第50話『輪唱の記憶 3』

 闇。ドアの隙間からうかがった間取りを目処に速やかに躍り込んだアランは抜きつけた幅広の長剣を逆手に、ベッドへとそれを突き立てようとする。跳躍じみたその移動が腕を振り上げたところで、横合いからアランの脇を狙った斬り上げが風鳴りを伴って閃いた。

 窓から注ぐか細い月明かりの中、びしりという音と共に火花が散り、落葉の切っ先はアランの脇の帷子を擦るように空を切る。狙いを外したのではなく、暗殺者の身の熟しによって躱されたのだ。崩れた体制をベッドを踏み越える形で部屋の反対側へ飛ぶように立て直すと、そこでようやく切っ先を掲げつつあるクライフと向き合う形になる。

 じゃらり――。

 その音と今し方の手応えに、「鎖帷子か」とクライフは四肢の力を抜き直し、腹の底にスッ……と力を溜める。


「ディーウェスの片割れだな」

「来ることが分かっていたな」


 長剣を右の順手に持ち替え、アランは左手をやや開くように腰を落として正対する。対するクライフは鳩尾のあたりに鍔を下げた、刀身垂直の腰を落とした構え。共に、室内戦のものだ。

 問答は不要だった。

 間合いを詰めたのはクライフからだった。やや左肩を前にした滑りゆく接近でアランの打ちを誘うと、彼の長剣が届く一歩前で腰を更に落とすようにずいと踏み込む。

 これに呼応したアランは鋭い突きをクライフの喉元に走らせる。鈍くぬめるそれは毒物だろうか。

 白刃焦眉の刹那、右足を左後方に真っ直ぐ引いたクライフ。アランの刀身は鼻先を掠め、剣士の落葉が左片手打ちでアランの首筋に振り当てられる。

 速度の乗った刀身が、しかしジャリとばかりに帷子に阻まれる。


「――頭部フード!」


 声に出さぬ言葉。手応えから四肢と胴だけでなく、頭部から首筋、肩まで被っているのだろう。刀刃戦を心得ている。


「――!」

「――!」


 落葉の刃はアランの首筋へ鎖ごしに当てられている。

 アランにとって、右手に躱された敵の伸びきった腕。

 判断は、一瞬だった。

 呼気。

 アランはクライフの伸びきった左腕を右手で抑えるため、毒刃の長剣を左手に持ち替えようとした。首筋に当てられた落葉の刃は鎖帷子が止めている。打ち込むにしても、いちど刃を引いて振り当てなければならない。この隙を逃してはならない。

 呼気。

 それはクライフも分かっている。なれば、毒刃の長剣を持っているアランの右腕を関節を締め上げ制するのが最適だと思っていた。

 そのときまでは。

 半身になったときに体側に引いていた右手を動かしたときには、すでにアランが刀刃を持ち替えるためにクライフの左内肘に己が右肘を当てるように動き、彼に右腕を掴まれることを防ぎにもかかっていた。

 アランの右腕が空き、クライフの武器を振り抜き伸びきった左腕を殺されれば、左手に移った毒刃が剣士の命脈を容易く絶つだろう。

 ――間に合わない。

 どちらも、同じ文言を脳裏に思い描いた。

 アランは蛇のように空いた右腕をクライフの左関節に巻き付けんと動き、クライフは右手を胸の前にまで持ってきていたがそこにはもう敵の腕はない。

 己が命脈ここに尽きる確信が脳裏に去来するも、クライフの体は。そのままと右足をずいとばかりに踏み込んだ。恐れるのではなく、死の恐怖は飲み込み、もっとも危険な領域から逃れようと退くことなく、地獄の先に活路を見出す。

 クライフは切っ先をアランの首筋に当てたまま刀を動かすことなく、柄を持ち直すようにその右手を動かす。最短最速の動き。


「イやぁあ!」


 ただし、その勢いは柄に渾身の掌底を叩き込むような体が乗ったもので、裂帛の気合いと共に叩き込まれた右手が、まるで添えられた釘を叩き込むかのように刀身を打ち込んだ。

 ビシリと喉元の鎖帷子が断ち割られ、踏み込みと共に突き上げられた刀身はアランの下顎から滑り込み、口中の上顎を貫いて脳天を砕き貫いた。アランの腰が浮き上がるほどの威力に、彼の被っていた兜が貫けた落葉の切っ先に持ち上げられるまま、部屋の壁に双方の体が音を立ててぶちあたる。


