第31話『水平石獅子神楽 5』

「無理、無茶、無謀。それでもなんとかなるのは勇者の類いか、火龍ひりゅう国の戦闘士たちくらいだぞ。けっきょく漆黒の魔獣を仕留め損なった上に逃し、手負いの獣を野に放ったというわけだ」


 破壊された窓ガラスからの風。

 クライフが飛び降りた窓辺の部屋だ。アンゼルマは呆れた顔で酒瓶を開けると、みっつのグラスに注ぎながらそれでも楽しそうに笑っている。向けられているその笑顔をむっすりとした横顔で受けている当のクライフは未だ痛みが残る節々を労るように壁に背を預けつつ「面目ない」と短く項垂れる。


「酒のつまみも俺のシャツも乾いちまった。いきなり飛び出して何してたんだよお前は」


 杯のひとつをヒョイと手に、用心棒モーゼルはベッドの上でどっかりとあぐらを掻いて二人を交互に睨み付ける。


「いきなり投げ飛ばされ、さあ『交渉だ』ってときにいきなりだろう? なにがなんだかってやつだぜ」

「そこにいたんだよ、巷間騒がせる殺人鬼が」

「あんだって?」


 アンゼルマがククと笑って目を丸くするモーゼルの表情を楽しんでいる。巷間騒がす――特にこの悪名つきまとう胡乱な一画を根城にする無頼の者たちの被害があればこそのものだ。

 交渉の内容は分かっている。

 モーゼルはアンゼルマにこの裏町で起こっていることを子細に話せばいいだけだ。モーゼルは情報の提供の代わりにアンゼルマから仕事のおこぼれと金になる情報を得られる。これが交渉だった。


「あれな、食い詰めた浪人のものだったよ。ついさっき脱ぎ捨てられたおかげで殺されてるのが分かった。ちょっと腕をならした鉄砲玉で、半年前に水平石に来て、薬屋を襲ってきたならず者を五人返り討ちにしている。腕はいいはずだが……」

「殺されて姿を乗っ取られていたと。思うに、入れ替わったあともばれるまでは下手な演技をして違和感を振りまいていたんだろう。派手にばれそうになれば察したものを殺し、ときには喰い、棄て、見つけさせ、という恐怖を撒いていたんだろうさ」


 アンゼルマはひとくち強い酒を流し込むと、手がつけられていない杯をヒョイとクライフに放る。七分しちぶまで満たされたそれは口を上にしたまま横に回転させられており、中身を零さないまま思いのほかふわりと弧を描き、剣士の手の中に収まった。


「この裏町のモーゼル、そんじょそこらの浪人には負ける気がしないが、アンタが追うほどのバケモノとはさすがにやり合える自信はねえな。不思議と悔しくはねえんだが、そっちの兄ちゃん……クライフとかいったな。アンタも……なんだ、このおっかない姉ちゃんの縁者か何かなのかね」

「よくわからないが、恐らくはそうなのかもしれない」

「はっきりしねえなあ」


 答えにくいから濁してるわけではないのはモーゼルにも分かっている。アンゼルマが自信の正体を秘密にしてるのはその格好からでも分かる。遊ばれているのだろう。

 だが彼の腕前、その敵と邂逅して息があるということはアンゼルマほどのバケモノではないにせよかなりの腕前なのだろう。生粋の剣士とみるが、モーゼルはそんな邪推はきっぱりと諦めて杯を干す。

 強い酒が胃の腑に流れ落ちる灼熱が頭をかえってはっきりさせる。


「そうさな」


 このふたりが裏家業について拘泥していないのは確かだった。ならばなおのこと言えないことと言ったほうがいいことが増える。だがそうした腹の探り合いは、それこそ裏の者たちを相手にするべきだと割り切った。

