第158話「影に続く道」

―――27日前、月牛郷国げつぎゅうきょうこく辺境域国境。


 世界の半分。


 影域というのは基本的に“世界の果て”……つまり、世界を囲む石壁に近付く程に暗くなる領域の事を指す。


 天海はあらゆる領域の上に存在しているが、同時に光を降らせる地域は限定している。


 光域でも夜はある。

 だが、暗いままではない。


 しかし、影域は夜というよりは夜半から朝に掛けての薄暗さの場所ばかりだ。


 だから、近付く度に明度が落ちて行く事に光域で育った人々は恐怖を覚えるのだとか。


 月狗邦の大動脈付近から平坦な道を進んだ先にある月牛郷国は影域と隣接する地域を有する国家だ。


 主な特産は牧畜で育てた肉牛でその出荷量は恒久界全土で消費される量のほぼ半分。


 長閑な田園風景が多かった光域ばかりの国とは違い。


 森や林などには正しく野生化しているのではないかという牛という牛は屯している。


 それが本当に“牛”なのかはさておき。

 隣接する国家は有名だ。

 世界の果て。


 岩壁の鉱山から掘り出した金属類を加工輸出して生計を立て、軍事力と生産力は影域随一と謳われる大国。


 【貴天の麒麟国】は“照華しょうかの地”とも対等に貿易をする上で影域の全土から頼りにされる兄貴分的なポジションらしい。


 ついでに天海に直接アクセスする漁業も盛んで影域全土に動物性蛋白質として魚を供給する一大産地でもある。


 そんな大国と一応の先進国の国境沿いが人で埋め尽くされている光景は異様だ。


 人が首都に集中しており、地方は牛の方が多いだなんて言われる月牛郷国の地方にとってはよい迷惑この上無いだろう。


 国境には関所こそ無いが、国境守備隊は存在している。


 数十万人という難民が押し寄せている様子は地元の住民にとっては悪夢だろう。


 何しろ。

 牛泥棒が多発。


 ついでに糞便から焚き火の跡やら故郷の景色が穢されてもそれを直すのは自分達というのだから、溜まったものではない。


 まぁ、魔術があるので数年がかりで元には戻るだろうが、それにしても腹に据えかねるというのが実際の話であり、これを神殿に直訴するというのは極めて現実的な難民対処法であった。


 各国の街や村に必ず存在する神殿には無論のように神官が在住している。


 彼らの殆どは神事を行うばかりではなく。


 説法による道徳教育から始って、奉仕活動やら地域の治安維持活動、衛生管理などにも携わる役所より役所仕事してるような人々らしい。


 現実に即して言えば、警察権を持ち、教育機関と医療機関を内包するNPO法人みたいなものかもしれない。


 そんな彼らが出張ってくれば、子供などは笑顔で憧れの神官様に目をキラキラさせるのが普通のようだ。


 正義と法の人を前にして悪辣なる難民は去れ!!


 現在、人々が国境付近で屯している理由は端的に言えば、そういう事になる。


 四方向から合流しつつある難民の数は現在、国境域のみで二十万弱。


 後続が増えれば、一瞬で倍に膨れ上がるだろう。


 影域に続く山林の上り坂一帯には幾つもテントと馬車が止まり、煮炊きの煙があちこちで上がっていた。


 魔術師が数百人単位で糞尿の処理やら傷病人の治癒やら諍いや犯罪の防止に駆出されているが、それにしても人手が足りないのか。


 神殿の張った検問の傍は酷く猥雑な喧騒に包まれていて、押し問答と血の気の多い男達による諍いが蔓延っていた。


 そんな中を馬車六十台が通る。

 各地域から商会経由で頼んでいた荷だ。

 先頭に立たねばならないのは仕方ない。

 現在、信用出来る手駒は自分と相棒のみ。


 他人に馬車を任せているのは商人達の信用を金で買っているからに過ぎない。


 馬車込みで軽く豪商が三軒財産を食い潰すくらいの金額が各地の商会には払われている。


 相応の仕事を果たしてもらったので文句は無いが、問題は此処から先だろう。


『止まれェええ!! そこの馬車!!』


 最先頭列に向かって神殿の神官達の声が掛かる。


 相手の全身にゴテゴテ付いた金属の全身鎧フルプレートの表面には青い牙と獣が刻印されている。


(確か……大口ノ真神おおぐちのまがみと言ったか? 大神で狼って話だったっけ……憲兵や治安維持、軍事に秀でてるとか……横文字じゃないんだから、日本に関わってるっぽいのはいいとして、あんまり厄介事にはなりたくない相手、と)


