第58話 未だ来ない、先の世
テルセが子供を産むと言う。仕えから退く前に、我が宮にやってきた。
「あの、この前は返していただいたのですが、これ」
ふたたび、テルセが常に持つ刀を差し出してきた。
「テルセが持っていていいのに」
「トヨ様に持っていてほしいのです」
「どーして?」
しばらくテルセは言い淀む。だから「あせらず、ゆっくりその訳を話して下さいな」と語りかける。
「祖からの刀を、色々な歌や物語を継ぐトヨ様に継いでいってほしいのです。私の刀には、色々知られざる物語もあるのだと思います。でも、……この刀には、憚りがある。でも! 物語が伴わなくたって、ずっと刀だけでも継いでいってくれたら。それで私はなんだか救われる心地がするのです」
「刀だけ、言葉も物語もなく、継ぐ……のか。そういう考え方もあるのですね。テルセが努めて決めたこと、かしこまりましたよ。我が宮の宝として末永く継いでいくことにしましょう。ただし、ひとつ決めごとをさせてください」
「いかようにも」
「私は刀を継ぎました。また後の世に、継ぐべき者がありましたら、その者に刀を渡しても構いませんね」
「はい。後の世に伝わるならいかようにも」
私はにっこり笑って、刀を受取ることにした。
「素晴らしい刀。後の世に、いずれかの勇ましい者が振るって、物語に残るかもしれませんよ」
テルセが退いたのち、まだ陽が高いうちにヤマトヒメのところへうかがう。ヤマトヒメのところにある神棚を用いて、まじないを共に行なう。いくらかの祝詞を二人で唱える。幾度も繰り返したものだけれども、ヤマトヒメは襟を正して、しっかりと教えを受けてくれる。大きなことではない、クニの出来事や噂について軽く話をして、互いに笑う。ヤマトヒメは笑うととっても可愛らしく、カラクニの物語で譬えられるように、美しい花を見ているような心地にすらなる。このような良い娘を、いずれ宮に篭めなくてはならない。
「ヤマトちゃん、貴方を巫女に選んで良かったと思うけれど、やはり悪かったかなとも思っている。申し訳ない」
ヤマトヒメは、少し、先程とは異なる笑みを浮かべてから、手先を肘や肩に付けて膝を揺り動かして、考えるしぐさをする。
「ヒミコ様のことを聞いたり、トヨおばさまのことを見ていて、心では備えができているつもりです」
「私は年寄りになった今でも心が揺らぐことがある。だから……申し訳ない」
しばらく二人とも声を出さなかった。そしてまたしばらくしてヤマトヒメが口を開く。
「トヨおばさまって幾たびもおんなじこと言う癖がありますよね! この前もおんなじ話してた!」
「ふぁ!」
「テルセさんも、トヨ様は似たような話をよくすると、そう述べていましたよ。相手に伝わったかどうか確かめたいのですよね」
「今まで心づきませんでした」
「トヨおばさまが悩んで決めたことなのですから、そういうこと含めて心に備えておきます。別れる前に、色々教えていただいたり、お話できれば。……そうそう昔、遠くへ旅したことを語ってくださいましたよね、それがとっても心に残っていて……また詳しく知りたいです!」
「旅の話はまたするよ。今は……それと異なる話をさせてほしい。ヒミコおばさまの世から私の世を経て、貴方の世になる。同じ巫女でも、任される役割はそれぞれ異なると思う。ヒミコおばさまの時は、クニグニがまだ争っていて、何人かいる男のクニの主をまとめなければならなかった。そんなとき、米を最も作れる我がクニの、米を作るために日々占う巫女を、
ヒミコおばさまが死んだあと、またクニグニが乱れて、それで私が巫女になった。私が巫女になった頃には、すでにクニを支える仕組みが出来あがっていたから、私が何かを示さずとも、ナシメとかの大人たちが取り決めてくれていた。私は、大人たちの取り決めをしっかりと占い、まじない、裏付けすることが求められた。
さて、貴方の世はどうなると思います? 恐らくですが、より広く大きな社を
我がクニはまことに大きくなりました。他の多くのクニを従えています。人の行き来も盛んになりました。我がクニだけではなく、もっと大きな……、カラクニの者が《倭》と呼ぶ広さ。それを治めなくてはなりません。《倭》の広さで神を祀ることになる。しかるべきところを見つけて、それに見合う社に務めるのが、貴方の役割になる」
ヤマトヒメがいつになく厳しい眼で、私を眼差す。そして眼を閉じて、小さく頷くように頭を傾げる。まじないで使った器から、かたりと灰が崩れる音がする。
私が継いだ品々を、すべてヤマトヒメに譲ろうと思った。テルセが用いた刀も、彼女に継がせよう。遠くない時に彼女は旅立つだろう。相応しいところに社を構えて新しい巫女としてそこに住まうのだ。新しい、巫女、の役割。それは私の預かり知るところではないけれど、ただこの女の魂が安がられんことを祈るばかりだ。
私もヤマトヒメと同じように眼をつむって先の世に少しだけ想いを馳せて、それでもう一度、彼女を見遣る。残された時を用いて、教えられることは全て伝えなくてはならない。
「しかし貴方は色々細かい質だから、私みたいにおばさんになったとき、猛々しい甥や姪が助けを請いに来て困らせることがあるかもしれませんね。ちゃんと心はおおらかに!」
「嫌だ、おばさまったら。でも、そういうことがあるかも知れない、ですね」
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