間奏「その日の出来事Ⅳ」

「飛べばいいが……」


 巨大なドック型の中。


 一隻の船が軟性の金属には見えないアームのようなもので上下に係留されていた。


 現在地は“天海の階箸”の遥か上。

 成層圏の端くらい。

 軌道エレベーターにして箱舟の艦尾付近。


 元々、星系の状態や周辺宙域の探索調査用に宇宙船の一つでも無いかと探していて、ヒルコが見付けた小型艇だ。


 全長は210m弱。

 船と言っても宇宙船というよりは脱出用のボートに近いらしい。


 そもそもが数百km単位の構造体である“天海の階箸”は多用途なマルチインフラに近い。


 想定スペックだけで語れば、外宇宙の探索が出来る船であり、種の保存を行える箱舟であり、人型人類が発生もしくは居住可能な惑星の大気圏と宇宙を繋ぐ軌道エレベーターであり、地殻内部のマグマから熱量を吸い上げて電力や熱量を取り出すエネルギープラントであり、高度な生産設備を内部で自立的に組み上げる液体金属の性質を不断に使った万能生産設備生成機関でもある。


 これらの能力は勿論のように他星系への移民目的での使用が計画されていた。


 故に船として脱出艇も備えていておかしくはない。


 勿論のように戦闘用の艦艇もあるらしいが、現在のところすぐに動かせそうなのはソレ一隻のみだ。


 これらのドックは通常区画よりも“神の画”の能力によって構成される比重が大きい。


 巨大な構造体を支える絶対不可侵の万能流体金属防壁は単純に膨大な量の皮膜というだけではない働きをする。


 パイプやケーブル類。

 装甲や内部構造。


 これらを任意に生成する液体金属は柔軟性を持って随時負荷を分散させながら構造を保ってバランスまで調整しているのだ。


 “天海の階箸”が数千年以上の時間経過にすら耐え、外部からの圧力や自重による倒壊の危険が無いのもこれらの能力無しでは不可能だろう。


 現在、惑星周辺を周回するようにして設置されたリングに接合され、七つの衛星の補修基地や【深雲ディープ・クラウド】のデータが一挙に集まるターミナルとしても使われており、月のマスターマシンとすら大容量の情報リンクが確立されているらしい。


 ヒルコがその接続を辿って得た結果は前々から解析させていたのだが、暗号化されていない部分だけ読み解くなら、月は日本帝国連合とアメリカ単邦国の共同軍から攻撃を受けた後、派遣されていた委員会の一部人員による決起宣言で独立したようだ。


 秘密結社の秘密の隠されていた動向が初めて明るみになったが、問題はそれだけに留まらない。


 地表の戦争で忙しい連中と決別し、種の保存を言い訳に月面に立て篭もった彼らはそれ以降、攻撃で破壊された後に自動で再建築、再起動したシステム中枢の掌握を試みたが失敗。


 結局、スタンドアロン状態で勝手に稼動している月面の委員会施設の大半がクローズドで運行されてしまっているとの事。


 それでも最初期の設定は生きているらしく。

 とにかく現状維持という状態がその後もずっと続いている。


 月と地球が別たれ、設備の復旧後も分派した連中の妨害で接続出来ず。


 このままでは侵攻される可能性すらあると予期した“双極の櫃”内部の委員会は惑星全土を覆う防衛機構を開発。


 それはシステム中枢が独立状態にある月の設備で延々と同じ命令を繰り返して生産されていた太陽光発電用の特殊フィルムを張り合わせる事で作られた。


 地球周回軌道に投棄され続けていた資材の合理的な再利用方法という事だったようだ。


 マスターマシンが月にある以上、不用意に攻撃も出来ず。

 このような冷戦状態が超長期的に経過していき。

 最終的に月面から見える惑星を覆う事で光学観測を外部から遮断。


 地球の状況をクローズドとなったシステムに送られてくる僅かな情報の漏れからしか取得出来なくなった月の分派も積極的な地球への介入の手掛かりを失った。


 隠された地球と孤立した月。

 この状況が今も続いてたのだという。

 そう、過去形だ。

 そうなってしまったのはつい最近。

 一部のフィルム層の剥離現象が原因である。


(月に直通するフィルムの穴……統合の観測が正しければ、修復システムが本格稼動し始めてる……塞がれる前にそこから脱出して航路をトレース出来れば、あの機影の月面の着陸地点を具体的に割り出せる可能性もある……問題はやはり時間か)


『婿殿』


「何だ?」


『お客さんじゃぞよ』


「何? 此処には関係者以外立ち入り禁止だって言ってただろ」


 周辺は液体金属の壁に通路や設備が緩く引っ付いて浮いているような状態だ。


 重力自体が緩くなっているので壁のあちこちに掴んだり、足を引っ掛けたりして移動する為の突起が無数に静止している。


 メタリックなドック内はもっとアニメのロボものっぽいところかと想像していたのだが、実際には液体金属プールな壁と係留された船の様子が幻想的だ。


 微妙に発光する壁やらが薄暗い設備を照らしているのだ。


 本来は重要なフライトプランを練る最中だからと殆どの相手からの面会を断っているはずなのだが、どうやらあの惨状を聞いても普通にズカズカやってくる関係者がいたらしい。


 プシュンと壁の一部に金属扉が浮き上がり、その中から顔に傷持つ少女がやってくる。


「シンウンか?」

「ええ、あの子から連絡を受けて、此処だろうと思って来たわ」


 傍まで無重力に近いというのにスイスイやってきた少女がこちらを下から見上げる。


「せめて、来る時は連絡してくれ。こっちはこっちで忙しい」


「あら? あなたが忙しい事なんてあるのかしら? あの黒猫に航路でも計算させているだけでしょうに……」


「それ以外にも万全にしておきたい事は山程ある。思い付いた次善策は片っ端から連絡して統合にして貰ってる状態だ。連絡を受けるのはあいつだが、実際に決定するのは素人のオレなんだから、諸々勉強中なんだよ」


