第69話・故郷を想う者達

 ラビィが口を滑らせた事が原因で城塞軍事国家ルーイエから逃げ出した俺達は、当初の予定を繰り上げて次に訪れる事にしていた街、テンペイへと向かっていた。


「にいやんにいやん。テンペイってどんな街なの?」

「俺も行った事がないから詳しくは知らないけど、エルフィンリゾートで聞いた話だと温泉で有名な街らしいよ?」

「おんせん? 何それ? 食べ物? 美味しいの?」

「あはは。温泉は食べ物じゃないよ、ラッティ」

「そうなの?」

「そうよ。温泉はね、おっきなお風呂に沢山の人と一緒に入る場所なの」


 ラッティと手を繋いで歩いていた唯が、温泉についての説明を簡単にする。

 本来ならこの説明で間違っていないし、これで説明は終わりになるだろう。しかしラッティは唯の言葉を聞いて少し考え込む様な表情を見せた後、唯に向けて口を開いた。


「ねえ、唯ねえやん。温泉と銭湯って何が違うの?」

「えっ!? そ、それは……」


 思いがけないラッティからの質問に、唯は困惑の表情を浮かべる。だが、唯が困惑するのも当然だろう。

 俺も深く考えた事がなかったから疑問にも思わなかったけど、言われてみれば温泉と銭湯って何が違うんだろうかと思う。確か源泉の水温が決められた値以上あるのが温泉だとか聞いた覚えがあるけど、それも定かに覚えていない。

 唯は答えを待っているラッティのにこやかな表情を見ながら、焦りの表情を強めている。ここは兄として妹に助け舟を出してやりたいところだけど、残念ながら肝心の兄貴に助けを出せる船が無い。


「そ、そうだ! ラッティちゃん、その説明はお兄ちゃんがしてくれるよ? お兄ちゃんてこういう説明は上手だから! ねっ! お兄ちゃん?」

「えっ!?」


 突然矛先を向けられた事で動揺した俺は、思わず上擦った声を出してしまった。

 唯は俺へと視線を向けるラッティの横で片手を上げ、ゴメンのポーズを取って謝っている。いつもはどんな事にでも冷静に対処をする唯だが、今回ばかりはその手立ても余裕も無かったのだろう。

 正直、俺に任されても困るんだが、妹が兄に助けを求めてきた以上は何とかしなければいけないだろう。


「あー、えっとな……ラッティに分かりやすく言うと、温泉は地面の下から湧き出してくる最初から熱いお湯を使ったお風呂で、銭湯は汲んで来た水を沸かしたお湯なんだ。つまり、天然のお風呂か人の手が加えられたお風呂かの違いなんだよ」

「へえー、そうなんだあ。にいやんは色々な事を知ってて凄いね!」

「ま、まあね」


 本当は今の説明じゃかなり不十分だと思うけど、俺も詳しくは知らないからこれ以上説明のしようがない。

 まあ、俺が口にした事も日本での事だから、それがこの異世界で当てはまるかは分からない。となれば、今言ったようなふわっとした感じの回答が一番無難だろう。何よりも、質問者のラッティが納得したのだからそれでいいと思う。

 ちょっとしたピンチを切り抜けた俺と唯は、笑顔を振りまくラッティの横で安堵の息を小さく吐いた。


× × × ×


 ルーイエを逃げ出してから二日後。俺達は無事に温泉で有名な街、テンペイへと辿り着いた。俺達はいつもどおりにギルドへと向かい、そこで宿屋の情報を聞く。

 いつもならこの時点でそれぞれの懐事情に合った宿屋へ向かうのだけど、今回は初めてみんな一緒に同じ宿へ泊まる事になった。それはギルドから紹介されたとある宿が、俺や唯が居れば通常より安い料金で利用できると聞いたからだ。


「――あー、いいお湯だったな……」


 この街に居る間お世話になる宿へとやって来た俺は、部屋に荷物を置いてからさっそく温泉を堪能して部屋へと戻っていた。

 廊下にある窓から外を見ると、あちらこちらから温泉の蒸気が立ち上っているのが見える。その様はまるで日本にある温泉街を彷彿とさせ、どこか懐かしさを感じさせる。

 そして日本人である俺の心に懐かしさが生じるもう一つの理由は、このテンペイの街並みが他の街とは違って日本情緒に溢れているからだろう。街中にある建物は古き良き日本を思わせる純和風木造建築が多く、風呂上りに浴衣を貸し出している点も日本っぽい。

 どうして地球とは違う異世界にこの様な日本的和風文化があるのか、それはとても疑問に思うけど、俺みたいに地球から転生して来た日本人は少なからず居るはずだから、そんな人達がテンペイをこの様な街にしたのかもしれないと考えれば自然と納得もいく。てか、むしろそれしか考えられないと思う。