 車列の先頭に数人の神官兵達が近付いてくる。


 その腰には長剣。

 ついでに片腕には腕を覆うくらいの盾が付けられていた。


 メタリックな質感とは裏腹に足取りが軽く見えるのは6分の1G故か。


 全員が屈強そうな体付きをしていて、キッチリと髭を落として眼光も鋭い。


「何処の商隊だ!! 責任者は出て来い!!」


 その声に御者台から降りて、隊長らしき壮年の男の前に出て行く。


「あんたがこいつらの頭かね?」


 左目を眼帯で覆いながらも隠し切れない傷痕が頬からこめかみに掛けて奔る如何にも歴戦っぽい男の問いに頷く。


「とある篤志家の方々が難民の子らに向けて送り出した物資です」


「それはそれは……奴隷を何人所望するのか検討も付かないが、さすがに我々がいるところでやろうというのは頂けないな。お帰り願おうとは言わないが、安く済ませておくのがいいと思うが」


 相手の反応から察してこの世界でもかなり“優しい”相手なのは確定的だった。


 神殿の神官という立場から見逃せず。


 だが、難民達がこのままでは餓死する事が分かっているからこそ実利的な計算を働かせ。


 柔軟に対応してみせた。

 現実と理想の間で妥協案を出せる人材は稀有だ。

 それが宗教関係なら尚更だろう。


「何か勘違いしているようですが、本当に篤志家の方々からの支援物資なのですよ。ええと……」


「隊長のウィズバーン。ウィズバーン・エッグと言う」


「エッグさん。この車列には現在、食料が満載されています。だから、早急に此処を十両程を通して欲しいのですが」


「どういう事かな?」


「此処まで難民から略奪されなかったのは襲ってくる方々にも幾らか食料を分けながら、この馬車を此処まで到達させなければ、大量の同胞が餓えるという事をお話させて頂いたからです。どうやら此処で検問を敷いているようですが、このままでは此処の方々も長くないでしょう。それで一つ提案があるのですが……」


「提案?」


「はい。風の噂では麒麟国側は難民の受け入れを受諾しているとの事。その旨はこちらの神殿の方々も知っているのでは?」


「………」


 男が顔色を変えずに沈黙を保つ。


「我々は難民救済の為の食糧支援を完遂する為に此処まで着ました。ですが、このままでは何れこの食料も尽きて彼らは死にます。その前に大きな爪痕をこの地に残して。ですから、幾らか難民の通過にお目溢しして頂き、神殿側も最良の選択をしませんか?」


「……一体、どれだけ通せと?」


 男の瞳が鋭くなる。


「成人男性の未婚者、他の男性は恋人がいて尚且つ子供がいない場合にのみ通過。女子供は家族単位で此処に残すというのはどうでしょう?」


「その意図は?」


「未婚者は全て自分の責任においてこの先の麒麟国で生きていくでしょう。恋人同士の若者達は子供さえいなければ、互いに働く事が出来ます。でも、家族のいる人々は老人の介護や子供の世話などもある。重点的に物資が必要になります。ですから、それらを分けて、より支援し易い環境を整えては如何でしょうか?」


「……残す方が多いと?」


「弱者を守る体裁も取りやすくなりますよ? 残ったのは無茶が出来ない家族持ちの成人男性と女子供老人ばかり。犯罪の頻発も劇的とは行かずとも改善する余地がある。後、何よりも神殿も恨みを買わずに済みます」


「食料を供給し終えたら、そちらはどうする?」


「難民の皆さんには治安の悪くなった麒麟国に行くか。それとも優しい神官達が守る此処に留まるか。あるいはまた食料の供給が行われるかもしれない篤志家の方達の手の届く場所まで行くか。その三択を提示してみようかと」


