第253話「一つの物語の終わりに」


 人間、悉く裏目という時、どうするべきか。

 昔、偉い人は言っていた。

 逃げるんだよ、と。

 だが、そうもいかない時だってある。


 そうだ。


 立ち向かわなければ、生き残れはしても絶対後悔する。


 後ろを見れば、嫁、前を見れば嫁、左を見れば嫁、右を見れば嫁、斜め右を見ても嫁、斜め左を見ても嫁、頭の上にも嫁……嫁は全てを超越する。


 これこそ嫁達の合体攻撃。

 もはやこれまで……生きて戻れまい。


「裁判を始める。被告、カシゲ・エニシ。ええと、ここではイシエ・ジー・セネカ?」


「セニカ」

「イシエ・ジー・セニカ……判決を言い渡す」

「罪状認否とかは?」


「罪状は言うまでも無いな。大人しく罰を受けるがいい……大人の階段を上がったって誰も文句は言わないだろう。いや、言わせないと此処は言っておこう」


 嫁達は……一言でシースルーだ。

 本当に勘弁して欲しいくらい、シースルーだ。

 シースルーとは何か?

 随分と哲学的な問題なのだが、言う必要はない。

 だって、そうだろう。


 とりあえず、自分の貞操は今日此処で死ぬ定めにあるのだ。


「く―――殺せ!?」


 思わず、何処かの凌辱されそうな女騎士的な声が出てしまった。


「く、くくく、無論だとも……わ、私はもうお前を離してなんかやらないからな!!? もう待たされるのはごめんだ!! さぁ、その無駄に仰々しそうな外套を脱ぐがいい!?」


(母さん、父さん、ごめん……オレ、どうやら此処までみたいだ……)


「A、A24がぬ、脱ぐのよ(ゴクリ)」


「か、カシゲェニシ様がようやく伝家の宝刀を此処で御開陳なされるのですね!?」


「う、うぅ、妻とはいえ、こんな……出来れば、一人ずつの方が……ッ」


「だ、旦那様のをよ、ようやく拝めるのだな。わ、私が、ず、ずっとお仕えする(ゴクリ)」


「もうエミったら♪ 同性なんだから、恥ずかしくなんてありません♪ ほら、こんなにふくら―――」


「あんたは黙ってなさい。こういうのは雰囲気も大事でしょ?」


「あぅぅ……こ、これからわ、私は、私は……セニカ、様……と」


「セニカはああ見えて物凄く固いって、さっき小さい子が言ってた」


 もうめちゃくちゃである。

 これは完全に薄い本案件では無かろうか?


 というか、こういう時、一番悪乗りしてきそうな幼女の姿が見えなくて、無駄にムーディーな桜色の間接照明が備え付けられた薄暗い部屋をキョロキョロする。


 今すぐにでも女性陣の魔の手がシャツに掛かろうという時だった。


 バァアアアアアアアアンと扉が開け放たれた。


 此処に入って来れるのは関係者と現在は嫁達のみ。


 これから何があるのか知ってる他の連中だって遠慮している。


 という事は……出て来る相手は一人。

 いや、二人しかいない。


「“どくたぁああああああああああすとっぷ”ッッッ!!! でござる!!!」


 何やら鬼気迫る表情で戻って来た二人で一人の黒髪ござる系幼女が力説した。


「―――どういう事だッ。説明しろ!!? ごはん女!?」


「残念でござるが、主上からのお達し。某も無念……エニシ殿の身体、未だに戦闘用なのでそういう事をしたら、某達の命が危ないと」


「あ、忘れてた……」


 ギロッと今の今まで桜色全開の頬染め乙女達モードであった全員が何処か呆れた視線を向けて来る。


「ぁ~そうだよ。ウン……オレ、今の身体、物凄く人体に有害な物質ばっか取り込んでるから、血とか他の奴が舐めただけで中毒症状起こすレベルでな。ウン……・いやぁ、本当にザンネンダナぁ~」


