間奏「その日の出来事Ⅶ」

「ふむ。着陸するぞよ。低重力下とはいえ、減速時にGが掛かるのは避けられん。敵前でゆっくり速度を落とすというわけにはゆくまい。ちゃんとベルトを着用の上、下がってきたレバーを掴むんじゃぞ」


 月面への航路から着陸へと向かう道すがら。


 観測を続けてはいたが、何分広大な領域全てをスキャンするのは現在船に積まれている光学観測機器では不可能だった。


 結局のところは“天海の階箸”内部から取り出した月面封鎖前の状況データと照らし合わせて着陸出来そうな場所を探すしかない。


 という事で聊か過去を知る人間からすれば、月?と首を傾げたくなるような変貌を遂げた蒼と緑の星へと近付くに連れて、まるで初めて異星に降り立つ人類的な緊張感が襲ってくるのも仕方ない事だろう。


 何せ宇宙船で月面旅行である。


 SFは好きだが、宇宙での厳しい環境を理解していれば、ニートが行きたいとは思えない場所なのは間違いない。


 迫ってくる地表。

 裏と表の境界。


 急減速で低重力に捕まりながらの着地は思っていたよりもスリルがあった。


 隣席の元海の男。


 アトウ・ショウヤ等はカッと目を見開いて、船外活動用な薄手のメタリック作業着スーツを着用の上、メットまで被っているが……それにしても瞳は緊張に血走っている。


 船の前方にあるノズルからの逆噴射がカウントダウン。

 そして、前方のディスプレイ内部で数字が0になった途端。

 ゴバッと急激な減速による慣性が身体を襲う。


 噴射12秒。

 かなり無理をしたらしく。


 衝撃のせいでディスプレイの画像が歪んでノイズが入る。


 そうして……大きなクレーターの外延部に船体が半ば斜めに突っ込むような形で着陸は成功した。


 いや、もしかしたら墜落の間違いかもしれないが、船体に異常無しの報告が終われば、安堵しかない。


 着陸地点は過去に委員会が月面からの物資の搬入搬出を行っていたとデータが残る基地通用口付近。


 外は現在極めて高温な為、出られませんとの話であるが……それにしてもそこら辺に無数生える草っぽいのを見れば、此処が宇宙だとは思えない奇妙さに心情を支配される。


「婿殿。周囲のレーザー観測結果から言って、ドンピシャじゃ」


「何?」


「まだシステムが生きておるようじゃのう。“天海の階箸”で拾ったコードを秘匿回線で発信してみたら10秒後に収容と通知が来た。いや、無駄じゃと思っておったが、案外何とかなるもんじゃな」


「……運には恵まれてるらしいな」


 そう言った途端。


 ガゴンと船体に振動が奔り、メインディスプレイに移る船体前方から送られてくる映像がゆっくりと下から暗く染まっていく。


 それが地表から下へと向かうエレベーター式ハッチへ格納されているのだと理解すれば、安堵の息が零れた。


「地下へ向かっているのか?」


「うむ。だが、何やら事前のデータと違うような感じじゃのう。あちらのシステムから送られてくる情報を信じるならば、3km以上下がる事になる……どうやら再構築区画とか言うのに運ばれるようじゃ」


 ショウヤに呟きにヒルコが返す。


「再構築区画……委員会と国家共同体の大戦時の名残か?」


「うむ。あくまでシステムに問い合わせただけじゃが、それっぽいのう。建設された日時が数千年前。拡張済みとか。色々と広くなっておるような形容が回答文にあるのじゃ」


 ディスプレイは未だ真っ黒。


 天井の方を写すカメラも今はただ閉められた漆黒の天蓋を写すのみ。


 眼前に表示された3Dマップでは地下の到達地点まで数分との事。


 こちらの船体の移動ルートが次々に開示され、その先へと続く通路や区画の情報が継ぎ足し継ぎ足し表示されていく。


 恐らくヒルコが片っ端から此処に投影しているのだろう。


 だが、その勢いが凄まじいにも関わらず。


 その地下図面の広がりがディスプレイから溢れ、縮尺が次々に変更されては地図の規模が大きくなっていく。


「何だコレは……ッ」


 最終的にはショウヤがそう呆然とした。

 それは極めて巨大な地下構造。

 無限にも思える長い長い網目状の三次元の地下階層図。


 数千kmにも及ぶ月面地下世界に続く様々な生産設備と維持設備の図面だった。


「魂消たのじゃ。恐らく月面の93%以上が開発されておるのう……何処にでも通路と外部ハッチがある。うむむ……ワシらが使っておるハッチは最も旧い部類のようじゃが……どれだけ採掘したものか。たぶん、地下14km以上に渡って広大な空間が広がっておるが、全て作り物……この図面を計算する限り、ワシらはトンでもない規模の構造物の表層部分を通過しておるようじゃ」


