第42話「誘拐日和」
歴史という奴は大抵の場合、民衆の感情というものに左右される。
特に民主主義や民族主義や国家主義というのはソレをどう扱うかで形が規定されていると言っていいはずだ。
世界史に偽りが無いのならば、悪を生み出すのは必ず高揚した押し付けの善という感情であり、敵を生み出すのは歴史や功利という名の感情に染まった誰かだ。
禁酒法がマフィアを産んだように。
あるいは旧い書籍に書かれた敵を糾弾する原理主義者のように。
だから、人の感情を要点にして世界を見れば、大抵どうなるのかは火を見るよりも明らか。
ある程度の不確定な要素はあるにしても、特定の感情に方向付けられた相手に
朝方を過ぎた瓦礫の街。
あちこちで小規模ながらも市場の喧騒が響く頃。
殆どの者が近付かない秘密外交を終えたばかりの共和国の野営地からトボトボと戻ってきた三人の男女を見付ける事など、簡単に過ぎる。
「お~い」
手を振るとパシフィカが一瞬だけ明るい顔をしそうになったのを再び沈ませてから、早足にこちらへと近付いてきた。
それをガードするようにやってきたシーレスとヴァルドロックは至極冷静、というには少し赤い目元を押さえつつ、何やら煩悶したような……微妙な表情でこちらを見ていた。
「A24。言われた通り、アイトロープお爺ちゃんに会ってきたのよ」
ヒソヒソと少女が小声で呟く。
「そうか。というか。あの総統閣下はお前と話す時もあの調子だったのか? で、反応はどうだった?」
それにシーレスが溜息掛ちに頷く。
「ええ、君の言った通りの展開でした」
「そうか。まぁ、そうだろうな。で、何か情報は得られたか?」
ヴァルドロックが僅か眉間を揉みながら答える。
「収穫は無い。君が言った通りに彼女も出ては来なかった」
「そうか。ま、それが収穫だと思ってくれていい。と、言う事はたぶんもう最終段階。軍の通行許可を隣国に貰ってるだろ。一週間と待たずに宣戦布告だろうな」
青い空の下。
雲が差し掛かる影の中。
男達が事前に知らせていた情報の裏付けが取れてしまったと消沈していた。
「それで君の言っていた工程は消化したものの。これで本当に予定通り事が運ぶと?」
「軍事だろうと経済だろうと政治だろうと情報は速度が命だ。今ある情報の裏付けが取れれば、情報を持ってる奴は確実に動く。それが合理性ってもんだ。昨日の時点で流した情報でマイナーソースからあっちに接触があったのはもう確認してる。奴が本当に有能で利己的な奴ならこれで……」
銃声が鳴った。
それも至近距離に着弾。
同時に男達がパシフィカを守ろうとしたが、パシフィカは事前に打ち合わせ通り、二人から慌てたように遠ざかって、こちらに駆け寄ってくる。
辺りを見回せば、瓦礫と化した家屋の横の裏路地から駆け寄ってくる外套姿の男達が数人。
パシフィカを守るようにして背中を向けて抱き締める。
すると、男達の半数はこちらに。
そして、もう半数は呆然としたように見えるヴァルドロックとシーレスに向けて発砲を開始した。
「殿下ぁあああああああああ!!! カシゲェニシ殿ぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」
二人ともすぐに瓦礫の後方へと退避して、こちらに聖女様とか殿下とか声を掛けてくるが、すぐに追い立てられるようにして後退していく。
そこでようやく男達の半数がこちらの額に容赦なく拳銃を押し付けてきた。
「殺さないで!!」
パシフィカの声に男達は答えず。
しかし、すぐにこちらの武装が無いかと身体検査を始めた。
離されたパシフィカがこちらを心配そうに見つめながら、男達に声を張り上げる。
「A24を一緒に連れて行って!! そうじゃなきゃ、あの男には何も話さないわ!!!」