 イソイソと脱がせられた服を着る。


「グヌゥゥゥゥゥ………ッッ」


 あのナッチー少女が物凄く拳をプルプルさせて、怒るに怒れない様子となった。


 さすがに現実に必要な軍備である事は理解しているらしく。

 嫁と軍人という二つの地位の間で葛藤があるようだ。


「取り敢えず、全部終わるまでは……ええと、接触的なのは一部のみという事で……非常に心苦しく思うんだが……」


 溜息半分。

 嫁達がイソイソと着替えようとし―――。


「ククク……エニシ殿、エニシ殿はいつからそんなツメの甘い男になったのでござるか?」


「え?」


 いつの間にか背後に寄っていた百合音が邪悪な微笑みを浮かべる。


「……ッッッ!!? イッコォオオオオオオオオオオオオに構わんのでござるッッ!!?」


 バァアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!?


 と、後ろに擬音でも出ていそうな様子で衝撃の嫁達が劇画チックに固まる。


おのこはチラ見せが好きなのでござろう? ほれ、チラッと」


「ブフ?!!」


 百合音が自分の太ももから上をザッと……少しダブダブの黒い忍者装束みたいなソレを、酷く隙間スリットが多い衣服の横を、ペロリと捲った。


「ッッッ、お前―――どうして穿!?」


「フフ、この身体になってから、妙に熱いのでコレが近頃はいつもの“すたいる”でござるよ♪ エニシ殿もコレで某達のように悶々するがよい!! コレぞ、羅丈の手練手管その四十六!! 男は衣服の中に見えるのが一番好きだからぁあああああ!!! でござる!!」


 ドヤ顔の幼女は幼痴女にランクアップしたらしい。


「ぅぅ、もう突っ込む気力もない……」


 だが、幼女の暴力的なお色気を前にして触発されたのか。

 嫁達が何やらお色直し用の化粧部屋へゾロゾロ引き上げていく。


「……逃げるなよ?」


 フラムからの死刑宣告を受けて固まるしかなった。


「ふふ、エニシ殿もこれで新たな境地を開拓するがよい♪」

「見ないって選択肢は無いんだろうな」

「無論♪」


 ポスッと寝台の上で胡坐を掻いているこちらの膝の中に納まった幼女が媚び媚びに可愛らしい悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そういや、もう一人の方はどうしてるんだ?」

「今、丁度、こっちに向かっ―――」

「オイ?! どうした?」


 パタンと何故か、糸の切れた人形のように百合音の身体から力が抜けて倒れそうになった。


「―――今、やられたでござる。左半身からバッサリで動けぬ。すぐに戦闘準備を……某は今からこの場の全員をッ」


 すぐに立ち上がった百合音がこちらに真剣な瞳を向けて来る。


「オイ!? お前を一撃って、誰だ!?」

「……一瞬で分からなかったのだが、エニシ殿に……似ていた」

「―――ッ、またか!?」


「まだ、分からぬ!! だが、アレは殺意を隠しておらん!! 犠牲者が出る前に此処を脱出した方がよいはず!! 今からお嫁全員を某に預けてはくれまいか!? 必ず逃がして見せるでござる!!」


