を集中。


 雨霰と降り注ぐ砲弾と爆薬と魔術による攻勢が防御対処能力を限界近くまで飽和させつつあった。


「ぅう、お爺ちゃん大丈夫ですか!?」


 重火器の音色が途切れない夜闇に紛れ。


 一定距離から近付いて来ない術者達の攻勢は苛烈でこそ無いが身動きが取れるようなものでもなかった。


 上から着弾する砲弾やドローンからの空爆はフォートが防御用の磁界や素の装甲スペックで凌いでいる。


 しかし、地を這うようにして近付いてくる生物は見えない魔術の産物などが混じり、使い魔的なものなのだろう泥の人形やら泥の獣やら粘性のスライム状の不定形物体やらが煩わしい程、物量攻撃を掛けて来ている。


 相手は自身を飛ばして、相手を粘着したり、足止めする事に特化されており、フォートに取り付こうと幾ら吹き飛ばされても周辺から自身の身体を集めて再生。


 切りが無い壁として運用されている。


 また、術者側はもうファースト・クリエイターズが人間相手に致命傷を負わせるような攻撃はしない、という事実を見抜いている様子で3人が今まで行ってきた適度な攻撃による負傷や昏倒、状態異常での戦闘不能というものを警戒してか。


 容易にはその攻撃が届くラインまで近付いて来ない。

 この状況はフォートが浮遊能力を再び取り戻すか。


 三人が周囲の化け物を突破して術者を直接叩くかするまで崩れないものとなっていた。


『懐かしい。昔はよくこんな状況で耐久戦闘をやっていたものだ』


『ベ、ベリヤさん!? そんな事言ってる場合じゃないですよ!!?』


『まぁまぁ、二人とも。我らは罠に掛かった獲物だ。まったりとやっていこうじゃないか』


『そんな悠長な!?』


 銃弾が飛び交う最中。


 まるで我が子を見るような微笑みで老人が適当に近付いてくる使い魔をガトリングで薙ぎ払う。


 その様子は趣味で植物に水をやっている老爺のようにも見えるだろう。


『急かさない吾輩をおかしく思うかね? 千音さん』

『いえ、その、それは……』


『吾輩は遥か未来の人間だ。だが、普通に病で死ねる幸せな死に方をした。だから、今更に急ぐ事など何一つないのだよ』


『……お爺ちゃん』


 千音がその声に僅かだけ混じるものを


『人間は老いて死ぬ。それは吾輩に言わせれば幸せなのだ。食べられる食料が無くて子供の頃に餓死する者が多い世界では……』


『………』


『知っているかね? 飢餓に陥った子供達がどう死んでいくか? 知っているかね? 病のようにゆっくりとモノになっていく感覚に涙すら零せなくなる様を』


『ぁ……ぅ……』


『済まない。意地悪だったな。だが、吾輩は最後に痛みこそ抱えていたが、死の恐怖も感じていたが、家族に看取られた。吾輩が己の為に殺して来た多くの部下や敵味方問わず兵隊として消えていった者達だって、そうありたかったはずだ』


 老爺の瞳に映る景色すら見える彼女がその未来の全てを見通して、背筋を冷たくなるのを感じた。


 それは到底、人間が遂げて良い死に方には見えなかった。


『それが人の死に方としては最上だと吾輩は思う。恐怖や痛みを感じていたとしても、傍に大切な誰かがいたならば、きっとその最期は幸せなのだ。そして、そんな権利を我輩は大勢奪ってきた……』


『お爺ちゃん……』


『吾輩は死ぬ間際に生きたいとは思ったかもしれない。だが、同時に安堵もしていたのだ。これで吾輩も今まで自分が殺して来た者達と同じになれるのだと……それはいつかやってくる平等だ。吾輩にとって最後に享受する幸福があるとすれば、それは己の罪の清算出来ぬ重さを投げ出せる時間だった』


 老人の瞳は澄み切っている。


 その最中に映るものすらも彼女は……零れそうになった涙を思わず堪えた。


『お嬢さん。此処にいるのは反面教師という奴だ。こうならないよう心に刻んで欲しい。自分で言うのも何だが……あの世界で少々吾輩は長生きし過ぎた……報われ過ぎてしまった……此処にいるのは……そういう人間のなのだ……』


 フォートの一部が使い魔達の身体の一部に縫い止められ、脱出が困難となっていく。


『お爺ちゃんは後悔してないのですね……』


『ああ、我が人生に悔い無し。だが、本当はそうであってはいけなかった……懺悔のつもりはない。本当にただ心の底から思うのだよ。それが傲慢だとしても……吾輩には罰が必要だったのだと……』


