第61話「憎縁」

 音楽が流れている。


 もしも、それがゲーム機の前でならば、然して驚く事も無かっただろう。


 何かに追い立てられるように、戦闘でもしているかのように、人の声が重なる輪唱が導くBGMは確かに美しく人を狂騒に駆り立てる。


 だが、待って欲しい。

 実際、考えて欲しい。


 それがもしも潜水艦の中で響いているとしたら、それは一体、それはどういう意味を持つだろうか?


 何処かの漫画でもあるまいし。

 海中から音楽が聞こえてくるなど、ホラーの類だ。

 海の人魚が精密機械の塊とは笑えない。

 再びの出航。


 シンウンはその音色を鳴らしながら進路をショッツ・ルーへと取っていた。


「どうしてこんな事に……」


 沈んだ様子で与えられた部屋の椅子に座り込んだベラリオーネが顔を俯けている。


 姉の暗い表情に何も言えない様子で弟は寝台の上で何も聞いていないとばかりに目を閉じていた。


 それが弟の優しさというやつなのだろう。


「………数時間前とは立場が逆になりましたわね」


 こちらを見つめる瞳には警戒よりもまず敵意や困惑が多量に含まれている。


 現在、ショッツ・ルーへの再上陸まで時間は余っており、面倒を見られるはずが、捕虜扱いの姉弟の面倒を見る羽目になったのだ。


「お前の言う立場ってのがコロコロ変わるものなのは自覚あるか?」

「……何が言いたいんですの?」


 対面の椅子に腰掛けているベラリオーネに肩を竦める。


「今日、お前が君主でも、明日奴隷かもしれないって事だ」

「世に移ろうものは儚いと言いたいのですか?」


「立場は大事だろうさ。だが、それに固執すると後で痛い目見るぞ。それと人間てのは誰かの前でその相手の為の仮面を被ってるもんだ。家族と他人に接する時で別人みたいになる人間がいるようにな」


「………」


「今のお前は誰の為の仮面を付けてる? 職場の為のものか? それとも家族の為のものか? あの話を聞いたって言っても立ち位置次第で人の意見は変わる。それこそ今そうやって二つの意見の板挟みになってるお前みたいに悩む事となる」


「分かったような事を……」


 睨まれても今のベラリオーネは何一つ怖くなかった。

 それは武装解除されているからとか。

 そういう意味ではない。


 今だって、たぶん海軍局とやらに勤めていた相手に女とはいえ敵わないだろう事は明白だ。


 女は強し。


 この夢世界に来て学んだ事があるとすれば、そういう事だろう。


「祖国を救って、生贄に捧げられた妹を救って、この真に憎むべき犯罪者とは言い難い連中を捕まえて、後それから何が望みだ?」


「―――わたくしは!! わたくしはただ!!」


「正義とか戦争中は特に胡散臭くなる言葉はやめとけよ? オレは正義の味方や官憲や軍人と話がしたいんじゃない。今此処で悩んでるベラリオーネって女の話が聞きたいんだ。別に答えなくたっていい。勝手に推し量るだけだからな」


「くッ!?」


「人間は感情で動く生き物だ。ベラリオーネ・シーレーンは何を諦めて、何を求めるんだ? 理想は全部どうにかするで結構だが、実際には何かを裏切ったり、何を捨てたりしない限り、この状況は打破出来ないだろうし、事実として逃げようも無い」


 ベラリオーネが初めて弱気な顔でまた俯いた。


「楽しいですか? 人を見下すのは……」


「見下してるんじゃない。事実として何か決めろと言ってる。決めないという事を決めてもいいが、後悔するなよ、と忠告してるつもりだ」


「結局、貴方は共和国の間諜でしたわ」


「スパイってのは正しくない。工作員に連れ回されていた哀れな一般協力者だ」


「一般協力者があの状況で混乱もせずに話せるとは思えませんわ」

「色々とこっちにも事情がある」

「……あの共和国の総統にも伝手があるのでしょう?」


「ぶっちゃけ、あの腹黒くて理想に燃える政治家とは距離が欲しいところだ」


 そこでようやくベラリオーネが爆発した。

 ガッと胸倉が掴まれる。


「共和国は敵ですわ!!」

「じゃあ、まずはその思い込みから捨てた方がいい」

「な―――やはり、貴方は!!?」


「そういう事じゃない。お前は今、敵って言ったな? じゃあ、その共和国は敵だ、って言葉を連合に置換えてみろ。そして、連合は敵だ。連合は悪魔だ。連合は海の自由を奪っている悪いやつだってな具合に悪口を並べてみろ。赤ん坊でもいいぞ。嫌な上司の名前でもいい。母親でも父親でも構わない。置換えて呟いたら、その敵だって言葉が如何に陳腐であるか分かるはずだ」