「分かった。お前に任せる。それともう一人もすぐに回収へ向かわせる……生きてる、のか?」


「はは……心配してくれるのは嬉しいが、身体は入れ物に過ぎぬ。知っているであろう?」


「そうだとしても、だ……」


 こちらの顔を見た幼女が、何処か嬉しそうに泣いてしまいそうな顔になった。


「では、出来る限り、お願いするでござる。場所は此処から8km先。今、大通りの検問を突破しておる!!」


「了解した」


 脳裏でもう動き出していたヒルコが声も出さずに全ての纏めた情報をリアルタイムで文字と映像と画像で分かり易く送って来る。


 超望遠レンズによる監視網が敷かれた魔王の本拠である大使館周辺は何処からだろうと、どの角度からだろうと近付く者の姿を丸裸にする。


 あらゆるセンサー類が積まれた高精度カメラは刹那以下の情報を不足なく捉え切り、あらゆる敵を解析するに足る映像と画像を提供してくれるのだ。


 光学的な観測が可能な相手ならば、敵の質量から筋肉の付き方、武装の有無、その武装の材質、構造に至るまで全て、こちらに回ってくる。


 だが、その回って来た情報に目を疑った。


「ッ―――オレだと? いや、顔が微妙に違う……だが、似てる? 今のオレに……?」


 解析情報の全てが示すのは自分にあまりにも構造が、いやが似た何者か。


 顔は似通ってこそいるが別人。


 しかし、何よりも如実にその解析データは今の自分と相手が殆ど変わらないだけの質量、物質の構成、細胞の構造であると教えてくれていた。


「……だったか。どうでもいいが、本物が白くもないのに黒くしたら、分からないだろ偽物だって……」


 愚痴る間にも寝台横に立て掛けられていた巨大なトランク。

 あの胡散臭い半貌火傷男からの贈り物を開く。


 並んでいる刃物、銃弾の詰まった箱、ロングマガジンを装備した撃ちっ放しに出来る強度マシマシな拳銃……全て特別製だろうソレはUSAの兵士達が使っていた武器弾薬にも劣らない成分の火薬や冶金工学の精粋だ。


 部材からして恐ろしく固い。


 正しく何処の超合金かというソレの値段は分からないが、確実に銃弾ですら一発であちらの世界の戦車、輸送鉄棺が買えるだろう。


 マガジンを10本、外套の内部と腰に据え付け。

 デザートイーグルよりもデカいだろう口径。


 既存の大口径拳銃とは似通っているように見えて、何処か違うというような感想を抱く灰色のオートマチックを片手で持つ。


 長さ1mの銃身を持つソレのズッシリとした重量は凡そ15kg。

 片手で持つように作られていない、どころではない。

 人類が撃つ事を想定していない。


 銃身が長く、銃弾もやたらと長く、弾頭に使われた金属がむちゃくちゃ重いのでマガジン込みだと30kgはいくだろう。


 そもそもオートマチックだと言うのに弾倉の構造が既存のものとはかなり違う。


 そのクソ長く重い銃弾を撃鉄周囲の上にある縦長のボックス状の上向きに付いた弾倉からブローバック方式っぽい機構で供給し、激発終了後に横へポイする代物だ。


 ぶっちゃけ前に庭で鉄板を100cmくらい重ねた的に対し試射したら、真正面から貫き切った挙句、慌てた警備が物凄い形相で駆け付けて来た。


 砲弾でも撃たれたのかと勘違いされたのである。


「ありがたく使わせてもらおうか」


 使う機会は早々ないだろうと。


 個人兵装の切り札の一つとして温存していたソレをサッと抜き打ちしてみる。


 この身体ならば、淀みなく撃てそうだ。


 いつものブレードも小を後ろに、中と大を腰のベルトに差し込んだ。


 最後に銃をもう一度確認する。


 すると、今まで気付かなかったのだが、銃底に刻印が入っていた。


「何だ? ええと、せかい……オカルト……れん―――」


 最後まで確認するより先に相手の攻撃が来た。

 殆ど音速。


 相手の手が数キロ先で一瞬ブレた瞬間にはもう傍に待機させてたった神剣のフィールドが敵の一撃、恐らく魔術コードであろう熱線を上空に弾いた。


 だが、その熱量がオカシイ。


 周辺区画に影響が出ないように神剣で周辺環境を制御していなければ、区画そのものが直線状に融けているところだ。


 避難誘導はもう始まっており、大通りにもう人はいない。

 だが、だからこそ、顔が引き攣る。


 敵の黒外套は自分の目の前で突如として発生させた光の柱を館に叩き付けたが、その一瞬で大通りの全ての建物が融解していた。


 もし、避難させていなければ、神剣の制御を過信して死人を出していたところである。


 上に弾き続けている熱線は射線を遥か後方の山岳へとズラされたが、それを蕩けさせながらもまだ勢いが止まない。


 凡そ50km先にある世界の果て、岸壁の中央を半分程まで融解させてようやく止まっていた。


(推定テラワット。あの巨竜兵達と同クラス。いや、それ以上か)