『それが此処でエニシさんを手伝う理由、ですか?』


『それもある。だが、それよりもまず己のしてきた事が己の遺してきたものに禍として降り掛かるのが怖い……ああ、今死ぬよりも、今痛みを受けるよりも、今誰かを殺すよりも……だから、彼に全て賭けるのだ……あの吾輩と似ていながら、大きく違う道をゆく若者に……でなければ……全てが無に帰すと……我輩の心が言っている』


 老人は穏やかだ。


 そして、その生き切った故にこそ辿り着くだろう境地を前にして、未だ罪を決して手放そうとしない男の生き方を前にして、まだ老人程に長くも生きてもいない彼女は思う。


―――この人もまた命を賭けて、人生を歩む者の一人なのだと。


 どうして、人より見え過ぎる彼女が介護職なんてしているのか。


 それは本当に単純な答えだ。


 良い生き方をした、良い死に方をしようとする人にこそ、彼女が見てしまう、見えてしまう本質の……最も美しいところがある。


 それはきっと彼女にしか分からない光景。


 魔術師というには足りずとも、その世界で生きる事を科された彼女にとって、見えてしまう彼女にとって、尽きる命の、生きた命の色こそがその瞳を労わるものに違いなかった。


 現代、見え過ぎてしまって良い事など一つもありはしない。


 薄汚いものは数多く。

 濁るものは数多く。

 輝くものは少数だ。

 人が多い場所は目に優しくない。

 だが、人が少なければいいというものでもない。


 孤独を感じ、他者との繋がりを求めればこそ、亜東千音は己が見たいものを見られる職に就いた。


(でも、私はそこから何処にも行けなくなっていた……あの小さなホームから何処にも……疲れてしまったと言い訳して……休んでいるのだと言い訳して……ただ、逃げ出すばかりで……)


『お嬢さん。少し後ろに下がっていた方がいい。どうやら、あちらは秘密兵器を投入するようだ。この老いぼれでも分かる』


 重力が老人と彼女を苛む。

 遥か後方から虚空を浮いてくる人影。

 それが引き連れた者が数人。


 まだ若い者ばかりであったが、目を引くのはその手にした原始的に違いないだろう斧や槍、剣や盾といった魔術の発動媒体ソレの古めかしい装飾か。


 黒い襤褸切れのような外套に身を包んだ虚空の影が瞳らしき赤光を一つ開き。


 巨大な鎌を手品のように袖から引き抜いて、その枯れ枝のような手で持つ。


(死神……刺すような瞳……四人の者によって開く……これは神に連なる……)


 死人を出しても良いならば、今から五万と武器を放って敵らしき全てを穿てば此処を突破出来るだろう。


 だが、生憎と彼らにとってソレは目的ではない。

 千音の瞳が僅かに輝き。

 相手の本質を見る。

 それは正しく神のようなものと言えた。

 己と同じような瞳に纏わる力。

 そして、己とは違い死に直結する瞳。


 重力というよりは弓や矢のような投擲武器を誣いる力。


 飛び道具を具体的に落す為に特化されたような魔術の痕跡。


 正しく射られて死んだ神の使う魔術、のようなものと推測出来るだろう。


『恐らく飛び道具自体が効きません!! お爺ちゃん!! 此処は一端、エニシさんの言っていた通りに!!』


『うむ。戦場で長話が過ぎたようだ。フォートを盾にして退却するとしよう』


 二人が同時にフォートの後方に下がり、そのまま並んでその場から飛び出そうとした瞬間、更なる高重力が二人を襲った。


『ぐ、ぬッ』

『ぁ、くッ……』


 ゆっくりとだが、重力が大きくなっていく。


 地面に縫い止めようとするかの如き巨人の掌で上から潰されているような感覚。


 その力に対抗して生体の強化と身体を覆う装具が強度を上げて、無理やり二人の身体を自立させようとしたが、重力の重さに周辺の大気圧までも上昇し始めたか。


 周辺気温が急激な加圧によって上がっていく。

 単なる物理的な効果だけではない。


 精神を圧迫し、押し潰すような力の具現が二人の動きを鈍らせていく。


『マズイ、な』

『ぅ……』


 二人が殆ど止まった合間にもフォートを超えるようにして二人の元に近付く虚空の黒い人影が鎌を振り上げる。


 また、その移動跡にあるフォートは僅かにそのルート上で拉げていた。


(死を齎す魔眼……まさか、これって悪しき瞳のッ?!)