「なぁ、あの蒼い水槽みたいな部分は何なんだ?」


「今検索しておるが……宇宙線低減用の水槽みたいなもんらしい。中枢ユニットが海中に存在し、ええと“神の輪”とか呼ばれておるようじゃな」


「はいはい。遺跡遺跡」


 げんなりした顔になったこちらにヒルコが苦笑した。


「とりあえず、解析し終わったら話すのじゃ。それまではしばらく―――」


 言い終わらぬ内に船内にまるで金属が悲鳴上げるような衝撃が奔る。


「どうした!?」


「エレベーターシャフト内に何か遺物が侵入? スキャン開始……高熱源体多数!! 照合開始!! 適合確立87.324%でシャフト内の物体を大戦中期型の戦闘用ドローンと推定!! 婿殿!! 敵じゃッ」


「兵装を立ち上げ!! ただちに迎撃!! 敵の数は!?」


「推定……ああ、分からん!! とにかく下からワラワラ一杯じゃッ!!」


「この状況じゃ箱の中の猫だな……」

「そこは袋の鼠なのでは?」

「双方言っている場合か!! 何をすればいい!!」


「ECMを感知!! 更に艦内システムに侵入者!? く、ワシの新しい城に土付けよってからに!? 対抗電子戦開始じゃ!!」


「船外兵装を全て手動照準に切り替える。電子制御を乗っ取られた挙句に破壊されたらお終いだ!! そっちは下から来る敵の小型機械を撃って破壊してくれ。オレは船外に出て迎え撃つ」


「ああ、了解した!!」


 コックピット内で次々に周囲の状況が3Dマップと船内の電子制御系統の不安定度を色分けした図で表示されていく。


 船外兵装の複数個所が危険を表す赤色で船内が軒並み黄色という状態。


 そして、シャフト下部から光点がワラワラと上に昇ってきて、昇降の床下に張り付いている事が分かった。


 前方のモニターの一部には床のあちこちが赤く灼熱し始める様子が見て取れる。


「もし逸れたら合流用のマニュアルでもこのアイアンメイデンに聞け」


 言って即座に後の開きっ放しになっている通路から船内倉庫へと向かう。


 船体の底部にある其処には超高カロリー物資と水が大量に置いてある。


 辿り着いた扉が開くと同時に10mは下の山のような物資に向けて跳躍。


 格納庫内に両手から伸ばして枝分かれさせた触手を広げて注射器状にして水分と食料を吸い上げつつ、その場に触手溜り、500kg前後の肉の塊を5つ形成。


『婿殿、3番ハッチを開放するのじゃ。敵がこの昇降フロアに侵入するまで残り20秒!!』


「了解だ」


 左前方に開き始めた複数のハッチの一つへと触手で肉塊を引きつつ移動し、飛び降りる。


 巨大な後の物体はその下方に小さな繊毛のような筋肉を形成してあるので着地時に音を立てる事もなく静かにドプンと水音をさせて床へとへばり付いた。


 そうして、数秒後。


 ハッチが再び閉まり切る前に床のあちこちがゴボゴボと解け崩れ、内部から物凄い勢いで黄色と黒の噴流が次々に上がる。


 それはよく見れば、人の拳大の大きさを持つ……蜂のようにも見える機械の群れ。


 周囲に床を抜く為にバッテリーでも消耗したのだろう無数の群れがボトボト落ちたが、それをまったく感じさせない程に大量のドローンが即時こちらに向かってくる。


 安定飛行。


 そして、コストパフォーマンスに優れた群体型のドローン。


 その武器は正しく針だ。


 ただ、静物を突き刺すというよりは相手の機械を破壊する為の代物なのか。


 尻の先から出た注射針の数十倍はありそうな太さのソレの切っ先はパチパチと放電していた。


 触手溜りの全方向に瞳を形成。


 入ってくる視界内の全ての敵ドローンに対して攻撃を開始する。


 集積硬化した生体カーボンナノチューブ製のアンカーロープ


 そして、その隙間を縫うようにして強度を増させた機械でも一瞬の視認と状況判断は不可能だろう見えざる糸を同時に全方位へ発射。


 蜘蛛の巣のように空間をあらゆる場所を縫い止めるようにドローンの本流と激突した。


 錨が突き抜けたドローンの爆破とその余波で次々に敵が糸に接触しては絡め取られて、羽を動かせずに落下していく。


 だが、それでも少しずつ空間を制圧するように地下から無限かと思うように湧き出すドローンの群れは船体へ取り付こうと突撃し続け―――船の全方位にある迎撃用の銃座が一斉に火を噴いた。


