第194話「ニートと秘書子の愉快な戦略講座Ⅰ」

「ちなみにレッドアイ地方が制圧された件に付いてだが、オレからの回答はこうだ。ガルン、地図を」


 今まで書かれていた地図の一つをガルンが懐から取り出して手前に広げる。


 そして、その制圧地域と隣接する諸国から続けて幾つかの国を飲み込むような形にして影域のとある国家の一つを含む巨大な地域を手元のペンで囲んだ。


 それにユニは小首を傾げたが、見る見るケーマルの表情が険しくなる。


「これは何の地域を顕しているのかお聞きしたい。魔王閣下」


「何って、オレがレッドアイを降伏させた後に出来上がるだろう国家の地図だ。お前らが予測してるのかどうかは知らないが、恐らく最悪はコレだ。そして、オレはその為のカードを常にジン・サカマツへ作らせてた。意味が分かるな? ケーマル大臣」


「………」


 さすがに渋い顔になる事は無かったが、そのモノクルが外されて、額が揉み解された。


「オレは構わないぞ? その場合、アンタらはあの場所で新しい戦争の主導者として中央諸国を背負って立つ事になるだろうがな。無論、オレが動かせる反乱軍主力がいる首都を相手にしながらだ。ああ、大丈夫。心配しないでくれ。月亀はオレの行動を黙認するが、戦力は一兵も出さない。ただ、突如として顕れたに対する備えとしてオレからの提言を呑んで、月兎のレッドアイ地方を切り離して、月亀を主軸として月兎の統合と新国家樹立を図るだろう。月亀にしてみれば、まさしく青天の霹靂。何一つあいつらがその提案を蹴る理由は無い。勿論、オレはそう出来るだけの準備をしてある」


「これって……ッ」


 ガルンが地図を見てから、ようやく気付く。


「この影域の地域って……麒麟国?」


「サカマツにはいつもパイプ役として連絡を取らせてた。取引相手との交渉内容はオレとサカマツ以外には知らせてない。だから、お前が知らないのも無理ないな」


「帰天の麒麟国がきな臭いって噂。もしかしてセニカ様が?」


「いいや、あいつらは最初から昇華の地を獲りに来てた。その為の方法も殆どオレが想像してた通り。だから、オレはそいつらに新しい取引を持ち掛けた」


「取引?」


「ああ、オレが二つの国を治めたら、影域の盟主である奴らを影域の支配者として認め、軍事同盟関係と同時に大規模な大蒼海経由の貿易を推進。ついでに互いの領地の一部に駐屯軍と基地を置く計画だ」


「!?」


 ガルンもさすがに驚いていた。

 それはそうだろう。


 影域の国家は昇華の地の主な種族とは違って荒っぽい者が多く。


 その上に貧しい事から隣接する昇華の地にある国家との間で戦をするところが結構ある。


 先進国と周辺国からすれば、付き合っていかなければならない厄介な隣人なのだ。


「今はまだ詰めの段階には無い計画だが、オレが目的を達成した頃には調印までやる予定だった。で、今現在、その駐屯地の最有力候補は何処だと思う?」


「……レッドアイ?」


「そういう事だ。オレがもし麒麟国との間に軍事同盟を前倒しする事になったら、あいつらは自分達の身を削ってでもレッドアイを取り返してくれるだろう。何せ、軍の基地を置くのは国境域だからな。あいつらの戦略目標の一つが転がり込んでくるんだ。そうしない理由も無い。で、オレが苦境だからとレッドアイをあいつらに見掛け月猫へ上降伏させたら、どうなると思う?」


「月猫の主力制圧軍と敵対して、更に戦力を送ってくる?」


「正解。その上で取り返したなら、取り返したんだから、見返り寄越せとがめつく言い募るだろう。それにオレがウンと頷けば、この地図の出来上がりだ。わざわざ大蒼海経由で奇襲するまでもなく周辺国を一気に飲み込みに来るな」


「………でも、現地の人達は?」


「殆ど難民だ。元々の住民達にとっては故郷だろうが、出て行きたくないなら、オレがあいつらとの矢面に立って交渉して今までの生活から然程変わらない程度の変化に留めさせるのも可能だ。勿論、オレが死んだとしても、あいつらは魔王との約束の正当性を主張するだろう」


