第59話 倭王豊の上表文

 文読みが定められたある日、いつもの通りチョウセイがやってきた。しかし、この度は《竹簡》を一つも携えずに現れた。何事かと問う。

「姫、いよいよです」

「何がです?」

「《魏》のクニがなくなりました」

「ふぁっ! もう、ですか。この前、興ったばかりだったのでは?」

「そうです。それで《晋》というクニが興りました。《魏》の臣だった《司馬》の輩が、《曹》から《禅譲》を受けたのです。《禅譲》、おわかりですね?」

「ええ、古の《帝》も、その位を譲る時に《禅譲》しましたね。《書》で学びました。それで?」

 チョウセイはゆっくりと語る。

「ヒミコ様が《魏》に使いを送ったのは、間にあるクニが滅んで、《魏》と《倭》とが繋がったからです。いまや《魏》は滅び《晋》が興りました。クニがあらたまったのです。これを言祝ぐ使いを送らねばなりません」

「そうですか! ヒコはなんと言っていますか?」

「ヒコの名で使いを送るのも宜しいと仰っております。しかし、《倭》のクニは《女王》のクニだ、と前の使いの時に示しました。ヒミコ様から姫に移り変わっておりますが、《女王》の名のもとに使いを送るのが良い、とヒコも申しております」

「なるほどー」

「いつもならば、我らカラクニからきたる者どもが、ヒコやヒメのこころを汲んで《上表文》をつくります。ヒミコ様は時もそうしましたが……。どうです姫。学んだことを活かして、共に《上表文》を作ってみませんか?」

「ふぁ! いーのですか! 楽しそう!!」

「ひひひひ。はしゃぐ年増もかわいいもんだ」

「え? なんて言いました?」


 その日の文読みは、《上表文》のあらましをチョウセイから説かれるだけで、時が潰えてしまった。次の文読みの時、チョウセイはいくらかの、《書》とは異なる《竹簡》を持ってきた。

「これが、ヒミコ様のときの《上表文》の写しです」

 眺めてみると、《書》とは《文字》の連なりの趣がやや異なる。読みにくいし、よくわからないところがある。昔みたいに、チョウセイに示してもらいながら読みといていく。

「この《卑弥呼》というのがヒミコばのことか?」

「そうです」

「うーん……」

「聡き姫様ならおわかりと思いますが、あまり良い字を用いていません」

「どーして?」

「カラクニの方が優れており、周りのクニはそれに従う。これを示すためです」

「うーん。そもそもヒミコおばさまって日の巫女だからそう呼ばれてるだけで、もともとは違う名前だし。モモゾビメ」

「カラクニの者は、《倭》のクニの多くの者が呼んでいた呼び名を採ったのでしょう。正しい名など、知られていなかった。日のことを掌る巫女として、広くその時は知られていたのでしょう」

「じゃあ私もそうしなきゃならないのかな?」

「その限りではないと思いますよ。そうした所を共に考えてまいりましょうか」

「私はトヨなんだけれど、それって米とか獣とか魚とかが多く獲れるということを示す名前。カラクニの言葉で言うと……《豊》!」

「はい。もしもあえて《文字》で示すとするなら《豊》で間違いありませんな。私もそう思います」

「よっしゃわかったじゃあ《倭王豊》の《上表文》じゃあ!」

「いけませんな」

「何故です!」

「《豊》は佳い字なのです。ことさらに。先程のヒミコ様の《文字》を思い出して下さい。わざと、佳い《字》を用いなかった。佳い《字》を用いると、カラクニの《帝》を怒らせることになるかも知れません」

 私の顔色が明らかに悪くなったのを見たのだろう。チョウセイは大きくにこやかに顔を作り上げて答える。

「姫様じゃなければ、「《倭王豊》ですね、かしこまりました」と答えていましたよ。それでヤマトで《倭王豊》の《上表文》を作り、あとで、イトのクニかマツラのクニ辺りで、差し障りのない名前に差し替えてカラクニに持っていったでしょうな。《竹簡》なんて容易く入れ替えることができる」

「はいはい。じゃあどうすればいいの?」

「せめて悪い《文字》を使わないようしてみませんか。トヨ様ののです」

「なるほど、面白そうだね。ト、と読む《文字》と言えば……」

しばらく二人で語り合い、相応しい《文字》を探る。思いのほか難しい。その内に、トが《䑓》で、ヨは《與》が良いのではないか、となった。かなりの時が過ぎて、文読みであればとうに仕舞いになっているはずのみぎりになっていた。


《䑓與》


 台を与える。チョウセイに、近ごろヤマトヒメにまじないを教えていることを話した。台の前で構えて、色々教えて、与えている。《文字》の《意》はここでは捨てられており、「使のはわかっている。だが、私なりにとてもしっくりくる。眼に見える形で名を与えられて、幼いころから《文字》を習ってきたにもかかわらず、心が揺れ動く。これが私の名……。

「これ、とても良いです。文字も悪くなく、良くもない」

「ではこれで《上表文》を作っていきましょうか。あ、それとね姫様」

「まだなにか?」

「《上表文》は、それなりに位の高い者が持っていかなくてはならないのですね。私とか。ですから、これができたら、お別れです」

「嘘でしょう!?」

「まことです」

「嫌です!」

 チョウセイは笑いながら、泣き出してしまった。裾で涙をぬぐって、すぐに元に戻って語る。

「いつかは、終わりがきます。《倭》のクニに来て、どんなものかと思っていましたが、優れた《門弟》を持てて、全く飽きませんでしたよ」

「貴方が優れていたから、私は学ぶことができたのです。貴方なしでは……」

「これからもカラクニからは多くの者がやってくるでしょう。千年後とか二千年後にもずっとずっと来ているかも知れませんぞ。……どうか、どうか姫様のように温かく迎えてほしいと思っています」

「カラクニの優れた多くの《書》が、必ずや我々の子や孫をつないでくれることでしょう。というか、はー。お別れですか。はーー」


 心をこめて《上表文》を二人で作り上げた。そして、チョウセイはカラクニに帰って行った。土産はことさら多く持たせた。

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