 割り切れる男だからこそアンゼルマはモーゼルを頼って、だからこそモーゼルは自身の店をひいきにしてもらい得が出来ている。それに先んじて情報料として金員も貰っている。


「暗渠って知ってるか?」

「暗渠?」


 訪ね返したのはクライフだった。


「埋め立ての際に地下に残る類いの水路ですか?」

「水平石の場合も似ている。なにせ海が近いとはいえ流せるものはみんな流しているからな。平石は別個だと思ってるようだが、すべて伏越で繋がっていて、岩、石、礫、砂、そういった不純物を漉す層を徹していろんなものがある程度綺麗になって川に流されていくんだよ。最南端の平石であるここが、各平石からの汚水が行き着く場所で、河からの運水を程よく合流させるための水路がちゃんと造られている」


 それが暗渠だと、モーゼルは肩をすくめる。あまり表に出せない情報なのだろう。知れば知っているということを知られただけで首が飛ぶ類いの情報だろう。


「なるほど、人が通れれば荷も通る。悪党なら使い道はいっぱいあるでしょうね。もっとも――」

「そのとおり。汚水を処理する文字通りの汚れ仕事も金になる。立派な生業だ。だからこそ、御上もおいそれとここは処罰できねえのさ」


 汚水処理の岩、石、礫、砂、その回収と清掃と再利用も『裏家業』を続けるための生業なのだろうなとクライフは感じ入った。剣を取って強さがあれども、こうした仕組みこそ知らなければ組織は回せないのだろう。


「暗渠の見取り図面が欲しいわね」

「阿呆か!」


 その秘中の秘の粋奥を寄越せとアンゼルマが手を差し出すのを見て、さしものモーゼルも裏返る寸前まで声を荒げてしまう。


「そこはもうお前らが勝手に調べればいいじゃねえか! だいたいそこに何かが潜んで縦横無尽にこの水平石を跋扈してると察してるのは俺らぐらいだが、ブツの配置や通行の順路まで露わにしたらオマンマの食い上げじゃねえか。しかもアンタんとこに知られたら、さすがに俺の首だって……」


 そこまで言って、モーゼルはアンゼルマのニヤニヤした笑いに「やられた」と額を叩く。これではその見取り図があると白状したようなものだった。さすがにしかし、貰った金員や貸しだけでは割に合わない。もし他に漏れたら彼の確保してるアドバンテージがなくなってしまう。他の組織に付け入られることは確実だろう。


「入り口のひとつを教える。そこまでだ」

「入り口ねえ」

「そこから入って、清掃する。いいか? 臭えぞ? たまに毒の気を吸って死ぬやつだっている。好きに探ればいい。ただし俺は案内もしないし、図面も渡さない」

「まあそれでいいか」


 あっさりとアンゼルマは頷く。


「どのみち、中を探るのはわたし独りでやるよ」

「いいのか?」


 と、これはクライフだ。地下水路に単身赴こうという彼女に彼は腰の落葉の柄を手に聞くが、アンゼルマは「そのほうが暴れやすい。巻き込まれたくはないだろう?」とククと笑う。その笑顔にクライフはやや右目を細める。ゆらりとした闘気のようなものが見えたからだ。


「いたら仕留める気で仕掛けるが、いなかったり逃げ出すようなら上のあなたに任せるわ。そんときは仕留め損なわないようにね」

「承知した」


 モーゼルはあんな場所で暴れる気なのかと、アンゼルマの正体とその噂を知るだけに頭を抱える。確かにこの女傑ならあの地下水路でも平気だろう。


「あのな、頼むから荷と女だけは無事にだな」

「見取り図くれたら手加減は出来るけど、探しながらだと保証は無理ね」

「やっぱ悪魔だなこいつ」


 モーゼルは諦めた。アンゼルマに通用口の場所を教え、突入は明日にしてくれと念を押す。下が無事なうちに傷つけられてはいけないものを運び出そうという算段だが、手負いの獣が暗渠に隠れているとなればその実行にも危険が伴う。さてどうするかと思案してると、クライフがぽつりと零す。