 もう一刻の猶予も無い。

 外套姿のままに窓を蹴り破って跳躍する。

 すると、不意に光が途切れた。

 未だゴポゴポと灼熱する大通りの最中。

 飛翔する間にも音速で敵に突撃。


 次の一撃に備えたが、十秒も経たずに相手から30m程前に着地出来た。


 その終点に降り立てば、相手もまた足元を気にする事なく歩いて来る。


 この身体なら一足で十分な位置。

 自然と遠いとは思わなかった。

 それに避難者の誰にも未だ死者は出ていない。

 安堵する心地となった途端。

 相手の……自分に似た顔が僅かに唇の端を歪めた。


「オイ。人の寝床を焼き払おうとした不届き者。初めましてと言うべきか?」


 声は届いている。


 だが、その皮肉げなこちらを侮蔑するような感情に満ちていた。


「ふ……何を言うかと思えば、案外と潔く出て来たな」


「何だって? 芋虫野郎……お前、まだ諦めてないのか? どうして、そこまで心に余裕が無いんだ? アレか? お前は誰かに構ってもらわないと死んじゃうやまいなのか?」


 その言葉に普通にその黒尽くめは笑い始める。


「はははは、面白い事を言う。僕が構って欲しいだって? 残念だが、好きでこんな事をしてるわけじゃない……連中が動き出していた以上、もう猶予は無い。タウミエルの起動をどうせ進めてる……あの唯一神だってそうだ。時間、そう……時間を稼いでいるに過ぎない……あの蜥蜴共もそれは同様……だが、その間隙だけは誰もが動けない。いや、動かないッ。動けばどんな隙を産むかも分からないからな。今、此処でお前を落せば、全てこちらに天秤が傾く。この下らない人類にとっての茶番も……だから、僕は此処に来た」


「茶番、だと?」

「お前に良い事を教えてやろう。プライマル」

「………」

「この月はもう寿命だ」

「何……?」


「この一万年以上……何回初期化したか。その度に月は質量を削り続けた……あの男だって理解してるはずだ……もう、この環境を維持し続けるのは不可能に近い。後、1万年動かす事は出来るだろう。だが、それが終われば、後に残った質量で出来るのは削り尽した岩塊を船にする程度の事だけ。この数億の民が暮らす月は何をせずともその数を100万以下にまで減らす」


「―――何やらオレの知らない事を知ってそうだな」


「使える質量がもう無いのさ。あの男だとしても、僕そのものを消滅させられはしなかった……」


 その言葉に何となく、事態を理解した。


 現在、月の重量は確かに減りつつある事は月面調査の段階で分かっていた。


 だが、魔術コードで維持出来なくなる程に小さいかと言えば、答えはノーだ。


 しかし、蟲さんの言う事が本当ならば、それは“使えない質量が増えた”という事に他ならない。


 そして、あのギュレ野郎が使えない質量、なんてものが勝手に増える状況をただ見ているとは思えない。


 ならば、其処にあるのはあの唯一神に手出し出来ない部分―――オブジェクトが関与しているのは容易に想像が付く。


 そして、何を隠そう目の前の相手はだろう。


 何もかもになる芋虫。


 それがどれだけ凄い能力なのかは知らないが、恐らくこの月の質量の大半が入れ替わっているのだろう。


 ゾッとしない想像だが、恐らく当たっている。

 それは不敵に嗤う相手を見れば、一目瞭然だった。


「あの蜥蜴共が焦って、今回魔法使いを使ってきたのもそうだ……この月は奴らにとってもはや祖国に等しい。人類を駆逐し、永遠の王国を築くには質量を削る魔術の大本を絶たなきゃ話にならない……」