 ケーマルの表情がこちらを見つめる。


「彼らがどんな者達なのか。知っているのか?」


「書類と文面だけの交渉上は物分りが物凄く良い簒奪者と言える。オレがダメとなれば、すぐにでも月兎と月亀攻略に向かってくるのは確実だな」


「それが分かっていながら……彼ら蜥蜴達に国の一部を渡すと?」


「お前らがレッドアイをそうしたいならどうぞって事だ。恐らく、ユニが予知した未来にもこういうのは入ってただろうが、可能性が低いからって見逃されてたんじゃないか? 言っておくが、可能性の高い未来、低い未来って言っても、オレは可能な限り、それが使えるようにカードとしては網羅しておくタイプだ。だから、一番可能性が低い未来を突然選んでもオレの目的を達成する事は可能だ。それに届くまでオレが努力すればいいってだけだからな」


「―――我々がそれを打ち砕くとは考えないのか?」


「それならオレと泥沼の戦争だ。無論、オレにはその覚悟があり、それを一人で遂行するだけの力がある。オレが周囲の人材を集めてるのはじゃない。可能な事を楽してもう少し良い未来に繋げてやりたいと思ったってだけだ。逆説的に言えば、目標を達成するだけなら、オレさえいればいいんだよ。オレが生きている限り、どんなに低い未来だろうと可能になるだろう。その工程が血生臭くなるってだけで結果は変わらない。いや、変えようとする輩を全て排除しなきゃならなくなる以上、月猫連合国とやらが地図の上から消える可能性も覚悟してくれ」


「まるで……まるで未来を語るように言う。閣下……それを人は傲慢と言うのだ」


「生憎とオレは事実を言ってるだけだ。虚勢やハッタリをかましてるつもりはない。オレの予測する未来には何通りの勝利条件があると思う? その芽をオレと予測合戦をしながら潰し合うのなら、覚悟だけはしておけ」


 こちらの言葉に何を思ったのか。

 周囲には沈黙が下りる。


「……オレにはお前らの命より大切なものが幾らでもある。お前らはオレと敵対し、それを失う覚悟を決め、その覚悟を国民に理解させ、死んだり傷病で酷い目に合うかもしれないが、我慢してくれと強要しなきゃならないんだ。お前らがオレの求める未来の前に立ちはだかるなら、オレはお前らの国とそういう戦争をする。それが出来ないならオレの前に国を背負って立ったりするな。個人だろうと組織だろうと国家だろうと容赦は出来ない」


 ケーマルが猫のように片手で顔を撫でた。

 まるで長い映画でも見た後のように。


「……我が国へのを聞こう」


「そちらの国にある遺跡の一つをオレに探索させ、その成果の全てをオレのものにさせてくれ。それにお前ら月猫が頷くならレッドアイ地方は制圧しててもいい。が、月兎と月亀に手を出さない事。後、どうにか巻き込んだ周辺諸国を納得させたいなら月兎から独立させて小規模な国際的資本の入る特区にでもするといい。地域の支配にはウィンズを付けるのが絶対条件で難民達も行政へ関わらせる。無論、魔王からの独立だと表立って宣言しても構わない」


