第196話「異説~Jack of F~」

 影の領域。

 世界に光差さぬ暗がりの道。

 廃墟となった街の最中。

 昨日までは人々が歩いたのだろう道端には誰も居らず。

 食べ掛けのブロック状の穀物が零れた噴水の傍。

 苔生した石製の泉の前。

 一人、一人と歩く者がいた。

 それを人間に数えていいのなら、だろうが。

 紅の燐光に包まれ、揺らぐ姿は未だ成長途中。

 本来の人物が着ていた衣服も今は襤褸切れのよう。


 砂の如く崩れては纏う輝きの中で変換され……そう、変換されていく。


 姿のブレた人型。

 それが次々に人間ではない何かへと変貌していく。

 四肢は黒く染まり。

 青く蒼く瞳が輝く。


 肉体の内側から湧き出す血を思わせる光が罅割れたような肉体のあちこちから噴出し、骨肉を折り重ねるような生々しい音を響かせて、内部からソレは膨張……いや、成長していく。


「………」


 見つからぬよう。足音を消して建物の間を静かに通り過ぎる。


 声を出さず。

 決して、犠牲者と視線が合わないように。


「やっぱり……アレって」


 呟くようにして横の少女が哀しげな瞳で俯く。

 この悪夢ような廃墟街を通り過ぎるまで残り30m。

 しかし、そこへ辿り着くまでが遠い。


 化け物と呼ぶべき相手はこのファンタジー世界にも色々いるらしいが、それを少し見てきた身にとっても、この廃墟街で発生しているは異様である事が理解出来た。


 だが、そうではない隣の少女はジットリと汗を浮かべて、暗がりの中で静かに呼吸を整えている。


「何か知ってるのか?」


 猫耳なる少女。

 母と同じ姿と名前を持つ彼女。

 エミが静かに震える体を己の手で抱く。


「……お父さん……が覚えろって……小さい頃から魔導書を持ってきてて……覚えないと叱られて……その本の中に……」


「魔導書? あの明らかに危なそうなのについて記述でもあったのか?」


 コクリと頷きが返る。


「文明が滅ぶ前にああいうのが沢山この世界には現れるんだって……そう書いてたんだ……」


「文明が滅ぶ?」


「本には人間が、神様が他の人を守る為にその人をアレにするって……」


「克服? 神様が病気のパンデミックやった連中を封じ込めでもしてるのか?」


「ぱん?」

「何でもない。とりあえず、アレは危険なんだな?」

「うん。本には普通の人間を襲うって書いてあったよ」


「分かった。とにかく、今はこの街から離れる事を考えよう。もう周囲にアレが徘徊してる。あの街道へ続く道以外からの脱出も難しいからな」


「うん。エニシ……大丈夫? 顔色、あんまり……」


「昨日から寝てないってだけだ。今日の夜までは問題ない。今は此処から出るのが先決だ。いつでも走れるように備えておいてくれ」


「わ、分かったよ」


 自分が足手纏いな事は分かっているのか。

 素直に頷く顔には元気の欠片も無かった。

 まぁ、助けたというか。


 成り行きで逃げ出してからも、そういう明るい表情とは無縁ではあったが、数日で元の狐の国とやらから脱出。


 ようやく次の国に入ったかと思った途端の出来事だったのだ。


 最初、街に入った時は廃墟なのだろうかと思っていたが、静かながらも数時間も前には人がいたような痕跡が至るところにあったのだ。


 道端に売り物らしい食料が積まれ、乾いた食べ掛けの果実が転がりという具合で何処のマリーセレストかと疑問に思いながらも探索しつつ、食えそうな保存食の類と水を回収して、迅速に逃げようとしたところで化け物の徘徊が始まった。


 見つかりはしなかったが、拡散するように小さな街の周辺へと散った化け物の数は存外多く。


 一番相手が密集していない街道沿いの道へと向かうしかなかった。


 その途中でこうしてスニーキングミッション顔負けに身動きが取れなくなったというわけで……ハッキリ言えば、相手のアクティブな状態の動きも分からない内から囲まれるのは避けたかった。