 そう言って、小型のボード型ディスプレイを見せる。

 中身は日本語の宇宙船航行用マニュアルだ。


「此処に来て二日って話だけど、コレがあなたの船?」


 係留されている船は宇宙線だけあって、フォルムは流麗だ。


 角錐の形の船首と船体を船尾から伸びた十二本のポールのようなものが包むように囲っている。


「脱出艇だけどな。メイン動力機関が小型のレーザー式の核融合炉でシステムのチェックや調整は全部ヒルコに丸投げしてる」


「この船体を後から覆うみたいにして伸びてる棒、何?」


「宇宙線低減用の磁場と液体金属皮膜展開用のアームみたいなものだそうだ」


「……兵器類は?」


「空っぽだったが、弾頭を詰めるスペースはあった。ただ、生憎とそれに見合う兵器類がな。基本的に動力さえあれば、液体金属でパーツを再構築。生産設備無しに作れないような代物は倉庫内に密封状態で置かれてたから交換しといた。暴発の可能性が低い武器って事でレールガンを複数詰ませてる最中だ。後はデブリ掃討用に統合の対空兵装とミサイルの類を調達してる。明日までに搬入して取り付けられるだろう」


「……月に行くって聞いたけど」


「ああ、オレの瞳が捉える限り、連中は月面に一直線だった。目測で割り出した地点までの航路をヒルコにトレースして貰ってる。明後日には出発だ」


「あの子達の身体は?」


「今、共和国の施設に運ばせてる最中だ。専用の設備で維持すれば、ある程度は持つだろう」


「生きてると思う?」

「………半分」

「冷静なのね。死んでたら?」

「月が消えてなくなるだけだ」

「本気でやりそうよね。あなた」


「生憎とオレは常識人で一般人で普通じゃないが、近頃は狂人言われても否定出来なくて、博愛主義者で、ついでにあいつらの夫で、情けない恋人で……でも、やっぱり怒りで我を忘れたり、復讐を誓うくらいには愚かな人間なんだよ」


 こちらの言葉に肩が竦められた。


 出会いからして普通では無かったし、然してこちらに感情移入していない相手にしてみれば、こいつはやべぇといったところだろうか。


「この地点から向かうのかしら?」


「そういう事になる。このドックはそのままカタパルトになるらしい。発艦後、少し地球の周りを回って加速したら、フィルムに開けられた穴から出る事になってる。他の道を探す暇が無くてな」


「約束は覚えてる?」


「宇宙兵器があったら、程々の代物は確保してやる。もしくは設計図を手に入れてくる。これでいいか?」


「勿論……でも、一つ言っておきたい事があるわ」

「何だ?」

「月にも財団の施設はあった。少なくともそういう記録が残ってる」

「中身は?」


「経年劣化で情報の復元が完全じゃなかったから、何とも言えないけどシナリオのクラスだけ確認したわ……」


「ヤバイのか?」

「SKクラスを引き起こすケテルだって話よ」

「どういうのだ?」


「支配者が変わるわ。人間以外のものがこの星の頂点に立つ可能性がある」


「今の人類が昔の人類に分類出来るならの話だろ?」


「それを言うなら、この世界に残ってるのは人間の残渣だけだって言い張れもするわ」


「じゃあ、精々エイリアンを連れてこないよう頑張ろうか」

「そうして頂戴。それとクオヴァディスの調子はどう?」

「ああ、何とも無い。便利に使わせて貰ってる」

「そう……ならいいわ……」

「何か言いたそうだな」


「あなたなら……人間の限界の先に片足を突っ込めるのかもしれないわね」


「死にたくないから、それはしばらく遠慮させてもらおう」

「今日はプレゼントがあるの」

「唐突だな? また、ヤバイ贈物か?」

「コレよ」


 シンウンが手を差し出す。

 其処には蒼い指輪があった。


「オレに?」


「ええ、あの子が名産の蒼珊瑚を彫って作った指輪……魚醤連合では昔から航海に出る夫にお守りを持たせるのが慣わしだけど、蒼いものを持たせるんですって」


「……ベラリオーネ……」


 受け取って見つめる。


「あの子はあの家を片付けて待ってるそうよ。だから、戻ってきなさい」


「言われるまでも無く。そのつもりだ……状況がそれを許すならな」


「それと今日は乗組員もプレゼントしに来たわ」

「何?」

「航海には海の男が必要でしょ?」

「……生憎と中年の研究職はノーサンキューだ」

「そんなセンス0の事しないわよ。でも、それなら問題ないわね」

「?」


 扉が開く。

 指輪を人差し指に嵌めて、そちらを見やると。


 何やら大きな茶褐色の軍用の背嚢を背負いマントを羽織った憲兵の姿があった。


「久しぶりだな。カシゲェニシ・ド・オリーブ」

「アトウ・ショウヤ……?」


「じゃあ、任せたわよ。あなたに借りを返したいんですって……父親の命と祖国の命。二つの命の借りを」


「これより一身上の都合により、君を援護する」


 片手で敬礼した青年は真っ直ぐに下がる事も知らないような瞳でこちらに挨拶したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る