「随分と手の込んだ大規模営利誘拐だな」


「御冗談を。人間を1人養うのがどれだけ大変な事か。奴隷にして売り飛ばされた方が幸せかもしれないなんて一部では言われていますが、半分当たっている分、笑えません。先に十両分の物資を通して欲しいというのは単身者や二人身の恋人達へ麒麟国の道中で犯罪を犯して欲しくないからです。神官殿達には賢明な裁可を期待したい」


 旅人風の外套を着込んだ歳若い男の提言。


 普通はこれを蹴るなんて朝飯前だろう神官もさすがに数十両の馬車の代表として此処にいる相手を軽くは扱わない。


「……いいだろう。だが、奴隷売買は我ら真神の神官の目が光る場所では行わない事だな」


「ありがとうございます」


 こちらの遣り取りを聞いていた中堅どころや若手が背後から隊長に何か進言するかとも思ったが、どうやら意思統一と命令系統は万全らしく。


 何か言いたげではあったが、口が挟まれる事は無かった。


 今まで一人一人検問で足止めしていた神官達の下へと魔術とやらを起動した兵の1人が耳元に紅の燐光を奔らせながらブツブツと何かを伝達していた。


 すると、すぐに検問所の方で動きがあったらしく。

 すぐさまに人の波に変化が起きる。


 それと同時に拡声器でも使ったかのように一帯に通行許可を出す条件が叫ばれ始めた。


「それで図々しいとは思うのですが、馬車と配給の護衛を行って頂けませんか?」


「……いいだろう。ちなみに貴様の言う篤志家とは?」


「あ、はい。豪商の方々の連名での難民救済の請願書などがあるんですが、見ます?」


 十列先に行かせながら、道の脇に次々寄せた馬車の傍で懐から羊皮紙製の巻物を取り出して相手へと見せた。


「ふむ……何?」


 エッグと名乗った隊長が思わず片眉を上げて、内容を熟読していく。

 三十秒もあれば、読める代物だ。

 しかし、それを見ている間。

 男の眉間には不可解なものを見るような険が残っていた。


「……何か請願書に問題でも?」


「定型の書式は満たしている。神殿への請願用の羊皮紙は本物。インクもだ。しかし……これはどういう事だ?」


「どう、とは?」


「オレが知る限り、此処に名を連ねた豪商共は悪辣を絵に書いたような死に掛けの老人連中ばかりと見受けるが?」


「皆さん誰もが正義と愛と慈悲の心に目覚められただけですよ。神殿の多くが語るように神の御許へと往って裁きを受けるのが怖くなり、懺悔や悔恨の気持ちから、このような事をしているのではないでしょうか?」


「……お前の名を訊ねたい。商隊の長よ」

「イシエ・ジー・セニカと申します」

「随分と若いな」

「ええ、よく言われます」

「その名、覚えておこう……」


 エッグが後を部下達に任せて、検問所の方へと戻っていく。


 それに内心で息を吐きつつ、神官達に平身低頭しながら、お願いという名の指示を出し、次の行動に移ろうとした時。


 こちらを見る難民達の一団の中に見知った顔を見付けた。


 その男……兎殺しのサカマツ……自警団の団長が胡乱な瞳でこちらを見ていた。


 こちらが近くの雑木林の中へと向かうと。

 相手も付いてくる。


 周囲には二十人以上の視線があり、監視されているのは間違いないだろう。


 立ち止まって振り返ると。

 サカマツが何とも名状し難い顔をしていた。


「これだけの物資をどうやって揃えた? 他の難民達の下へも同じ規模の商隊が複数到着している……それにあの武器は何だ? 機構で矢を打ち出す代物……それも軽量で取り回し易く、頑強だ……銃よりも連射も効き、手数も多く、大抵の魔術よりも早い」


「届きましたか?」

「ああ、ご丁寧に医療用の薬や包帯、道具と一緒にな」

「それは良かった」


「何が目的だ? 品は各国のあちこちから集められていたが、国家予算並みの資金が無ければ、此処まで大規模な物資の調達は出来ないはず……」


「何人集まりましたか?」

「何?」

「部隊の人数ですけど」

「……あの物資を買う金で傭兵でも雇ったらどうだ?」


「こちらが求めているのは前回も言った通りの代物です。参加させて貰っても?」


「此処へ来るまでに物資搬入用の馬車を次々見た……先程の話も部下が聞いていた。だが、高々商人に国境を超えて国家規模の物資調達を複数回行う力など無いはずだ。各国の関税、人件費、諸々は一軍を養うに足る。その上、あの量の物資を何処で調達してきた? 今は先進国間の戦争中だ。何処も品薄……あれだけの量を買えば、市場価格が暴騰するはず。だが、そんな様子は報告されていない」