 自分一人なら恐らく無理をすれば、脱出も可能だろうが、足がそう速いわけでもない少女一人を連れてとなれば、無茶も出来ない。


 徘徊が始まってほぼ1時間。

 これは長丁場になるかと気を引き締めた時だった。

 不意に路地の影から見える通りの一角が騒がしくなった。


「何だ?」


 こっそりと様子を伺う。


 すると、化け物達がノソノソとしたゾンビを思わせる動きながらも噴水近くの宿屋の周囲に集まって来ていた。


 宿屋のドアを開く知性は残っていないらしいが、木製の宿を全周囲から明らかに堅そうな体表の連中が圧迫しているのだ。


 ミシミシという音が周囲には響き始める。

 建造物の倒壊が起きそうだな、という感想も束の間だった。


 化け物達の何体かが内部から紅の燐光を噴き上げながらもがき苦しみつつ、劇的にその体積を増加させた様子でまるで巨大な岩石の塊のように膨れ上がって弾けた。


「!?」


 咄嗟に顔を引っ込めて、エミを胸に庇うよう抱いて小さく身を屈める。


 爆発、と言うべきだろう。


 その化け物が弾けた瞬間に固い体表が一斉に周辺を薙ぎ払ったか。


 建物が激しく揺さぶられ、引き裂かれ、軋みを上げながら倒壊し、ガラスや建材が雪崩のように激しく掻き回される音が連鎖した。


 通りの爆発が一通り収束した頃には外套の頭と肩には分厚い埃と建材の粉が降り積もり、上を見れば、2階部分の大半が消えていた。


「今だ。逃げるぞ」

「う、うん」


 外套の埃を払い立ち上がり、路地裏から一番近い街道への道へと向かう。


 思っていた通り、化け物の大半は爆発に巻き込まれて、殆ど粉々になっているようだ。


 しかし、街の外を徘徊していた個体が戻ってくる様子もチラチラと見える。


 緊急時というか。

 このような状況でも足が遅いと分かれば、逃げようもある。


 連れ立った少女をすぐ後ろに先行し、拳銃を構えながら道の終端付近で一端停止。


 聞き耳を立てながら、足音が無い事と輝きが角の先から零れていない事を確認し、少女を横にして一気に飛び出す。


 やはり、街道沿いから向かってくる個体は今のところいない。

 そのまま走り出せば、背後から追ってくる足音は無かった。


 未だに爆発跡近くで建造物が崩落したり、破壊されたモノが一緒くたになって落ちる音が大きい為、そちらに気を惹かれているのだろう。


 視界内はクリアー。


 そのまま街道沿いの道に付随する林へと飛び込んで姿を隠しつつ、エミの手を引いて走る。


 枝はまだ若葉らしいものばかりで枯れ枝が大量に落ちているという事も無い。


 最初の数十秒の全力疾走後、少しずつ速度を落としながら、1km近くを惰性で緩々と歩きながら止まれば、周囲にもう化け物の姿はまったく見えなくなっていた。


 息を切らせたエミを樹木に背を預けさせながら休ませる。

 その合間にも息を整える事と周辺警戒に専念する。


(これで速足にこの街道沿いを抜けて次の街まで行ければ……)


 考えている合間にヌッ自分の上に暗がりよりも濃い影が差し、理解した刹那に少女を庇いつつ、オートマチックを盾にするよう上に掲げる。


 ゴジュャァッッ!!!


