第24話 連続と非連続

 その日の夕方、私はナシメと物語の違いについてじっくり話すことにした。

「ナシメ、長話してよろしい?」と尋ねると、ナシメは短く肯んずる声を出した。

「今日、言継でおかしなことが起こりました。初めてシマのクニの女が語ったのですが、シマのクニでは、《シマコの物語》と《海幸彦の物語》とが混ざって一つの物語になっているのです。だから私や我がクニの大婆はとても驚いてしまいました。クニで物語が異なるために、困ったことに大婆たちが諍いを起こしてしまいました。ナシメ、分かたれてふたつになっている物語と、一つに混ざり合っている物語……はてさてどちらが正しいのでしょうか」

 私が思うより早くナシメは応えた。

「クニごとに、話す言葉が少し異なっています。また、文身も少しずつ異なっています。それと同じなのでしょう。ヒミコ様の御時よりこのかた、クニが大きくなり、他のクニの者どもと混じり合うことが大いに増えました。だから、そうした違いが色々なところで明らかになっています」

「それはよくわかります。では、どちらが正しいのでしょうか。あるいは、どちらがより古い言い伝えを正しく今に継いでいるのでしょうか」

「河はいくつもの河を併せながら大きな流れになり海に注ぎます。木は枝葉を分かたせながら空へ伸びていきます。《女たち》の語りや占いは、どちらの類のものでしょう」

「うーん。そんなこと考えたこともありませんでした。だって、《女たち》から継いだ物語はひとつですもの。大婆もおんなじ。母や婆から継いできた。それぞれが。

 ナシメ、みつぎを納めるときや、溝を掘るときや道を作るとき、他のクニとやり方が異なっていた場合どうしているの?」

「我がクニのやり方でやっています。それぞれのやり方でやると、整いません」

「はぁ。そうですよね。でも、物語や占いなどの人々の心にあるものは、溝や道とは同じにはするべきでないような……。大婆たちにも言ったのですが、もう少し、物語の違いや隔たりを、洗い出してみようと思うのです。諍いにならなければ良いのだけれど……。何がどのように異なるのか、もう少し、見極めたい」

「稲や道や溝を作るために力を合わせる仕事でないのならば、焦ることもないでしょう。なぜ違うのか。トヨ様がお極めになって、それで大婆たちに言葉を下せばよいでしょう。困ったことがあればこのナシメに申しつけください」

 ナシメはそう言ってくれるけれど、ナシメはどこまで役に立つだろうか。これは突き詰めると女の継いだ物語に関わる類の悩み。男のナシメが踏み込めないところもある。


 何か心が落ち着かぬまま、夜を迎えた。我がクニの《シマコの物語》を頭の中で思い返しながら窓際で風に当たっていると、テルセが灯しに来た。近頃テルセは少し大人になり私への憚りになるかと思ったのか、ほとんど足音を立てずに齋の宮までやってくるようになった。幼い頃は、同じくらいの年頃のテルセがやってくる足音を聞いて、訳もなく楽しい心持ちになったものだ。齋の宮はいつも閑かで、動きがない。だから、誰かが来るのは楽しみだった。

 どうやっているのか全くわからないのだが、テルセは板張りの宮の床においても、ほとんど音を立てずに歩く。四つ目を点けた時に、話しかける。

「テルセ」と呼ぶと、少しの間があり「はい」と応える。これも近頃の決まりきったやり取り。

「テルセは母や婆から物語を継いでいますか?」テルセは思ったより長く黙った後、短く「はい」と言った。テルセの祖はイトのクニの生まれだから、そのあたりの物語なのだろう。またしばらくしてから、テルセは「ですが……、ひとつだけです」と加えた。

 シマの女の物語について話をした。物語を継がぬ女も多い。テルセは一つだけ、母から継いだ。このような女は、細かな物語の違いに心を慌ただしくしないのかもしれない。テルセが放つ言葉のありさまから、そんなことを思った。


 次の日、チョウセイにもこの話をした。チョウセイは、私が思うより長く悩んだ後(だってチョウセイっていつもはお喋りだから)、ゆっくりと話し始めた。

「遠い昔、誰かが物語を始めた。すぐに、周りの人が喜んでこれを広めた。周りの人の中には、少し異なって広めた人もいたでしょうし、「こうしたらもっと面白い」と考えて物語を改めた人もいたでしょう」

「カラクニでは、そのような経緯はすべてあらためられているのでしょうね」

「いいえ、全くそんなことはないです。カラクニにも、文字のない時代がありました。それにカラクニはとても広い。遠いところには話す言葉が通ぜぬところもありますし、同じことを表すのに、用いる文字が異なることだってあるのですよ」

「うーん。じゃあそれぞれ異なっている二つのもののうち、どちらが正しいのかどう決めるのですか?」

「時の王や《帝》が決めるのです」

「ふぁー。正しいかどうか、どう調べるのです?」

「どのようにも。ただ、決めるは王や《帝》です」

「間違ったらどうするのです?」

「間違ったまつりごとを繰り返すと、天の道から逸れます。そうすると、クニが滅んで、新たなクニが興り、あらたまります」

「チョウセイからそうしたことがらを《書》を用いて学びましたね。だから君主まへつぎみは昔の人が記した《書》を学んで、《徳》を高めなくてはならない……。確かに、例えばはらんだ女の腹を裂いて、中を見ようとするのは大いに間違ったことだと思います。これはわかります。ですが、物語の小さな違いのどちらかが正しいかを決めるのは、とても難しいように思います」

 チョウセイの目尻が怪しく蠢き、口元が笑みを作るときのように少し持ち上がる。

「世の中には、「正しい」とはっきり決めたほうがいいものと、そうでないものとがあるのかもしれませんよ」

「あやふやなままでいいのですか? そんなことではクニが治まらぬのでは!」

 チョウセイは右手の甲を自らの唇の左側に当てて、じっ、と考えるしぐさを見せた。

「それでは、やはり、物語を集めてみるのがよろしいでしょう。クニごとの違いを、もっともっと。もしかしたら、何か分かるかもしれませんよ。頭で悩みすぎた時と、《書》を読みすぎた時……これは時に同じことなのですが……。とにかく悩みすぎた時は、体を動かし他の人と話すのがよい。頭の中で考えすぎると、心を病んだりしますからね! そんなことを仲尼も言ってたでしょう」

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