 二人の背後。


 正しく死神のように迫る鎌が並んだ二人の首を狩り取ろうと―――。


 重力の異常が瞬間的に軽減された。

 咄嗟に老人が手を引いて、千音を庇うようにして前へ跳ぶ。


「何だ!!?」


 そんな声が、虚空の影の後ろに付いて来ていた武器持つ者達から上がる。


 その時、千音の瞳には見えていた。

 強大な力が自分達のいる場所に働いていると。

 遥か上空から投射された巨大な空間の引き込み現象。


 重力の異常が同じような空間の歪曲に引っ張られ矯正されたのだ。


 思わず振り向いて上を見上げれば、彼女は攻撃が止んだ理由を理解した。


 遥か彼方。

 天から何かが振って来る。

 その流星雨に周辺の者達が気付いた。

 恐らくは予測能力のある魔術師のおかげで。


 だが、今の今まで腰を据えた遠距離からの物量戦を行っていた彼らが即座に移動出来るなんて道理は無く。


 瞬間的に降り注いだソレが攻撃していた殆どの者達のほんの数m先に落ちて爆風を発生させ、辺り一帯を薙ぎ払う。


「確か空間をスポイルする、だったか?」


 老人が初めて声に出して呟いた。


 一際煌く流星が、断熱圧縮で焼け付く外套もそのままに二人の傍に未だ浮かんでいた死神のようなソレに激突する。


 一瞬の攻防。

 重力の制御と空間の歪曲が奇妙な捻じれを風景に生むと。


 反発する磁石のように互いに20m程反対側へと吹き飛んだ。


 そして、木々を薙ぎ倒して両足と片手を地面に付いて勢いを殺した相手を見て、千音が思わず声を上げる。


「エニシさん!?」


「悪い。遅刻した。後、フォートは修復してる。さっきの連中が大勢を立て直す前にベリヤーエフと合流してくれ。此処はオレが受け持とう」


「あ、あっちは恐らく火器とか遠距離攻撃とか効きませんよ!! それと一応、私と同じような魔眼で見られたら普通なら死んでしまうくらいの力があると思います!!」


「魔眼ね。邪眼と何が違うんだ?」

「え?」


「人間の想像し得る事は全て有り得る事だなんて話もある。高々、超強力な瞳の形をした兵器がありますってのと何も変わらない。対抗手段がある限り、技術で超えられない壁なんてのはそんなに無いんだ」


「―――心底、あなたと相性悪いですよね。魔術って」


 汗を浮かべて、神を前にしても同じように宣うのだろう少年に仕方なさそうな微苦笑で亜東千音は思う。


 ああ、この子を敵に回す同業者は不幸だな、と。


「オレが神秘とか秘密とかに価値を見出す人間じゃなかったってそれだけだ」


 千音が上に飛んできた双胴船のようなフォートの上に老人を支え跳び上がる。


 そして、高速でその場から離れるべく。


 機影が加速する最中、森林の一角で哀れな犠牲者達がトラウマになるだろう光景を目撃する。


―――クロス・コンバット・システム・オールスタート。


 女性型のAIの声。


 それを機に少年を中心とした1m圏内に紅の燐光が吹き上がる。


―――虚数物質エキゾチック・マター生成開始。


 虚空で竜巻によって巻き上げられるように舞う木の葉や枝や土砂や腐葉土が輝く粒子となって分解されていく。


―――合金アマルガム化、ナノスケール空間スポイル制御による分子間力調整、立体形成開始。


 耀きの渦の中で緻密に織り込まれたかのような固体と見える集積物がその体積を肥大化させながら何かのパーツを形作っていく。


―――アーカイヴよりユーラシア・ビジョン最終攻勢用歩兵のデータを参照。


 複数の同じパーツらしきものが次々に重ねられ、圧縮されるように一帯となって、その強度と硬度を増させていく。


―――零点振動ゼロ・ポイント・モーションの魔術による制御開始


『さて、不確定性原理も死んだし、やるか』


 渦の中。


―――完全静止装甲、変位。


 声が発され。


『変身ッ、なんてな』


 装甲が次々に中心にある肉体に圧着していく。


―――4号機―――イグゼリオン・ラプラス―――量子転写領域クォンタム・トランスファー・リージョン展開―――。


 それは黒い装甲を身に纏った全身鎧フルプレート


『魔術師だか神様だか知らないが、オレは急いでる。ちょっと殴ってやるから全部終わるまで病院で寝てろ』


 それは黒と蒼を入り混じらせる不可思議な色合いの存在だった。


 漫画やアニメにありがちそうな、日曜朝に幾らでも日本のTVに出てきそうな、そんな造形の癖に禍々しい程に冷たく研ぎ澄まされ……ただ、圧倒的な、支配的な、それだけの事を他者に理解させる何かだった。


