第43話 名もなき河原

 テルセのうごめきで眼が覚める。改めて、何が起こったのかを思い起こす。身体を動かすと、節々が固くなっている。

「おはようございます」

 テルセとはいつも文読みの時と灯火を付けるときにしかまみえないから、朝の言葉は初めて聴いた。

 私が昨日の平らな広い所にいるわずかな時のうちに、テルセは借宿をすっかり片づけてしまった。仇に見つからないように心がけたのだろう。

「今日は歩きます。幸い陽が見えるので行く先はわかります。お疲れでも、努めてください」

「わかりました。また陽の目を見られて、テルセのことも見られて、嬉しい」

「今日は歩きますので、トヨ様、もし差し支えなければ私の靴をお履きいただけませんか?」

「靴って付けたことないや」

「山はいろいろ岩や枝など尖ったものがあります。トヨ様は宮にいつもいらっしゃいますから足の裏が柔らかくなっておりましょう」

「確かに。そんなところまで見ていたのですね」

「いや、足音で……わかるのです」

 靴を付け替えるとき、テルセの右足の親指の爪が剥がれかかっててどす黒くなっているのが見えた。

「テルセ、足……」

「唾付けておきました。水辺に行きましょう」

 森の中は寒いくらいだったが、歩いて行くうちに身体は暑くなってくる。テルセは私の少し前を歩いて、歩みやすいところを選んでくれているようだ。それでも、よじ登るようなところもある。下の方に水音が聴こえるところを幾度か通ったが、テルセはいずれも止まらなかった。やがて、小さな清水を見付けて、そこで休みをとった。水を飲んで、テルセは足を洗う。痛くないのか尋ねると、当たり前のように痛いです、と返してきた。

 森は深い。聴いたことのない鳥の声が聴こえる。おおよそ私はテルセの背を追いかけるのだが、たまに振り返って今来た道を振り返る。古からの巨きな樹が、数多あまた立ち並ぶ。広さはとても計り知れない。限りがないようだ。逃れて今ここにいることを見失いそうになる。

 靴はとてもいい。たまに滑るけれど、尖ったものから守ってくれるし、何と言っても踏ん張りが効く。テルセはこのために、大人と渡り合って殺めることができたのだろう。やがては我がクニでも靴を付けるのが当たり前になるのかもしれない。

 テルセはなだらかなところを選びに選んで進んでくれているようだ。半ばで、木イチゴを食べた。やがて足に鈍い疲れを覚え始める。テルセを追うのだが、頭が鈍くなる。ふらつく。森は限りなく、いつまでも同じような見栄えしかしない。自らが何をしているのか、解らなくなってくる。

「テルセ、つ、疲れました」

「もう少し……ここを登り切ればあとは下って……今日はそこまでにしましょう」

「はあ、解りました」


 森の中のやや開けたところ。真ん中に小さな川が流れていてわずかな河原があった。河原にある岩は巨きい。丸い岩に腰掛ける。陽が当たって温かくなっていた。陽はもっとも高い所にある。横になってしまいたい。けれど、ごつごつしたところばかりで叶わない。

 テルセは一つ小さく息をついてから立ちあがる。「トヨ様は休んでいてください」と言って森に戻っていく。しばらくして、また松の枝葉を持ってきて、野屋を造る。程良い太さの幹を柱にして、野屋ができあがる。テルセの刀は極めて切れ味に優れる。

 次にテルセは樹の皮を剥いで来た。それで皮を曲げたり折り畳んだり、眉をしかめながら何か作ろうとしている。私はテルセの座る隣に来て、テルセの仕事を眺める。テルセは木皮と小枝とを樹の蔦を組み合わせて、船のようなものを作ろうとしていた。私も手伝えることがないかと問う。しばらくは一人でやっていたテルセだが、あるところは私が押さえてあげることでぐっと上手く出来あがった。樹の皮の鍋ができた。

 鍋を作ったということは、煮炊きをするということだ。そして食べ物を摂ると言うこと。

「テルセ、私が枯れ木を集めて火を起こしておきましょうか」

「姫にそんなことを……」

「や、いまさらそんな、いいのです。幼いころを思い出してやってみます。難しかったら声掛けます。まずは枯れ木を集めます。少なくともそれなら必ずできますから」

「……では、私は獲物を捕まえてきます。すぐに戻ります」

 河原の水がない所を歩く。乾いた木を探す。燃えやすそうな木を探す。小さい方が燃やしやすいだろうか。切れ味に優れた刀なら、大きくともよいだろうか。「やります」と申し述べたが、足が思うに動かない。いまさら、殴られた腹が痛むことに心づいた。にわかに風が吹きぬけて、髪が揺らめくのを覚えた。誰もいないところに独り放り投げられた寂しさを覚える。今までだって、籠められて独りだったのに。

 それでテルセが見える限りの所に居やしないかと眺める。遠くの森の際に白い着物が見え、テルセがいるのがわかる。じっと動かずにいて、いきなり刀を投げた。何事かと見ていると、草むらから刃の突き刺さった兎を掴み帰ってきた。思わず笑ってしまった。

 テルセと共に、火を起こすための蔦と枝とを作って火を起こす。私も昔を思い出して木屑をこする。テルセの方が上手く出来るのだが、自らでも出来たことを嬉しく思う。

 食べられる草を森に探す。見たことあるものを選ぶ。毒があるものか食べられるものか、似ている草がある。それは今は用いない。テルセは刀で刈り取る。土色の彩のある変わった刀だ。青銅からかねくろがねも砕いていた。今は木を切り皮をはぎ兎を突き草を薙いでいる。

 テルセが「あ」と声を上げる。近くの長い枝を持ってきて、足元にあった割れ目に枝を差し込む。しばらく出し入れしていたが、その内に素早く抜き出す。枝には蛇がまきついていた。テルセは巧みに蛇の首根を摘まんで、刀で止めをさす。

 蛇に止めを刺すと、すぐにまた「あ」と声を出していきなり走り出して、勢いをつけて太い木に登る。太い木と言うのは下の方には枝は少ない。テルセは勢いよく枝のないところから駆け上がり、最も低い所にある枝に手をかけて、ひらりと身を翻して枝に懸け登る。そのままかなり高いところまで登る。そこには鳥の巣があった。

「卵を落とします。着物で受け止めてください」

「ええ!? わかりました」


「テルセ! 松の野屋もそうですが……食べ物のとり方とかいつ学んだのですか?」

「幼いころに父から……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る