「だからって人間を一々便利に使うなよ。芋虫なら、芋虫らしく、自分の身体で頑張って欲しいもんだな」


「……初期化後にそんな戯言が言えたならいいな。僕こそがこの地獄の中で唯一人類を救える存在だ。これは必要経費ってやつじゃないか?」


「何だって?」


「この世界の初期化の意味をお前はどうせ世界の再構築という意味で使っていたんだろうが、実際には違う」


「初期化……何だ? 何が言いたい?」


「無くなりはしないんだ何もかも……世界はそういうものだ」


「無くならない? コンピューターみたいに上書きでもしてるのか?」


 その言葉に初めて相手の顔が険しくなる。


「やはり、貴様……そうだ。初期化とは上書きの別名だ。そして、この世界におけるあの男の上書きは貴様もよく知っているだろう?」


「オレが知ってるのは連中の記憶をあのギュレ野郎が弄った事くらいだが……」


「はッ、、ね。お前はあの男を何だと思っているんだ? カシゲ・エニシ……あの男はこの世界において初めて万物の理論を完成させた男だぞ? D理論すら奴にとっては単なる玩具に過ぎない……」


「Dブレーン、だったか?」


 フンと鼻が鳴らされた。


「精神と万物の関連性を全て解いた初めての人物……奴にとっての実験は魔術コードなんて片手間に作ったものを吟味する為のものじゃぁない」


 男の唇が歪む。

 それに嫌な予感がするのは何故か。


「奴はこの世界の成り立ちと物質を形作る紐……何処に繋がっているのか分からないソレを辿研究をしていた」


「辿る……」


「宇宙の根源は物質。そして、そのを記述出来る理論を手に入れた奴は魔術コードを物質に奔らせる際に揺らぐ紐の観測を行ってきた。大規模な世界の初期化はそれも含めて奴の数百年、千年に一度の大規模実験……奴は辿った情報を上書きする事で、をこの世界に現出させている。いや、実際には、と言うべきか」


「―――」


 僅かに引っかかるものがあった。

 それはそう遠くない過去のいつだったか。

 思ったはずの事だ。


その根幹が光学的に観測出来ない事象。つまり、科学的には解明出来ない代物、だったはずだ。だが、奴はソレを掴んだ……予測は、理論を産み、理論は実験を産み、実験は確信を手繰り寄せ、確信はやがて核心へと至った……奴は自分を封印した力を解析した……そう、解析……己の全てを掴んでしまった。次の初期化が開始された時、人類は―――奴が望んだ通り、だろう!!! 時間と空間を超えて、無謬の叡智―――アカシック・レコード。いや、陳腐な名前でいいな。を物質の先にある根源、存在限界、プランクスケール以下の世界から手繰り寄せた奴ならばな!!!」


 全ての情報が脳裏で回転し始める。


―――今呑んでいる紅茶は月面下に来てから作ったものだが、こんなにも美味かっただろうか?


―――あの芋虫野郎が呑ませてくれた紅茶はどうしてあんなにも味が近かったのだろうか?


―――どうして、この世界の連中は耳を持っているのだろうか?


―――耳を持っていても、人間らしいのだろうか?


―――生物は持つ器官、それこそ視界一つの差で宇宙すら解き明かせるというのに……どうして同じメンタルを維持し続けられているのか?


―――USAの宇宙派もまた同じメンタルだった事に安堵した事実は忘れていない。


―――どうして、この世界にはあんなにもヲタク知識が残っていたのだろうか?


―――イグゼリオンの面白さをどうして自分と男の娘達は共有出来たのだろうか?


―――普通、意味や歴史的背景が分からない情報はのではないだろうか?