 両肘、両膝、両肩のフォルムはまるでロボットのように分厚く何処かスラスター染みた、重ねられたバーニアにも見えて。


 下半身の稼働位部位はスカート状のゴツイ装甲に覆われ。


 上半身は軽快さとは無縁な重厚で前方に角ばった胸部装甲に背部からは菱形の羽根を集積したかのような七角形状の二本のパーツが突き出している。


 顔面を覆う仮面。


 のっぺりとした黒い顎に掛けて鋭い仮面ソレは両の瞳だけ蒼く蒼く。


 見る者の脳裏に自身を揺さぶるような力を覚えさせるはずだ。

 誰かが撃てと言う前に全てが開始されていた。

 猛烈な速度で進路上の樹木を一切気に掛けず。


 それどころかぶち当たるところから完全に吹き飛ばしつつ、虚空を移動したソレが次の瞬間には死神が背後に従えていた四人の魔術師。


 旧い時代のものとも思える紅と金の色合いを宿した軍服らしきものに身を包む者達の背後に付けた。


 一瞬の事だ。

 相手は目で速度を追い切れていない。


 吹き飛んだ樹木が地面に落下するより早く背後を取られた彼らは僅かな視線のみで死神より死神をしていそうな、未来科学と物理法則無視の技術をハイブリットした人型装甲を確認し、反応する事すら許されず、吹き飛ばされた。


 単なる衝撃波だ。


 血反吐を吐く程ではないが、全身強打、内臓圧迫、肺の空気をしこたま吐き出させられては何が出来るはずも無い。


『次はお前だ。ご自慢の魔眼とやら、悪いが潰させてもらうぞ』


 鎌を持ち、突撃してきた死神。

 その瞳の紅が輝き。

 重力異常が極狭い領域を襲った。

 一方向ではない。

 在らぬ方向にランダムな超重力が掛かるのだ。

 普通ならば、相手はミキサーに掛けられた野菜みたいに弾け散る。

 だが、そうはならない。


 空間への干渉が装甲によって行われ、その重力異常をまるで消し飛ばすかのように歪曲させて強固な干渉を拒絶する空間を生み出し続けているからだ。


 それはイグゼリオン4号機を覆う見えざる真球状のバリアにも見えて、辺りの景色がグニャグニャと歪む中でも姿を一切揺らがせない。


 それに痺れを切らしたか。

 敵の命を絶たんと魔眼の真価が発揮される。


 相手の生命力を、概念としては存在するだろうソレを直接、奪い、奪い、奪い、奪い、奪い、奪い―――奪い続けて尚、物理法則に支配されていない死を押し付け続けて尚、相手が何ら変わらない事に―――死神は僅か動きを鈍らせた。