「魔術ですよ」


「馬鹿な!! 魔術は万能ではない!! 如何に巨大な魔力を持つ個人とて!! あれだけの物資を迅速に揃えるのは不可能だ!!」


「嘘じゃありませんよ? この世界には物を増やす魔術があったと思うんですけど。モールド・ドローとか言いましたっけ?」


「な?! あの系統はどの流派にも奥義として存在しているし、物体を大抵複製するが、大魔術師とて容易には使えぬ技量と膨大なエーテルがいるんだぞ!?」


「だから、それで増やしたんです。この場で証明してもいいですけど」


 雑木林の足元に落ちていた樹木の花を取って、埃を払う。


「ええと」


 懐から書き留めていた呪文の紙を取り出して見た後。

 地面から一掬いの土を取って唱える。


「我が名において世の理を写さん。汝は全為り。全は汝為り」


 十秒も掛からない詠唱の後。


 一掴みの土が燐光を纏ったかと思うと急激に質量を失ったかのように色と形を失って耀く靄のようになり、その中からもう片方の手に握っていた花と同じものが複数ポロポロと落ち始めた。


 途中で靄が失われ、最後に半分欠けた花弁がまるで3Dプリンターを途中で停止したかのような有様で質量も足りないらしく儚く崩れて消えた。


「―――」


「国が欲しいんです。でも、あまり人死には出したくない。だから、ちょっと力を貸してくれませんか? まずはあなたの嘗ての敵……月兎皇国が標的です。難民を守る矜持は国家に裏切られた失望の裏返し。それでも嘗ての祖国への思いは両天秤でしょうけど、戦争を止める良い機会かもしれませんよ?」


「国家を盗る……その言葉の真相は分からないが、お前が危険な存在だと言うのは理解した」


「それでどうしますか?」


 しばしの沈黙。


 周囲からはいつでも飛び出せるよう、攻撃魔術も支援魔術も展開が終わっているらしい複数の息遣いが聞こえた。


「一つ教えろ。それだけの力で国を盗り、難民たる我々にお前は何を齎す?」


「戦争が終わった世界と餓えずに暮らせる環境。後、人権てやつを送りますよ」


「人権? 篤志家共が嘯くアレか」


「立場が弱かったり、故郷に帰りたかったり、色々あると思いますけど、子供が餓えて死んだり、止むを得ずに家族を見捨てたり、戦災孤児が奴隷として買われたり、そういう現実は改善すると約束します」


「………いいだろう。だが、我々に実際の利が無ければ、お前に協力する事は無い」


「じゃあ、まずはその利とやらを示す事にしましょう。此処から自警団の一部を月兎皇国の辺境に向かわせて、山賊稼業と行きましょう。奪った物は全て難民支援に当てて、ついでに自警団の強化と訓練も行わせて貰います。二週間くらいでものにしてから、一ヵ月後辺りを目処に現在の月亀と月兎の戦争を終結させましょう。その後、一週間で皇国の首都を制圧。麒麟国に入れなかった難民の収容は地方で事を起こしてから順次開始するって事で」


「―――何処までが本気なのか。その真意、確めさせてもらおう。お前に任せる一翼は三百数十人……オレは監督役だ」


「じゃあ、さっそく馬車で移動しましょう。その間に全員紹介して貰えると助かります」


 サカマツが腕を上げて、手で何かしらのサインを作るとゾロゾロと三十人近い男達が雑木林の中に出て来た。


 ようやく使えるだけの手駒が増える。

 そして、事態も動き出す。


 この世界に到達した時に作ったロードマップの4分の1を達成したのに内心で安堵しつつ。


 次なる工程に向けて、気を引き締め直す。


 求めた結果は果ても無く遠い場所と見えて、しかし……着実に近付きつつあった。

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