「………一緒に連れて行きましょう。それで大人しく付いて来て下さいますね? 皇女殿下」
男の一人の声に大きく頷いたパシフィカがこちらに寄ってきて、すぐ腕を組んだ。
「では、こちらに馬車を用意してございます。それで一旦、街の端まで移動を」
男達は周囲を警戒しながら、こちらを誘導してすぐに馬車のある一角まで移動した。
周囲の瓦礫や一部の家屋から何処からか視線を感じる。
見られているのは襲撃者達も分かっているに違いないが、そんな事にも構っていられないのか。
馬車に乗り込むとすぐに馬には大きく鞭が入れられた。
内部には二人乗っていて、体面でもムッツリとした顔でこちらを見つめている。
何処に行くのかなんて事を聞く必要は無いだろう。
部下を使って襲撃させるからには既にカレーの国から退避する為の移動手段は持っていると考えるべきだ。
それから十分程でプランテーション内部の一角へと馬車は進んでいた。
椰子の木の密林。
その中に隠されていたものが見えてくるのにまたかとの思いを抱く。
三隻目の飛行船。
其処には黒い船体が横たわっていた。
「アレは?! もう発掘していたの?」
「何か知ってるのか? パシフィカ」
「うん……アレはお父様が最後に見付けたお船なの……でも、凄く保存状態が良かったから……使っちゃいけないって……」
「使っちゃいけない?」
「お船を動かす力はお空から貰ってるから、それをちゃんと使えたら危険な事になるかもって」
「お空って……」
僅かに思考してから、思わずアッと自分の大いに
(………はは、あの船体を数千kmも動かす燃料なんて、この世界にあるわけが……飛行船があんなに速いのは普通おかしいよな。確か第二次大戦期の飛行船はかなり遅かったはず。ジェット気流を掴まえるのでも無ければ、時速で30km出るかも怪しい。船体にガソリンの類を積めたとしても、数日間も連続運転して支障がないってのは明らかに不思議だろ。お空、お空……太陽光? いや、そんなので賄える距離じゃ……まさか、電力供給自体を衛星からのマイクロ波経由で行ってるのか?)
思い出されるのは塩の国で化身の力とされていた装置だ。
月面発電。
メンテナンスフリー星間スマートグリッド構想。
マイクロ波経由衛星。
どれもこれもSFの産物だったが、確かにあると一部は確認出来た。
今も空に見える月は薄っすらとそのド真ん中をベルトに覆われている。
(この飛行船もそういう仕掛けがあるのかもな……)
もしも、マイクロ波経由衛星なるものが存在し、それが今も稼動しているのならば、動力とする電力の供給をGPSの類でピンポイントに飛行する物体に行う事も可能だろう。
それが航空機としてはとても遅く。
船体が巨大になる飛行船ならば、尚更技術的な要求は低いはずだ。
「いきなりSFにするのは止めて欲しい……」
「?」
首を傾げるパシフィカだったが、すぐに馬車がその飛行船の横に止まり、ドアが開かれた。
下ろされると飛行船の搭乗口が開き、簡易の階段が下ろされる。
その入り口には蒼いスーツを着た金髪の三十台くらいだろう男が立っていた。
顔は二枚目だが、その口元は大きく喜びに歪んでおり、瞳は相手を見下すように細められ、唇には何故かルージュの類でも塗られているのか。
奇妙な程に赤かった。
「久しぶりだね。パシフィカ」
「……マイナーソース。お父様をどうしたか教えて」
見下す唇が更なる歪みを見せる。
「ああ、あの前皇帝の事なら心配しなくていい。ビーン・レブの地下牢で幽閉してある」
「?!」
パシフィカが思わず目を怒らせて何かを言おうとするのを諌める。
周りには部下ばかり。
わざわざ刺激する事も無いだろう。
「おや? 連れて来るのはパシフィカだけでいいって言っただろ」
部下がそれに敬礼するとすぐに梯子を昇り、その耳元に話し始めた。
「……ふぅん。下層民の世話役か何かか」