―――どうして自分のいた時代の物理学賞ものの叡智が軍事化されていたのだろうか?


―――もっと、新しい理論が開発され、もっと進んでいるべきような気はしていた。


―――まるで塩の海で陳腐なSFだと思った……誰かが書いた筋書きみたいだ、とも。


―――そもそもどうして、この世界のパンの国は似ていたのだろう?


―――本当にそっくり過ぎるのではないか?


―――普通、幾ら教団が情報や文化を流していたとしても、伝言ゲーム方式で街の外観が作られたらがもっと出ていたって良さそうなものだ。


―――まるで、だと自分は感じていたが……その手とは―――。


「………一つ訊ねたい。蟲野郎」


「口の訊き方に気を付けろッ、プライマル!! 貴様は鍵でありながら、この世界の破滅に手を貸す悪魔だ!! あの悪意の塊共が利用するだけある破壊者だ!!! 貴様が生まれなければッッ!! 貴様さえ、この世界に産まれていなければッッ!!!? この世―――」


 グシャリと男の顔が消し飛んだ。


『おっと、そこまでだ。システムはシステムらしく、黙って従っていたまえ』


 紙袋が一枚。

 ヒラヒラと落ちて来ていた。


 それが膨らんだかと思えば、落書きのような顔が黒く書き込まれ、芋虫野郎の頭部に被さる。


『御機嫌よう。親友』


「―――ギュレン・ユークリッド」


『ギュレ?』


「お前の目的は何だ?」


『………私、オレ、自分、わっち、わたくし、我々、我が、某、ぼく、ワタシ、僕ら、私ら、吾輩、あるいは……このギュレン・ユークリッドの目的に付いて君は知りたいのか? 


「違う。そうじゃない。お前は―――お前は親友なんかじゃない!!! にとっては!!!」


 思わず叫んでいた。


『分かってるじゃないか。つまり、♪』


 怪神の声は明るい。


「ッ」


『リヴァイヴァル・ハザードは至高天が引き起こす……まぁ、エラーに過ぎないが、今……君が……ギュレン・ユークリッドがやろうとしている事は君の願いそのものではないかな? 君はソレをだろう?』


「―――――――――ッ」


 何も言い返せなかった。


『残念だ……非常に』


「なん、だって?」


は本当に嫌がらせだけは得意なようだ』


 ザリッと紙袋に一瞬だけノイズのようなものが奔る。

 唯一神は自分の身体を忌々しそうに眺めて、肩を竦めた。


『仕方ない、か……君という鍵をで存在させていてはいけない事態となった』


「オレを殺すって言うのか?」


『いいや、君は殺せない。それはもう確定している。そして、私が、最後に願った君の想いを消させはしない……さぁ、少し遊んできたまえ……コレはついこの間、ブラックボックスが解放された時にようやく最後の検証が終わった、本当の意味でだよ』


「ッ」


 ガチンと時間が止まった、かのように見える。

 世界が、空気すらも固定化されていた。

 完全なる物質の掌握。

 世界とは物質で出来ている。


 ならば、物質を自由に出来る男が、物質による事象において負ける事などない。


「く……」


 声は出せる。

 周囲の空気は震わせられる。

 だが、動かない。


 神剣は未だリンクを確立していたが、何処も存在は確認出来るが、応答が無い。


 それが全てを如実に物語っている。

 ギュレン・ユークリッドの力は恐らく、天文単位だ。


 本当に天文単位距離を支配しているのだ!!!


