第48話 サナキ

 次の朝、というか昼前。潮騒で目が覚める。飲み過ぎた。昨日食べた海の品々の味が、酒と共に口の中に残っている。テルセもぐっすり寝ているようだったが、私が身を起こしたらすぐに目覚めて起き上がる。「寝てていいよ」と言うけれど、テルセのたちからして起きていたがるだろう。

 壁も屋根も藁と、知らない茎でかれている。家の中を見ると、網棚にたくさんの品物が載せられ吊るされている。いずれも海で魚や貝を捕まえるために用いるのだろう。石の錘だとか、網だとか。あとは銛。くろがね青銅からかねは少ない。木を尖らせたものが多い。

 海鳥の高い声に心付いて家の入口の方を見遣る。温かな頃合いになり、雲は少なく海を遠くまで見渡せる。

 ずっと手前。入口の所で半ば身を隠しながら子供がこちらを覗いているのがわかった。子供たちは私が見ているのに心付くと、さっと身を翻して見えなくなる。「おはよう」と声をかける。

 しばらくすると、ひょこと小さな頭が現れる。続けてもう二つ。三人の子供が部屋に入ってきた。もう一度「おはよう」というと、子供も返してくれた。笑顔で迎える。子供たちは、私たちの文身が自らの村のものと全く異なることが心に引っかかるようだ。近くに来て、腕や頬を眺めて、触る。テルセはテルセでイトのクニの文身を親から継いだわけだから、これもまたここの文身とは全く異なり、同じく子供が心惹かれるものとして触れられている。

 子供の一人が、テルセの腕や頬を触るついでに、テルセの刀に手を伸ばす。テルセは刀を子供の手の届かない所に引き取って「これは危ないよー」と優しく言って頭をなぜる。

 しばらくしていると、《大婆》と男と端女とがやってくる。少しの汁ものが出される。子供たちは逃げていった。恐らく、村の大人たちから、私たちの所へ入るのは止められていたのだろう。

 テルセと村を歩く。歩けば数百歩で周れてしまう小さな村だ。浜辺では女たちが網を編んでいる。また破れた網を補っている。歩きながらテルセに語ったことは、手伝えることがあれば村の手伝いをするべきだ、ということ。村に迎えられるにはふんぞり返っていてはいけない。《大婆》に頼み込んで、手伝いをさせてもらう。容易たやすい仕事を任される。網のほつれを直す仕事と、海から獲れる藻を干す仕事だ。テルセは山に行って兎を取ってくるという。昨日兎の狩りは認められているか、長に伺っておいた。

 共に働く女たちから色々と聴かれる。ことさらに唄について。どうすれば上手く歌えるのか。間違わずに歌えるのか。わかる限りで応える。また、玉石についても尋ねられる。どこで獲れるのか。これは知らない。斎の宮に他所のクニから届くのだ。

 仕事の合間にモノを運ぶ。その時、小さな田があるのが見えた。山あいのわずかなおかを囲って、小さな水溜まりがあり、そこに稲が植わっている。崖や坂があるために、日当たりは良くない。これらは皆、女たちが耕すのだと言う。男は海に出る。

 ふと、我がクニのことを思い起こす。ナシメは我がクニは米を大いに作り得ると述べた。確かにこの村のあり様を見るとそう思う。この村では田は小さく、溝を掘って大きく田を造ることはない。というか出来ない。これでは、多くの人を動かす仕組みは生まれず、長の力は大きくならないだろう。


 テルセは陽がまだ高いうちに帰って来ていた。モノを運んで浜辺に向かって歩いていると、遠くの道端でテルセが朝の子供たちと遊んでいるのが目に入った。木の枝を刀に見立て、声をあげて子供たちはなにやら動き回っている。テルセは自らも枝を持ってその相手をしている。木枝でもテルセの手業はさすがのもので、子供たちを軽くあしらい、なおかつ子供たちが楽しめるように刀の相手になっている。後に聴けば既に三羽の兎を捉えてきたそうだ。これらは村に差し出した。


 夜は、昨日と異なり静かな宴だった。しばらくすると、村の男たちが大きな怪しげな金物を持ってきた。青銅からかねの大きな……何だろうこれは? 音を出す鐘に似ている。裾のごとく末広がりで、上側は丸く切り取られ、そこには吊り下げるような穴が開いている。だが鐘にしては巨きすぎる。とても吊り下げられる巨きさではない。末広がりの「裾」のところには、四隅に縁どられ、なかに彩が描かれている。例えば、人が弓や銛を携え魚や獣を取る有り様を示したり、あるいは別の四隅には稲を植える姿が描かれたり、村の祭りを表したり、他に波や蔓草に見える彩も刻まれる。縁には、耳のような出っ張りがある。

 村人はひれ伏してこれを出迎える。

 《女たち》から聴いたことがある。我がクニや周りのクニで祈りの時に用いるのは、今は鏡や剣だ。

 だが、これらを用いる前に、「サナキ」を祀っていたという。「サナキ」とは何かを《女たち》に聴くも、誰もそれを知らない。ただ「サナキ」という言葉の、その音が伝わるだけ。また《女たち》からは、あるいは「サナキ」とは鈴のことであるのだが、鈴を祀っていたわけではないとも教わった。なんのこっちゃ、である。

 この「サナキ」は、ヒコが力を蓄えて、死んだあとに大きな塚を造って、鏡で祀るようになると誰も顧みなくなったという。今、この鄙びた村で祭っているモノは、古の「サナキ」ではないのか。頃合いを見計らい、隣の者に「あれの名前を教えてください」と乞う。答えは「√―√**カネ」。なんと言ったのかわからなかった。

 にわかに、人々の前に居座る古の大きな金物が恐ろしく見えてきた。「サナキ」というどんなものか知らぬ言葉も、それがこれがそれそのものかがわからないことも、恐ろしい。言葉も通じてもてなしを受けているにも拘わらず、全く知らないものを祀っているのが恐ろしいのだ。彼らと我らは近くありつつも、隔たっている。このあり様が、極めて居心地の悪さを生んでいる。

 長居をするつもりはなかったけれど……、この村からは去らねばならない。斎の宮の、我がまじないの品々がそう告げているような心地がした。

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