 その狙いはドローンの入ってくる穴だ。


『撃ち漏らしたのは頼むぞよ。婿殿!!』


「ああ、任せておけ」


 今まで機械蜂を吐き出していた穴という穴が銃撃の餌食となり、内部に入って来たものも次々にこちらで捕捉しては糸で絡め取り、錨で薙ぎ払っていく。


 やがて、事態が膠着した。


『婿殿。悪いが触手でこの下のシャフト内を通る昇降用のワイヤーを切断してくれるかや? 恐らく銃弾が尽きる。相手の総量とこちらの船体重量から言って、全部押し潰せるはずじゃ』


「了解だ。一番近い穴への銃撃を10秒後に止めてくれ」


『了解じゃ』


 触手溜りを二つ束ねて融合させ、カウントダウンが始ったのに合わせて穴を通る太さに形成しつつ、上から蛇が首を擡げるように狙いを定める。


『3、2、1、今じゃ!!』


 銃撃が止んだ途端に噴出そうとしたドローンを鉄槌の如く押し潰して爆発させながら黒くカーボンで染めた触手が勢いよく穴へと押し込まれていく。


 無論、ドローンが次から次へとブチ辺り、爆発してはいたが、ドンドンと僅かな遅滞を挟みながらも床の下へとすぐに貫通。


 瞳を床下の穴からすぐの場所に複数形成して、ワイヤーを確認。


 すぐに床側へ張り付いた巻き上げ機を枝分かれさせた触手で渦巻くようにして取り囲み、捻じ切る。


 すると、一瞬の浮遊感の後。

 6分の1Gとはいえ、それなりの速度で落下が始った。


 すぐに触手を穴から後に戻し、元の穴に再生する肉で蓋をする。


 床下からは膨大な重量によって押し潰された機械蜂達の爆発音が響いてきていたが、どうやら床そのものを破壊するには至らないようだった。


『婿殿!! 他のところも塞ぐとよいぞよ!!』


「ああ、分かった分かった」


 次々に銃撃が止む場所に触手を手当たり次第に押し込んでは塞いでいく。


 そうして、触手溜りが全て消費された頃。

 浮遊感が治まってくる。


『むぅ。さすがにドローンが詰まり過ぎておるか……じゃが、元々の目的地まで残り20m程じゃな……船内に戻ってくれるか?』


「ああ、どうするつもりだ?」


『この船の下方にもバーニアが付いておる。メインと補機どちらも月の重力は振り切れる代物じゃ。一端浮上してから、床に向けてレールガンを掃射する』


「大丈夫なのか? このシャフト内って密室だろ?」


『何の何の。船体の液体金属防護膜は宇宙線だけではなくデブリや断熱圧縮の高温にも耐える為の代物じゃ、問題ない』


「さよか」


 言われた通りに船体横の人が一人出入りする用のハッチから内部に戻れば、即座にバーニアが点火された音。


 そして、次に轟音が下方から響き渡って次々ガンガンと激音が船体のあちこちから響く。


「本当に大丈夫なのか!?」


『下の床を襤褸屑にしただけじゃ。残存ドローンの反応無し。これより降下するのじゃ。網膜投影に切り替えようかのう』


 すぐにコンタクト型のデバイスから映像が投影される。

 濛々と噴煙を上げる暗黒の地下。

 その場所へと降りていく船体のバーニアの噴炎。


 着地したと同時に全方位のカメラ映像が送られてきたが、どうやら大きな空間に出たらしく。


 煙ってはいたが、大型のドックらしいという事は分かった。


「此処が目的地か? 整備工場みたいにも見えるが……」


『外からの宇宙船を迎える簡易港の一つじゃ。どうやら、此処で軽い防疫と点検を受けてから本港と呼ばれる場所まで向かうようじゃが、ワシらの目的地はとりあえず地下の大空間内。本港は後回しじゃな。さっきのはどうやら認可の無い船体が入ってくるのを防ぐ防衛プログラムの類。ワシがザックリと“天海の階箸”のバックアップでドックのメインプログラムを書き換えてる最中なのでもう安心じゃ』