 神剣のリンク出来る物質と距離は恐ろしく広い。


 それこそ一つの保険として太陽系全域に光量子通信のリンク用通信衛星を飛ばしている。


 何かあった時の為に、だ。


 だが、そんな大げさなはずだった保険は地球周囲に配置した比較的近い場所からすら応答が無い。


 存在は確認出来るのに応答が無い、という事はつまり……応答出来ないように物質が制御されている、という事に他ならない。


 あらゆる波を操る神剣が外部からの干渉を跳ね除け続けているアラームを出しっぱなしだ。


 それもゆっくりと停止していく。


『おお、神なるかな。神なるかな。神なるかな』


 男が、紙袋の男が天を仰いだ。

 まるで司祭にでもなったかのように恭しく。


 その最中、視界の端に僅か、本当に僅か、物質が止まっているはずの世界に僅か、街の端で水が湧いているのを確認する。


 そして、その奥から何かが見えて。


『幸いなるかな。幸いなるかな。幸いなるかな』


 詠唱は続く。

 そうだ。

 これは詠唱だ。

 しかし、これは単なる詩に過ぎない。

 この詠唱自体に力は無い。


 これは……ギュレン・ユークリッドのだ。


『時は来たれり!! 幾京の時を超え!! 幾億の宙を潜り!!! 我は終に辿り終えたり!!!』


 触手が細く細くうねりながら地面を通って、水を通す道のようにこちらに迫って来る。


『万象、終に見たり!! 万象、畢に視たり!!! おお、我が神、我が神、何故あなたはそうも気高く、この残酷な大宇すらも救わんと欲すのか!!!?』


 紙袋がまるで今までの冷静さが嘘のように叫び続ける。


『我らに示した未知は遠く!! 我らが見た劫なる空に意味はあると言うのか!!!』


 水がもう少し。

 もう少しでこちらの足元にまで到達する。

 だが、その間にも紙袋の一人芝居が続く。


 そのそろそろ冷め始めたように思えた道と建造物が砂のように崩れては紅の燐光と化して新たな唯一神の神官とか言う新しい属性を発現した男の前で形を取っていく。


『おお、神よ!! あなたは残酷だ……あの大宇よりも、あの永劫の時よりも、あのあなたをだ!!!』


「?!」


 水が、足元に到達した。

 だが、それよりも早く。

 紙袋の前で燐光が形になる。

 それは……電車だった。

 それも少し古めかしい……英語が彫られていた。


「(ニュー、ヨーク、だと?)」


 男がその一両のみの電車をゴドンと地面に落す。


 だが、傷一つ付かないソレはゆっくりと内部の灯りを点灯させていく。


『神よ……今こそ、輪廻の輪を潜り、憑依せよ……今こそ、輪廻の輪を潜り、転生せよ……我は司祭……あなたの司祭……あなたの望みを叶え、宙の終わりより戻り来る最後の死者!!!』


 その司祭とやらが、恭しく。

 本当にまるで崇める者に傅くように。

 否、傅いて―――。


よ。今こそ』


 こちらを見て。


 紙袋の奥から覗く蒼い瞳が、真っ直ぐな瞳が、曇り一つ無く、煌いた。


 電車の扉が開く。

 そして、途端に身体が歩き出した。

 細い細い触手がこちらを追って、水が迫る。

 ゆっくりと足元から伝って、自分の中へと染み込んでいく。


「ギューレギュレ?」


 小首を傾げた紙袋がようやく気付いたらしく。

 その触手を薄く睨んだ。

 途端、ソレが弾け散る。


『これは君も知るものの一つ。そう、彼の上部構造の連中が知らなかった歴史に唯一抗う為の力……それのだ』


(まさか、米大陸と一緒に沈んだって書いてあった―――)


『親友よ……今一度、自分を知るがいい。そして、全てを見終えて、それでも私の前に立つと言うのなら、その時は相手になろう……』


「ま、てッ!?」


 タラップを上がり、自分の身体が乗り込んだ途端。


 カシュン、と。

 電車の扉が閉まる。

 カタンコトン。

 動き出す車体。

 それは悪夢だ。

 何故かって?