「?!!」


 顔が思い切り歪んで、突き飛ばされるというよりは後ろへ下がるようにしてベラリオーネが畏れのようなものを瞳に宿らせてこちらを見る。


「貴方は一体何なんですの!!?」

「お前の言う敵は一括りにしていい存在なのか?」


 答えずに訊ねれば、ベラリオーネの手が震えた。


「もう一度よく考えてみろ。共和国憎しって感情で動いた祖国が今どうなってるのか」


「それは!? 彼らの言い分であって!!?」

「じゃあ、どうして反論しなかった?」

「―――ッ」


「別に嫌なものは嫌でいい。嫌いなものは嫌いでいい。でも、な。それで片付けちゃダメな事もあるだろう。人間てのはそこまで頭悪い生き物じゃない。考えても答えが出ないってな意見は感情で納得出来ないから言い訳してるだけに聞こえるぞ?」


「それは……ッ」


「妥協して打算しろ。その上で自分の本当に求めるものの為にちゃんと考えろ。何が不要で何が必要なのか。少なくとも、オレには祖国を救いたいって海賊の言い分は本物に見える。そして、あいつらが言っていた事に嘘は無いと感じられる。だから、ある程度は自分の為に協力してもいいと考えてる。お前はどうなんだ? 過去の柵や法律や感情や職場の事情とあいつらの話、どっちを信じるんだ? 信じたとして、信じないとして、どう動くんだ? あのおっさんがどうして色々あるお前らを二人揃ってこの船に乗せたのか。分かってるんだろう?」


 ベラリオーネは今や泣きそうな程に白く拳を握り締めていた。


「協力しろと言うのですか?」


「黙って死んでろと言われないだけマシと思うべきだ。選択肢があるってのは幸せな事なんだ」


「ッ………協力すれば、祖国が救われるなんて戯言を本気でこの私が信じられるとお思いで?!」


「此処で見張り付きで腐ってるのがいいなら、そうしろ。信義や正義は大事だが、現実の前には紙みたいに薄っぺらとなるかもしれないがな」


 とりあえず襟元を正して再び座る。

 沈黙していたベラリオーネは俯いたまま。

 しかし、先程の激情も萎えた様子で立ち尽くしていた。


「………彼らの言う事は……初耳のことも多々ありましたが、わたくしが知る情報と照らし合わせても辻褄は合う……確かにその通りなのでしょう」


 トツトツと混乱した頭を整理するようにベラリオーネが語る。


「ですが、今の祖国は戦争をしているのですわ……共和国との決戦を我々が支えずして、もうこの国に未来は……」


 溜息を一つ。

 少しだけ考えて呟く。


「ちゃんと食事が出来て、ある程度の人権が保証されて、生活はまぁまぁ苦しい」


「?」

「条件としてはこんなところか」

「何を……」


「今、知り合いの老人が西の話を抜きで連合の艦隊を撃滅した場合、突き付けて来る要求をザッと考えてみたが、厳しくしようがない」


「ど、どういう事ですの?!」


「今の状況で連合にあの老人が魅力を感じるだけの価値が無い。また、一々国力を消費させてまで連合を占領する気も無いはずだ。精々が軍隊を限界まで縮小させる条約を飲ませて、一生下働きさせる算段くらいだな」


「やはり、知り合いなのですか?」


「話した事はあるが、あの老人は合理主義と理想主義の塊だ。簡単に言えば、今の共和国にとって連合ってのは不釣合いな軍隊を持って反抗してきた“殺す労力すら惜しい邪魔者”だ」


「―――」


「ぶっちゃけるが、老人の機嫌を損ねる以上の事はしてない。だから、連合が戦後をもしも考えるなら、共和国に与えた損害以上の利益供与さえ可能なら、津波でズタボロになった沿岸部を徹底的に破壊する事は無いと考えていい」


「一体、貴方は………」

「二回目だぞ。ソレ」


「そ、それはそうでしょうとも!! そのような奇怪な考えをペラペラと!! 普通、そんな話を聞いたら驚いて疑うのが当たり前ですわ!!?」


「あんまり個人的にはしたくないんだが、講和への交渉ルートを確保してやれる可能性はある」


「?!」


「ポイントは三つ。一つ、今回の戦争は西部域からの干渉があったと主張し、今後は共和国側に立って国家を運営する事。二つ。今回共和国が出した被害を上回る利益を提示する事。三つ。海軍の全面降伏と接収を受け入れる事。これがもしも可能なら、共和国からの攻撃で国家が無くなる。もしくは完全に瓦解する事は防げるはずだ」


「我が国が負けるかどうかまだ分かりませんわ!!」


「そうだな。八割九割負けるが残りの一割は沿岸部を死守出来る可能性もある。だが、内陸に攻め込める可能性は今のところ0で補給が出来ない軍隊は早晩干上がる。そして、戦っている最中に西部の連中が祖国を乗っ取って終わりだ」


「その話とて、まだわたくしには信じられませんわ!! だって、わたくしは空から爆弾を落とされたなんて知りませんもの!! 西部の軍隊が本当に我が国を襲うのかだって!!」