『概念論者には悪いが、唯物論者が大抵、この世界じゃ勝つってのが今のご時世なんだ』


 当たり前だ。

 不確定性原理が死んでいる。


 それはとどのつまり、この世に全てを支配するオカルトがいる事を顕す最初の一歩。


 極限の物質制御とは物質世界においては万能と同義であり、全てを決める運命に等しい。


 それを最終的に阻止する原理が消えたならば、人は正しく高みにまた一歩昇る。


 そのほんの些細な使い方。

 外界からの干渉による変化を拒絶する、どころか。


 その変化の一切を受け切ってすら決してその魔眼が収奪するモノが枯渇する事は無いだろう。


 奪い続けた力がどれ程だろうとも物質として常にを保持出来る者には関係が無い。


 周囲に物質が存在し続ける限り、維持は可能だ。


 その速度がどれ程だろうとも現在の神剣が持ち得る処理能力を超えられるものではなかった。


 嘗て否定されたラプラスの悪魔はしかし魔王が地獄を下した先で神すら慄くナニカとなって世にその存在のほんの少しを顕現したのである。


 物質が存在する限り、その存在がこの地球上にある限り、少年を物理現象的に疲弊させる事など神にすら出来はしないのだ。


 ズドンと。


 装甲を纏った拳が音もしないのに音を想起させて、その外套に突き込まれる。


 相手には実体が無いらしく。

 左手は内部に沈み込んだ。

 しかし、それだけだ。


 本来ならば、人間ならば、己の腕が枯れ果てて消えていく事に悲鳴を上げているだろうに……その装甲を前にしてはどのような物理事象であれ、如何なる干渉も通らない。


 物質の振動が止まる事は絶対零度ですら決して無い。

 だが、ソレが死んでいる。


 物理法則上、完全な静止が無い物質はその位置を確定出来ず、支配出来ない代物として捉えられるが、ソレが本当に停止したならば、物質は絶対零度で疑似的に時間が止まっているに等しく。


 同時にまた運命を操ると言っても過言ではない力となる。


完全静止装甲モーションゼロ・パンツァー


 真に侵され得ぬ力を前にしては時空に干渉するか。


 魔術のような非物理法則の上にある力を以てしか対抗する手段が無い。


 魔眼は物理法則に準拠しないものだったので一応は少年から生命力と呼べるものを奪う事が出来た。


 しかし、その死神の身体は物理法則に準拠した能力でしか相手に干渉していない。


 魔術的な原理で物理事象を引き起こし、質量を熱量に変換しながら吸引する。


 そのような物理事象を挟むワンクッションが必要な時点で普通ならば、即死であろう力すら何ら怯えるような代物では無くなっていた。


 その装甲に働いているのは魔術によるナノレベルへの事象制御、物を静止させるというただそれだけのとても拙い機械による再現でしかない。


 が、それこそが神への一歩を生み出す科学とオカルトのマリアージュだ。


 法則の改変に手を届かせた魔術初級者はしかし片方で科学の極致を得ており、真に万能の神に近しい階梯へと昇りつつある。


 こんな理不尽を前にしたら……如何な旧き時代の神とて陳腐化せざるを得ない。


『その物騒な瞳、貰い受けるぞ』


 腕がそのまま頭部へと向かい。

 超重力の中心。

 瞳に伸びる。

 鎌が装甲に振り下ろされるが、甲高い音すら立てずに弾かれた。


 頭部からまるで種のような胡桃程の大きさの赤いソレが一気に掴み出された。


 再び抗うように鎌が甲高い音を立てて振り下ろされ、しかしただ胸元で止まる。


 どれだけ切れ味が凄かろうと単分子並みに物体を切り避けようと疑似時間停止した装甲を前にしては何を裂ける事もない。


 己の核を抜かれ、苦しみもがく死神を前にしても何ら躊躇なくソレが砕かれた。


 同時に今までその場に存在していたのが嘘のように死神が空気へ融けるよう消え去り、行動不能にされた四人の魔術師達が地面に這い蹲りながら、驚愕に目を見開き、血涙でも流しそうな様子で叫んだ。


 嘘だッッ、と。

 だが、どんなに叫ぼうが現実は変わらない。

 彼らの切り札は砕け散ったのだ。


『呆気無かったな。さっさと行くか』


 跳躍する装甲が空を駆け抜けて消えていくのを呆然と。

 その光景を見た者達は見続けるしかなかった。


「………」


 口を×の字にしそうなくらいに額へ汗を浮かべて。

 旧き時代の象徴の一つ。


 神に関係あるだろう何かが破壊された事に千音は術者の端くれとして悼まざるを得なかった。


 既存の魔術が全て陳腐化するどころか。

 塵芥に等しくなる程の隔絶した能力差。


 そんなのを前にして自分達のような過去を指向する魔術師が勝てる要素など1mmたりとも無いだろう、と……彼女はハッキリと理解してしまったのだ。


 自らを追って来る少年の何ら感慨の無い様子に大きな溜息が吐かれた。


「また、やらかしたのかね?」

「……その言葉だけで私、眩暈がしそうです」


「ははは、いいじゃないか。人間、新鮮な驚きに満ちていた方が人生は愉しいものだ……合流したら労おう。それと礼も言わなければな」


 後にこの一連の作戦は各国の軍事関係者への取材で発覚する事になる。


 それが欧州NATOの軍事力20%を注ぎ込んだ大規模攻勢であったのだと。


 満を持して送り出された魔眼の神はしかし破れ。


 死すらも超越する敵を前にしてプランを練る作戦参謀達が筆を折った事など、彼らファースト・クリエイターズには知り様も無い出来事であった。

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