 何も無い虚空に上向きながら向かう電車なんてファンタジーは例えそれが洋画だろうと自分の趣味ではない。


 それに自分が載せられて、その場所に向かうなんて、悪夢以外の何物でもない。


「オレはッ!! そんな事望んじゃ」


 いない、というよりも前に車窓の先に小さな姿を見た。

 それはアリス。

 何処かの国のアリス。

 そして、その背後にいるのはジュデッカだった。

 無邪気に少女は手を振って、ジュデッカが何かを呟く。

 その声だけはハッキリと耳に届いた。


―――どうぞ、良い旅を。


「ギュレンッッ!!!」


『?』


 首を傾げたふざけた紙袋に己の声の限りに叫ぶ。


「オレはッッッ、オレはこの世界をッッッ!!!!!!」


 だが、最後の言葉が吐かれるより先に4発の弾丸がこちらの胸を捉える。


 ギュレンの遥か後方。

 自分の顔とその前に立つライフル銃を持った二人の軍人。

 その上で舞う妖精と円盤。

 最後にウクレレを持った無精髭のオッサンが見えた。


(嫁の顔じゃなくて、胡散臭い軍人見ながら、意識がフェードアウトとか……クソ、ホントに……ツッコミ……切れ……な………)


 途絶えていく自分。

 その奥に潜り込んで来る無明の闇。


 最後に見えたのは何故か耀きを取り戻すのとは違って、空の全てが夜の闇に煌く赤い星雲を映し出しているシーンだった。


 この状況を懐かしく感じてしまう辺り、自分は本当にこの世界で毒されていると思う。


 意識失い過ぎ問題再燃。

 もう無いと思っていた状態は果たして再び訪れた。


(――――――)


 何処かでは分かっていた。

 分かっていたはずだった。

 人間、悉く裏目という時、どうするべきか。

 昔、偉い人は言っていた。


 逃げるんだよ、と。


 だが、主人公はそうではない。

 そう立ち向かわなければならない。


 そして、立ち向かった先で……立ち向かい切った先で、全てが終わる時までを幸せに暮らさねばならない。


 でも、ふと子供心にそんな一つの物語ラノベに不満を持った事があった。


 それは正しくクレーマーな考え方だったはずだ。

 どうして、最後まで描写しないのだろう?


 物語の主人公がEDエンディングを迎えても、死ぬまで描写する物語はそう多くなく……それどころか、若い内に全部終わったと言わんばかりに打ち切られてしまった事が……何処か不自然な事に思えたのだ。


 それが単なる蛇足になる話だと、その頃は分からなかった。

 だが、釈然とせず、子供ながらに眉を顰めた。


 何の面白みも無い幸せな人生を過ごして、全うに生き抜いて死んだとしても……今一度、と……次の人生を所望する主人公だっているかもしれないではないか。


 なのに、死ぬより先に話を打ち切るなんて。

 そう憤りまで覚えた。

 その先にまた面白い物語が広がっているかもしれない。

 それを打ち切るとは許せない。


 作者は責任を持って、主人公が死に切ったところまで書くべき!!!


 なんて、思ったのだ。

 ああ、無論。

 子供の戯言に過ぎない。


 でも―――もし……自分が作者なら目を閉じて主人公が本当に諦めて消えるまで描写し続けるだろうに、と……そんな空想に浸った。


 仮にカシゲ・エニシが宇宙の終わりまで死なないのなら、自分はどんなを望むのだろう。


 そんなのは分かっていた。


 ……だった。


 明日の事も知れないのに。

 馬鹿な男はソレを望む。


 それは間違いの無いたった一つの愚鈍な答えに違いなかった。


 何故かって?


 そんなの決まっている。


 産まれながらにちょっと人とは違っていた自分は面白い事が好きな生き物で。


 そう、たった、それだけの事を求めるくらい娯楽に飢えていた。


 ―――ギューレギュレギュレギュレギュレ♪


 怪神の鳴き声は闇の奥。


 脳髄に染み渡るように遠く遠く。


 酷いノイズのように間延びしていくのだった。

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