「つまり、、と?」


 この世界でならば巨大都市圏と言うべきものと化しつつあるファストレッグには必要とされる人材や資材をこちらで何でも揃えてきた。


 そして、それが無ければ都市が決して回らないように仕組みも作った。


 為政者と行政中枢が変わらないならば、都市の内実は然して変化せずに回す事が可能だろう。


 だが、もし丸々別の国家から来た連中がそれを担おうとしても行政処理の仕組みを理解し、執行用のプロトコルを理解して実践するまで数年は掛かるだろう。


 この世界の倫理や道徳や技術や知識レベルで簡単に分かるような仕組みは作っていない。


 最低限、魔王軍が現地で使っていた教育カリキュラムを数週間、サポートが万全の状態で受けなければ、どうにもならないのだ。


 このような正規教育を受けていない者が行政中枢に揃えた数々の文明の利器。


 行政執行に必要なあらゆる種類の道具を使いこなすのは不可能だろう。


 複雑な業務遂行は無理だと断言出来る。


 それらを使うには現代日本で言うところの高卒から大卒程度の知力や知識が必要。


 それも魔術込みでの丸暗記を多用し、知識や経験の下駄を履かせるチートを駆使しての事だ。


 中世魔術戦記の普通な街の行政執行能力は中学生並みの計算が出来るのが前提。


 しかし、ファストレッグにおいてはこの必要ランクが跳ね上がる。


 要求される能力はとてもではないが数週間では用意出来ない。


 なので、魔王軍が採用していた相手を据えろというのは乱暴だが、あの複雑な行政処理事務を必要とする都市を回せる人材はこの世界の大半の国に極々少数。


 そんなのを百人単位で揃えていたのは魔王軍だからであり、他の国がやろうとしても国家中枢人材を丸ごと持ってこない限りは行政の停滞で何処も本来のパフォーマンスを発揮出来ず。


 都市が本来産出するあらゆる資源、マンパワー、サーヴィスの価値は半減以下となる。


 正に宝の持ち腐れなのである。


「そのままにして何が悪いんだ?」


 悪びれずに訊ねると。


「だが、その場合、麒麟国はどうする? 暴発するのでは?」


 妥当な答えが返ってくる。


「オレが備えを怠っているとでも? 暴発したなら、周辺国にオレは魔王軍との取引を持ち掛けるぞ? 昇華の地の三割以上と関係がある話だ。麒麟国と消耗戦をした挙句に併合されて乱暴者の支配者になるのが良いか。それとも魔王軍による助力を得て、軍事同盟と不可侵条約を結ぶのが良いかってな。レッドアイを、ファストレッグを制圧した連中は今頃あの都市の大きさと機能性、行政の形態や統治の仕方にさぞや驚いてるだろう。これが魔王のする事かと。その事実が軍から報告された時、魔王の行政実務能力と付き合うメリットは極大だと当事国の政府は理解する。分の悪い賭けじゃないな」


 少なくとも善政に近しいものを敷いてきたつもりだし、その過程でたっぷりと物資だの資金だの能力だのは見せてきた。


 その成果を前にして政治家や行政の実務者達が何を思うのかなんて分かり切った事だ。


 戦争は内政における集大成なのだから、その極大の成果を前にしてはこの中世魔術戦記並みの行政しか知らない連中は驚くだろう。


 そんなものを持っている相手に喧嘩を売るのが如何に馬鹿らしく空恐ろしい事か。


 知らぬのは一般人や倫理・合理性0な戦争大好き連中ばかりである。


「………」


 こちらの言っている事が分かってしまうからこそ、ケーマルの顔にはもう笑みの一つも浮かんではいなかった。


「その上でオレは看板の架け替え程度なら構わないと行ってるんだ。食いついてくるだろそりゃ。そもそもウィンズは月兎全体の采配を自分でやるのは過ぎた事だと考えるくらいには控えめな名君だ。全てが終わった後はある程度の時間が過ぎた後、成人したフラウに任せようって腹積もりだっただろう。だから、地方領主に近しい小さな独立国か治外法権的な特区に封じてやるなら、月兎と敵対しないという前提条件がある限り、喜んでフラウに道を敷こうと支配者をやるだろうさ」


「ウィンズ卿とは会った事がある……確かに彼ならば、複雑に動く情勢の中で最も堅実な手を選ぶだろう」


「レッドアイの月兎からの独立ってのはオレの考えるシナリオ的にも悪くないもんだ。月兎や月亀、他の国や影域との貿易の中心とすれば、各国への見返りや利益も大きいし、何より富が一カ国で還流させるより大きく増える。まぁ、今すぐにやり始めるのは無しだが、交渉次第だな」


「それで制圧に協力した各国が黙るとでも?」


「お前らが急いでレッドアイを制圧した理由は大体予想が付く。金余りの実態が明らかになって、暴落するより先に戦争協力の名目で他国に大量の金を押し付ける腹積もりだろ?」


「………」


「沈黙もまた肯定だ。その上で金融制度を大幅に改編するまでの時間稼ぎになあなあの戦争をして、その戦費を全て金で他国に押し付けられれば、万々歳。魔王の侵食を押し止めた国家として弱体化する二ヶ国を経済支援と言いながら取り込めれば、正しくお前らは覇権国家と呼ぶに相応しい権勢を手にするだろう。その難題を解決するのがケーマル大臣……いや、ケーマル首相ならば、影域の国家の大半も外交力で押さえ付けるのは可能……違うか?」