「お初にお目に掛かります。皇帝陛下」
そう、軽く礼をして頭を下げ、再び相手を見上げる。
「ほう? 少しは利口なようだ」
「僕はカシゲェニシと言います。今はパシフィカ殿下のお世話役として仕えさせて頂いているしがない下層民です」
「ふん。なら、自分がもう用無しだと言うのは分かるだろう。その利口さに免じて、今此処で逃げ出すならば、見逃してやってもよいよ」
「いえ、パシフィカ様の世話は最後までとお二人から仰せ付かっていますので」
「殺していいよ。みんな」
その言葉には何ら躊躇は無かった。
しかし、パシフィカがすぐに盾となって身体を部下達の前に晒した。
「何のつもりだい? パシフィカ」
「A24を殺さないで私と一緒に連れて行って。それがあなたに付いて行く最低限の条件よ。マイナーソース!!」
「……まぁ、いい。もし、その男が何かしたら、すぐに処分させてもらおう。乗船を許可してやるよ。下層民」
「ありがとうございます。陛下」
「チッ、下層民に何度も話し掛けられたら、不愉快だって気付かないなんて、程度が知れるね。さっさとビーン・レブに帰るよ」
すぐにマイナーソースが顔を引っ込め、部下達が前後に付いて階段を昇る羽目になった。
内部に辿り着く。
内装は殆どアーモンド号と同じだった。
一つ違うのはその寂れ具合がかなり良い方だと言う事だろうか。
遺跡から発掘されたにしてはまだ使えそうな中古、というのが第一印象だろう。
予め決められていたのだろう部屋まで案内され、其処にパシフィカと共に入ると外から鍵が掛けられた。
それと共に一瞬、浮遊感が襲ってくる。
どうやら離陸したらしい。
窓際からプランテーションの下方を見ると。
その壁際の部屋から椰子の木の天辺にいる相手が見えた。
百合音がこちらを見て、ヒラヒラと手を振っている。
首尾は上々。
後は全ての情報を迅速に運用するだけだ。
美幼女に後で貞操を要求されそうだな、という感想を抱きつつ。
これでしばらくは身の安全は大丈夫だろうとホッとする。
「………」
「何でこっち見て、そんな顔してるんだ?」
何故か、不満そうな顔でプクッとパシフィカが頬を膨らませていた。
声を潜めて聞いてみる。
「だって、A24があんなやつを皇帝陛下呼ばわりするから」
「そりゃ、まだ死にたくないからな」
「でも、嫌だわ」
断固拒否。
そんな様子でその両手がバッテンを作る。
「分かるが、だからって一々突っかかってたら、こっちの命は幾つあっても足りないぞ」
「うぅ~~」
「そう怒るなって。ちゃんと自分のやる事をやったら、あの自意識過剰気味な気色悪いのも失脚させられるだろうし」
「……信じるわ……だから……死んじゃダメなのよ。A24」
「分かってる」
少しだけ服の裾を握って見つめて来る少女の頭を撫でた。
自分の心配をしてくれる人がいる。
そのありがたさに思わず笑みが零れた。
今頃、自分を追ってきているだろう美少女は果たして後で再会して何と罵倒してくるだろうかと。
謝罪の言葉を考えながら、今後の状況を脳裏でシミュレートする。
ここからは不確定要素満載のジェットコースターに乗るようなもの。
どうなるか。
どうするか。
それは全て自分の行動に掛かっている。
自分とは違って、儚げで壊れてしまいそうな聖女様の為にも少しは力を尽くそうと遠ざかっていくカレーの国を窓の外に見つめる。
戦いは既に始まっていた。
傍らの少女にとっても、他の仲間達にとっても、共和国とオルガン・ビーンズにとっても………。
(それにしても、もう誘拐された回数を数えるの面倒になってきたな)
夢世界の過酷さに内心で溜息を吐いたのは当然の事に違いなかった。
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