 自分と同じ日本人の転生仲間が居る――そう考えると、この異世界のよそ者みたいに感じていた部分も少しだけ和らいでくる。


「お客さん、お湯加減はどうでした?」


 外に見える日本情緒に心を和ませていると、綺麗な着物に身を包んだこの温泉宿の主人、ハルおばあさんが声をかけて来た。


「あっ、とても良かったですよ。久しぶりに身心のリラックスができた感じがします」

「それは良かったです。日本人にとって温泉は特別なものですからね」

「えっ!? 日本人て……何で分かったんですか?」

「宿泊帳に書かれた名前からですよ。漢字で書かれてはいませんでしたが、コンドウリョウタなんて日本人的な名前は、この異世界ではなかなか見かけませんからね」


 そう言ってにこやかに微笑むハルさん。

 俺が日本人である事を宿帳の名前から看破し、日本人にとって温泉が特別なものである事を理解していると言う事は、おそらくこの人は転生をした日本人なのだろう。


「あの、もしかしたら、あなたも日本人なんですか?」

「ええ。転生したのはもう随分と前の事になりますけど」

「マジですか!? いやー、まさかこんな所で日本人に出会えるとは思っていませんでしたよ!」


 転生して来た日本人に唯以外で出会ったのが初めてだった俺は、ついついテンションが上がってしまった。


「これまでの旅で日本人に出会ったりはしませんでしたか?」

「はい。出会ったのは自分の妹くらいで、他に日本人だと言う人に出会った事はありませんでしたね」

「そうでしたか。まあ、この異世界には日本という国はありませんから、言ったところで知らない人に理解してもらうのは難しいでしょうし、話さない人の方がほとんどでしょうからね。あなたもそうだったのではないですか?」

「確かにそうですね……」


 ハルさんの言う様に、俺も自分が日本人であるという事を公言するのは避けていた。それは先程言われていたように、理解してもらうのが難しい事と、説明がややこしくなりそうだからだ。

 それを考えると、他の転生者が日本から来た事を口にしないのも分かる。

 仮に俺が日本に居る時に、『俺って異世界にあるリリティアってところから転生して来たんだよね』――なんて話を誰かに真顔でされたら、間違い無くおかしな妄想を口走るヤバイ奴だと思うだろうから。


「転生者はこの世界に元から居た住人とは違ったストレスを抱えていますからね。そのストレスを解消する手助けとして、私はここに温泉宿を開いたんですよ」

「てことは、ハルさんはこちらへ転生して来てからずっと、温泉宿をやる為に働いてたんですか?」

「いえ。こちらへ転生して来た当初は、その時に居た魔王を討伐する為に冒険者をしていました。ですが、当時の魔王が別の方に討伐された後、色々と思う事があって冒険者時代に貯めたお金を使って温泉宿を開いたんですよ」


 ハルさんは自分がこの異世界に来た時から温泉宿を開くまでの話を語って聞かせてくれた。

 そんな先輩冒険者であるハルさんの冒険者人生は実に壮絶で、話を聞いているだけでも冒険者として優秀だった事が分かる。何せ話の中で、星七つクラスの討伐指定モンスターを仲間と共に倒した事があると言っていたくらいだから。

 俺はしばらくの間、ハルさんと冒険者生活についての話に花を咲かせた。


「――あっ、お仕事中なのに話し込んですみませんでした」

「いえいえ。私も久しぶりに故郷の方とお話ができて楽しかったですよ。ありがとうございます」


 みやびを感じさせるハルさんの振る舞いにどこまでも故郷を感じつつ、俺はお礼を言ってからその場を去ろうとした。


「あっ、一つ注意と言うか、ご忠告をしておきますね」

「忠告ですか?」

「はい。このテンペイには温泉街特有の誘惑が多数あって、それに関してのトラブルもあったりします。ですから、男女間の誘惑にはお気をつけ下さい」

「誘惑ですか……分かりました。肝に銘じておきます」


 俺はペコリと頭を下げてからその場を後にし、部屋へと戻り始めた。

 ハルさんの言う忠告がどういった事なのかはっきりとは分からないけど、おそらく覗きをするなとか、そういった類の事なんだろうと思う。

 はっきり言って覗きに興味が無いかと言えば嘘になるけど、うちのパーティーの女性陣の裸を覗き見してばれたりしたら、おそらく命は無いだろう。それは女性陣の性格を考えれば容易に分かる。まあ、リュシカだけは殺そうとせずにお金を請求してきそうだけど。

 まあ、仮に覗きがばれないとしても覗く気は無い。何せパーティーの中には実の妹も居ればいたいけな幼女も童女も居るし、自分の事を好きだと言ってくれている女性も居る。そんな彼女達の裸を見てしまったら、俺は罪悪感で彼女達の顔をまともに見る事ができなくなるだろうから。

 そんな事を考えながら窓外に見える景色に再び視線を移し、てくてくと歩きながら部屋へと戻って行った。

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