第2話 流線形の骨格に長いマズルをもつボルゾイは、クールな見た目の中にもどこか優し気な顔立ちをしています。見た目通りの穏やかな性格で、主人に寄り添い癒してくれます。

「素敵なドッグカフェを見つけたんですけど、今度一緒に行ってみませんか?」


 洗面所の鏡の前で、精一杯の可愛い(つもりの)笑顔を作り、小首を傾げてみる。


 うーん。

 もうちょっと上目遣いに見つめた方が恥じらいが出るかなぁ……


 優希から宿題を出されて五日後、池崎さんからアリョーナのシャンプーの予約が入った。

 そして、今日がその予約の日。

 池崎さんがお店に来たら、がんばって声かけて誘うぞ!


 ドッグカフェへ誘うなら、誘う方も誘われる方もお互いハードル低いよね?


 ……それでも断られたらどうしよう……


 ……でもでも!

 一歩踏み出さなくちゃ何も始まらないもの!

 頑張るのよ!瑚湖!


 しゅるしゅると穴に引っ込みそうになる自分の勇気を奮い立たせようと、冷たい水でバシャバシャと顔を洗う。

 顔を埋めたタオルを離すと、洗面所からなかなか出てこない私の様子を伺いに来たのか、チョコ太郎が洗面所のドアの隙間からじーっとこちらを覗いているのに気がついた。


「チョコ太!おいで」

 私がしゃがんで呼び寄せると、“やっと気づいてくれましたか~” とシッポをピコピコと振りながら洗面所に入ってきた。

 ピョン!とジャンプして膝の上にのってきたチョコ太郎を抱きしめる。


「チョコ太~!ココは今日頑張るよ!応援しててね!」

 チョコ太郎のパワーを分けてもらおうと、くるんくるんの巻き毛の背中に頬ずりした。


 🐶


 池崎さんは、お昼過ぎにアリョーナを連れて来店した。


「いらっしゃいませ! こんにちは~」

 暴れ馬のように跳ね回る心臓をどうどうっと押さえつつ、私は努めて通常通りの営業スマイルを池崎さんに向ける。


 看板犬のチョコ太郎やお預かり中のワンちゃんが外へ飛び出さないよう入口に設けた膝上ほどの高さの安全ゲートを、池崎さんはスラリと伸びたスキニーパンツの足で軽々と越えて入ってきた。

 振り返ってゲートのロックを外し、リードを手繰り寄せてアリョーナを中へいざなう。

 気高い空気を身にまとったアリョーナが、白く柔らかな被毛をなびかせながら颯爽と入ってきた。


「こんにちは。予約していた池崎です」

 低めのイケボイケメンボイスで池崎さんが名乗る。


 ああ、今日もなんて優雅なんだろう……。


 ダークブラウンの髪は、アリョーナの首回りの被毛のように毛先がわずかに遊んでいて柔らかそう。

 若干シャープなアーモンド形の目はほんの少しだけ目尻が下がっていて優しそうなのに、意思の強そうな眉とすっきりと通った鼻梁、きゅっと結ばれた唇が全体的にシャープでクールな印象を作っている。

 加えて、すらりとした長身、細くて長い手足、育ちの良さを思わせるまっすぐな背筋が優雅な立ち居振る舞いをいっそう引き立てていて……。


「あの……アリョーナの……」


 ぼうっと池崎さんに見惚れている私を、訝し気な顔で池崎さんが見つめていた。

 彼を凝視していたことと、それを彼に気づかれたことに私が気づいて、跳ね回っていた心臓がぽんっと口から飛び出そうになる。


「あっ!えっ、えっと……」

「あら、アリョーナちゃん!いらっしゃい!」


 動揺しまくった私の背後のドアがガチャッと開き、トリミングルームから店のオーナーである母が出てきた。


「今日はシャンプーでよろしかったですか?」

「はい。あと、オプションでデンタルケアもお願いします」


 そう会話しながら母にアリョーナのリードを手渡した池崎さんが、その場にしゃがんでアリョーナに目線を合わせる。


「じゃな、アリョーナ。

 綺麗にしてもらえよ」

 微笑みながらアリョーナの白い首毛をわしゃわしゃと撫で回す。


 この瞬間を見るのが好き。


 池崎さんの目尻がさらに下がって、クールな印象がこのときは崩れるの。

 いつか私の目の前で、こんな笑顔を見せてくれたら──。


 再び見惚れそうになったけれど、これ以上挙動不審になったらアプローチする以前に引かれそう。

 不審者認定される前に池崎さんをドッグカフェに誘わなくちゃ!


 母がアリョーナをトリミングルームに連れていく。

 私は池崎さんからポイントカードを預かり、今朝練習してきた笑顔を用意して彼を見上げた。


「では、仕上がりはだいたい2時間後になります。仕上がりましたらお電話……」

「電話は結構です。2時間後に迎えに来ますから」

「あっ、そうですか。ではお待ちしてますね。

 ……それで、あのっ……!」

「じゃ、よろしくお願いします」


 いつものように池崎さんは笑顔かどうかもわからない程度に口角を上げ、私の言葉を二度も遮ってさっさと店を出ようとする。


 ああっ!

 取り付く島がない~!


 笑顔を貼り付けたまま池崎さんを見送っていたそのとき。


 安全ゲートをまたごうとした池崎さんがふと視線を落とし、足元でお見送りをしようと尻尾を振っているチョコ太郎をじっと見つめた。


「この子……。

 君が飼ってるの?」


 池崎さんがこちらを振り返った!

 その穏やかな視線!

「君」っていう呼び方!

 私の心臓が見事に撃ち抜かれる。


「あっ、はいっ! うちの看板犬でチョコ太郎っていいます」


「カフェオレ色のトイプードル……」

 池崎さんはチョコ太郎を再び見つめてぼそっと呟いた後、再び私に視線を戻した。


「で、君の名前は?」


「えっ!?」


 いっ!

 池崎さんが!

 私の名前を聞いてる!?


 予想外の展開に、貼り付けたはずのスマイルはどこかに吹き飛んで、顔の筋肉がこわばる。


「あ、な、成田瑚湖ここ、です」


 それを聞いた池崎さんのアーモンド形の目が丸くなる。


 けれどもすぐにその目は細められ、目尻が下がった。

 さっきより口角が上がって、爽やかな白い歯が見える。


 私に笑いかけてる……?


 いや、でも。

 それって苦笑い……!?

 なぜ……!?


「そっか。に出てきたのは君だったのか」


 苦笑まじりに謎の言葉を残すと、「じゃ」と池崎さんはひらりと安全ゲートを跨いでお店を出ていった。



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