「肯定しても否定しても、我々には利が無さそうだ……」


「ふ……全部、魔王のせいにして何食わぬ顔で紙幣と金を交換しながら、取り込んだ月兎と月亀に自国通貨を廃止させ、自分達の通貨を押し付け、最初の国際通貨に名乗りを挙げてみるってのも手だよな」


「?!」


 さすがにケーマルの顔色が変わった。

 どうやら図星だったらしい。


 この金余りというこの世界における未曽有の経済破壊戦略を前にして対抗出来そうなのはそれくらいだろうと考えてはいたのだ。


 要は現実でのアメリカ$。

 世界通貨。


 キーカレンシーを中世において成立させる事が出来たなら、その発行者は無限にその紙幣を有限の現物と交換し続けていられるだろう。


 過去、米国が巨額の双子の赤字を抱えながらも潰れたりしなかったのは米ドルの発行元であるという点と金融が高度に発達している故だった。


 その米ドルの信用を担保しているものこそが軍事力や国際金融の力であり、それは米国単体の経済力と表裏の関係にある。


 この月面地下ファンタジー世界における統一通貨。


 EUのユーロ的なものを発行したなら、月猫は確実に月兎と月亀を吸収し、軍事大国化するだろう。


「浪漫のある話だ。月猫の通貨で決済するのが昇華の地のスタンダードになれば、世界の主流と言っても過言じゃない。こうなってくれば、幾らでも紙幣は刷れる。その紙幣が金と交換出来るならば、金余り最初期の混乱もお前らの作る国際金融システムに各国が組み込まれていくに連れて収束していくだろう。価値の交換をサーヴィス主体に置き換えて、存在しない価値を無理やり創出するのは不可能じゃないだろうしな。金の値段が暴落しても、その後にお前らが他国へ様々な“事”を売る商いを始めれば、10年単位くらいで何とかなるだろう。その未来でなら、アンタは差し詰め経済で世界を救った英雄だろうよ」


 お姫様の食べていたパフェは既に空。


 ケーマル・ウィスキーの顔はもはや諦観の境地に達したようにも見えた。


「……魔王は狂人の類と諜報部は言っていたが、中々どうして……我々は侮っていたようだ」


「それはこの国でもう聞いた台詞だ。二番煎じは結構。オレがアンタらに差し出す選択肢は三つ。極力関わらずにやり過ごすか。オレに協力して見返りを得るか。敵となって国家崩壊級の事態に右往左往しながら蚊帳の外に置かれるか。どれにしても明日には月猫へ発つ。オレに付いてくるか。案内人でもやってくれるなら、数字の哲人とやらにも月兎や月亀へしたようにささやかな利益を提示しよう」


「ささやかな、ね……」

「まおう……きまえいーねー」


 ユニが話を聞いているのかどうか。

 ぽやんとした視線でこちらを見ていた。


「オレはケーマル大臣を月亀より少し高く評価した。だから、それなりの対応をさせてもらう」


「けーまる、すごい?」


「ああ、オレに対して一手先手を取ったってだけで十分だ。その上、常識人ってのは合理的になれない事もあるからな。利益で釣れる内に釣る。オレの手の内は大抵ソレだ。相手が引けなくなる前にオレ側の人物になってくれるなら、それに越した事は無い。オレが一番相手にしたくないのは正しくて気高くて折れなくて、ついでに柵満載で沢山の人間に慕われてるようなリアリストだ」


「りありすと?」


「大変な出来事でもしっかりと自分に出来る方法で解決するやつの事だ」


「けーまる。そーだよー……ね~?」

「ユニ様。持ち上げ過ぎかと」

「そーかなー?」


「明日までに回答してくれ。それが叶わない場合はオレは勝手に月猫へ入国する。不法か合法かはその時の状況次第だが、二日後までには国境から内陸にまで移動するだろう」


「もし、我々がレッドアイの制圧を喧伝し、月兎と月亀に対して宣戦布告と同時に侵攻を開始すれば?」


「残念だが、構ってる暇は無い。月猫の主力軍には可哀想だが、オレが出向くまでもなく。道端の肥料になってもらおう」


「それが可能である、と思われるだけでも、俄かには信じられないというのが実情ではあるが……事実だとこちらの勘は告げている。我が国の諜報活動者の大半がまさか戦場での出来事とはいえ、大法螺や戯言を言うようになったかと疑うよりは妥当な判断だろう……」