「……それで此処からどうやって内部に向かう?」


『それがさっきの噴射でかなり核融合炉に負荷が掛かったようじゃ。大気圏突破能力や大気圏航行能力は無かったみたいでのう……ちょっと、修理と機材の補充が……』


「つまり、此処から物資盗むまで船は動けないと?」


『うむ。とりあえず、ワシとアトウは艦内の整備をしておく。そちらで先行しておいてくれぬか?』


「分かった。ちなみに此処から大空間までの距離は?」


『直通のエレベーターがあるようじゃな。そちらを使うと良い』


「了解した。地図を送ってくれ」


 仕事は一瞬。


 現在地である鋼色の巨大な宇宙港からルート付きでエレベーターまでの道のりが示された。


「もう敵らしいのは来ないんだよな?」


『港の防衛プログラムには異常無しの診断をさせる。また、ログにも細工したのじゃ。今のはシステムの誤作動じゃったとな。さすがにこれで現物を見に来る輩はおるまい。現在、この港のあるブロックからアクセス可能な30ブロック先まで生体反応は無し。また、怪しい動きをするドローンや補修機械も無し。ふむ……船体の補修ついでに隠蔽もしておくかや。安心してお使いしてくるがよいぞよ』


「そうさせてもらおう……そこのちょっと抜けた鋼鉄乙女を頼むぞ」


『了解した。何かあったら呼んでくれ』


 ショウヤの声が短くそう呟くと膨れたようなヒルコの声が反論する。


『面倒みるのはワシの方じゃろ!?』


「そいつに面倒見られたら100万やるから大人しく今言った事に専念しててくれ」


『ひにゃあああぁああん!? ありがとうなのじゃぁ♡ ラスト・バイオレットしゃまぁ……はッ?! だから、それは止めい!? ワシの人格が疑われまくりではないか!?』


 とりあえず、低重力に身体を慣らす意味でも走りながらの移動とする。


 一辺どれだけの距離があるものか。


 最低1km以上の横に広がる空間は無人という事もあって、その鋼色の床や天井や壁が寒々しく見えた。


 ヒルコが最小限の光を付けてくれたおかげで3Dマップと合わせても道を間違う事は無いだろう。


 階段を昇って壁際の通路を往き、角を折れ曲がって無人の通路を数百m。


 数分で辿り着いた壁の突き当たりにあるエレベーターは既に動いているらしく。


 ヒルコから送られてくるデータがリアルタイムでどうなっているのかを教えてくれる。


 ポーンと音がして扉が開き。


 内部に乗り込めば、正しく人が乗込んだのはどれ程前なのか。


 分厚い埃が床に積もっていた。


 こちらは触手がいつでも使えるようにと薄手の宇宙服を元に一部有機系のジェル素材を使ったインナーといつものスーツに外套姿。


 これが電子制御で一瞬にして肉体を首筋まで密封。


 その上は真空中では触手をヘルメットのように展開して気圧を保つという代物。


 現在の通路までは酸素も窒素も薄かったのでそのままだったが、エレベーターが閉じられると同時に空気の噴出す音と舞った埃を排出する清掃用の機構が働いて、すぐ内部が綺麗となった。


『ワシが安全に調べられたのはエレベーター内までじゃ。そこから先は恐らく月面の施設群を統括するメインフレームなのじゃろうが、そちらからの巡視プログラムのガードが固くて見れておらん。重々気を付けるんじゃぞ。こちらもそちらのスーツの観測データから出来る限りバックアップするのじゃ』


「ああ」


 音も無くエレベーター内の上部に備え付けられたディスプレイの階数が下がっていく。


 1階が12階層で


 A1からM12までの気の遠くなりそうな長い区画を高速で降りていっているのが分かった。


「……なぁ、こんな施設が何の為に必要だったんだろうな」


『む? ラグランジュ地点へ月面資材を用いたコロニー建造計画があった事は渡した資料に記載してあったかと思うが?』


「いや、そういうのじゃないんだ。言っておくが、どんなに技術が進歩しても人間の本質は早々変わらない。【統合バレル】がそうであるように……委員会もある意味人間臭かった。確かに月面を開発すれば、それなりの大事業が出来ただろう。だが、問題はそこじゃない。月まで行ってわざわざ地下に都市を作る。大空間を掘削する。そんな事する必要なんか本来無いんだ」