 そんな音がした。


 オートマチックが勢いのままに破砕され、辛うじて折れるだけで済んだ腕を引き寄せるようにその振り下ろされたの一撃で地面が穿たれる衝撃に背後へと跳ぶ。


「きゃぁ!?」


 その衝撃に思わず短い悲鳴を上げた少女を無事な方の手で引き寄せながら、感覚の無い腕の状態は意識せず、更に後方へ下がった。


「こい、つは?!!」


 それは背高ノッポな樹木のように見えて、実際には動物である事が分かった。


 おぞましい事に……その樹木のようにも見える茶褐色の円筒形なささくれた節のある大枝……いや、四肢なのかもしれない場所には大量の白骨が下がっている。


 樹木の頂点付近には先程の化け物達とは違う。


 まるで野生の獣のような眼光が複数、薄らと緑色に発光しており……巨大な枝分かれした節の一つが地面への突きから引き上げられて、土塊をパラパラと零す。


「あ、も、もしかして此処って?!! ジェリーマンズ・ベルトッッ?!??」


「何だソレ!? こいつの正体が分かるのか!?」


「う、うん。狐国の近くにあるって、呪われた場所だってッ、この魔物アウト・ツリーの群生地帯は人間が入ったら軍隊だって磨り潰されちゃうって本にッ」


「クソッ、今のでまた気付かれた可能性がある!! 走れるか!?」


「う、うん!!」


 そのまま逃げようと走り出すより先に巨大な幹としか思えないソレが大きく後ろに下げられ、地表に樹木が密集しているのも構わずに横薙ぎにスイングされた。


「ッッ」


 少女を外套に包んで懐に抱いたまま、樹木を薙ぎ倒しながら振られる巨大な横殴りの暴力に対して、インパクトの瞬間……力の加わる方向へと飛んで衝撃を殺す。


 だが、メキリと腕が音を立てた。


 無事だった方の腕が砕けないながらも罅を入れられて、そのまま街道の中央に吹き飛ばされる。


「ぐ……」


 さすがに両腕は洒落にならない。


 そのまま街道沿いを走り抜けようと転がり様に起き上がるものの。


 周囲で次々に巨大な樹木の影が道なりに起き上がるのを確認して、顔が引き攣る。


 さすがにこれは拙い。


 引き返すという手もあったが、引き返したところでこちらに向かってくる化け物達と出くわす事になるだろう。


 これは積んだかとまだ辛うじて無事なエミを最後まで逃がす方法を考えるものの。


 何処かで化け物達に磨り潰される未来しか見えなかった。


(こんなところにまで来て、ファンタジーの雑魚っぽいのに殺されるのか。オレだけならまだしも―――この子まで巻き込んでッ)


 街道沿いの林から魔物らしい樹木が数体出てきて、一斉にその幹を振り上げる。


 何とか少女を後ろに庇うものの。

 結果は知れている。

 後ろからも複数の気配が近付いてくるのが分かった。

 引くも地獄、進むも地獄。

 だが、止まっていても地獄というのは酷いで済むまい。

 何かを思う間もなく。

 樹木達の一斉の振り下ろしが、迫る。


 そうして、恐らくは蘇生も何もあったものではない単なる現実の血と肉と骨の染みとな―――。


「何だって!? 酷い!? 酷過ぎるッ!? だが、それじゃあ、どうやって君を助ければいいんだッ!?」


 ギィィィッと歪な音を軋ませながら、殺人樹木の攻撃が一斉に止まる。


「ああ、クソ!? 私のエクスカリバーが次元を超えて届き、後4cm長ければ……日本製の大人用ヴィデオ・ゲーム並みのAHE顔にさせてNTRしてやれるというのにッ!? く、これが二人の溝……せめて、次元跳躍系が残っていればなぁ……」


 後ろを思わず振り返るという事すら出来なかった。


『―――もうダーリンたら♪ 私はまだ19歳だよ。そういうのはもうちょっと先でしょ?』


 電子音声らしき女性っぽい声が周囲に響く。


「ん~~日本製はやっぱりよく出来てるなぁ……ん?」


 ひょこりと。

 幼女らしいもの。


 いや、人間にしては小さ過ぎるが、子供にしては造形が整い過ぎている美しい生き物が……全裸に奇妙な首飾り一つな姿でこちらを覗き込んでいた。


 完全に丸出しのな上……背中に透明で直接肌に付いていない浮遊した翅を複数生やしている。


至高精スプレマシー!!?」


 その首飾りを弾帯かたすきみたいに掛けて危うい姿を辛うじてBP○の追及から守っていそうな妖精が手元の端末を相手に喋る様子は何かが非常に間違っている。


「……とりあえず、続き続き」

「誰がどうぞ続けてくださいなんて顔してるよ!?」


 再びゲームに戻ろうとした妖精がこちらの顔を驚いた様子で眺めた後。


「これはこれは……見えるのか? この私が見えるという事はどうやら君達もこの円環の理が支配する世界に取り残された者なようだ」


「何だって?」


「近頃はもう色々と諦めていたんだが、そうか。まだ、残っていたんだな……いいだろう。本来なら私の“魔法の杖”をお見せして、最強Codeを習得させるところなのだが、伝説の魔法使いの祖も今やこんな体だ。仕方ない。私と契約して魔法少女になってみないかね? あ、魔法少女というのは―――」


 突如として、空から一条の光が逃げ出してきた街の方角に降り注いだと思った途端―――莫大な熱量と埃の爆風が周囲を嘗め尽くし……それでも息が出来ている事に一瞬だけ瞬きした後に気付く。


 周囲に紅蓮の衝撃波が荒れ狂い。


 一方向へと流れていく最中も直径で3m程の空間を半球状の透明な……結界、そうとしか呼べないものが遮っていた。


「お前……一体、何なんだ?」


「何、を得る為に永遠休めなくなった使さ♪ よろしく、……“幸運のお守り”すら渡せない身の上だが、とりあえずはお約束といこうか」


「お約束?」


「ああ、私と契約して……をやらないか?」


「魔法少女じゃないのか? 後ソレ、断れるのか?」


「ポルノ女優が『もうポルノに出ないわ!! 私、運命の王子様を見つけたの!!』と事務所の怖いおにーさん達に言って無事で済むかどうかくらいの確率で断れるとだけ言っておこう」