 どうやら、月亀と月兎の大激突地点で起こった一連の出来事から、月兎、月亀どちらも降伏させた手際まで調べは付いているらしい。


「まったく、一万程度の軍でどうするつもりなのか。まるで想像も付かないのでは……戦い様も無いか……」


「手段には言及しないが、これだけは言っておこう。オレが鍛えた軍は少なくともお前ら相手には戦わない。レッドアイで練兵中の訓練兵や新兵達がお前らの制圧部隊に対して抵抗してなかったのはする必要が無かったからだ。オレは連中に交戦規定を与えた。それを現地の兵は遵守してる。そして、それが守られる限り、オレの軍はだろう。あいつらに与えた勝利条件、目標は敵軍の殲滅や地域の防衛じゃないんだからな」


「どんな戦略なのかすらまともに推測出来ないな。此処へ来るまでにかなり地政学と戦略に付いては学び直したつもりだが……魔王閣下、貴方は兵にどんな命令を?」


 聞いてみただけ、というのは分かったが、とりあえずは教えておく。


「決済する中核人材を全員逃がせ、だ」

「何?」


「オレは断言しよう。お前らがこのままレッドアイを制圧し続ければ、お前ら自身が進退極まる事になるだろう。何せ、お前らは善意の第3者でついでに人間を暴力以外で動かさなきゃならない。そして、人間てのは付いていく人間を選ぶ生き物で、突如として襲撃してきた人物を上司と仰ぐには最初の権威者の命令、権威の移譲が必要だ。それが無いならそれなりの見返りがなきゃ話にならない」


「―――ッ」


 どうやら言っている事が理解出来たらしい。

 数字の哲人の顔色が悪くなった。


「お前らは下っ端も下っ端の人間が国家の独立や突如の方針変更を言い出したら、『こいつ何言ってんだ?』って思うだろ? そういう事だよ。つまり」


 ガルンが苦笑した様子になる。


 きっと、相手の困惑と想像を超える衝撃が分かっているのだろう。


 自分も何通りかある反乱軍の戦略方針や交戦規定を聞かされた時そうだったから、と。


が敵にいないのに下級役人や民間へ言う事を聞かせようとするのは無理筋だ。そこらの若者や閑職にいる定年真直で役職らしい役職にも付いてない平のおっさんが一方的な降伏宣言なんてしても意味は無いんだ」


「そうか……人員が一部逃走しているとの報告はソレか……」


「そうなると後は脅すしかない。それとも見せしめに虐殺でもするか? 軍は大人しく投降しているのに? お前らは魔王からレッドアイを救う英雄なのに? だとしたら、お前らは一生恨まれるだろうよ。これが単なる侵略戦争なら、オレの言う事は戯言だろう。だが、違うよな? お前らは平和的に魔王からの解放を謳わなきゃいけないんだよ」


「戦わずして勝つ、か……」


「お前らとは違う分野でオレの兵隊は戦ってるんだ。協力してくれる現地人材を逃がす事でな。上層部連中がいないのにどうやって民間人や行政実務者をお前らの下で働かせる?」


「給料を出すのはどうだろう?」


 もはや相手も分かっている。


 その言葉は無論のようにこちらの言葉を予想してのものに違いなく。


 力が入っていなかった。


「言っておくが、オレはあの都市に現物は大量に置いて来たが、資金は殆ど置いてない。長期間、働かずに貝みたいに黙って過ごせるだけの現物しかない。仕事もせずに家へ引き篭もる国民をどうやって働かせる? 食料でも取り上げるか? 言っておくが、問題は民間人の事だけじゃないぞ。難民連中だって支援が止まったら暴動になるのは目に見えてるからな」


「………」


「第一陣は今ようやく一息吐いたところだ。そいつらを相手にただ目先の利益で釣っても意味は無いんだぞ? 『難民の守護者たるは月兎月亀に非ず。我、魔王也』ってのが連中に対する広報で近頃一番反応が良かった標語だ」


