第7話 家族以外の人間や他の犬にもフレンドリーで、小さな子供とも一緒に遊ぶことのできるパピヨン。大変愛情深い犬種のため、日々のコミュニケーションを大切にし、寂しい思いをさせないようにしましょう。

「それじゃあ宿題は半分しかできていないようなものじゃない」

「えーっ!? ちゃんとお店以外で会うことができるようになったんだよ? 優希の出した宿題はクリアしてるでしょ?」

「だって、二人きりで会う約束をしたわけじゃないじゃん」

「う。そ、それは……。

 でも! こないだの宿題に “二人きりで” なんて条件はなかったでしょ!?」


 優希のシフトと休みが重なった定休日。

 私たちはいつものカフェでランチを食べている。

 テラス席わんこOKのこのお店で会うときは、優希はたいてい実家で飼っているパピヨンのヒメを連れてくる。

 チョコ太郎はヒメが大好きだから、いつも会うたびに興奮しすぎてヒメにドン引きされているけれど。

 今日も会うなり飛びつこうとしたチョコ太郎をヒメがガウッと牽制し、その後はお互い微妙な距離を保ったまま、フロアのテラコッタタイルに寝そべって日向ぼっこをしている。


「まあ、そのボルゾイ似のニット王子と会う回数が増えることは評価するよ。

 今日のチキテリプレートをおごるのは免除するけど、その代わり次の宿題を出すからね!?」

「お手柔らかにお願いします……」

「では、次の宿題。今度こそ、ニット王子と二人きりで会う機会を作ること!」

「先生、犬の頭数はカウントされますか?」

「そうね……。奥手の瑚湖に犬無しはハードル高いだろうから、犬はノーカンにします」

「了解! 頑張りますっ」


 腕組みをしてふんぞり返る優希に向かって私が敬礼すると、二人でプッと吹き出した後にランチプレートをつつき出す。

 こうやって冗談めかしながら、なかなか勇気を出せない私の背中を押してくれる親友がありがたい。


 でも、ドッグカフェのお誘いは断られてしまったし、どうやって池崎さんを誘えばいいんだろう……?


 🐶


 その週の土曜日は、【手編みサークル トリコテ】の活動日だった。


 お店が一段落してからコミュニティセンターへ急いで向かうと、7時きっかりに会議室に着いた。

 その日は仕事がなかったのか、ベージュの麻混リネンのカットソーにデニムジーンズという、カジュアルなのに上品さを失わない池崎さんはすでに来ていて、テーブルの上にいくつかのサマーヤーンの糸玉を並べてくれていた。


「うわぁ~! どれも素敵ですね~!

 水色がいいと思ってたけど、他の色も綺麗……」

「ネットショップで人気があったのは、このブルーグリーンとか、少しラメの入ったこっちのベージュの糸だね。変わったものだとこっちの糸は和紙とシルクを織り込んであって、ざっくりと編むだけでも表情が出るよ」

「迷っちゃうな……。デザインは展示してあったセーターのようなのがいいんですけど、池崎さんのおすすめの糸はありますか?」


「うーん、そうだなぁ……」

 顎を軽くはさむように手を置いて、池崎さんが私をじっと見つめる。

 アリョーナのような澄んだ穏やかな瞳に見つめられると緊張しちゃう。

 どんな色が似合うって言ってくれるんだろう?


「君に似合うのは、これかなぁ……」


 池崎さんが手に取ったその糸……。


「え……。これって、うちの犬の……」


 カフェオレカラーって、チョコ太郎の色じゃないですか!?


「うん。君を見ると、どうしてもあのトイプードルが思い浮かぶんだよねぇ」

 と、池崎さんはクールな真顔で言う。

 冗談なのか本気なのかよくわからない。


「まあ、それは冗談として」


 冗談だったの!?

 真顔で冗談言う人なの!?


「君は明るい色が似合いそうだから、このオレンジ系の糸なんかどうかな?」


 すすめてくれたのは、淡いオレンジの糸に、生成りやピンクの糸の節ネップがところどころに入った、可愛らしい糸だった。


 池崎さんから見た私って、こんな風に可愛らしくて明るい印象なのかな。

 思わず口元が緩んで、真顔で言われた冗談もつい水に流してしまう。


「じゃあ、そのおすすめの糸にします」


 私が糸を決めると、続きを編み始めていたおばさま達がわらわらと覗き込んできた。


「あらぁ~素敵じゃない! 瑚湖ちゃんに似合いそうな色ねぇ」

「さすが、先生は見立てがいいわよねぇ」

「やっぱり若い子の糸を見立てる方が、先生も気合が入るんじゃないのぉ?

 あたしが選ぶときは、いつもこんなにいろいろ持ってきてくれないものぉ」

「そりゃそうよぉ! オバチャンは紫か茶色を着ていればいーんだから!」


 自虐ネタでもずいぶんと楽しそうに会話するおばさま達。

 笑っていいのか判断に困るなぁ。

 池崎さんは慣れっこなのか、アルカイックスマイルを保ちつつ並べた糸を片づけている。


 そんなおばさまトークの矛先が急に私に向けられた。


「そういえば、瑚湖ちゃんは付き合ってる彼氏いるの?」

「えっ!? い、いませんよ!」


 動揺しながらも、池崎さんにアピールするように、ちょっと大きめの声を出す。


「じゃあ、池崎先生はどう? 27歳、独身、老舗紡績会社のボンボンで、ご覧のとおりのイケメンよぉ?」

「勝手にすすめたら、彼女だって迷惑ですよ」


 ノーコメントを貫いていた池崎さんが発言した。


 いえ! 全然迷惑じゃないです!

 むしろ積極的におすすめしてほしい。


「そんなこと言ってぇ~。

 池崎先生だって彼女いないんでしょう?」

 渡辺さんというおばさまの口から重大発言が飛び出した。


 彼女いないの!?

 ほんとなの!?


 期待に胸が膨らむ。


「まあ、いませんけど……」


 ほんと!?

 ほんとなんですか、それっ!?


「そういうの、僕、いいんで」







 撃沈した。







 迷惑なのは、池崎さんの方だった。




「あらぁ、いくらイケメンだからって、いつまでも独身貴族じゃいられないのよぉ? 先生!」

「うちの娘が独身だったら、ぜひ先生にもらって欲しかったわぁ」

「熟女でよければ、あたし達だってお嫁にもらってほしいわよねぇ~」


 再び始まるマシンガントークに、池崎さんは構わずこちらを振り向いた。


「じゃ、まずは裾の透かし編みから教えるね」


 いかにも場の空気を変えますよ、という声のトーンで、ショルダーバッグからかぎ針を取り出す。


「あ、はい」


 精一杯の作り笑顔をしたつもり。

 沈んだ気持ちはちゃんと隠せていただろうか。


 こら!落ち込むとこじゃないぞ、瑚湖!

 ようやく丸太にしがみついたところだもん。

 焦っちゃだめ。

 諦めちゃだめ。

 取り付く島が見えるまで、丸太にしがみついて耐え忍ぶのよ!


 そう自分に言い聞かせながら、私は久しぶりの編み物に集中することで何とか気持ちを切り替えた。


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