「荷と……女の人が居るのですか?」

「地下にってことか? ……んッ」


 さきほどまずいことを言ったのかもしれない。暗渠に女を隠す、つまり隠しておきたい身柄を扱ってると受け取られたのかもしれない。この一件ではなく犯罪方面に厄介ごとを嗅ぎつけられでもしたら、それこそ命の遣り取りをするほかはなくなる。

 しかしクライフはモーゼルの逡巡の真意とは別に、思い至っていることを口にする。


「何人居るのかは知りませんが、その中のひとりがすでに殺され入れ替わっているとしたら」


 ぞくりと、モーゼルだけではなくアンゼルマの背筋に冷たいものが奔った。予感のようなものだが、その「もしかしたら」を煽る漆黒の魔獣、あの骨の思惑に乗せられてるのではないかという戸惑いの中、しかしクライフは右目を押さえながらひとつ息を吐く。


「本体は別とし、纏う肉、纏う皮はそれぞれ別人のものを使っていてもおかしくはない」

「根拠は?」


 クライフは「これは思いつきですが」と前置いて、骨と一戦交える前まで聞いていた情報を思い出しながら紡ぐ。


「女性が被害に遭っていないのはこの南の平石だけだからです」

「はン」


 鼻で笑ったモーゼルだが、冗談だと思い切れない自分に気がついている。その上で、自分の勘は良く当たると思い出す。だが思い出せ、地下の『上物』たちはみな客の相手をしてる。その客相手に男女の営みを行い、ボロも出さずに入れ替わっていられるような魔業、はたして可能なのだろうか。その点は、アンゼルマも思い至った。思い至り逡巡こそすれ、「やれるだろうな」と呟く。


「……モーゼルさんよぉ」


 アンゼルマはクイっと手招きをする。


の住処だけでいい。教えてくれないかい? なあに、上客にはよく案内する道なんだろう?」


 商売用の道。秘中の秘だが、それでも限られてはいるが幾人かは知る秘密の道。地位と名誉がある者が金を出せば通れる、地下の娼館への通路。モーゼルがこのバードルという国の端でそれでも生きていくための秘密を重ねる場所への道。


「確認するだけさ。商品に傷はつけないよ。このアンゼルマの獅子神楽、魔性を祓う鬼神の舞、無辜の命は決して奪わん」

「……確かだな」


 モーゼルは観念した。

 根拠は乏しいが、自分の勘と予感を信じた。今まで幾多の危機を乗り越えてきた経験に裏打ちされた自分の才能に掛けると決めた。

 彼は部屋の入り口外で聞き耳を立てていた年増の女将に一言二言耳打ちすると、ガリガリと頭を掻く。


「今夜中に仕留めたいが――。ま、明日にするわ。ちょっとそれなりに準備もしたいしね」

「俺はどうする?」


 クライフは訪ねるが、アンゼルマは「今日は仕舞いにしましょう。あなたも休みなさいな」と、明日の集合を決める。

 了解し、クライフは酒をひとくち口にする。

 ――獅子神楽。

 獅子か。そう口の中で呟く。

 未だ痛みの残る体を解すように肩を回すと、中身の残る杯を卓に置き、踵を返して出口へと向かう。


「窓から出て行かないのか兄ちゃん」


 冷やかすモーゼルだが、クライフは苦笑交じりに手を振って娼館をあとにする。その背を見送りながら、モーゼルは「ありゃあ気落ちしてるな」とあごをさする。


「仕留め損なったことをかい?」

「いんや、被害を止められてないことにだな。とんだ甘ちゃんと笑うとこだが、はてさて……?」


 夜は更けていく。

 去りゆく落葉の剣士の背中に若獅子アンゼルマは「そうかしらねえ」と、どちらとも取れる呟きをする。

 商売用の見取り図――店への招待順路の一部が届けられたのは、そのすぐあとのことだった。

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