「難民達だからこそ、生活の為に我々に寝返るのでは?」


「どうだろうな? あいつらは元々、国家という枠組みで解決されない問題として廃棄された連中だ。お前らはオレ以上にあいつらへ物資をやれるか? 必要な支援を行えるか? 軍を主力とする制圧部隊なんぞに赤子から老人まで見知らぬ襤褸を来た隣人を慈しむ事が出来ると? 神殿すらも匙を投げつつあった事を誰もが知ってる。それを救ったのはオレだ」


「……ふむ」


 それらの情報は既に入ってきているらしく。

 ケーマルが考えた様子となる。


「お前らは金で釣れると思ってるかもしれないが、その一定層は難民中の何割なんだ? そもそも魔王に心酔する連中や反乱軍へ入ろうって言う義勇兵だっていた。そんな連中をお前らは内側に抱えたいのか? いつ炸裂するかもしれない爆弾を懐に入れたいなんて、随分とお優しいんだな」


 さすがに大臣の顔が気難しいものになり、その指先がモノクルをハンカチで拭く。


 まぁ、いつの時代も一番軍にとって負担なのは恒常的な大規模展開を強要される事なのである。


 維持がハイコストであるというだけで軍の継続した作戦は難事。


 それが長期の制圧任務ともなれば、それだけで本国は現地調達出来ないものを延々と送る必要性に駆られる。


 それにプラスして治安維持と難民対策で神経を使うとなれば、もうこれは無理筋な話だろう。


 米軍が日本相手において勝利を収めた後、速やかに民主化したり、統治から手を引けたのは日本が敗北を良しとしたからだ。


 しかし、その後の時代時代での戦争で世界最強の軍隊が戦後上手く処理を行えた例は殆ど無い。


 ベトナムやイラクの例を出すまでもなく。

 あらゆる国家における戦争行動。

 滅亡させる以外で敵国への国家資源の浪費行為は亡国へ続く道だ。

 何処の大帝国だろうと崩壊する理由は正しくソレであった。


 歴史を顧みれば、どんな大国も身の丈に合わない広さの領土を得る事で破綻してきたのである。


 世界と戦争をしても勝てると言われた米国すら、ゲリラに悩まされ、テロに悩まされ、展開する軍の若者の命をジリジリと消耗させられて、戦争末期、戦後処理の時代となれば、いつも民間は反戦一色。


 戦後の内政的な負担は無視出来ないものがあった。


 膨大な軍事費用からくる国家予算の圧迫、軍予算の占領地政策への割り当てが軍事方面そのものの鈍化まで招くとなれば、それ以上の旨味が無いと戦争なんてのはやっていられない。


 民主主義な戦勝国であれば、併合するのでもなければ、占領政策を現地政府に重要なところ以外は全部投げる、というのはよくある出来事の一つに過ぎない。


 中世だろうとこのような事実は変わらず。


 国家の資源的限界、技術的限界、食料的限界、人口的限界はあらゆる戦争行動を制約し、それを超えた国家は容赦なく衰退と破滅の岐路に立つ。


 逆にこれが前世代的な世界でならば、敵国人を皆殺しにして国を亡ぼすくらいの事を素直にやれたなら、また違ってくるのだろうが……生憎と月猫はこの中世魔術戦記の中でも指折りのだ。


「現地の連中は一般人だろうと難民だろうと生死に関わる医療機関や生活に直結する社会インフラの維持は最低限やってくれるだろうが、お前らに協力する人間は皆無だ。何せ。ガルンにはいつも宣伝させてたんだ。もし、此処が落とされてもその内に取り返しに来るから、敵に協力しちゃダメだぞ。『魔王様との約束だ!!』ってな」


 自分に敵対的な全ての可能性を潰す、対処する。

 それは普通ならば、無理だろう。

 だが、準備ならば、幾らでもやってきた。


 文字通り、寝る間も惜しんだレッドアイでの仕事は無駄とはならない。


「……閣下は内政面において手強いと聞いてはいたが、どうやら手強いではなく、恐ろしいの間違いだったようだ」


 大臣という長の地位にあるからこそ分かるのだろう。


 レッドアイでこちらがやってきた事の内政的な準備、その大変さが……。


 男の瞳はようやくこちらとの交渉に燃え始めているように見えた。

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