『そうかや?』


「そりゃそうだろ。資材の採掘と加工を行うオートメーションの工場でも置いておけばいいだけなんだから。人間がやる必要すらない……でも、実際にあんなにも大きなドックがある。大きな船を入れるスペースを確保していた。宇宙開発だって、どれだけ星が破滅してようと外に行きたいって願う連中はそう多くない。故郷への思い入れってのは他人が思ってるよりも強い事が大半だからな。けど、地下施設の広大さから言っても、数千万人単位の人間を連れ出そうって感じに見えた」


『何が言いたいのじゃ?』


「委員会は……本当はもう疲れてたんじゃないのかと思ってな」


『疲れる?』


「ああ、全部終わらせてシンギュラリティーを人類総出で迎える。自分達の役目から解放される。そんな未来を夢想してたのかもしれないと思うんだよ」


『“双極の櫃”の情報からはそうとは思えんが……』


「いや、将来的な話だ。連中は自分達に続く人類が増えていくと。やがては世界の全てになると。本気で信じてた。争いを終わらせようとしたのも、過去の人類の遺伝情報と社会を保存する現生人類を抹殺しようとしたのも……何もかもを終わらせたかったからなんじゃないかと、そう感じたんだ」


『何もかも……それは破滅願望ではないのかえ?』


「かもな。でも、人類が愚かなのはそういう事にも真摯に取り組めるところだ」


『婿殿が人類学の講釈でも始めたら、儲かりそうな話じゃな』


「歴史上、そんな事すれば、どうなるか分かってるだろうって奴らが五万と破滅してきた。目的の為に盲目となった結果。その後の事を考えてなかったってパターンだ」


『婿殿は考えておるのかや?』


「無論、上策から下策まで万事抜かりない。本気であいつらを救う為なら、この世界を崩壊させて逃げる手立てまで考えてるぞ?」


『その世界とやらにはワシらの星まで入っていそうじゃな』


「最終手段だけどな」


 ヒルコが溜息を吐いた。


 それでも狂人にそんな事を言っても今更かと肩を竦められているのが手に取るように分かる。


「着くぞ。備えておいてくれ」


『了解じゃ』


 エレベーターの表示が最下層への到達を告げて、ポーンという音と共に扉が開き―――吹き込んでくる風と景色に思わず目を見張った。


『はは、まさか繋がってる場所がこんなところとは……むぅ、思わず踏み出していたら死んでおるな』


「どんな構造だ……はぁ」


 其処は空の上だった。


 いや、正確には蒼い空を下に見る巨大な水槽の最下層と岩壁の狭間だろうか。


 薄暗い世界の果てには明るい世界が見えたが、遠く遠く。

 一歩踏み出せば、何も無い虚空。


 周囲には薄暗い森が広がり、湾曲した壁が此処を水槽で蓋をされた大空間の端である事を教えてくれる。


 恐らくは10km近くあるだろう地表までの距離と気圧の低下、空気の薄さなどを考慮に入れても……常人ならエレベーター内ですら瀕死だろう。


『通信は通るようじゃ。外に出ても構わんぞよ』


「どうやって昇ってくるんだよ……」


 呆れて溜息を吐く。


『エレベーターは制御下じゃ。そこに設置したままにして、婿殿のいつもの触手と炭素の糸を残しておけば、帰りはどうとでもなる。10kmくらいならば体重も然して減らんじゃろ?』


「分かった……糸付きでダイブしろって事だな……蜘蛛の糸に縋る罪人の気分だ」


『?』


「じゃあ、さっそくそうしてみようか。オレが地面に蛙みたいに張り付いたら、お前のせいだからな」


 エレベーター内に触手とカーボンナノチューブ製の糸を複数貼り付けて最終的に細い一本の糸へと形成して腕から放出するようにして室内から身を投げた。


 高速での落下中も腕からは糸が次々に吐き出されていく。

 だが、体重の減少は緩やかだ。

 糸の生成速度も問題ない。

 数分の落下の最中。

 薄暗い世界に広がる森の内部に幾つも集落や煙を発見した。


 糸の放出速度を落としながら減速しつつ、コンタクトの機能を視界を暗視に切り替える。


 月面下の住人とのファーストコンタクト。

 果たして蛸が出てくるか烏賊が出てくるか。


 兎ならば心に優しいと思う自分は正しく日本人なのかもしれなかった。

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