「……いいだろう。袖振り合うのも多生の縁ってやつだ」


 何をどう考えたところで今、目の前の相手がいなければ自分達は死んでいた。


 そうと知っていればこそ、決断は納得出来ずとも素早く。


「では、TRPGの初期パーティー並みに頼りないメンバーで最初の攻略といこうか。まずはレッスンワン」


 爆風が過ぎ去った後。

 未だ外気が数百度を超えているだろう世界。


 光が降り落ちた場所の上に何かが高速で飛翔してきて、墜落直前で滞空する。


「あの強面な蜥蜴鳥類を叩き潰すぞ。諸君」

「―――ア、劫臥龍アマルティア!!?」


 驚くエミの顔が絶望に染まっていく。

 それも無理はない。

 全長で恐らく20m弱。


 チェレンコフ光にも似た輝きを放つ鱗と翼が目一杯に広げられて、巨大な人型の四肢と如何なる現実の生物にも類似しない正しく漫画的な禍々しい翼が直径で40mにも渡って広げられ、その巨大なあぎとから全てを引き裂くような咆哮が発せられた。


「フン。昔の私はオレなどという粗雑な言葉遣いの若者だったが、今の私はシックでハイソで人格的にも優れたナイスダンディ、おっとナイスレディ……。高々、蜥蜴鳥類が人間様を前にして頭が高いぞ」


 図々しそうな妖精が片手を目の前に翳すと。


 魔法陣のような紅の輝きが虚空へと浮かび上がり、その先に何かが形成されていく。


「さぁ、手に取り給え。祈りながら引き金とか引かずともいい……」


 いつの間にか。

 片腕の痛みは消えていた。


 相手が突っ込んでくるのを見て咄嗟に魔法陣を突き抜けた腕でその巨大なグリップに埋まった握りを掴んで、引き金を引く。


 虚空に固定化された常識外れのガン……いや、通常の機関銃よりも遥かに巨大な、ソレの内部で何かが回転するような金属の擦過音が急激に高まり。


「どんな時も銃は全てを解決するッッ!!」


 チュン、チュン、チュン、チュチュ、チュチュチュ、チュチュチュチュチュチュミィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ―――。


 高周波を響かせながら、何処にそれ程の量を収められていたのか。


 ドラゴンの天然の装甲。


 鋼よりも堅そうな鱗に無限にも思える弾丸が弾かれ続けながらもやがて潜り込み。

 次々に命中した場所に殺到する後続で掘削し、10秒後には弾幕―――いや、となった。


 相手がこちらへ迫ってくる。


 しかし、跡形もなく弾丸に抉り取られた肉体の大穴が


 激音。


 背後へと土煙と土砂を巻き上げながら拉げて血飛沫を上げたソレはもう鳴かず。


 一度の射撃で完全に焼き付いたらしいソレが融解しつつ、地面に落ちてガシャンと罅割れながら砕ける。


「さ、戦利品を剥ぎ取ろうか」

「何?」


 呆然と。


 自分で撃ったとは思えない程に……衝撃一つ感じられなかった今は壊れた大口径超高速連射式機関砲、今は赤熱する残骸を見ながら呟く。


「昔、失われていくを見るのが忍びなくてCodeを組んだんだ。へのタダ乗りだよ。経済移民が他国でセーフティーネットのリソースを圧迫するようなものだ。簡単に言えば、当社比能力5割減程度の。これくらいのハンデはにも必要だと思ってね」


 その言葉に顔が引き攣る。

 脳裏で明滅する危険信号。


 だが、目の前の妖精は肩を竦めてドラゴンの残骸を前に『こいつの生殖器って何処なんだろうな?』とか呟いている。


「―――本当にお前は何なんだ?!」


 妖精がチャラリと巨大なルビーを嵌め込んだ白銀の首飾りを揺らしてお茶目にウィンクした。


「ジャックさ。ランタンも無いし、ロンドンで刃物も振り回してない。ブラックでもなければ、ホワイトでもない。一番大切な日に一番銃が足りなかった、今は魔法使いにすら遠い。単なる妖精のジャックさ。


 どうやら。


 この世界の妖精は修羅の国USAも真っ青な火力の信奉者らしかった。

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