「分かってて言うなよ。あの教授みたいな人材があそこで嘘付く理由なんてあるか?」


「それはッ……ありませんけれど……」


「連合の海軍は津波被害でガタガタのはずだ。艦隊が今も健在とは限らない。機を見た共和国の攻撃が開始されれば、それこそ艦隊ごと全ての人的資源が海の藻屑になるぞ。この国に残されたのは再建不能の瓦礫の山と女子供老人ばかり……八年前の敗戦がどんなものだったのか知らないが、確実に今度は餓えるだけじゃ済まない。国家の基盤が崩壊する。労働力の喪失とインフラの瓦解、津波と重なった被害を早期に立て直せなければ、百年後も地図に載ってるか怪しい」


「それが嫌なら、話に乗れと? まるで脅しですわねッ」


「脅されて今よりマシな境遇を得られるかもしれないなんて素敵極まる選択肢だな」


「ッ」


「喧嘩にだって負け方ってのがあるだろ。敗者には敗者の流儀が必要だ。それが虐殺になるか。穏やかな戦後になるか。その分水嶺になるかもしれない可能性が決断出来るんだ。ありがたく思ってくれ」


「貴方にそんな力があると信じろと言うのですか……」


「信じなくても結構。お願いされる立場ではあっても、信じて欲しいなんて口が裂けても言わない。というか、足を撃ち抜かれた事とか普通、根に持っていいと思う……」


 理詰めでとりあえず納得させられるかとやってみた結果。

 ベラリオーネは沈黙せず。

 何かを静かに秘めた瞳で顔を上げた。


「カシゲェニシと言いましたわね」

「ああ」

「私が手引きしたとして、祖国を西部の者達から救えますか?」

「可能性の問題だ。だが」

「だが?」


「オレは少なくとも津波被害で民間人が多数いる市街地に延焼の可能性も考えずに爆弾落とす輩は好かない。それが例え合理的な思考だとしてもな」


 ベラリオーネがようやく平静を取り戻したようにこちらを睨む。


「これは……わたくしの賭け……祖国の為に私一人が裏切り者になる……どうなるかも分からない未来への保険ですわ」


 手が差し出される。


「じゃあ、こっちも色々と考えよう。とりあえずはこの戦争の趨勢がどうあれ、仲間と連絡が取りたい。動き出すなら早い内だ。あのおっさん達と交渉するから手伝ってくれ」


「……呆れた。貴方、この状況でわたくし達を自分の交渉の出汁に使う気なのですか?」


 昨日の敵は今日の友という言葉もある。

 まずは味方を得るのが肝要。


 少なくとも対等な立場でなければ、法律や正義といった概念は個人に曲げさせる事自体骨だ。


 今、この時を置いて相手と交渉する適切な瞬間は無いだろう。


「生きて返りたいって極めて普通な代価を得る為の努力だ」


 肩を竦める。


「バカンスで来させられた場所なのに死んでたまるか」


 しっかりと握手する。


 その潮騒の街にいるにしては柔らかな手は確かに強く握り返された。


 上陸まで数時間。


 とにかくまずは今頃この状況で右往左往していそうなお嬢様とメイドに話を付ける事が優先だろう。


 巻き込まれ体質をよくラノベではまたかよとツッコミの対象にしていた己も今では何やら主人公達を馬鹿に出来なくなっている事に僅かな苦笑が零れる。


『………』


「?」


 振り返ると横開きの自動ドアの先。

 非情に目付きの悪い視線がこちらを覗いていた。


「どうかしたのか?」


『!!?』


「何か連絡があるなら教えてくれ」


『……貴方にだけ教授がブリーフィング・ルームに来て欲しいって』


「分かった」


『それだけ、だから……』


 そのまま通路の先に消えそうになる背中に声が掛かる。


「エシオレーネ!!」


『………』


「貴方が生きてたなんて、わたくし知りませんでしたわ……教授に感謝しなくてはいけませんわね。この一件が終わったら、その……色々と話をしましょう? わたくしが貴女の帰る場―――」


 ガンッと扉が僅かに蹴られた。


 そして、扉の合間から本当に憎しみの篭った視線がベラリオーネに向けられる。


 瞳の奥にある熱量が見えそうな程に確かな光が少女の過ぎったような気がした。


「ッ」


 驚いた様子で固まるベラリオーネが何かを言い出す前に呟きが零される。


『忘れない……私がお前のした事を知らないとでも思ってるの?』


「―――ッ」


 その言葉を聞いた瞬間。

 ベラリオーネの顔から血の気が引いていった。


『許さない。永遠に……シーレーン家を許しはしない……それだけよ』


 熱量が不意に途絶え。


 乾いた瞳がベラリオーネの狼狽する瞳を覗き込んで、そのまま通路の奥へと消えていった。


 背後からはカタカタと震えた靴がテーブルの支柱に触れる音。


 外からコツコツと寂しげで確かな拒絶を語る足音。


 対象的な両者の間にはどうやら常人には推し量れない溝がある事だけは理解出来た。


「ねーさん……」


 ようやく口を挟んだ弟は姉の様子に呟いて、そっと肩に手を置いたのだった。

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