第4話 竹と鳥と虫
アキマは、外に出られない私に会いに来てくれる。私たちの暮らしは変わってしまったから、話す事柄がなくなってしまっている。ただ押し黙ることは、二人とも何となく避けていた。だから夏が近づくこのころは、アキマが習っている《文字》を持ってきてもらい、これについて話すことが多くなった。現れるのは必ず日暮れの、そのあと。あるいは、その少し、前。
人の目につきにくい
「ほい、今日も持って来たよー」
「ふぁーアキマ。来たね。見せて」
アキマは竹を縦に細く割ったものを束にして持ってくる。音が出ないように麻布で工夫して縛ってある。この竹の裏に墨(これは炭を水で溶いたもの)で書かれた《文字》がある。細長い竹の一つ一つは、麻だろうか、紐で互い違いに編まれて一つに調えられている。紐の先は、余りを長くしてある。これで竹を結んで丸めることができるようになっている。
カラクニの《文字》の
アキマはコメなどの
私はどちらかというとそういうような字ではなくて、世の中にあるモノを示す字を知りたかった。だからアキマに我が儘を言って、カエルだとかサギだとか、身近な文字を教えてもらった。アキマは、《文字》を教わっている人にわざわざ聴いてくれる。そういう人のことを《文字》で《先生》と言うらしい。《先生》はアキマが色々な 《文字》を知りたがるから、偉いと言って褒めてくれるらしい。アキマが怒られるわけではないことが解り、心が軽くなる。
アキマが『蛙』『鷺』を指し示す。「カエルがこれ。サギはこれ」
「《虫》や 《鳥》が付いているねやっぱり」
「ほーだん」
「小さい、土の中や土の近くに居るのが虫。ヘビとかカエルとか」
「それで、羽や
「鳥って、カラクニでは「チョー」って音なんでしょ?」
アキマは鳥の文字を指し示しながらうなづく。
「アキマに確かめたいんだけど、この前教えてもらった、虫でひらひら飛ぶ、我がクニでアゲハとかシジミとかヒラコとか呼んでる、あの虫もチョーだよね?」
「そうだねえ。我がクニでは、チョウの仲間をアゲハとかシジミとかヒラコとか分けて言ってた。それをまとめる言葉がなかったんだな。そいで、それらをまとめるチョウという言葉がカラクニから古い時から入って来ている。蝶ってもう当たり前の言葉になっているけれど、もともとはカラクニの言葉のよーだ」
「わかりにくいねー。カラクニの人は、話してて蝶と鳥どうやって違うって解るの?」
「うーん確かにわからんね。今度先生に聴いてみるわ」
「……あのさ、アキマ。《鳥》をさ、「トリ」って読んじゃいけないの?」
「いけないと思うよ。鳥は《チョー》、虫は《チュー》て読む。示すものは「トリ」や「ムシ」だけど」
「じゃトリって読めば良いじゃん!」
アキマは首をかしげて「なんで? 鳥は「チョー」だよ」と答える。私は言葉を強めて「「トリ」じゃん」と繰り返す。
「「チョー」じゃろ」
「頭が固いんじゃこのすったこが!」
「《先生》がそう言うんだからそーなんじゃ!」
確かに《先生》がそう言うならそうなんだろうけど、鳥という生き物は変わらずあるのだ。カラクニにも鳥がいるんだろう。羽や嘴があって、毛が生えていて空を飛ぶ生き物が。だから鳥という文字がある。それについて、カラクニでは「チョー」、我がクニでは「トリ」という音が当てられている。私にとっては《鳥》の文字を「トリ」と呼んで覚えたほうがとてもやりやすい。何で一度「チョー」と覚えてから、それが「トリ」だって考えなきゃならないの! 糞め! 他のもそう! 我がクニの言葉で覚えたほうが良い。だって「チョー」なんて誰も使わないもの。ここでは。
ということで、アキマと共に文字を見る間は、「チョー」とか「チュー」とかカラクニの人が話す音を併せて教わる。でも心の中では、直に我がクニの言葉に置き換えて覚えてしまう。
アキマに黙って悪いことしている心地がする。初めてかもしれない。心が少しだけ重くなる。やはり、ちゃんとカラクニの音も覚えるべきなのだろうか。
「トヨってさ、とっても覚えるの速いよね。というか、一度で全て覚えちゃってない?」
「うん。わたしさ、物語やまじないのやり方を
「消えないって?」
「やー、耳で聴く言葉は音だから。形がないの。だから幾たびも幾たびも聴いて聴いて、聴いて聴いて、覚えていった。夜ごと昼ごと、夜ごと昼ごと、婆様たち、《女たち》の言葉が語られた。ずっと。……だけど文字は墨で残るもの。楽ちんちん、だよ」
「ちんちん」
「うんー。いつも教えてくれてありがと」
私とアキマは、アキマがいつも這入ってくる窓の下、窓の右と左の下の壁にそれぞれ
「また来る」
「いつまで来る?」
「来れるまで来る」
「嬉しいけれど危ないよ」
「わかってる」
私にはどうすることも出来ない。
「……はぁ。……文字、面白い。アキマ」
「何?」
「ちゃんと文字を習って偉い人にならないといけないよ」
アキマはちょっと笑って立ち上がる。それで窓をくぐって出ていく。別れの言葉はなかった。
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