「――!」


 切っ先を支点に内より動脈を撫で断つようにひねり引き抜き、そのまま入り身青眼に構えたまま二歩下がり、残心を取る。

 すでに意識を断たれたアランの体が膝から倒れゆく。床に打ち押された頭部と首の隙間から、命の余韻がどくどくと数度血潮を吹き出すが、すぐに了った。


「終わったか」


 と、そのとき。

 部屋の外から副団長の声が聞こえた。彼はドアを開けると、壁際に倒れて死ぬ男をチラリと見ると、部屋のランプに火口で灯りをつける。

 浮かび上がるのは、未だ残心を解かぬ、剣を構えたままのクライフだった。彼はやっとそれで一息をつくと、副団長が投げ渡した布で刀身を拭い、鞘へと納める。


「一派か?」

「でしょう」


 クライフが答えると、副団長は即座に窓の外に向けて手を振る。

 すぐに五人ほどの傭兵が担架を手にやってくる。彼らがまずは刺客の検視を行うのだろう。クライフらふたりは邪魔にならぬよう、一階へと降りる。荷物は部屋を出る際に担いだ。もう、戻らないからだ。


「すまんな、落葉の。不法出国者も、暗殺者も、始末なんとかするってのは傭兵の仕事じゃないんだ」

「来ることを教えて貰えましたし、感謝します」


 金にならぬ仕事はしない。傭兵の流儀だ。

 赤獅子の傭兵団は、不審な者が北の門を出たことは情報としてかなり早くから知っていた。クライフのあとを追うように出たということは、門番はそれなりに警戒する。かつ、その事実を近衛のアカネに報告することも通達されていた。通報があって後、人通りが一段落した後、アカネは北の門で意識を切り替えて鼻を鳴らすと、そこにあの酒蔵の地下で嗅いだ強い特徴と同じものを確認した。

 アカネはディーウェスの片割れであると結論づけ、その情報を目的地である赤獅子の傭兵団の陣に送ったのだ。


「試験的なものだが、こういうときに役に立つ」


 副団長はちらりと陣の中に建つひときわ高い塔に目を向ける。あの頂きにある燐灰石の通信網は、獅子の瞳と繋がっているのだろう。そこまではクライフも分からなかったが、即時性は鳩を越え、正確性と情報量は視覚による連絡伝達を超えるだろう。


「案の定、もっとも暗い時間を狙ってきたな」

「腕前も確かな者でした」

「しかし、来ると分かっているなら対処もできる。……しかし、危ないところだったんじゃないか?」


 帷子を着込んでいる者に不覚を取りかけたことを察しているのだろう。クライフは苦笑する。死んでいてもおかしくはないのだ。


「いい経験だったな。この先、刃が通じる相手、部位、お前が知らないような魔獣魔物が多い。生きて戻ってきたら、褒美代わりに赤獅子特製の図鑑を見せてやらんこともない」

「今見せてはくれないんですか?」

「もう出立だろう? 時間がないさ」


 それもそうだった。


「では」

「死ぬなよ」


 クライフは荷物を担ぎ直し、連れられてきた馬にまたがると、一礼して走り出した。目指すは北。川沿いにバードルへと向かう。

 さすがにこの最前線、見張りを含め大いに傭兵の姿を見受けられたが、アランの侵入を許したのは仕上げられた隙ゆえだろう。あの副団長が、いつぞやの意趣返しとして用意した暗殺者に与えた、標的への道。


「あの副団長が仕える赤獅子の長、さすがに興味が湧くな」


 思うクライフが北門の傭兵の激励に手で応えたとき、東の先に朝日がしっかりと昇り始める。

 この先は中立無法の戦場。

 人と、人と、そして魔獣魔物が三つ巴に伺う地。

 なだらかな下り坂の先、クライフは馬首をくいと引くと、馬の息を落ち着けさせながら耳をすませる。

 耳の奥。

 川の流れのような音色。


「これは――?」


 それは、歌だった。

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